第4話 日常Ⅲ
一段落したので投稿します。
はあああ!
トーーー
ヤーーー
天ノ上高校の剣道場から、普段は聞こえない元気な声が聞こえてくる。
中では二人の男女が防具をつけ、稽古をしている。
白い胴着に紺の袴を穿き、普段三ツ編みにしている長い黒髪を後ろで一つに纏めている薫が、もう一方の全身紺で統一した俺に打ち込んでいる。
薫が打ち込んでくるのを俺が難なくいなしているところを見ると打ち込み稽古に見えていまうかもしれないが、これは列記とした試合である。
「はあ はあ はあ」
薫は息も乱れ面の間から覗ける顔は汗が滴っているが、俺はというと全く疲れていない。
坦々と薫の打ち込みをいなすという“作業”を繰り返している。
「今日はこれくらいにしておこう。あんまり無理をするのはよくないからな。いいだろ?」
「はあ ふう。わかったわ。そうしましょう」
「それじゃあラスト一本!!」
そう言うと俺達は今日最後の稽古をするために試合場の開始線まで行き、蹲踞をした。
スタートの合図や勝敗を判定する審判はいない。
その全ては自分達の任意で判断されることになる。
……………
道場内が静寂に包まれて数秒が経つが、まだ俺達は微動だにせず機を見ている。
「「ッ! ヤーー」」
俺達は同時に立ち上がり、竹刀の剣先を合わせて間合いを取る。
お互い間合いの中にいてすぐに打ち込めるため、激しいせめぎ合いをしている。
薫はさっきまでの稽古がなかったかのように乱れていた息が整っている。
対する俺もさっきは立っていただけだったが、今はしっかりと構えて目は薫を見捉えている。
……………
再び道場内が静寂に支配され、聞こえるのは竹刀が当たるカチカチという音だけだ。
薫は俺が放っている気に圧されていて打ち込むことが出来ないのだろう。
このままでは埒があかないので、大きく一歩踏み込む。
薫は突然のことに反応してしまい、手元を上げてしまった。
フェイントだと気付いたようだがもう遅い。
「コオォォォテエェェ」
俺の気合の入った発声とパーンという竹刀が小手を叩く音が道場に響く。しばらくの静寂の後、今まで張り詰めていた空気の緊張が解けて俺達は構えを解いた。
「小手有り…だな。今回も俺の勝ちぃー」
「はあ。何で普段稽古してないのにそんなに強いの?」
「まあ強いて言うなら意識の差だな」
「意識?」
「そう。委員長、俺に対して強いとかとか勝てないとかそういうマイナスの意識を持ちながら試合してるだろ。それがいけねぇんだよ」
「苦手意識ってこと?」
「そういうこと。もっと自分に自信を持って、他のことは考えずに“勝つんだ!!”ってことだけを考えてやるといいと思うぞ。実際、俺以外との試合のときは落ち着いてて動きもいいからな」
「分かった。意識してみる」
「よし。じゃあ今日はこれで終わりだな。納めよう」
「ええ、お疲れ様」
「おう」
俺達は話を終えると開始線に戻り竹刀を納め、互いに礼をし神前にも礼をして今日の部活を終了した。
並んで面を外す俺達の後ろに人影が三つある。
一人はツンツンと立たせた頭に包帯をグルグル巻きにし、顔にも絆創膏を貼っている男子、遅刻とサボりで薫に指導を受けた的井猛である。
その隣にはスポーツ少女らしからぬ真っ白な長髪の女子、シャワーを浴びたばかりなのだろう、少し顔が上気した氷澄雪奈である。
そして、その後ろにはスラリとした白衣の女性、普段は勤務時間が終わると昔の仲間か組員と朝まで飲み明かしているはずの亜九間晴美先生である。
「いやぁ、相変わらず四音は練習してねぇのに強いなあ。どうしてそんなに強いんだ?剣道は素人の私でも立ち居振る舞いとかは、薫の方が見てて綺麗だけどなぁ」
先生のさっきの試合に対する素直な感想と疑問に、俺は雪奈から受け取ったスポドリを飲みながら答えた。
「プハッあーそれは経験の差ですよ。先生も知ってるように、俺はたくさんの場数を踏んでますからね。それに俺のは剣術で委員長のは剣道だから、そこら辺の違いも顕著に出るし」
「なるほど経験…ね。それなら納得だな。確かにお前以上の経験をしている奴なんてそうそういないだろうからな。」
「先生!!」
先生の意味深な言葉に雪奈が珍しく声を荒げ、猛も不機嫌そうに先生を睨み付ける。
「おっと悪かった。無神経だったな。許してくれ」
「別にいいですよ。俺は気にしてませんから。雪奈も猛も俺ならともかく、何でお前らが怒るんだよ」
「?」
周りの会話に唯一ついていけない薫は不思議に思いながらも、あまり気に留めずに外した防具を片付けた。
「それにしてもお前らも大変だな。あんな条件があって」
先生は二人の視線から逃げるように話題を変えた。
「しかたありませんよ。もしそれがなかったら、剣道部は廃部になっちまうんですから」
天ノ上高校では部員が五人を切ると強制的に廃部にされてしまうのだ。
現在の剣道部は三年生が引退してからは、部長の薫と副部長の俺、それに猛と雪奈の四人だけであり、その上実際活動しているのは薫と俺の二人だけである。
それが何故廃部になっていないのかというと、それは顧問の亜久間先生が理事長に直談判してくれたおかげである。
その結果、剣道部は廃部を免れたが、そのとき一つの条件が出されたのである。
―出場する大会で必ずどちらか一方が入賞する―
幸いこれまでにあった三つの大会では、薫が健闘してくれたおかげで条件を満たし、剣道部は存続できている。そして、この条件は明日ある大会にも適応される。
「でもまあこの調子なら明日も問題ないだろ」
「そうですね。でも油断は禁物ですから明日も気を引き締めて臨みます」
「はあ。相変わらず委員長は真面目だなぁ。もっと気楽に行こうぜ。そんなんじゃいつまで経っても男できねぇぞ」
「余計なお世話よ!!」
「薫をからかうのもいいけど。お前の方は大丈夫なのかよ、四音」
「ああ。俺は問題ありませんよ。委員長が頑張ってくれますから」
「はは。じゃあ、今日はこれでお開きだな。帰ってしっかり休めよ」
そう言うと先生は帰っていった。これから組員と飲むのだろう。明日に支障をきたさないといいが…
「俺らも着替えて帰ろう」
そう言って更衣室へ向かう俺に薫が、疑問をぶつけてきた。
「いつも思ってたんだけど、どうして四音君は更衣室で着替えるの?」
「えっダメか?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど…男子ってその場で着替えちゃう人が多いからちょっと気になって…」
「えっ!?いやーまあ、そのー」
薫の突然の質問に、不覚にも狼狽えてしまった。
薫はちょっとした疑問を口にしただけなのだろう。俺の動揺を見て驚いているようだ。
「?」
どう答えていいか悩んでいると、猛が助け舟を出してくれた。
「気にすんな。コイツは人に裸見られんのが恥ずかしいシャイボーイなだけだ」
「そうなんだ。変なの」
薫は疑問を拭えぬまま、しかしそれ以上追及はせずシャワールームへと入っていった。
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ガチャ
「着替え中は入ってくるなっていつも言ってるよな?」
「そう言うなよ。胸の傷を見られたくないシャイボーイ君」
「…」
俺は禁句を口にした猛を殺気を当てることで黙らせた。
「…そんな怒んなよ。俺が悪かったから。ハハ、これじゃあ先生のこと何も言えないな」
「ふん。まあいい。それよりどうした?着替え中に入ってきたんだ。何かあったんだろ?」
「ああ。お前に頼みがある」
「何だよ改まって?」
「明日の大会、何かイヤな予感がする。いつも通りに行かない気がするんだ。だから、明日はお前も本気でやってくれ。薫の悲しむ顔は見たくねぇんだ」
何だかんだ言ってコイツも満更じゃなさそうだな。
内心ほくそ笑みながら俺は即答する。
「分かった。任せろ」
猛の父親は近くの寺の高名な坊主で、陰陽師でもある。そんな人の子である猛も、そっち方面ではかなりの力を持っていて、勘もよく当たるのだ。
「頼んだ。じゃあ外で待ってるから早くしろよ」
立ち去ろうとした猛に声をかける。
「猛」
「…何だ?」
「あーそのー。さっきは助かった…ありがとう」
「ぷっ。気にすんな。それにお前が礼をいうなんて気持ち悪いだけだぞ」
そう言って今度こそ猛は更衣室を出て行った。
それを確認した俺の手は、無意識に胸にある大きな傷跡に触れていた。
「……チセ」
『どうした?よもやその傷が痛むわけでもあるまい』
俺以外誰もいないはずの更衣室に俺のものでない声が木霊した。
それはとても低く、地の底から響いてきているようで、聞いているだけで威圧されるような、それでいて包み込まれるような暖かさを持っているそんな声だった。
「いや。ちょっと昔の事を…な」
『…そうか』
それ以降、更衣室は不気味なほどの静寂が支配した。
俺は胴着から制服に着替え、最後に学ランではなくトレードマークであるパーカーを着て更衣室を後にした。
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