片想いと湿気たスケッチブック、と、たぶん告白。
瞬くと、教室のドアを開けたまま立ち尽くす少女がいた。
うつむき、視線は虚空を見つめている。
雨が止めどなく降っていた。
天気予報は曇り時々くらいだったのに。
窓を叩くほどではなく、まとわりつくような、雨。
スケッチブックが湿気るから、雨は嫌い。
鉛筆を走らせながらそう思う。
雨も、笑っていない想い人も、嫌いだ。
一瞬、強まった雨足に後押しされたように彼女は音もなく歩み寄ってきた。
そして僕の隣の席につく。
「いたんだ」
こちらに顔を向けるでもなく、同級生は呟いた。
声を出せることに驚いたように顔を上げたあと、やはり俯く。
肩まで伸びた髪が頬に流れ、表情は上手く見てとれない。
僕は答えるでもなく、たまたま隣通しのこの女子の姿をしばらく前から描き起こしていた。
きっと彼女はここに来るという予見があったから。
☆☆☆☆☆☆☆
「今日、告るかも」
色めき立つ声色に絶望した。
どうして僕にそれを報告する必要があるのだろうか。
彼女の表情は眩しすぎて、見ていられなかった。
ーーーやめといたほうがいい。
そう言えたらどんなに楽か。
君が告白しようとしている奴には、すでに付き合ってる子がいるーーー。
そう忠告できたら、どんなに楽だったか。
彼女にとって僕は、黙って話を聞いてくれる都合の良い同級生に過ぎなかった。
だからこそ、告白のことを打ち明けたのだろうから。
僕は口を開く代わりに、湿ったスケッチブックを開く。
そして放課後、同級生が散って行くのを横目に、誰もいない椅子と机に体を向け、一心不乱に鉛筆を走らせはじめた。
☆☆☆☆☆☆☆
彼女は大きな瞳を見開き、口を真一文字に結んでいた。
日が延び、まだ夕暮れは訪れる気配を見せていない。
が、雨が教室を一段暗くしていた。
スケッチブックには、綺麗な姿勢で椅子に座る姿がすでに描かれている。
今ここにいる少女を一からスケッチしていたかのように、それは緻密に描かれていた。
ただし、そこにはまだ、表情がない。
書き込まれた細部とは対照的に、まっさらな状態の横顔には、髪が流れているだけだった。
「泣いてないよ」
黒板に目を向けたまま、彼女はそう呟く。
「聞いてないよ」
僕は顔を上げずに、鉛筆を動かし続ける。
表情の周りだけがどんどん書き込まれていく。
S字に伸びた背筋のライン、制服のシワ、複雑な陰影ーーー。
彼女がどんな顔をしているか、見たくなかった。
顔を上げることはできない。
「フラれた」
かすかに震えた声に、手が止まる。
「聞いてない」
スケッチブックを抱きかかえ、僕は答える。
「泣いてないから」
思わず顔を上げると、見開かれた瞳から大粒の雫が一筋、頬を伝うところだった。
「見ないで」
そう言われ、咄嗟に顔を隠す。
のっぺりとしたその画用紙の中に表情を見つけだそうと指を置く。
が、湿気を含んだ感触が残るだけで、何も想起されることはなかった。
瞼に焼き付いているのは、今しがた見た涙だけ。
だから、それを描かざるを得なかった。
僕は自分の意思とは別に描き出されていく表情を、どこか不思議な感覚を持って見ていた。
その美しい横顔を。
残酷なまでに美しい涙を。
どこか傍観している自分に戦きながら。
そして、見たものを描くことしかできない自分の弱さと、美しいものを描けたという自負の間で葛藤し、それでも鉛筆を動かすことを止められなかった。
「それ、わたし?」
一心不乱に描いていると、いつの間にか少女がこちらを覗き込んでいた。
咄嗟にスケッチブックを庇おうとするーーーが、それは制された。
彼女は手でそれを抑えながらも、こちらに真っ直ぐな視線を向けてくる。
僕はそれを受け止め切れず、逃げるように視線を逸らすことしかできたかった。
「これ、わたしよね?」
凛とした姿勢で涙を流す少女がそこには描かれている。
誰がどうみても、それは同級生に他ならなかった。
諦めて、僕は力無く頷く。
すでにスケッチは完成と呼んで良い出来になっていた。
彼女にそれを引き抜かれても、抵抗する力はなかった。
「わたし、こんなに綺麗だったっけ…」
これで全部、知られてしまうんだ。
そんなことを思いながら、食い入るようにスケッチブックを見つめるその横顔を僕は眺めた。
いつものように、美しいーーーそう思いながら。




