鬼王という存在
家族会議勃発。
三兄妹は保護者たちの前に正座させられていた。
旭はうつむき、緑は顔色を悪くさせる。
二人は真面目なので、そうなるだけで両親と眷属神は責め立てるのは良くないと角が丸くなる。
しかし…
「えーーなんで私もなのー?」
キャラメルの袋を片手に携帯をいじる晃。
マイペースで自由人な晃は目に見える反省というものをしたことがない。
「鬼を三人して匿うなんて、どういうことだと聞いているんだ。」
父の厳しい言葉に晃は
「だぁって、言ったって信じてもらえないと思ったし?」
と軽く返した。
「けれど言うべきことは言ってくれ!
お前たちに何かあったら……」
「フン
結局やっさんとテンちゃんに頼るんでしょ」
「晃!!」
母の怒声が響く。
「私はこれ以上言うことないから部屋戻るねー」
待てと言って待つはずがない。
昔から一周回って達観している長女の考えることが、最近になってわからなくなってきた。
「親父、俺が悪かった
確かにすぐ言えばよかったって、思うよ。」
「……それならいいんだ。
だが緑、次、鬼に出会ったら逃げるか警備隊に通報しなさい。」
「えっ、あ…」
鬼、とはフェンリルを指していた。
確かに、そうすべきなのだろう。
しかし今の緑には良心の呵責がうまれていた。
旭を助けたフェンリルは本当に悪いものなのだろうか。
確かに求婚は迷惑だか他は問題ないんじゃないのか。
それを言ったところで、信じてもらえないのが関の山だろう。
晃の言葉を何となく理解した。
「わかったな?」
「…はい」
「緑ちゃん。緑ちゃんがあの鬼を良く思ってしまうのは、あなたに眷属神がいないからよ。」
テンは優しく告げる。
責めるわけでもない言葉はよく耳に入るが、同時に洗脳されるような感覚を覚える。
「確かにあの犬っころはあなたを守るかもしれない。
けど都合良くそう思ってしまうのは、弱みにつけ込まれているからなの。
どうか思い止まって?ね?」
「う、うん…」
心が苦しい。
それも弱みにつけ込まれているからなのだろうか。
そう思えば楽になるのだろうか。
緑は結局いろいろ考えすぎてしまった。
一人部屋に戻り、先日のことを考える。
どうにもやりきれなくって机に突っ伏す。
するとノックされた。
「はーい」
ドアの向こうから晃の声。
『あのさ、さっきのこと
あんまり気にしないほうがいいよ。』
「え?」
晃は部屋に入らずに、ドアを隔てた向こうで話す。
『緑は緑の思うものがあるんだから。
凡人なら、なおさら、いろいろ思うだろうし。』
「う、うん」
『とにかく、あんまり他人に左右されるなってこと。
それだけ。』
「あ…」
ドアを開けようとするが足音が離れて、自室に戻っていった。
晃は昔から、問題を抱えていたから緑にそう助言するのだろうか。
本物のストーカーに追い回された時もテンにどうにかしてもらっていたし、実際に自分で解決したこともある。
だからこそ自分を強く持つことに関しては譲れないものがあるのかもしれない。
緑はそれが足りなかった。
凡人で、差別を受けやすい緑は人の顔色を伺うし、何かと腰が低かった。
晃が緑にこうして声をかけなければ、大人の言うことに流されていたのかもしれない。
緑は改めて晃という人間が、実の姉にも関わらずどこか遠くにいるようなそんな気がしていた。
強烈な印象と、新たな第二印象を植え付けられた緑はそれとなくフェンリルのことを考えていた。
求婚してきたのは、今まで気まぐれか、はたまたからかいなのかと思っていた。
けれど実際はそうではないのかもしれない。
あの鬼なりに考えたことなのかも…
同時に今まで孤独に感じていた空気が何か変わった気がした。
ならいつか聞いてみたい。
価値がないと思っていた自分を結婚の相手に選んだ理由。
緑は寄り道せず家に帰る。
緑はとりわけ弱い凡人だから、緑自身そうすべきだと思っていた。
だから素直に帰路につく日々がかれこれ1週間。
各地での襲撃は面白いほど静かになり、鬼の襲撃事件のニュースは見かけなくなった。
これで平和な日々に戻るのかと聞かれれば、それはないだろう。
フェンリルの言う『原因』を突き止めることが出来たのなら、次は『結婚』とかいう迷惑にもほどがある目的を果たそうとする筈だからだ。
「いってきまーす」
今日もまた静かな1日でありますように。
そんな願いのような祈りを密かに携えて学校へ向かう。
しかしそれは無情にも打ち砕かれたのであった。
いつものように席に着くと、空席だったはずの席に誰かが座っている。
まるで初めからそこにいたような感覚と、今、現れたように見えた視界に混乱しつつも凝視した。
「おはよう緑
昨晩は良く眠れたか?」
白シャツに紺色の制服を身にまとっているが、
黒い髪に赤い瞳。
そう、フェンリルがさも当然のように席に座っているのだった。
「は…はぁ!?」
「最近の夜は静かでいいな。」
「ちょっちょ」
身長は緑と同じくらい。
顔も中学生の子供っぽさが未だにある表情をしていた。
フェンリルのイスの後ろに回り、腰をかがめて質問した。
「あの、なんでいるんですか
バレたら大変なことになりますよ」
「心配無用。
余がここ1週間でこの結界内に暗示を仕込んでおいた。
この学校内にいる間、余は初めからこの学校の生徒だと誰もが信じて疑わない。」
「えっ、じゃあ私は…」
「それではつまらぬではないか。
雑誌で調べておるぞ?制服デートというものがあるのだな?
緑も興味があろう?」
「イ、イエ…」
けたたましく話し続けるフェンリルに引く。
どうせここに潜伏した理由を聞いても『嫁の近くに居てはならん理由でもあるのか?』と逆質問してくるに違いない。
ため息を堪えて椅子に座った。
頬杖ついて一気に憂鬱な気分に。
「それにこの姿なら共に並んでも違和感あるまい?な?そうであろう?」
「あ、はぁ…ソウデスネ…」
「しかし…全員が同じ格好をするというのは良いものだな!
連帯感が生まれる!」
鬼なのに、連帯感という言葉を口にすることに違和感を感じなかった。
緑は、はて、と疑問に思う。
『弱みにつけ込まれているのよ』
指が震えた。
(あぶない…)
仮にも鬼だ。
いつ癇癪を起こして殺されたっておかしくない。
……そう思っても、お人好しで人を疑うことを知らない緑はどうしてもフェンリルを危険だとは思えなかった。
警戒してもし足りない存在なのは頭でわかっているが、心がそれを否定する。
「ほう!教科書か!
いい材質だな!これは雨に濡れても破けぬのだな。」
「…。」
目がキラキラしている。
朱殷のような瞳の色だから、それだけで人は怯える。
しかし緑の前ではその色のカケラさえも見当たらなかった。
(少しだけ、様子を見ようかな…)
数学、国語、体育と授業を受けていく。
緑は授業を受けるというか、気だるげにフェンリルを観察していた。
対照的に、フェンリルはえくぼができるくらいに、羨ましいほど楽しそうに授業を受けていた。
鬼の襲来で活気がなくなっていた校内にフェンリルの声が耳に残る。
まるでヒバリのようだ。
「うむ!実に充実した一日であった!」
「そ、そうですか~…」
「これも隣に緑がいるからかもしれんな!」
恥じらいもなくそんなこと言うので身構えるがフェンリルはもう明日のことを考えているようだ。
鬼なのに人間のように明日の授業を気にして、西日に目を細めている。
教室に差し込む光芒がフェンリルのせいで特別に感じていた。
「あの、帰らないんですか…?」
「そうだな。して、緑、お前は部活動に入らないのか」
「え、その…私、運動が苦手で…」
「そうであったのか。いやはや意外だな。商店街の勇ましい姿からは想像もできなんだ。」
教室から出る。
緑は思わず後を追いかけた。
「いつもどこで寝ているんですか?」
「ちと老夫婦に暗示をかけさせてもらっている。
これまた探すのに骨が折れた…眷属神がいない家など、そう滅多にあるわけではない。」
その家でどういうポジションに収まっているのか、気になるところだ。
しかしフェンリルのことだから、きっとトンデモ設定を作って楽しんでいるはずだ。
「…あの、最後に一つだけ聞いてもいいですか」
「一つでなく、いくらでも尋ねるがいい。
その権利は互いにある。」
同じ人間からはいじめられ、良いように使われていた緑にフェンリルは対等と言った。
じんわりと広がるように嬉しくなる。
兄、姉でさえもどこか遠い存在だったのに、とバッグの紐を握り締める。
駆け寄って隣に並んだ。
「フェンリルさんはいい人…あ、えーと、いい鬼さんですね」
「それは質問ではないぞ?」
しかし緑が心を許したのはわかったようだ。
ふと微笑んでおもむろに黒革のバッグから薄いパンフレットを取り出す。
「さぁ!選ぶがいい!!」
「え…?」
「新婚旅行の雑誌だ!!タダで持って帰っていいと聞いたのでな!!
余はこの島に行きたい!!」
「いや、あの、まだ結婚とかそういうのしたいわけじゃないですし…それとこれとは別なので…」
結局フェンリルの理想の新婚旅行について聞かされ、以前より軽い家路を歩いて行った。
夕日から黄昏になった時、公園の入口にさしかかった時、フェンリルは足を止めてしまった。
今まで明朗快活にいろんな言葉がその口から飛び出しては緑を笑わせていたのに急に閉ざしたのだ。
「どうか、しました?」
「む、いや、その
余はもっとお前と語らいたい。
だからここまできたのだがここから先に行けばカラスが余に感づく。」
フェンリルは勉学についてはそこそこであったが世界の知識…いわゆる雑学的なことに関しては緑の興味を誘っている。
長生きしているから当たり前だとしても、そこにさらに巧みな話術が含まれることで学校の授業よりも聞き入ってしまっていた。
フェンリルはもっと緑と話したいという歳にそぐわない感情を抱いているが、緑はそのことに気付けず、話をもっと聞きたいという好奇心が優っていた。
だから緑はフェンリルの期待に応えてしまう行動をおかしてしまう。
「じゃあ、少し公園で話しましょう。
電気も明るいし。」
まるで犬のように表情が明るくなる。
人間と鬼が語らうなんて想像もできない国で少女と王が会話をしていた。
噛み締めるように言葉を選んで抱きしめるように陳列していけば緑は笑みを浮かべる。
尊い存在だから尚更、嬉しさがこみ上げる。
いつの間にか学生の型を外してしまい、いつもの黒コートに白い獣の尾を肩に引っさげた格好に戻っていた。
時間もすっかり忘れていたけれど、少女の手首にある端末が時間を示す。
門限の時間だ。
「あっ、門限…」
「モンゲン…おお、分かるぞ。門がないのに外に締め出されて怒られるヤツだな。」
「いや、締め出されるわけじゃないけど…とにかく帰らないと…」
「ついつい時間を忘れてしまった。許せ、緑」
「大丈夫です。お風呂掃除させられるだけなので…
…それじゃあ。」
小走りに駆ける背中を見送って、思わずでれっとしてしまう王は王の気品の欠片もなかったが幸せそうだった。
次の日の学校に緑はいなかった。
フェンリルは緑がどのような人物かわかっていたつもりだった。
真面目でお人好し。加えて少しおっとりしているかもしれない。
決して学校を無断で休むような人間ではなかった。
こんな時でも晴天の空は緑がどこに消えたとかそういうことは教えてくれない。
ステルスの魔術でもかけられているのか、全く気配がたどれなかった。
ざわざわと全身の毛と血流が逆立つ。
鬼の仕業だとしたら。仮説したならば即決で死刑が確定した。
もしカラスとテントウムシの仕業なら…いいやそれは考えられない。
ならば学校に連絡が入っているはず。
背後にただならぬ殺気を感じた。
咄嗟に避けると薄いピンクの着物を着た女。綿陽家の眷属神であるテンが屋上にヒビを入れていた。
「緑ちゃんを返しなさい!!」
怒号が耳に響く。
「余ではない。それは攫ってしまいたい気持ちも少しはあるが…」
「黙れ!!」
一瞬で距離を詰められ、斑点が浮かぶ瞳が見えたと思えば地面に叩きつけられていた。
「緑ちゃんの居場所を吐かないなら今ここでブチ殺す!!」
一瞬息が止まっていた。
体を起こすとアスファルトに随分と埋まっていたことがわかった。
さらに、ずいぶんと眷属神が興奮していることも。
「落ち着け。」
「卑しい腐った汚物どもが!!!」
フェンリルは深くため息を吐く。
呆れたという言葉がふさわしい表情であった。
ズブッ、と胸の中心を黒い針で射抜かれる。
同時にテンの拳を止めるのはやっさん。
「テン!!重要な手がかりを殺す気か!!」
「黙りなさい!!」
やっさんの腕を振り払い、二人は離れ、地面を滑って着地した。
「一代目を殺した挙句に緑ちゃんをも手にかけたのよ!!?
絶対に殺してやる!!」
「そうと決まったわけではない!!」
テンの肩を、フェンリルに刺さっているものと同様のモノが射抜いた。
やっさんの捕縛術だと気づく。
「とにかく!ようやくこいつを見つけたのだから当主に報告するのが先だ!」
アスファルトの中からフェンリルを引き出し、さらに炎で縛り上げる。
息苦しさをも感じる。ゆるい拷問状態だ。
「ついてきてもらうぞ。」
「代わりにそちらも情報を開示してもらおう。
緑を見つけるという目的においては同じだ。」
「その先は貴様とは違うがな。」
睨みつける眼光がかつて受けたような隔たりを色濃く見せていた。
日が沈んでフェンリルと語らった時間の後、緑は急いで家に帰っていた。
早く帰らないと怒られる、ただでさえ心配させているのに。
だが、言われたことを守らなかった。言いつけを破ったことに少なからず達成感を抱いていた。
不良なんてゴメンだがたまにはいいだろう。
足取りが軽い帰路は初めてだった。
突如、目の前に、地面から這って出てきたモノがいた。
一瞬把握できなかったがこんな芸当ができるのは鬼のみ。
来た道を全力で戻ろうとしたが叶わない。
四肢を縄でしばられて闇の中にずるずると引きずられてしまった。
「だ、誰か!!」
助けを呼ぶと猿轡のように縄で口封じされた。
どれだけ声を上げても誰も助けに来ない。
そのまま闇の中に落ちた。
意識が混沌として、グラグラとした頭の中でぼんやりと意識があった。
焦燥感と危機感。
波のように覆われて消えてしまうのが恐ろしかった。
「っ!!」
急に吐き出された。
何が起こっているかわからないがどこかの部屋のようだった。
周りは木が織り成して壁の役割を果たし、天井はマス目状に柱が張り巡らされている。
その上は見えなかったが目が黄色く光る生き物が大量に潜んでいることがわかった。
「うあっ!?」
尻餅をついた。
その背後に前髪で目を隠して、口にはガスマスクをつけている鬼がいた。
黒い髪にビーズをつけて装飾をしているが妖しさを増幅させているだけだ。
引きずるほどのコートだが、どこかで見たことのあるコートだ。
胸元の弾帯に、左肩には銀の糸で刺繍された紋章。
「だ、誰ですか」
シュコー、シュコー
ガスマスクからいびつな呼吸音。
手を伸ばされた。
爪が長く、紫色に彩られていた。
恐る恐る、緑も手を伸ばすと今度は相手が引っ込めた。
(え、えぇ~……)
軽い衝撃に見舞われているところで、ようやく声を出した。
「兄の言うとおり、やはり変な人間だ」
「え?兄?」
「知らないとは言え、私の手を握ろうとするなんてよっぽどのキチガイだ」
知らない、とはどういうことか。
緑は自分でゆっくり立ち上がる。
すると鬼は指を動かして地面から椅子と机を引きずり出した。
「わっ!」
「座って」
危害を加える気はないらしい。
一応周囲等を確認して、座った。
「あの~…どちら様ですか?」
「私はヨルムンガンド
鬼王と共に追放されるまでは国の財政を司っていた。」
フェンリルの豪快な笑い声が今にも耳に届いてきそうだ。
「そ、そうなんですか…」
「しばらく私の企みに付き合ってもらう。
悪いようにはしない。」
「その企みは、人間に対してですか?」
「鬼王に対してだ。」
「…鬼王とはどういう関係なんですか?」
ふと思い出した鬼の狂気化と、鬼による人間、眷属神の捕食。
この鬼はもしかすれば何か知っているかもしれない。
真実とは程遠くとも緑が何かしら情報を掴んでいれば自身の命が狙われることを少しは回避できるかもしれないと思ったのだ
だが実際はそれどころではない情報が飛び込む。
「私は鬼王フェンリルの弟だ。」
すごく更新が遅くなってしまいました…
ヨルムンガンドが出ましたがフェンリルという名前の時点で察していたかもしれません。
自分カタカナ読みが苦手でヨルムンガンドを頭の中でヨルムガントと思い込んでました。
ローマ字はもっと読めないです…。