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ことのはじまり

わたしの愛した幸せはすぐに壊れた。予期せず、突然に。

マド暦701年、バルト帝国首都・ギルムアードが隣国のクズリフナによって攻撃され、程なく陥落。皇帝・王妃を含めた王族、城の者、城下にいた一般市民が多数虐殺され征服された。生き残った国民は成す術なく捕虜となった。

それはのちに、ギルムアードの悲劇と呼ばれる歴史的な出来事だった。


わたしはその事件が起きた時、ギルムアードにいた。ただの一般市民としてではなく、第3皇子・リルフィリア殿下に使える近習の一人として。


*プロローグ*

ガシャーン‼︎と激しい音を立ててガラス張りの窓枠が背後で倒れた。燃え盛る部屋の中でわたしは兄と二人で机の下へ逃げ込んだ。本棚に並べられた本が焦げ臭い匂いを出しながら黒ずんでいく。わたしはとっさに目をつむり、兄に抱きついた。兄は険しい顔をしながらもわたしを優しく抱きしめ、頭を撫でてくれる。暖かい手でゆっくりと。年が離れた兄は驚くほど頼りになった。

「リルフィリア殿下…」

兄の呟きに顔を上げる。そうだ、あの方は、あの方はどこにいるのだろう。この炎の中、ちゃんと逃げたのだろうか。もう城から出られただろうか。

しかし、わたしには今現在わたしと兄が置かれている状況が気になった。このままでは炎に巻かれて死ぬのが先か、煙に巻かれて死ぬのが先か…。怖くて怖くてたまらない。死にたくない。逃げたい。焦げ臭い熱風が頬を撫でる度に冷や汗が吹き出た。

「緑蓮お兄さま…」

震える声で呼ぶ。呼んでしまってから後悔した。急に嗚咽が漏れる。母の顔が、どこかにいるもう一人の兄の顔が浮かんでは消え、涙が流れ出した。会いたい。死にたくない。死んだら会えない。ぐるぐると短絡的な感情が渦を巻く。

「赤椿」

兄は険しい顔をしたまま、わたしの名を呼んだ。涙を無茶苦茶に拭いながら頷くと、

「逃げよう」

とだけ言った。わたしは目を見開いた。こんなに炎が近くまで迫ってきているのに…!

「もう無理だわ!このまま死ぬのよ、お兄さま!」

わたしは言い返した。兄はわたしを睨んで言った。

「お前はここで死ぬつもりか?大切な人に会わずに?ここで惨めに?」

言葉に詰まる。確かに死にたくない。だけど、逃げられない。

「迷ってるなら従いなさい。こんなところで何もせずに死ぬくらいなら行動して死んだ方がましだろう。私が道を開く。お前は後をついてきなさい。私の指示は絶対に聞くこと。分かったね?」

兄はそう言いながら剣を取った。

「クズリフナ兵がどこにいるか分からない。気をつけて」

わたしは頷き、剣を腰に帯びた。


兄は歩き出した。倒れた本棚を避けて進み続ける。わたしはよろめきながらも大きな背中のその後をついて行った。背後で柱が倒れ、床が大きく震える。思わずしゃがみ込むが兄はそんなわたしを強引に立たせて進み続ける。繋いだ手は先ほどと同じく暖かったが、妙に乾いていた。

ごうごうと燃え盛る炎の音がじんじんと耳の奥でこだました。…暑い。このまま炎に巻かれて死ぬのではないかと思うと急に目の前が真っ暗になる。吹き出た汗を袖口で拭い、目の前を歩く兄を追って無言で歩き続ける。

繋いでいた手が汗ばんでくる。煙は思っていたほど多くはなく、少しかがんで歩くだけでもよさそうであった。どうにもならないのはこの暑さ。袖を捲りたくても炎の事を考えると捲ることなど怖くてできなかった。

「大丈夫か」

兄は振り返って汗まみれの顔で笑った。わたしは頷き、無理にでも笑顔を浮かべた。

「疲れただろ。暑いかもしれないけど」

そういって兄はわたしを抱え、歩き出した。使わなくなった足は思ったよりも疲れていたようで、じんじんと痺れていた。

やがて、扉の近くまでやってきた。もう少しで部屋から出られるのだが、先程倒れた窓枠のせいでガラスが飛散している。兄は顔をしかめた。一度下ろされ、

「手を伸ばしなさい」

言われた通りに手を伸ばす。兄はしゃがみ込んで、わたしを背負って歩き出した。靴の下でガラスがパキパキと割れる音がした。ガシャガシャと耳障りな音が響き続ける。たまに兄がよろめいた。ガラスのせいで滑ってしまうのだろう。汗を垂らしながら半分を渡り終えた時、嫌な音が聞こえた。バキッという音…。音のした左の部屋の隅に目をやると、柱が倒れかかってきていた。

「お兄さま‼︎」

わたしが叫ぶのと兄がわたしを投げるのは同時だった。もんどり打ってわたしは向こう側へと倒れ込む。ガラスをうまく飛び越え、傷ひとつ付かなかった。ガシャーン!と大きい音がし、床が大きく揺れた。

「お兄さま!お兄さま‼︎」

わたしはとっさに起き上がり、兄を見た。が、兄の姿はもう見えなかった。見えるのは倒れこんだ柱だった。

「いや…いやだ……お兄さま…どこ⁇」

わたしはガラスが飛び散るのも気にせず柱に駆け寄り、息を飲んだ。兄はそこにいた。下はガラス、上は柱に挟まれた状態で。おろおろと立ち尽くしていると、兄の着ていた服はみるみるうちに赤黒く染まっていった。鉄くさい匂いが鼻腔をくすぐる。

「お兄さま…?」

手に触れ、わたしは震える声で呼びかけた。先程まで暖かかった手が少しずつ冷えていく。微かに身じろぎし、苦しそうに喘いだ兄はそのまま動かなくなった。

何も聞こえなくなった。

兄は死んだ。

そのことだけが頭を回った。絡まった思考は同じ考えをぐるぐると巡る。わたしは徐に兄のそばに落ちていた剣を拾い上げた。とても重い剣だった。次の瞬間、

ここで死んではいけない。

兄を殺し、わたしの幸せを奪ったクズリフナに仕返しをしてやりたい。

…生きたい

わたしの心に憎悪の炎が燃え上がった。もう泣いてなどいられなかった。立ち止まってもいられなかった。迷わず扉に向かって歩き始める。ちらりと兄を振り返り、手を合わせた。兄の魂がシャバイ(天国)へ逝けるように。わたしにはそれを祈るしか出来ないことは解っていた。ドアノブに手を掛けると、思いの外冷たかった。思い切り押し出して外に出る。自分の剣を構え、出口へと走り出した。


ここから先はよく覚えていない。何人かのクズリフナ兵に遭遇したが、力任せに斬った気がする。

わたしは一階の窓から城の裏に逃げ、走り続けた。森にある我が家を目指して。

森の中を走っている時、聞き覚えのある声がして立ち止まった。一つ上の兄、白菊のものだった。


「赤椿!」

懐かしい声を聞いた途端に力が抜け、その場に座り込む。喉の渇きが否応なしに掻き立てられ、わたしは喘いだ。

「白菊お兄さま…」

涙が溢れた。あんなに乾いているところにいたのにまだ涙が出て驚いた。兄はわたしを優しく抱きしめ、何気無く私の手に握られたものを見やった。

「その剣…まさか…」

兄は呟き、黙った。

「母上は無事です。家も残っています。一度帰りましょう」

兄は硬い顔で言い、わたしをおぶってくれた。ついさっきまで、今はいない兄におぶってもらっていたのを思い出してまた泣いてしまった。兄は何も言わなかった。

少し歩いて到着した家は半分倒壊し、小綺麗だったはずの部屋は大荒れだった。綺麗に磨かれていた床には沢山の白い食器が落ち、破片を散らしていた。長い白髪の女性…母・青穂は呆然とした表情で立ち尽くしていた。

「母上」

兄はわたしをゆっくりと地に下ろし、母の肩を叩いた。母は血の気のない顔で振り向いたが、わたしの方を見て思い出したように微笑んだ。わたしはそんな絶望した顔をしていたのだろうか。母はわたしを掻き抱き、大丈夫だからねと繰り返し呟いた。


それから、わたしたちは少しの荷物を持って、母の故郷・エルゼ国へ亡命した。多くのバルト人が殺されて行く中、このままではいけない、と考えた母の意思だった。

海を渡り、国境を抜けてわたしたちは新たな地を踏んだ。

母のつてで家を見つけた。命の危険のない、平和な生活ではあったが、決して幸せと言えないような日々が続いた。母国といえど、わたしたちにとっては地獄のようなところであった。

わたしたち白い髪と赤い瞳の一族はムトラセテムと呼ばれる民族だった。体力、筋力に恵まれ、その力でエルゼを収めていたのは遥か昔のこと。今は隣国リッテルギリアスに征服されたことで激しい弾圧、差別を受けていた。リッテルギリアスとの戦争で父が命を落とした後、母は緑蓮兄さまを連れてバルトへ移住したそうだ。わたしにとっては初めて見る母国。印象は最悪だった。

わたしと兄は学舎に入ったが、周りはみんなリッテルギリアス人。浴びるような悪口。少し容姿が違うだけでからかわれ、笑顔さえ忘れるような日々だった。

…あの日、あの場所でミラリスに会うまでは。




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