仮契約・後編
フェンリルはとにかく多勢に無勢、結界の外へ抜け出すべきだと判断する。
黒の結界が出てしまったが住民が多く存在しているため、一部を開けて解放しているようだ。
もちろん電話は混線中で家にもかかるわけがない。
余裕がないからこそ、血が上っていた頭が覚めて落ち着いた。
先ほどの興奮状態からは考えられない指示を次々に出す。
「ヨル、先ほどのものは窒息でもさせておけ。
後に解剖しろ。」
「わかった。」
「心臓の羽を、本当に、どうしても、抜いてもらいたい。
だからお前たちをカラスの元へ送る。
そして、羽を、抜け!いいな!?」
「あ、案外苦しかったんだな…」
緑は自分で立てると旭に言う。
たどたどしいが、ひとつ頷いた。
「では行くぞ。
緑、余のそばを離れるな。」
「う、うん……」
「ヨル、背後につけ。しんがりだ。」
「わかった。」
有無を言わせない威圧は、伊達に王をしていたわけではないらしい。
緑の後ろには晃、旭と続いた。
「ある程度の距離なら俺と晃がやっさんたちに信号を送れる。
もしかしたら、やっさんもこっちに来てるかもしれないけど。」
「家まで結構距離あるから……見つかったらどうするの?」
「むろん、逃げる。」
「我々は弱体化している。何度も言わせるなチンク。
お前たちが封じたんだろう。」
いや、私たちじゃないし、という答えはもうヨルムンガンドの耳に入っていないようだ。
とにかく敵に見つかれば芋づる式で敵を引っさげて逃げ惑うことになる。それだけは避けたい。
荒れる息を抑えて、慎重に進む。
住民たちもそれぞれ出口に向かって進んでいる。
「! が、学校が」
緑の通う学校が見えた。
高い坂を上った先にある、旭も晃も見慣れたその建物は無残に潰されて瓦礫と骨組みだけになっている。
「…教養のない敵だ」
「兄も教養がない。」
「覚えていろ、ヨル」
しかし学校が見えたなら家までもう少し。
入り組んだ路地を選んで進むためいつもより時間はかかるが、なおさらそれが3人の恐怖を煽った。
慣れていた土地が無残にも潰されている。
簡単に壊せるのだと、思い知らされた。
「ここまでくれば眷属神の反応が得られるだろう。」
「……ん、なんか、いろいろ、飛び交ってる。」
「だめだ。ほかの眷属神もそれぞれ信号送ってるな。
これだけ人間が密集してるからその分なおさらだ。」
「…全員、仮契約、といったところか。」
仮契約…
つまり眷属神は今まで本当の契約だとして偽って仮の契約を酌み交わしていたということだ。
綿陽家だけではない、他の家も。
カァ、
高らかに聞こえたカラスの声。
旭が顔を上げると空からやっさんが落ちてきた。
「あああああ!!?空からやっさんが!!」
多少滑りながらも着地する。
汗をかいていて、必死になって探していたことがわかった。
すぐ緑に駆け寄って両肩に手を置く。
表情はものすごい剣幕だ。
「なんてことだ…緑…全身血まみれじゃないか…!!
どこか痛いところは!?ああ!可愛い顔にまで!!」
「それは余の血だ!!!」
「そうか、いい気味だ。」
ごしごしと緑に付いた血を拭う。
相変わらず険悪で睨みつけるやっさんに3兄妹は、子供の喧嘩のようだと思う。
そして晃、旭と順に見ていくが…。
シュコーと独特な呼吸。
明らかに異物がこの列にいる。
そう、やっさんはヨルムンガンドを見た。
顔を覆って盛大にため息をついた。
「久しぶりだな
お前の本気の戦いっぷりをもう一度見たいものだ。」
「最悪だ…ヨルムンガンドまで…いや、予想はしていたが…とにかくこの場に鬼が二匹もいるとは…吐き気がする…」
「そ、そんなにか、やっさん…」
過去の惨状を思い出し、深い深い息を吐いているやっさんに旭のツッコミが入る。
そのおかげでふと我に返った。
「それよりも、結界の外に出るぞ。
当主と奥方は先に外に出ている。」
「先に外に……?
やっさん、それ、もしかして怪我したってことか!?」
「重傷ではない。足と頭に軽い怪我を負っただけだ。
外でテンがついているから安心しろ。」
やっさんは羽織を脱ぎ、緑の肩にかけた。
この眷属神がいれば大抵のことは安心できる。
フェンリルは静かに息を吐いた。
「ヨル、お前に依頼する。
『大いなる冬』を探せ。
目に物を見せてやるぞ。」
「わかった」
ヨルムンガンドは瞬きのうちに地面に落ちていく。
フィンブルヴェトルとは何か、今はわからないけれどやっさんがひどく睨んでいるということは過去に敵であった何かに違いない。
いくらなんでも緑でもそこまでは察した。
「カラス、羽を抜け。任務は完遂させた。」
「……。」
「まさか、こやつらの前で意地の悪いことはするまい?」
その言葉こそ、意地が悪いがフェンリルにとっては死活問題だった。
やっさんは何より捕縛術に長けている。
フェンリルに向けて刺した羽はフェンリルの能力を大幅に制限する効果が付与されていた。
弱体化していたのがさらに弱体化していたのだ。
「…いいだろう。」
「それから、安全地帯に入ればこいつらに説明をしてやれ。
お前たちも言うべきことは言え。
今解消しておかねば後に引きずることになる。
短い命、いざこざはない方が幸せだろう。」
羽が抜かれて、空中で折れて砕けるとフェンリルは背伸びをした。
ふと、視界の端に黒いコートが目に入る。
緑はフェンリルが脱ぎ捨てたコートを持っていたらしい。
逆に王は気づかないほど、先頭で集中していたということだった。
「あの、ぼろぼろかもしれないけど、気に入ってたみたいだから……」
「……ふふ、お前はいい子だな」
緑にはさんざん見せていたが、笑い慣れていないような不器用な笑みを人前で見せた。
今までの小馬鹿にするような、ひねくれた笑みとは違う。
そんな笑みを見て、やっさんを初めて、変わったのかもしれないと思わせた。
フェンリルは目の色と気配を消す。
出口付近には眷属神が大量にいるからだ。
だが街の中心は今でも破壊の限りを尽くしているらしい。
やっさんからの情報だと敵は50体。
もしかすればそれ以上いるかもしれない。
結界を出るまでは緊張が続く。
出口へ並ぶ一団を見つけても気は休まらなかった。
「ぐぬぬ…何故緑を優先して出さん。」
「例え綿陽だとしても、それはできない。
人の命も魂も平等だ。」
「…そういえば、綿陽が太陽の家系であることを黙っていたようだな。
契約をうそぶいて仮契約であったことも。」
「それとこれと何の関係がある。」
「…余が答えても信用ならんだろう。
後に聞け。」
一団の最後尾にいるこの5人で最後のようだ。
後に続く人の気配もなければ生気も感じられない。
人間は弱体化した鬼でさえこうも敵わないのだと見せつけられた。
そして絶望はさらに後から追いかけてくる。
四足歩行の、ライオンのような鬼が4体、背後に唸り声を上げて出現した。
「こんな状況に…!!!」
「キメラか…余では手があまりそうだ。」
追いかけてきた鬼の出現に周りはパニックに陥り、出口へと駆け込む。
これはむしろ最後尾でよかったと思わざるを得ないが、ほかの人間にしてみれば餌にされたと同じだ。
キメラも4人と鬼1人を餌だと認識したようだ。
「旭!ここでぎりぎり粘る!緑と晃を!」
「わ、わかった!無理すんなよ!フェンリルも!」
「さっさと行け」
緑の後ろにつくように、旭と晃が走る。
出口の警備隊の人間は同じく眷属神を呼んで応援を送る。
とにかく、緑だけでも結界の外に出せば問題はない。
それだけならばまだよかった。
さらにさらに、敵は行く手を阻む。
「ギャッ」
通過した先ほどの警備隊員が爆音と共に短い悲鳴をあげた。
緑は振り向こうとするが旭によって遮られる。
振り向くな、走れ!と強く言われる。
見たって足がすくむだけだ。
だが何によって死んだかはわかった。
敵が火薬玉を投げて爆撃を繰り返しているのだ。
3人はお互いの呼吸しか聞こえなかった。
それほど余裕はないけれど、確かに早くでなければと心が急いている。
時折晃が緑の背中を支えて、時間の流れが遅く感じるくらいに緊迫した空気の中走り続けた。
目の前から桃色の綺麗な着物。
テンの姿が見える。
こちらに走ってきて、手を伸ばした。
必死になって口を動かしている。
旭と晃は背中から何か襲ってきているのが妙に正確に分かった。
じりじりと焼けるような焦燥感は未来予知のように分かり、テレパシーのごとく2人揃って同じ行動を取った。
緑を掴んで後ろに投げたのだ。
緑は背中から倒れる衝撃で何が起こったのか見ていないが、爆風でさらに飛ばされて理解は出来た。
鼓膜がビリビリと麻痺しそうなほどの衝撃音に頭がクラクラとする。
それよりも現実を受け入れられなかった。
「…あ、あ、晃姉…旭にいちゃ…」
煙の向こうで二つの影が倒れている。
「晃ちゃん!!旭!!」
テンの悲痛な叫び声が響いた。
「やっさん!!八咫!!八咫!!」
声が震えている。
緑の手足も震えている。
「そ、そんな、そんな……」
鼻につくこのにおいは2人の血のにおいだ。
口を押さえて耐える。
身内が死んでしまうなんて想像できなかった。
いくつもの危機を乗り越えたからこそ、過信してしまったのだ。
自分たちは大丈夫だと。
「旭!晃!!」
やっさんが緑のそばを通り抜ける。
2人はごろりと転がったまま動かない。
何故?という思いが強くなった。
自分は兄姉のおまけであり蛇足だ。
契約者でもない凡人なのになぜ自分が生き残っているのか。
そんなの、わかる答えは一つだけだ。
「わ、わたしが、わたしが、旭兄ちゃんと、晃姉の、妹だから……!!」
爆風で遠く引き離された3人。
緑の心をも引き裂いた。
「あ、あぁ…!!あああ!!!」
地面を引っ掻いて、涙で濡らす。
「真の眷属ならば契約する気概をみせろ!!!」
ビリビリと響いたフェンリルの檄が眷属神に確かに届いた。
緑は振り返り、また大怪我をしているその姿を見上げる。
「泣いている暇があるなら数ある手段を取れ!!
その兄妹は緑の次に余を信頼した!!
死なすことは許さんぞ!!」
力のない晃を抱えるテンは泣きじゃくって大粒の涙を流すだけだ。
数回首を振って、無理だと呟く。
「契約したら……また、また、魂を、たべてしまう…!!また、そんなことをするなんて…!!
何も知らないくせに無責任なこと言わないでよぉ!!」
少女のように泣いて赤みを失う頬に触れた。
「何もできないくせに!助けられないくせに!こんな戦争引き起こしたくせに!!
仮契約でも!!体が引き裂かれるくらいに痛みが分かるのよ!!
こんな契約結ばせた、あんたが悪いんでしょう!!?」
やっさんは、旭の手を握ってはぶつぶつ呟いている。
肩が震えて、いつも大きかった背中が、小さく見えた。
ポウ、と二人の胸から眩しく、赤く炎のように輝く何かが出てくる。
いや、出かかっているが出られていない。
「早くしろ!!その魂をくれてやっていいのか!!
本来の標的は緑だった!!それが今、その2人が死にかけて、どこかで術師がその魂を引きずり出そうとしている!!」
涙に濡れていた目が魂という赤い炎を見たとたんに、思い出すように少しずつ戻っていく。
震える呼吸を一つすれば、低い声でテンの名前を呼ぶ。
「ここで、先代の命を絶やすことはならない。」
「でも…」
「……恨みなら買おう、いくらでも買おう。
だが、我が子にも等しいこの子達を、死なせたくない。」
「………ごめんなさい…ごめんなさい…」
2人の眷属神は、契約者の額に二本指を当てて契約を始める。
以前見た、契約と称した仮契約よりも規模が違う。
その風圧だけで、人間も圧倒される。
二人を中心に渦を巻く風は涙を拭う。
風が町全体をかき回し、何者をも寄せ付けない強さがあった。
街は完全封鎖。
結界の近くにも赤の結界が張られて2重の結界が、緑の住んでいた街に敷かれた。
結界の中には鬼が大量発生していて、あの結界内に限り鬼はどこかアジトへと繋がって自由に出入りできるようになっている。
緑は病院で支給された青い患者用の衣類を身にまとい、兄と姉、そして同じく病院に入院している同室の両親の見舞いのため、ぽつんと1人佇んでいた。
時折看護師が様子を見に来て、緑のさみしげな背中を見かねて駄菓子を渡すのだが、食べる気にはならなかった。
コンコン、とノックされる。
沈んだ気分で返事をすると、旭の友人である橘 宗太が見舞いにやってきた。
「こ、こんちは緑ちゃん。」
「あ、こんにちは…」
「どう?元気?」
「疲れてるみたいで、みんな寝てて……」
「そっかぁ……でも、緑ちゃんが怪我なくて安心したよ。」
「宗太さんのところは…?」
「大したことないよ。ヘーキヘーキ。」
「そうですか…よかったです…」
どこか心ここにあらず、といったような緑は政府の調査役員から先に契約について聞いていた。
事情聴取とともに、思わず聞いてしまったことだった。
本来なら家族全員目が覚めて聞くべきなのだろう。
『あの、契約って、どうなるんですか?』
『…契約っていうのはね、眷属神の力をそのまま借りることなの。
もちろん借りている間は人ではなくなるわ。私たちは式神って呼んでる。
でも、どの契約も、契約者が死んだらその魂は眷属神が食べてしまうっていう決まりがあってね…』
『た、たべる……』
『どの眷属神も、人間の魂を食べることで強くなるの。
それでなくても個体差によって強さはばらばらだけど…
特にあなたの家は、どうしても食べないといけない理由があるのよ。』
それ以上は教えられなかった。
そこは眷属神が話すべきなのだろうと勝手に解釈したが。
「えーと、やっさんとか、テンさんは?」
「…ええと、疲れてて…」
「そっか、そうだよな。同じく生きてるもんな。
じゃあ長居するのもアレだから。
これ、旭に渡しててくれ。授業のノート借りっぱなしだった。」
「え、はい…」
何故今のタイミングで授業のノートを返すのかわからない。
けど、興味本位で大学ノートを開いてみるのだった。
どうやら心理学のノートらしい。
難しいことばかり書いているがノートの隅に宗太に書かれたであろう落書きと、その落書きに文句を書いた文字が残されていた。
ああ、生きている。
けれど今それは喜ぶべきことなのか、わからなかった。
文字通り日常は崩壊し、環境も変わってしまった。
15歳の少女は不安で不安でたまらなかったのだ。
泣きたくないのに涙が出て、笑いたいのに嗚咽が漏れる。
緑は不安と一生付き合っていくものだと思っていたが、こんなにも不安が怖いとは思いもよらなかった。
まず母が起きた。
「緑、どうして泣いてるの。
みんな無事でよかったじゃない。
家はしょうがないわよ、また新しいの建てましょう。」
父が起きた。
「そんなに泣くな。
旭と晃は大怪我だが、命に関わる怪我じゃないと医者も言っていたし、大丈夫だよ。」
晃が起きた。
同時に現れたテンは泣いて両親に土下座した。
「申し訳ありません!申し訳ありません!!」
晃はぼんやりとその光景を見ながら医者の診察を受ける。
その声で旭が起きた。
やっさんは何とも言えない顔をしていて、深々と頭を下げた。
「…そう、俺、なんで生きてんだ…っけ?」
「旭と晃を生かすために、正式な契約を取り交わしました。」
頭を下げたままのやっさんはそう言った。
両親もその意味がわからないまま、ぽかんとしている。
だから緑はすねた子供のようにいうのだ。
「旭兄ちゃんと、晃姉が死んだら、魂食べないといけないんだって…」
曖昧にしかわからないその意味を理解した気がした。
言葉に出してみれば涙で震え、テンは額を床にこすりつけ、やっさんも膝をつけた。
「当主ほどではありませんが、我々にとってこのご兄妹は我が子同然。
何があろうとも、死なせてはならないと、そう…思い……!」
泣かないものはいなかったが、旭と晃はぼんやりと、ただそのことを受け入れているだけのように
淡々と涙を落としただけだった。
緑は情けなくもその場から逃げた。
なんて声をかけたらいいかわからないし、軽々しく話せない。
だから病室を出て、膝を抱えて非常階段でふさぎ込んだ。
あの時何ができたのかわからないが、怒りの気持ちをどこにぶつけたらいいかわからなかった。
自分の無力さはもちろん、大切な家族を傷つかせて泣かせた。
できることなら鬼に報復したいがそんなことをしたところで情けなく死ぬのが目に見えている。
顔を上げたら、涙で濡れた視界の隅にボロボロのコートが見えた。
目をこすって、階段の踊り場を見ればさも当然のごとくぼんやりとしているフェンリルがいた。
「…フェンリルさん」
「よかったな、無事そうで」
「無事なのかな……違うんじゃないかな…」
「ではお前の無事の定義は魂が最後、天空に解き放されることか?」
「…よくわかんないです」
「余もわからん。」
宗教等の違いから、その認識の差が生まれるのかわからない。
だがフェンリルは呟く。
「怒鳴っていいぞ」
「え?」
「お前のせいで家族が傷ついたと
罵ってもいい。」
「…どうして?」
「……ああ、余もやるせないのだろう。
アサヒに、緑を大切にすることは緑に連なる者を助けることだと言った。
それを守れなかった。嘘を垂れた。」
「…そうですか。」
「だから、怒っていいのだ。」
緑は怒る代わりに笑った。
素直に、その優しさが嬉しかったのだ。
もしかしたら、説教をして欲しかったのかもしれない。
怒鳴られることで気分を入れ替えたかったのかもしれない。
けれど、少なくとも今の緑には怒る気力もなかったし、怒りたい気持ちよりもっと別のものがある。
「怒らないです。
むしろ、たくさん助けてくれて、ありがとうございました。」
どんなに疑われてもどんなに傷ついてもフェンリルは立ち上がった。
鬼だとか人間だとか眷属神だとか、そんな括りでこの存在を認めたくはなかった。
「フェンリルさんが、やっさんとテンちゃんにガミガミ言わないと、旭兄ちゃんと晃姉は今いなかったと思う。
もっと大変なことになってたと思う。
そっちのほうが、怖いです。」
傷つけたことを言うつもりはなかったのに、泣き出しそうな顔にさせてしまった。
驚いて謝るが背中を向けられてしまう。
コートの背中が破れている。
きっと叩きつけられた時のものだ。
「あの、お礼としては足りないと思うんですけど、よかったらコート、縫いましょうか?
不格好になったら、ちょっと、申し訳ないけれど……」
「……。」
「…聞いてますか?」
コートが脱がれ、緑の腕いっぱいに収まる。
「お前は変わらず、優しい人間だな。」
乱暴に頭を撫でられ、フェンリルは非常階段を登っていく。
言葉に違和感を感じたが、お人好しで、おっとりしている緑は去っていく背中に返す。
「フェンリルさんも…優しいです、よ…」
言い切る前に消えてしまった。
言葉が届いたかどうかわからないけれど、今はその言葉の分までコートを縫い合わせることが先だ。
ナースセンターで針と黒い糸を借りて、一生懸命沈んだ部屋で破れたところをつなぎ合わせた。
「いて」
ところどころ、まだ血がこびりついている。
縫い合わせたら綺麗に洗わねばならない。
緑は馴れない裁縫を必死に頑張っている。
あんまりにも不格好ならまた代用品も考えるべきだ。
「…緑、がっちがちの手袋してやったほうがいいんじゃねえの?」
「え?」
「さっきからブスブス指に刺さってるじゃねえか」
「そ、そうかな…」
「そうだよ。兄貴の言うとおり、気休めでも何かつけてやったら?
今度は緑の血で真っ赤になるよ?」
「え~…私そこまで下手じゃ…」
「いや、たぶん不器用だと思う。」
そんな…と落ち込んだところで、やはり手袋着用を考える。
「あいた!」
「ほら!!」「ナースコール押すぞ!!」
両親は政府の役人から、契約の説明を受けている。
それに、やっさんとテンもついていったのだ。
なぜ二人は聞かないのか。
それは政府の役人がまた個別にと言ってきたからだ。
昨日から眷属神は生気がなく、落ち込みまくっている。
あの様子からして、先代の魂を食べているのだろう。
綿陽に限らずどの家も。
「そういえばね、」
「なんだ?」
「フェンリルさんが、やっさんのことカラスカラスって言ってたけど」
「そういえば言ってたね~」
「テンちゃんが八咫って呼んでるの聞いちゃった。」
八咫、という単語の後ろにカラスをつけると、八咫烏である。
太陽の象徴で、戦争で大いに活躍した眷属神の1人だと、伝記に書かれていた。
「………そうだよな
俺昔っから思ってたんだ。
なんでやっさんっていうダッセー名前なのか」
「ニックネーム欲しかったんじゃない?」
「いや、そうかもしんないけど!
でも八咫烏だとしたら純粋にすごくないか?」
「兄貴はいいかもしんないね。
モテ期来るんじゃない?」
「うるせぇ!!彼女の1人くらい連れてくるっつの!!」
「や、だからそういうことじゃなくてさ……」
無駄に詮索はしないほうがいいかもしれない。
八咫烏の名誉というものを守るべきだろう。
「うわ、血でた」
「この不器用!!」「もう針持つな!」
どシリアスになりました。
それとファンタジーっぽくいろんな要素くっつけました。
こういう展開は某女児向けアニメをちょっとダークにした感じだなーって誤字脱字を確認しつつ思いました…。
次話も頑張ります!