星のささやき
災害とは違って電気も通っていれば断水されることもない。
ただ街がまるごと、街として機能を失っただけだ。
国全体が大騒ぎしてももっと遠くの地方ではほぼ無関心なのだろう。
病院の待合室は多くの患者や、行方がわからない身内の確認をしに来ている人が大勢いた。
綿陽 緑はテレビのニュースを見に来たのだが大勢の声に音量が負けているので来ても意味はなかった。
それに椅子は患者が多く座って、表情は様々だ。
居づらくなったというより、居てはいけない雰囲気で病室に逃げ帰った。
一昨日、緑は結構どうでもいい理由で攫われてしまい、家族を心配させてしまった。
それからかつての大戦にて敵で、現在緑を嫁にしようと企んでいる鬼王・フェンリルが緑を弟・ヨルムンガンドより(合意の上)取り戻すと、かつての街は何者かによって鬼に襲撃された。
攫われたことと襲撃されたことはたまたま重なっただけであって因果関係はないのだが、襲撃してきた鬼は緑の命を狙っているらしい。
兄、旭や姉、晃の命でもいいのだが眷属神がいるため容易には狙えない。
末の緑は凡人であるため簡単に殺せると敵も思ったようだ。
しかし眷属神がいるにも関わらず、緑を庇って2人は死にかけた。
今生きているのは、眷属神との契約を仮のものから本来の契約に変えたからだそう。
契約すれば生命力が倍増するのだとか。
ちょっとやそっとじゃ死なないということだ。
ただ問題があるのは、契約者は死ぬと同時に眷属神に魂を食べられてしまう、というかつての戦争の名残だ。
一気に街に攻め入った鬼は目視するだけでも100はくだらない。
あの街の外では通常よりも警備隊が配置され、全国からさまざまな隊を呼び寄せているようだ。
結界の中で未だにうろついているのだから当然の措置だろう。
結界が破られることはなさそうだが、次襲われるとすれば、もう一つ街をまたいだ先にあるこの病院だ。
緑はふと思う。
自分はここにいていいのかと。
兄や姉は自衛の術を持っている上に両親といればこれ以上危険なことは起きない。
それは緑がいなければの話だ。
いつ緑を狙いに来るかもわからない未来に、何よりそれに家族を巻き込んでこれ以上傷つけやしないかが不安だった。
胸に抱え込んで息が苦しくなる。
これ以上胸が重くなれば息もできなくなりそうだ。
階段を登って、家族のいる病室に帰ろうとしたが、ちょうど診察が終わった父とばったり会った。
父は頭を飛んできたガレキで打ったらしいが軽傷で済んでラッキーなほうだった。
母のほうは足をひどく痛めてしばらく歩けないのだそう。
両親の会社の同僚が来ては心配げに見舞いにきたがそれよりも子供たちの方を見ていた。
公に話すのははばかれたので簡単に話してはいないものの、眷属神と正式な契約をした人間など、あの場では何人も目撃している。
普通の契約でないのだから感づく人もいるはすだ。
だから噂が流れ、あることないことをつぶやかれる。
「緑はどこも怪我をしてないようでよかった」
父はこう言うが緑はいっそのこと怪我をしたいくらいだった。
返事もしないで俯く。
一緒に階段をゆっくり登って行くも会話はなかった。
「そういえばあのコートはどうした?」
「え、あ、ああ…」
「演劇部のコートなんだろう?」
「そ、そう…うん…今まだ縫い合わせてて……
看護師さんにいろいろやり方教えてもらったんだ」
咄嗟にでた嘘が苦しい。
明らかに怪しまれると思った緑は昨晩、適当に理由をこじつけて演劇部のコートの手直しを手伝っていると言ってしまったのだ。
父の言うコートが、鬼王フェンリルのコートとはとても言えなかった。
「そうか、それはまたお礼言わないとな」
「うん…」
何をやっても罪悪感が出る。
自分のせいで怪我をさせ、心配をさせ、更には嘘をついてしまう。
こんなことでは後でしっぺ返しが来るだろう。
「緑…」
階段を抜け、病室の前に来ると肩に手を置かれた。
顔を上げて父の表情を見上げる。
「父さんはお前たちを、守ってやれなかったな…」
緑はその言葉がすぐにはわからない。
夜、緑だけは病院のソファーで眠っていた。
家族が全員病院にいて、一人だけ避難所では心細いだろうという病院の配慮だったが、ただでさえ空きの病室がなく、ベッドもないのだから自分のために割くわけにはいかない。
事実緑は寝相は良かったし最近の夜はちょうどいい気温だった。
「緑、やっぱ一緒に寝ようよ~」
「えーやだよ…晃姉寝相悪いし。」
「じゃあお母さんと寝る?」
「いや、いい…遠慮する。」
「お兄ちゃんと寝るか?」
「ヤダ。お父さんもなんかヤダ。」
言う前に拒否をされた父だけかなりのダメージが降りかかる。
ずっとソファーで寝て、時々悪化した患者の騒ぎで睡眠を邪魔されるほか、朝の早い病院は少女だからといっても、大人でもそう耐えられるものではない。
しかし緑は家族が怪我をしているのだし、一緒に寝て、もし悪化させてしまうのは絶対に嫌だと思った。
電気を消し、おやすみ~と言って自分は病室前にあるソファーで、裁縫を始める。
フェンリルのコートをちまちまと縫う。
足元の非常灯しかない暗いところでやっているので昼間より増して指に刺さる。
もう既に絆創膏だらけの指先で、それだけで指のカバーになっているのだが、それでも刺さるのは眠さのせいだろう。
(もう、寝たほうがいいかな……)
そろそろ看護師が見回りにくる時間だ。
コートを綺麗にたたみ、枕より上に置いて丸まって眠った。
緑が眠りに落ちて、ふと耳に飛び込んできた音は雨の音だった。
インドアの緑は何故だか雨を聞くと落ち着くのだが今ばかりは陰鬱な気分だ。
体は痛いし、節々が音を出しそうな程固まっている。
これはもう眠れそうになかった。
仕方なく、洗面所に向かって顔を洗った。
そこにある時計は5時を指している。
(ずいぶんキリがいい時間に起きたなぁ…)
朝食にはまだまだ時間がある。
無駄にしないよう、もうすぐで終わる裁縫を始めるのであった。
薄明るい早朝の中、裁縫をするのは不思議な気分だ。
時間帯が違うだけで気分はこんなにも変わるのだ。
少々雨のせいで肌寒いのだが。
(そういえば、フェンリルさんは風邪ひいたりしてないかな…)
以前は暗示をかけて老夫婦のところで住んでいたようだが、今もそうしているのだろうか。
寒くて少し身震いをする。
それもその筈、セーラー服は血まみれだったので患者が着る服を貸してもらっているのだが袖が肘までしかない。
(午後までには晴れればいいな…)
そうして、目のつくところの補修は終わった。
3日もかかってしまったものの、なんとか目立たずに縫うことができたし、それより前にべっとりついている血は丁寧に落とした。
まだいくらか赤い血がついているものの、広げて見てみればなかなか……と、一瞬は思った。
達成感に満ち溢れた目でも、雑のような気がしてきた。
糸の縫い目も見えるし、かろうじていい出来のところは看護師につきっきりで教えてもらったところだ。
ズーン、と落ち込んだ。
明らかに落ち込んでいる緑を見て、思わず母は尋ねる。
「ど、どうしたの?」
「…うまくできなかった……。」
「あ、それ?うまくできてるじゃない。初めての割には。」
「……。」
「母さん…」
一言余計だと苦言を呈したのは旭だ。
一生懸命頑張ったのに何かと荒い出来。
これは新しい代用品を買わなければと、強い義務感が生まれた。
「ふあ、は、はっくし!」
「風邪ひいたの?」
「ほらやっぱり…ソファーで寝るからよ」
母は自身の毛布を緑の肩にかけた。
いらないと言ってもはおりなさいと強制するため、暑くても我慢するしかない。
「というか、服が半袖だからじゃない?」
「あ~確かに。
春は過ぎても肌寒い時とかあるしな…」
「家から持ってくる時間もなかったしね~どっかのバカ王のせいで~」
「病院内にいるのも暇だろうし、街をぶらついたらどうだ?」
「けど、また鬼が来たら危ないだろう。
父さんが退院できれば一緒に行くが…」
「かと言って学校だってしばらくは無いそうじゃない。
緑、勉強しなさい、勉強。」
好き勝手にそれぞれ言っていくが、緑はこれらの言葉が空元気のように聞こえる。
その理由は緑の中に、ここにはいない方がいいんじゃないか、という考えと
どこかにいけば心配させてしまう、という考えがいれ混じって複雑な心境だったからだ。
「じゃあやっさんとテンちゃんがついていくとか!」
「それなら安心だな」
その言葉が出てきて胸が痛くなった。
しばらく姿を消したまま、現れないのだ。
旭と晃曰く、いるらしいのだが出たがらないようだ。
合わせる顔がない、というのが適切だろう。
もし、自分がヨルムンガンドにやすやすと攫われでもしなければ、両親が怪我をせず、兄妹も正式に契約せず、眷属神の心も痛めなかっただろうと想像した。
たった一つの過ちが全てに起因しているようで、少しでも動くのが億劫になる。
「ちょっと、暖かいの買ってくる」
緑は逃げたがっていた。
フェンリルのコートを縫う、ということで家族の輪に入っているようで実は抜け出していたのだ。
仕事が無くなれば否応なしに入らなければならない。
それが怖かった。
なんて話せばいいのか今の緑にはわからない。
雨の音が微かに聞こえる病院の中を歩き、誰もいない外の自販機で暖かいお茶を買う。
ふたを開けると湯気が見えた。
「…ばかみたい」
こんな考えしたところで、結局は家族は自分を見捨てたりしないとわかっている。
だからこそ、緑は家族のために何かをしたかった。
何もできなかった、価値のない人間だと自分を決めつけて。
「っあ」
一口飲んだあと、お茶のペットボトルを奪われた。
奪った主は神出鬼没のフェンリルだった。
「ご機嫌斜めのようだな?」
「あ、ええと……」
なぜこんな時に現れるのだろうか。
まるで緑の心を読んでいるかのようなタイミングだ。
「そんなことないです……フェンリルさんはまたどうして…」
「久しぶりに緑の顔を見たくなったが、中にいては迂闊に姿を表せん。
むしろ、緑もいいタイミングで外に出たものだ。」
熱すぎるくらいのペットボトルを頬にくっつけられ、返された。
「中に戻らぬのか。風邪をひくぞ。」
「……あんまり…戻りたくない」
「何故だ」
「………寒いくらいが、いいかもしれないです」
背中を向けて丸まる。
そのくらい病んでいた。
しかし、その小さな背中の後ろで盛大なため息が溢れかえる。
驚いて後ろを見る。
「お前はとことん自分に自信がないのだな。
どれだけ自分に価値が有るか、わかっていない。」
「か、価値って……そりゃ、ないとは思いますけど…」
「それは何が基準だ。契約者か凡人の違いか?
どれだけ人を救うか?成績の良し悪しか?」
「………。」
答えられずに視線を下げるだけだ。
そんなこと考えたこともなかった。
それか、自分を決めつけていた。
「少なくとも余は、緑には価値が有ると思っている。」
「それは、何が基準ですか…?」
にーっと笑って言い放つ。
「余のコートを縫ってくれる者」
そこで思い出される。
なんだかむず痒くなるが、今のフェンリルは七分袖のハイネックの服を着ているだけだ。
「あ、あの、ちょっと待っててください!!」
「む?」
急いで病院の中に入るが、フェンリルは病院の中に入れないことを思い出してまた帰ってくる。
「これあげますから!」
「おお」
ペットボトルを押し付けて急いで病室にかえる。
「お帰り~ってらっしゃ~い……」
虚しく響く晃の言葉。
さっきまで落ち込んでいたのにコートを引っつかんで言ってしまった末の子はどうにも元気だった。
何かいいことがあったのだろうと思うが、コートを持っていったということは……と連想しかけて全員首を振る。
だが気にならないと言えば嘘だ。
「っはぁ、はぁ、はぁ
あのっ、これ……っ」
「おお!縫ったか!」
フェンリルにコートを返すと喜んで袖を通す。
しかし慣れない裁縫に恥ずかしくなった。
「……でも、あの……出来がよくなくて…すみません」
「何を言うか!こういうのは気持ちが大事なのだろう!?
それは緑が良く知るものだ。」
渡したペットボトルを小脇に抱え、緑の両手を取る。
「しかし…本当に苦手なのだな」
「あ、はい……ボタンの縫い付けくらいは…できるんですけど……」
「構わん。余のためにここまでしてくれたことのほうが嬉しい。」
絆創膏だらけの指先は決して大げさなものではないが、逆にフェンリルを嬉しくさせるだけだ。
ニヤッと、いたずらっ子の笑みをして言う。
「礼をしよう!」
「え!?」
「それでは寒かろう。
少しなら持ち合わせはある。」
「いや、でも、お礼するために縫ったのに……それにお礼をするなんて…」
「余がしたいだけだ。気にするな。」
手を握り、唐突に歩き出す。
濡れたてのこうもり傘を開いて無理やり入れられた。
緑は、情けない自分を見ても文句も言わなかったフェンリルが不思議に思えた。
そんなことよりも、たった数回の会話で何かが吹っ切れたような感覚を得ていた。
それが、よくわからないままフェンリルの横についていく。
一方その頃、緑の帰りが遅いと旭がそわそわしていた。
フェンリルが不逞行為をしているか、または緑がこの間のようにさらわれてしまわないか不安だった。
「ちょっと迎えにいってくる」
「兄貴じっとしなきゃ看護師の偉い人に縛りつけられるよ~」
「しょうがないだろ。俺がいくしかないし。」
「旭はまだ痛むところがあるんだろう。父さんが迎えに行くから座っていなさい。」
「いや、もしアイツだったら話がこじれそうだしやっぱ俺が…」
母と晃は、娘妹が取られたくないだけだろうと息をつく。
父と旭が病室のドアの前で俺が行く俺が行くと小競り合いをしている最中、突然ノックが響いた。
父は思わず、ハイと返事をした。
するとスライドドアが開き、その状態のまま初対面の人間を出迎えてしまった。
「失礼いたします。この度は突然の訪問申し訳ありません。」
ドアの至近距離で出迎えてしまったにも関わらず眉一つ変えず、目の前の年配の女性は頭を下げた。
銀の髪を丁寧に結って、レンガ色の上品なテーラードジャケットにスーツを着こなしている。
見たところ、年齢は旭や晃の祖母、といったくらいだ。
背筋はしっかりと伸び、堂々としている。
父と旭はゆっくり下がり会釈した。
「こ、こんにちは…」
「ええと、どなたでしょうか…?」
「これは申し遅れましたわ!」
その背後にさらに現れた、まるでグラビアモデルのような体型の女性。
カツカツとヒールの音を立てて一人一人に名刺を渡した。
香水の匂いがふわりとして、匂いに敏感な晃がくしゃみをティッシュで抑える。
「我々は政府直属の警備隊上層部、警備部省の者です。
こちらは警備部大臣の星雲 小夜子様。
そして私は九空警備部隊指揮隊長の小鳥遊 青歌。
今回参りましたのは、綿陽 旭くんと、綿陽 晃さん…それから綿陽 緑さんについてのことです。」
思わず身構えたのは旭と晃だ。
それに反射するかのように八咫烏とテンが現れる。
「確か、天津甕星の星雲と、飯縄権現の小鳥遊ね
お久しぶりでございます。しかしお引取りくださいませ。」
口では丁寧に言うが気が荒立っている。
ある程度、こうなることは予想していたかのように綿陽家の前に壁のように立ちふさがる。
「えーと、知り合い…?」
「ああ、まぁ、かつてともに戦った戦友、というか…」
晃の質問に答える八咫烏も気が張っている。
「そう、綿陽の家系が『太陽』ならば、我々は『星』。
……いいえ、それより本題に入りましょうか。」
「待ちなさい星雲、突然の訪問、失礼にも程があるわ。」
テンが星雲に近づこうとしたそのとき、赤い面を顔につけた大男が扇を細い首筋に当てた。
(眷属神!!)
気配もなく姿を現した。
赤い面、長い鼻、山伏のような格好をしている。
そう、言わずもがな天狗だ。
「これ以上荒事にはしたくなかろう。」
「イヅナ、あなたが荒事にしようとしてどうするのよ。」
「…フン」
小鳥遊の命令通りゆっくりと後に引く。
星雲がその様子をみて、綿陽の父に告げた。
「あなたのお子様は本契約をいたしました。
よって、強制的に警備部省が預かることが決定いたしましたことをご報告いたします。」
「…な……!!」
「ど、どうして…!!?」
「契約による『式神』は強力なもの。
ましてや太陽の家系なのだからその巨大さは言わずと知れたこと。
野放しにするほうがどうかと思いますが…。」
「そんなこと認められるわけあるか!!」
「もし、もし預けたとしていつ戻ってくるんですか!?」
「戻ってこられることはありません。
『式神』は今の時代にはいらない力です。」
父はギリギリと拳を握り、ありったけの力で叫ぼうとした。
子が死にかけ、眷属神と契約した挙句、政府に取り上げられるなど考えるだけでも怒りで全ての臓器が踊り狂う。
「ふざけっ」
「何度も申し上げますが、決定したことです。」
「―――!!?」
パキン、と折れたような音が聞こえたとたん、父は何かに縛られているように動けなくなり、声が出なくなった。
口は必死に動いているが、身動き一つ取れない。
「あ、ああ…!!あああ……!!」
母は泣く。
旭は星雲を見て言う。
「何、した」
「何をしたか?私はある事情で捕縛能力を代々受け継いでいる。
この方は病院内にも関わらず叫ぼうとしたので封じたまで。」
「ひどい…!こんな、こんなことひどすぎる…!!!」
動けない父を見て近寄るも泣き崩れる母に小鳥遊が追い打ちを立てた。
「そういえば、綿陽 緑さんのことですが、何やら鬼と接触していたようですね。
重要参考人として、現在警備部省九陸警備部隊第一小隊長の新名に強制連行させております。」
悲鳴にも似た嗚咽が病室内を駆けると、旭と晃は言い知れない怒りを覚えた。
目が冴え渡り、目の前にいる敵を注視する。
何も言わず、全身の毛が逆立ち、血が沸騰するのを感じる。
「落ち着け旭!」
八咫烏の声も虚しかった。
そうして2人は深く息を静かに吸う。
『ふざけんなぁあああ!!!』
その時、眩しい光に一瞬包まれた。
直後に旭は星雲を、晃が小鳥遊を。
それぞれに真っ向から掴んでいこうとした。
しかし旭と晃は跳ね返されたように窓ガラスの外へ投げ出され、雨の降る駐車場にそれぞれ落ちた。
「旭!!晃!!」
「ご安心を。」
「なんてことを…!!何をしたっていうの!!?私たちがそんなに悪いことをしたの!!?」
「よくご覧くださいご婦人。」
二人の政府の手先に促されて、恐ろしくて見ることなどできなかったその外を見た。
「あれが、『式神』です。」
眷属神の着る着物とはまた違う、袴にさらに四つの文字の走る帛がつけられている。
インナーのような、腕を覆う小手に、狩衣。
腰にある黒い刀にそっと手を伸ばす。
旭は窓から見下ろす星雲と小鳥遊を睨み上げた。
だが雨のせいか冷静さを取り戻していった。
「…あ…な、なんだ?なんだこの服?」
正常に戻る、というより集中力が切れたためかはじき出されるように八咫烏が現れる。
反動で旭は雨のアスファルトに顔面から叩きつけられる。
「オボッ!?」
「あ、旭!大丈夫か?」
「いって~…なんだったんだよ……」
ふと横を見れば、禍々しい殺気を垂れ流している晃の姿があった。
テンの着物であった美しい花の手書き友禅が目立つ。
しかし着物ではなく、背中が大きく開き、袖がない。
前合わせの立て襟に体に沿った上の仕立ては腰より上からスリットが入っている。
その下は直線的な踵にまで届きそうなズボン。
体のラインに沿った上とは違って大きく開いたズボンだ。
友禅以外はすべて白の美しい衣装に旭は見とれるが首を横に振る。
「晃!少し落ち着いて考えっ…てか下着透けるぞ!!」
旭の言葉も耳にせず、アスファルトを蹴って病室の窓枠に飛びついた。
反対の窓からは小鳥遊と飯縄権現が出て空を舞う。
「さぁ、新人教育しましょうか!」
飯縄権現が瑠璃色の梵字となって、小鳥遊がそれに触れる。
触れた右手から一瞬で服が変わる。
スーツから、結袈裟で豊満な胸を隠し、羽織るように鈴懸を着ている。
腰から下はコルセットのようなもので覆われ、緩く袴を履いていた。
「おいーーー!!その服目のやり場に困るし、かなり罰当たりだろーー!!」
顔を覆う指の隙間から直視しつつ、小鳥遊の背中に翼が生えるのがしかと見えた。
旭は眼中になく、不敵に笑う。
笑った相手は晃だ。
挑発している。
「ぶっとばしてやる…」
窓枠からさらに、小鳥遊に向かって跳んだ。
拳を構えてぶん殴るが錫杖の輪がぶつかり合って音が鳴る。
晃の拳を錫杖で抑え、それから反撃する隙も与えずに晃の体を突く。
うめき声を挙げる暇もない。
旭の目では数え切れないほどの突きを受けている晃へ、止めと言うように脇腹をぶん殴った。
「晃ァ!!」
晃は病院の外へ投げ出され、整備された草木の上に落ちる。
鈍器で殴られたにも関わらず鋭い痛みが体を支配していた。
「太陽の家系だからどんなものと思えば、そう大したものじゃないわね。
私までド田舎の炎天地方に来た意味があるのかしら。」
舞い降りる小鳥遊を睨む。
「坊や、そう睨んでもダメよ。
あなたもああなりたい?」
「上等!やれるもんならやってみろ!!」
即座に応えた旭に少し面食らって、ニヤリと笑う。
ただ、旭は汗をかいていた。
こんな化物相手に勝てるはずがない。
恐らく眷属神を身に宿して人ではなくなることが、昨日政府の役人が言っていた『式神化』だろう。
警備隊の幹部は、魂を食われることも厭わず本契約している。
旭は睨み、雨でずぶ濡れになりながらも考える。
そして、式神化すれば多少のダメージも軽減できる。
人ではないのだからあたりまえだ。
確かに魂を渡すに値する力を手に入れることができるわけだ。
「小鳥遊の子よ、忘れてはいないだろう。」
「なぁに?八咫烏さん。」
「テンは天道虫の権化。その特性はどの眷属神にもない唯一の力だ。」
「そうであっても、あの一撃でもう……」
風が隙間を縫うような音がしたかと思えば後を追いかけるように突風が吹き荒れる。
八咫烏は旭を庇う。
とてもじゃないが雨のせいで目が開けられない。
風が少し弱まった頃に、かはっ、という弱った女の吐く息が聞こえた。
目を開ける。
「舐めてんじゃねえよ年増!!」
ヤンキーさながらのその姿は確かに晃なのだが、先程まで圧倒されていたにも関わらず小鳥遊を壁に埋もれるほどに殴りつけていた。
錫杖によって痛めつけられていた箇所は少しずつ、目に見えるスピードで赤みが引いていく。
「テンの特性は、高耐久と再生能力だ。」
「っ、……!」
歯を食いしばり、立ち上がろうとする小鳥遊に対し、晃は激昂する。
「私の家族に手を出すな!!」
「…ふ、あんたらが私に構っている間に、大事な妹さんは泣いてるかもしれないわね?」
瞳孔が開き、もう一発殴りつけようとしたとき、静電気のように晃の周りに小さな光の粒が集まる。
体に力を入れようとしても動かない。
ふわりと舞い降りた星雲。
式神化をせずに捕縛をしている。
「もういいでしょう。
青歌、やりすぎね。」
「…すみません」
「手荒い真似をしてごめんなさい。
しかし、あなたたちが怒りに身を任せたらどうなるか、わかったでしょう。」
星雲の言うことに関して、2人は何も言えない。
圧倒的な自分たちの力が自分でも制御しきれていないのがわかったからだ。
もし間違った使い方をすれば、それこそ問題どころではない。
「青歌、式神を解きなさい。」
「はい」
衣類と、小鳥遊の体の中から眷属神の力が抜けていく。
小鳥遊はスーツに戻っており、傍らに眷属神がいるのだが…。
「この馬鹿者が!!修行が足りんぞ!!」
出てきて真っ先にお説教であった。
その怒声はまるでイカヅチ。
怒られているわけでもないのに旭と晃まで肩を震わせたほどだ。
「…ま、コレは置いておいて
あなたたちが警備部省に預けられる理由は分かった?」
「……。」「……やり方は、汚いですけど」
「それならいいのです。
それに、太陽の家系がやっと本契約したとなれば今回の鬼の襲撃にも対抗できるというもの。」
「ていうか、太陽の家系って何。
私たち、政府の役人に聞いてもそれは教えてくれなかったし、やっさんもテンちゃんも、さっきまで引きこもってたから聞いてないんだよね。」
ぶっきらぼうに話す晃を見て、少し息をつく。
「そうね、端的に言えば、あなたたちの家系は『鍵』。
そして私の一族は『錠』。
何を封印しているかわかる?」
封印と聞いて思いつくことはたった一つ。
身近に該当者がいるのだからなおさらだ。
「!!
鬼の力!!」
「そのとおり。鬼は今弱体化している。
その奪っている力を封印した家系なのよ。」
「ていうことは、俺たちが死にかけて、緑が狙われて魂を奪われそうになったっていうのは…」
「我が一族の先代が錠となり、あなたの先代が鍵となったからよ。
その封印を解除するには、鍵一つあればそれでいい。」
鬼が今まで狙っていた緑の命。
それは綿陽の家の人間の魂を使って鬼の力を封じているものを解放するためだ。
それなら凡人である緑が優先して狙われるのも納得がいく。
「でもそれならお父さんもそうなるんじゃない?」
「いいえ、魂は子に受け継がれる。
お父さんは鍵となる資格はなくなったわ。」
さらに、『眷属神が契約者の魂を食べる理由』。
鍵として悪用される前に眷属神が食べなければならなかった。
晃は全身の力が抜けた。
同時に拘束も解かれたようだ。
弾かれるようにテンと晃の膝が崩れる。
「ちょちょちょっ…!!」
着物を汚すわけにもいかないし、この2人がアスファルトの上に倒れるのは見逃せなかった。
旭が下敷きになって庇う。
「お、おもい……」
「おー!兄貴ナイスセーブ!」
「あらあら!ごめんなさいね、旭…」
おかげで背中がべっとり濡れてしまった。
雨の中、星雲は話を続ける。
「それ以外にも、まだまだわからないことが多い。
我々はあなたたちに、『式神の力の扱いを教え』、あなたたちは『警備隊員となって我々に協力する』。
すべてが終われば、あなたたちは警備隊に縛ることなく解放しましょう。」
というよりそれしかないのだろう。
それに聞く限りではメリットしかない。
そもそも凡人であった緑を守るために動くならそれでいいと兄姉は考えた。
「…政府直属だから余計なこともできなさそうだし。
……いいよね、兄貴。」
「まぁ…今のとこはな。
けど、下につくわけじゃない。
そっちが『錠』ならこっちは『鍵』なんですよね。
建前上下の立場になったとしても、任務とか命令とかちゃんと聞いたとしても、俺と星雲さんは対等でいたいです。
そうでないと、麻痺しそうだから…」
子供は大人に飲み込まれる。
それでいいと感覚が鈍る。
旭は何よりそれが恐ろしかった。
旭も晃も口がうまい方ではない。きっとすぐにいいように使われ、薬を気づかぬうちに打たれるように何もわからなくなるかもしれない。
それでも感覚を衰えさせぬようにするには、心だけでも対等でいることが重要だ。
無駄かも知れないワクチンだがないよりはマシだ。
すると、静かに笑い出す。
上品に、そして長く笑っていた。
「ああ、失礼。
まさか政府の大臣に対等でいたいと言うなんて想像もできなかった。
八咫烏よ、今代の当主はすこぶる頭の回転が早く、柔軟ね。」
よろしいでしょう、という凛とした承諾を得て、改めて子供たちもそれぞれに頷く。
「ところで、新名の到着が想定外に遅いけれど…」
未だに背後で説教している飯縄権現と小鳥遊に視線を送る。
「え、ええと、まだ連絡は入っていませんが…」
「ワシが見てこよう。」
そんな時だ。
遠くから少年の声が聞こえ、そして慌てふためいて全速力でこちらに逃げてくる姿が見えてきた。
「新名です!!……が、何か追いかけられてるようですね……。」
「あの阿呆猿め。一体何を…。」
「待てこのクソ猿がぁーー!!緑の服を破きおってぇーー!!!」
聴き慣れた怒声が旭、晃、八咫烏、テンの耳に届いた。
ちょっとテンポ悪すぎですかね…
ギャグをいれないと死んでしまう病なんです。