2話 ダークサイドの本領発揮
リオレッタの熱弁は思わぬ結果をもたらしてしまった。
七歳の少女には似つかわしくない喋りに、ダークサイド侯爵が関心してしまったらしい。この娘は得意な方面を延ばした方がいい、もっと高度な勉強させようと、侯爵が滅多にない親心を出した結果が修道院だったのである。
悲しいかな、そんな親心はリオレッタに伝えられず、リンジーの「もっとお勉強なさいませ」という言葉のみが贈られ、馬車に押し込まれた。
(禿げてメタボになってしまえ)
修道院へ向かう道中、リオレッタは馬車の中で、侯爵に対して呪いの言葉を吐き続けた。
不満や不安はあったものの、修道院での生活は平穏に過ぎていった。故郷とは違い、同じ年頃の女の子が沢山いるので、楽しくもあった。
だが特に何事もない日々を過ごしていると、ふとした時にどうしようもない不安がリオレッタを苛む。
(一応リオレッタが死ぬのは十六歳の時なんだけど……まあ仮に婚約したとしても、心中しようとしなければいいんだよね。でもなあ……)
鬱々とする横で、きゃあきゃあというはしゃぎ声がしたので、リオレッタはちらりと隣を伺った。
友人であるテレーゼとロザリーが、自分たちの将来について花を咲かせている最中だった。
(よく結婚話でそこまで盛り上がれるなあ……)
彼女たちをぼうっと眺めつつ、そんなことを考えていたら、リオレッタの視線に気づいたテレーゼが目を瞬かせた。
「リオレッタ、どうかした?」
「……顔も知らない相手との結婚ってそんなに嬉しいものなの?」
「顔も知らないって……、そんなのは当たり前のことじゃない。わたくしたちは平民ではないのよ」
相変わらず変な子ね、とロザリーが呆れたように呟いた。
「うーん、つまり、結婚って嬉しいものなの? って聞きたかったの……」
「当然じゃない。行き遅れるよりずっといいわ」
「お子様なリオレッタにはまだわからないでしょうね」
年上の友人たちがくすくすと笑ってリオレッタを子ども扱いするので、不貞腐れたリオレッタは投げやりな言葉を返した。
「そうね。わたくしはお子様だから結婚なんてわからない。結婚なんてしたくないわ」
「あら、そんなの許されるわけないでしょう」
「それにあなたなら引く手あまたよ。何といってもお父さまはダークサイド侯爵なのだし」
テレーゼの言葉にリオレッタは苦笑いしかできなかった。名前のおかげで、姦計を巡らせる悪の侯爵だから、と言われているような気がしてならない。
「それにしても、テレーゼが羨ましいわ。お相手はあのシェルバーン伯爵ですものね」
羨ましがるロザリーに、テレーゼは頬を染めて微笑んだ。十五歳になる彼女は近々ここを出て、結婚することが決まっていた。
「テレーゼがいなくなると寂しくなるな。手紙、書いてもいい?」
「もちろんよ」
そう言うと、テレーゼはにっこり笑って、リオレッタをぎゅっと抱きしめた。
こちらでは十四歳程度で結婚というのが普通だった。デスの改悪のおかげで、原作よりも婚約が早まりそうだ。リオレッタはもう十二歳になる。そういう話があってもおかしくない年頃だった。
原作通りにいけば、リオレッタは第二王子のエドワードと婚約する。間違ってもこの王子と心中なんてする気はないが、原作抜きにしても婚約や結婚などすれば面倒なことになるだろう。
その面倒事というのは、第一王子と第二王子の派閥争いだ。巻き込まれれば、火の粉が自分にも降りかかるのは目に見えていた。
どうにか回避する方法がないかと考えていたとき、通りすがりに挨拶を交わしたシスターをみて、リオレッタはパッと閃いた。
(シスターになればいいんだ!)
後先考えずに、単純にそう思った。
神に仕える身となれば、結婚は許されないのだ。そうすれば面倒事にも巻き込まれずに済むはず。今のリオレッタは生き延びること、それだけしか考えられなかった。
ダメで元々、実行するなら早いほうがいい。リオレッタはその旨を伝えるべく、早速実家にあてて手紙を書いた。
しばらくしてやってきたのは手紙の返事ではなく、侯爵自身だったのでリオレッタは大変驚いた。
久々に会った侯爵は相変わらず不気味なオーラを放っていた。
「ごきげんよう、お父さま」
リオレッタの挨拶に、侯爵は言葉少なに頷き椅子を勧めた。
「掛けなさい」
「はい」
相変わらず人を緊張させる男だな、と思いながら、リオレッタはなかなか口を開かない侯爵を見守り、つらい沈黙に耐えた。
「シスターになりたいそうだな」
(近況を聞くでもなく、いきなり本題かあ。でもそれだけのためにわざわざ来たの? まさかね……)
リオレッタは嫌な予感を感じつつも、あらかじめ用意していた台詞を喋りだした。
「ええ、手紙にも書いた通り、神の教えに深く感銘しましたの。……お父さま、どうかシスターになることをお許しくださいませんか……?」
「いいんじゃないかね」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
こうもあっさり許可が出るとは思ってなかったので、驚きはしたが、リオレッタは素直に喜んだ。しかし次の言葉に、その喜びはあっさり吹き飛んでしまった。
「但し、シスターになるための金をお前が出し、今までお前に掛けた金を私に返せるのならな」
「……」
そんなの無理に決まってる。ぬか喜びさせられたことで怒りがこみ上げてきたが、侯爵の底冷えする視線に気がついて、リオレッタは固まってしまった。
昔、侯爵のこんな視線を見たときには、他人を凍らせる絶対零度のブリザードアイズ! などと冗談めかして考えていたが、実際自分に向けられると、何も考えられなくなってしまう。
侯爵は冷たい光を目に湛えたままリオレッタを見据え、口を開いた。
「私はお前をシスターになるために育てたわけではない」
そして侯爵は尚も言い募った。
「お前もそろそろ年頃だ。いい婚約話が持ち上がっているが――まさかそれが嫌でシスターになりたいなどと言い出したのではあるまいな?」
図星を指されて、リオレッタの顔が引きつる。ここでその通りでーす、などと言おうものなら殺されそうだ。
「そんなつもりはありません……」
「子を育てるのは親の義務だ。そして子はその恩に報いるべきだと私は思っているが」
お前はどう思うかね――。
侯爵の冷え冷えした声がリオレッタの胸を突き、口元が戦慄いた。
「わ、わたくしも、そう思います……」
「そうか。ならば今すぐここを出なさい。修道院は今日で卒業だ」
有無を言わせぬ口調だった。
面会室をでたリオレッタは、自分が震えていたことにようやく気がついた。
親だからなんとかなる、そういう甘えた思いが心のどこかであったのだろう。だが突き放された態度を取られて、そうではないことに初めて気がついた。そしてあの侯爵は自分が何かへまをすれば、躊躇いなく切り捨てるだろうということも。
恐怖で震えていたリオレッタだったが、次第に悲しみが襲ってきた。
今まで自分を育てるためにお金を出してくれたのは侯爵だ。彼なりの思惑もあったのだろうが、それでも感謝するべきだ。
しかし前世という記憶がある限り、どうしても昔の両親と比べてしまう。そして昔の自分はとても幸せだったのだということを痛感した。
(子はその恩に報いるべき)
侯爵の言葉が脳裏に甦る。
自分は両親に何か出来ただろうか。ふと考えてリオレッタは自分を情けなく思った。
(何にもしてない……昔も、今も)
友人たちに挨拶をする間もなく、リオレッタは侯爵と共に修道院を後にした。
侯爵と二人きりの馬車はとても気詰まりだった。しかし今からでも少しずつ距離を縮めてみようと思い、リオレッタは頑張ることにした。
まずは会話からだ。何を話そうと考えているうちに、そういえば、と思い当たることがあったので、リオレッタは侯爵に尋ねてみた。
「領地へは戻らないのですか? 方向が違うようですが……」
「都の屋敷に行く」
「何かあるのですか?」
「言っただろう、いい婚約話があると。お前とエドワード王子の婚約が決まったのだ」
「……」
ショックのあまり、リオレッタは無言になってしまった。そんな娘の様子に、侯爵は眉をしかめた。
「王子との婚約だぞ。嬉しくないのか」
死亡フラグは喜べない。リオレッタは引きつる笑顔で適当に誤魔化した。
「いえ……。ただ、あまりに驚いてしまって……。わたくしにはもったいない話ですね」
「そんなことはない」
そう言った侯爵の顔は、珍しく微笑んでいた。