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matataki  作者: 大橋 秀人
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ともしびひとつ

瞬くと、暗闇の中で仄かに燈り、振り絞るように奮った光は、やがて明滅しながら萎んでいった。




まさかと思い、走る足を止めその草叢へ近付くも、再び明かりが燈ることはなかった。




何度も通り過ぎるヘッドライトを背に、足取り重く走り出す。




その日はゆっくりと川沿いに目を向けながらランニングをしたお陰で月平均より大幅にタイムが落ちていた。




「ホタル、いたかも」




玄関のドアを開けると、開口一番そう告げる。




脇目も触れず突進してくる三男を受け止めつつ嫁の反応を伺うが、彼女は案外、冷静に幼稚園児の濡れた柔らかな髪にタオルを当てていた。




「確かに。もうそんな時期かもね」






ゴールデンウイーク明けのこの時期、その光に初めて気づくと、いつも半信半疑に歩幅を縮める。




何年経っても朧げな灯を確認しないことには、その存在を認識できなかった。




ホタルは夏の風物詩。




そんな勝手な思い込みがあったが、調べてみると関東近辺ではやはり6月に入る前がピークなのだという。




「よし、次のパパのお休みの日に捕まえに行こうか」




担がれ身を捩る三男を誘う。




三歳になる彼は蛍と聞き、首を傾げた。




「この時期にしかいない、お尻が光る虫さんだよ」




こんな説明で伝わるかと苦笑したものだが、息子は目を輝かせた。




「行く!」




今にも部屋を飛び出さんばかりの体を抱きとめる。




「とってもキレイに光るから、夕ご飯を食べた後にでも見に行ってみよう」




「夜?」




首を縦に振ったそばから一層、瞳を輝かせる。




夜にお出かけ、虫、それが光るなんて。




三歳児には魅力的なワードばかりだろう。




彼は抱く手を逃れ、玄関に立てかけてあった虫取り網を取り出してきて、部屋で振り回しみせた。




「危ないからここでは振らないよ」




妻は背中を追いかけてパジャマを着せながら言う。




「最近、見てないけど、ほんとにいるの?」




あまり気のない声で訊かれると若干心許なくなってくる。




実際は一瞬、見えた気がしただけで、それきり見つけることができなかったのだ。




だが、時期が重なっているのだから、いるとしたら今しかない。




そう自分に言い聞かせて、頷いて見せる。




「じゃあ、お風呂の時間までには帰ってきてね」




渋々の体で妻は首を縦に振ったのだった。






★★★★★★★






次の日、仕事から帰ってくると早速ランニングウェアに着替え、ジョギングがてらホタル探しに出かけた。




蛍が出没する場所は大抵あたりが立っている。




まずは川。




それも流れが緩やかな。




急すぎても、流れていなくてもいけない。




ゆっくりとした流れの川だ。




次に、土手であること。




コンクリートのU字溝ではホタルは繁殖できないようだった。




その二点に適合する場所を探せば、候補はおのずと絞れてきた。




まずは幅が広いながらも植物が水面まで茂っている川を調べた―――しかし流れが速かったのか全長1キロほど探したものの、そこに光を見出すことはできなかった。




続いて前回、光を感じた場所―――国道脇で通りは多いが条件は満たしていた―――に通りかかると、速度を落とし、集中的に川沿いを調べた。




するとヘッドライトの明かりが途切れ、つかの間の静寂の合間に、昨日と同じ場所で燈を確認することができた。




今度は慎重に近づく。




それが蛍の光の明滅であることを確認する必要があった。




慎重にその草叢に近づき、歩みを止める。




その間の車の往来を煩わしく感じるが、辛抱を重ねてその時を待った。




そしてしばらくすると、その燈火はゆっくりと、でもしっかりと大きくなり、また小さくなりを繰り返した。




その明滅を3度見守ると、再び川沿いに目を配りながら走り始めた。






★★★★★★★






次の日も、その次の日もその場所でホタルの光は確認できた。




そして三日後に休日が訪れ、三男との約束を果たす時が訪れた。




「今日、見に行くよ」




「ホタル」




「うん。ホタル」




そう言うと息子はわかりやすく目を輝かす。




「見たい?」




問いかけに力強く頷き、やはり虫取り網を取り出してはしゃぐ。




虫かごはどこだと妻に用意させ、夕食も手につかないほど興奮していた。




「ごはん食べたら行くんだからね」




そう言い聞かせると、息子は良く食べた。




「暗くならなきゃ見えないんだよ」




早く行きたくてうずうずして仕方ない彼を宥めるのに苦労した。




「私も行っていい?」




珍しく妻も同行すると言い出して密かにプレッシャーを感じるが、断る理由はなかった。




「じゃ。僕も行く」




「え、じゃあ僕も」




長男が声を上げ、次男が続く。




そうして結局、一家5人で夕食後に散策することとなった。








蛍狩りといってもランニングコースなのだから、車で5分とかからない場所だった。




だからこそ全員が行くと申し出たのだろう。




そう思う間もなく車は路肩に停車していた。




逸る気持ちを抑えられない三男を宥めながら車を出る。




「どこ?」




周りを見渡しても、国道を行きかう車ばかりに目が行ってしまう。




歩道の縁石の奥にガードレールがあり、よく見るとそこには昔から流れる小さな川が流れていた。




「昔はこんなところに来なくても見れたのにね」




いつの間にか隣で歩幅を合わせていた妻がつぶやく。




そうなのだ。




自分たちが子供のころは、実家の前に流れていた小川にも確かに蛍はいた。




それが確か、土手からコンクリートのU字溝に変わったあたりから急激にその数を減らし、いつの日か見かけなくなってしまったのだった。




蛍、見かけなくなったね。




そう言いながら、さして気にも留めない年月が続いた。




幼馴染の何気ない一言に気づかされて息を飲んだものの、前を走る三男を制するために歩を速めた。




長男次男はじゃれながらも夫婦のあとをついて来ていた。




「パパ、どこにいるの?」




不信の目を向けられつつあるときに、そのポイントについた。




「静かに」




少し大げさにそう言って振り回された虫取り網を制す。




三男に教えていた抜き足差し足忍び足をこの時とばかりに演じて見せる。




子供たちは面白がって父を真似る。




妻は肩を竦めながら少し遠目でその草叢に目をやっていた。




「ほら!」




指差した向こうには、確かに一匹の蛍の光が煌々と燈っていた。




―――そして静かに消える。




それでも口に指をあて、三男の様子をうかがう。




彼にも最初の煌めきは確認できていたようで、息を飲んでその方角へ目をやっていた。




家族全員の視線が集中したその先で、再び灯りが燈った時、五人は静かな歓声を上げた。




一匹のホタルが茂みの中で懸命に燈火を灯している。




その事実に家族はしばしの間、見蕩れていた。




「よし」




しばらくして虫取り網を長男がとると、次男も僕がやると奪い合いになる。




「お前ら、コツを知らないだろ。まあ見とけ」




最終的には大人げないと知りつつもそれを取り上げた。




子供のころは何匹も捕まえて、虫かごの中で光らせて夕涼みをしたものだったのだ。




そう思い意気込んで一歩踏み出したところ、ズボンの裾を引っ張られる。




「どうした」




振り向くと、三男が口をへの字に結んでいた。




今にも泣きそうな顔。




「大丈夫、パパがとってきてあげるから」




向かおうとするがやはり手は離れない。




彼は三歳の小さな体には不釣り合いな虫かごを抱えながら、頑固に手に力を込めていた。




「おい」




年長の長男次男の動きを止めると、改めて三男に向き合う。




彼はどうやら何かを伝えたいようだ。




「取らなくていい」




若干の不満を残しつつ、幼稚園児は確かな口調でそう告げる。




「どうして」




「だって」




ゆっくりと、でも確かに明滅する蛍の光に目を向けたまま、三男は口を開く。




「だって、あの子を取っちゃうと、真っ暗になっちゃうよ」




それを聞き前を行く二人の兄は歩を止める。




はっとして虫取り網を下す。




「そうだな。この子を取ったら、来年からホタルさん、見れなくなっちゃうかもしれないしな」




そう言って思わずその頭に手を置いた。




「じゃあ、そうっと見させてもらうだけにしようか」




その提案に彼は力強く頷いて見せたのだった。








「静かに光るものね」




妻は遠い目でそんなことを言う。




そういう彼女を尻目に、蛍の光の明滅の間に三台のヘッドライトが草叢を照らしていた。




「こんなところででも、ひっそりと暮らしているんだね」




子供の手を握る力を少しだけ強め、そんなことを言う。




「来年も見れるといいね」




妙に冷静な妻の声が、どこか残酷に聞こえる。




「また、来年も見に来ようよ」




「来年までランニングが続いてないと気づけないけどね」




笑いながら妻は言う。




「え、そこ?」




そう訊き返しながら三男を抱き上げ、一家五人で笑う。




遠ざかる五人を尻目に、蛍はその灯を燈し続けた。

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