会えなくなる、その前に。
1
瞬くと、隣に座る、想い人。
年が明け、最後の席替えで奇跡が起きた。
ぱっとしない中学の3年間が報われた気がした。
何かが変わったわけじゃない。
でも、最後に良いことあったと思えた。
もちろんまだ卒業したわけじゃないし、受験だって終わっていないのだけど。
好きな人とはじめて隣り合えたのだから、そう感じても良いじゃないか。
卒業まであとふた月。
タイムリミットは迫っている。
だから、伝えるんだ。
会えなくなる、その前に。
2
退屈なふり。
校庭を眺めるふり。
視線は君を通り抜けている。
ふり、ふり、全部、ふり、だ。
全然、意識していない。
横顔なんて見ていない。
でも、
「最後に隣り合えたね」
なんて言われたら、もう何もかもぶっ飛んでしまうじゃないか。
本当にそう思ってくれているの?
君は何を思って笑いかけてくれるの?
話したい気持ちは苦しいほど膨らんでいる。
なのに僕は裏腹で。
曖昧な態度で頷くことしかできない。
もっと上手く笑えたらいいのに。
3
黒髪は肩口に落ち、滑らかな流線形を描いている。
髪が伸びて、君はどこか大人になった。
夏まではショートヘアの似合う少女だったのに。
「女の子は髪型ひとつで印象が変わるんだ」
思わず見惚れている僕を親友は見逃してくれない。
普段なら鼻で笑う言葉も、妙に腑に落ちてしまう。
昔の面影を残しながらも少しずつ大人びていく。
でも、今でも笑うと、両の頬に笑窪ができるんだ。
それは今でも変わっていない。
僕の気持ちとおんなじだ。
4
君は曲がったことが嫌いだ。
入学して間もなくの頃。
廊下で通せんぼしていた上級生。
引き返そうとする僕の手を取り、君は強引に突破した。
凄む二年に胸を張る君。
決して引こうとしなかった。
僕はただ、握った手から伝わる震えを受け止めることしかできなかった。
そして、
【この子も怖いんだ】
と思った。
【それでも立ち向かうんだ】
とも。
「大丈夫だった?」
退散していく二年を背に、君は笑ってみせる。
その笑窪に心を打ち抜かれた。
5
推薦受験を終えたばかりの君は晴れやかで、本番を控えた僕には一層眩しく映る。
教室には、歴然とした明と暗が存在した。
受験を終えた者と、これから臨む者。
後者が緊張感の解れた前者に苛立ちを募らせる中、君は変わらず真剣に授業を受けた。
真摯に教壇を見つめる眼差しが好きだった。
業間に咲く、屈託のない笑顔も。
本に眼を落している時の澄んだ横顔も。
奪われてしまう視線を何度も無理に引き剝がす。
今は勉強に集中しなければ。
6
想い人の志望校は女子高だった。
だから受験に失敗しない限り二人が同じ学校に通うことはない。
一応、すべり止めは同じにしているが・・・。
きっと君が落ちることはないだろう。
君が目標を達成するだけの努力を怠るはずはない。
万が一があっても一緒にはならないだろう。
なぜなら、僕も落ちるつもりはないから。
一緒にいたくてこの学校にした。
そんなことを知ったら君はきっと口を利いてくれなくなるだろう。
だから僕も頑張るんだ。
7
受験の向こうに卒業が見え隠れしている教室は、重い雰囲気の中にも淡い出来事がある。
先週から誰と誰が付き合い始めた。
誰が誰に告白した。
そんな話題がちらほら聞こえるようになっていた。
女子だけでなく男子でさえ差し迫った期限を前に現状の打開に動くものが現れ始めた。
僕はと言えば、想いが募るばかり。
打ち明けない理由を受験にすり替えてはいるが、じゃあそれが済んだら告白するのかというと・・・。
卒業までには。
きっと。
8
別々の進路に決まった友達が彼女と別れた。
中一の頃から付き合いはじめて、長く続いていた。
別れる要素なんてなかったのに。
毎日一緒にいられないから。
気持ちが離れてしまうだろうからって。
不安だけで二人は別れを選んだ。
未来のことはわからないのに。
僕も気持ちが薄れるのだろうか。
新しい生活が始まったら、君を忘れる日がくるのだろうか。
頬杖ついて、その横顔を見る。
夕陽をバックにした君は、どこか寂しげな笑みを向けた。
9
「今から付き合っても無駄でしょ」
放課後、君の友達がわかったように言う。
「高校に行っても上手くいってる先輩なんて稀だし」
現実的にはそうなのかもしれない。
それ以前に気持ちが通じるかもわからないじゃないか。
フラれて卒業なんて一番かなしいパターンだ。
「だからって、気持ちを伝えないでお別れするのもかなしくない?」
それでも、君の言葉に勇気をもらう。
付き合う付き合わないは結果論。
気持ちを伝えることが大切なんだ。
10
「悩んでる?」
意地悪な笑顔の親友。
「勉強? そ・れ・と・も?」
聞こえないふりでテキストを捲る。
君は隣で卒業製作の相談をしている。
親友は誰とでも垣根なく喋れるタイプ。
無遠慮なピエロを演じて机と机をくっつけた。
「今日は文集づくりしようぜ」
君と僕は顔を見合せ、俯いた。
「勉強があるから」
「そうだよね」
微かに残念そうな君に次の言葉を見つけられない。
「じゃあお前は勉強してていい」
親友は悪知恵が働いた顔を向けた。
11
「こっちで話してるから、意見だけ聞かせろよ」
ムチャな提案だが、それなら勉強している体裁を取りながら話す機会が持てる。
僕は机に向かいながら、簡単な問題を選んで解いていく。
机を囲んで男女が話し合う。
普段は犬猿の仲なのに。
親友が冗談で場を和ませながら話を進める。
君は隣で決定事項を書き連ねていく。
自分の意見も真っ直ぐに伝える。
「だよね?」
時折、同意を求められ、僕は頷く。
頼りにされている気がして嬉しかった。
12
受験が迫ると、どうしても空気がピリピリしてしまう。
推薦組もさすがに自重する。
賑やかだった教室が、一瞬静かになる時がある。
お調子者が冗談を言うが、ひと笑いあって一層濃い沈黙が降りる。
体も頭も、もう限界だった。
こんなに勉強したことなんてない。
よく寝た方が良いと言われても、眠れない。
寝不足で、寝ている間も計算式を解いている事が増えた。
頭はパンク寸前だ。
それでも頑張れるのは、隣に君がいるから。
ありがとう。
13
受験前日。
友達はもちろん、担任や塾の講師からも「がんばれ」の激励。
これまでも自分なりに頑張ってきたつもりだった。
なのに、これ以上どうがんばれと?
今更ながら、勉強なんて積み重ねなんだと思う。
何日か眠れない日が続き、逆に気分は高ぶって。
その分、浴びせられる「がんばれ」に心がトゲトゲしくなってしまう。
ホームルームの後も、「がんばれ」が溢れていた。
でも、うんざりした気持ちは君のはにかんだ笑顔で晴らされた。
14
「いってらっしゃい」
君は少し潤んだ瞳で僕を捉えた。
背筋を伸ばして、後ろ手に手を組ながら。
少しだけ上目遣いで。
いってらっしゃいって。
ここで待ってるから。
しっかり戦って、また帰ってきてって言ってくれてる気がした。
その時は教室の喧騒とか、今さっきまで抱えていた苛立ちなんてものがすっと消えた。
そして僕は姿勢を正し、正面から視線を受け止めて、
「いってきます」
そう言った。
【好きです】
その確かな気持ちを込めて。
15
受験会場では、誰もが眉間にシワを寄せて前のめりだった。
本番の朝。
会場までの道のりは、溶けた霜が煌めいて妙に眩しかった。
吐く息が白い。
胸一杯に空気を吸い込むと、身震いした。
僕はどういうわけか気持ちが晴れやかで、閉塞的な中で周りが良く見えていた。
皆、状況は同じだ。
あとは力を出し切れるかどうか。
問題が目の前に置かれても動じなかった。
精一杯やるしかない。
結果を心配するのは後でもできる。
今は集中するだけだ。
16
本番直後の学校は、当たり前だが受験の話で盛り上がった。
余裕だったと嘯く者もいれば、沈黙を貫く者もいた。
なんとなく、まだ何も決まっていない教室に〈勝者〉と〈敗者〉のグループが作られる。
「おかえり。がんばったね」
僕はと言えば、君の笑顔に迎えられ、そんなゴタゴタに巻き込まれないで済んだ。
「ただいま。ありがとう」
君がいてくれたから頑張れたんだ。
本当はそう言いたかった。
もう少しで零れそうな言葉を飲み込んだ。
17
受験が終わると、隠されていた卒業が迫ってくるのを感じた。
まだ滑り止めの受験は控えているのだけど、第一志望の結果がでる前では勉強にも身が入らない。
卒業文集の相談は、君と僕の机をくっつけて行われる慣習ができていた。
なんだか、年が明けてから女子との距離がぐっと縮まった気がしている。
これも残り少ない卒業までのカウントダウンマジックなのだろうか。
「ねえ、聞いてる?」
頬っぺたをペンで突いておどける君が可愛い。
18
最近、君との距離も急速に縮まった気がする。
これまでは当たり前のように話すことなんてなかったし、恐る恐るでも君の方からイタズラを仕掛けてくれるなんてあり得なかった。
三年間でわからなかった初めての表情をたくさん見つけられた。
それもこれも、全ては席が隣り合えたから。
「聞いてるよ」
僕はわざと膨れっ面をしてみせる。
そして破顔し、
「で、なんだっけ?」
と会話の輪に戻った。
改めて、席替えで起こった奇跡に感謝して。
19
夜、勉強に集中するために断っていたラジオを解禁した。
流れるようなDJのトークやパワープッシュの曲がやけに新鮮に聞こえる。
<さて、今夜もこの時間がやって参りました―――>
お馴染みの悩み相談コーナーが始まった。
<東京都――区在住15才の女の子。"残すところは卒業のみ"さんからのお便り>
思いのほか近いな、と耳を傾ける。
<受験から解放されしがらみのなくなった彼に、卒業までに告白したいと思っています>
自分と同じような人がいたもんだと思わずラジオを見る。
<話すのが苦手なので手紙を書きたいのですが、思うように言葉が出てきません>
手紙――――言われてから自分だったらどう書くだろうと考える。
<どんな言葉で想いを伝えたらよいでしょう。とのことです>
メッセージを読み上げると、DJは一頻り自らの考えを語ったあと、
<それでは、今夜もみんなで一緒に考えましょう。ラジオの前のあなた。あなたならどう書く? ラブレター>
とリスナーにも答えを募ったのだった。
20
ラジオ局に続々とラブレターが寄せられ、その中の幾つかが紹介されていく。
DJは、ラブレターで全てを伝えようとするな、という持論を謳い、長い文章は悉く添削されていった。
〈要は想いを伝えれば良いわけですよ。余計なものなんていらない〉
それで結局は最長3行に趣旨を集約すべし、というよくわからない結論でコーナーは結ばれた。
その後も下らないような切実なような話題が立て続けに提起されては怒涛の速さで流れていった。
21
僕はテキストの余白に君への想いを記してみる。
《ずっと前から好きでした》
その一文はすぐに出た。
でも、後が続かない。
想いは溢れるほどなのに。
いざ向き合うと、ペンは躍らなかった。
苦しさだけが募って。
なんだか情けなくなって。
本当に君のことが好きなのかすら疑問になって―――。
―――でも、その気持ちは疑いようもないんだと改めて思い直したり。
《ずっと前から好きでした》
その一文は真実で、それだけで十分だと思えた。
22
だから僕は、三行ラブレターにこう記すことにした。
【君のことがずっと前から好きでした。
ずっとずっと好きでした。
好きです。これからもずっと】
書き終えて、最後の一文にアンダーラインを引く。
何度も。
ため息をつきながら――――。
ふと我に返り、恥ずかしくなりテキストの耳を折って隠した。
上の空で勉強はもはや手につかない。
時折、折り目を広げてその三行を読み返す。
読めば読むほど想いは募る。
告白が現実味を帯びてくる。
23
告白なんて簡単だ。
今ここにある文面を便箋にしたためて、想い人に渡すだけでいい。
ところで、便箋なんてあったっけ?
思い付くまま机の引き出しを開ける。
が、買った覚えのないそれがあるはずもなかった。
それでも一通り確かめてしまう自分に苦笑する。
ないなら買えばいい。
買って、書いて、気持ちを伝えるんだ。
もう、この気持ちを抑えつけている理由もなくなったのだから。
僕は明くる日、飾り気のない淡いブルーの便箋を買った。
24
告白を決意したら、どこか落ち着かなくなった。
「昨日の夜、ラジオ聞いた?」
親友の唐突な問いに飛び上がってしまった。
「なんで」
僕があのラジオを聴いていたことを知っているのか。
「そんな驚くことないだろ。ただ訊いただけじゃん」
ヘラヘラする親友に咳払いをして誤魔化すと、同じタイミングで隣のそれと重なった。
「何? 二人とも聴いてたってこと?」
僕は反射的に君を見た。
君も同時に僕を見た。
二人は慌てて視線を逸らした。
25
「お悩み相談でさ」
僕たちの反応など気にせず親友は核心をついていく。
「同級生に告白したいって子、あれ、たぶん近所だよな」
「確かに、同い年だし、もしかしたら知り合いかもって思った」
そこは正直な感想を言う。
「でも、近いって言ってもどこの学校かなんてわからないし・・・」
君が俯いて珍しく語気を強めたのを見逃さず、親友はズイと詰め寄った。
そして、あまのじゃくが乗り移った顔を向ける。
「もしかして、あれ、お前?」
26
射貫くような視線で問い詰められ、彼女は顔を上げることができない。
「んなわきゃないだろ。区内に何校あると思ってんだよ」
見ていられなかった僕は必死で助け舟を出す。
「そうだよ。仮にこの学校だったとしても、三年生だけで相当いるじゃない」
君はそれに乗り、反論した。
「だよなー」
親友は無責任に笑って簡単に引き下がり、別のグループにも同じ話題を振っていった。
ホッとして胸をなでおろすと、隣で同じ動作をする君がいた。
27
「聴いてたんだ、昨日のラジオ」
「うん。私、意外とラジオって好きなんだよね」
「お悩み相談コーナーはいつも面白いよな」
「だよね。あれは毎週欠かさず聴いてるもん」
「俺も」
「自分のことみたいに真剣になっちゃう(笑)」
「じゃあ、コメント投稿とかもやってるの?」
「え!?」
「あ、いや、よく聴いてるって言うから」
「それは・・・」
「いや、何でもない。そんなのするもしないも自分の勝手だもんな」
「・・・あるよ」
「え?」
28
挑むような視線を向けた君の瞳は熱っぽく潤んで、僕はヘビに睨まれた蛙のように釘付けになった。
君のそんな表情を見るのははじめてで、僕は次の言葉を見つけられない。
コメントを投稿したことがあるからって、昨夜の相談をした本人とは言っていないじゃないか。
コメントなら、読まれたことはないけれど、自分だって何度かあるし―――。
「なに? 何かあった?」
いつのまにか戻っていた親友が鼻を利かせた犬みたいな顔で迫ってきた。
29
外させてくれない視線のまま、僕は反射的にテキストの隅を手で隠した。
「え? そこに何かあんの?」
目敏い親友にその行為は、何かがあると言っているようなものだった。
「なんでもない」
無遠慮に掛けられようとする手を制す。
「何でもないなら隠すことないじゃん」
それは尤もなのだが、手の内を誰かに見られる訳にはいかなかった。
「やだ」
上手い言い訳など全く思い付かない。
君はほどいた視線をゆっくりとテキストに落としていく。
30
頑なな力を込める僕に、親友は無理することなく引き下がる。
「お前、もしかして―――」
そして少しこちらの顔色を窺った後、
「俺の悪口でも書いてんだろ」
と意地の悪い顔で笑った。
悪ノリが過ぎる親友だが、人一倍、察する力がある。
これはいじってはいけない。
そう察して冗談に切り替えてくれたようだった。
その後、軽くいじられながらも親友の手に力が込められることはなく、なんとかテキストから話題をすり替えることができた。
31
君の視線が怖いと思ったのは、これがはじめてだった。
ずっと同じクラスにいたのに、ほんの一握りの側面しか知り得ていなかったのか。
短い期間で想い人はいくつも別の表情を見せた。
少し気が強く、真面目で明るい、自分と同じ15才の少女。
2年と数ヶ月で培ってきたそのイメージは、ここにきて著しく変容を遂げている。
疲れすら漂う気だるい横顔。
時折見せるしたたかな視線。
僕の思うより、君はずっと大人の女性なのかもしれない。
32
だから嫌いになる?
そんな訳はない。
簡単に嫌いになれるくらいの気持ちではない自負がある。
僕はただ、少し怖くなっただけだ。
君の成長についていけていない自分を不甲斐なく思っただけだ。
なにも君が別人になった訳ではない。
好きな部分はそのままで、知らない一面が見えてきた。
そういう事だと思うと、どこか納得できた。
じゃあ、僕は君のどこが好きなんだろう。
そんなことを考える。
部分じゃない。
全部引っくるめて好きなんだ。
33
「ごめん。テキスト忘れちゃった」
言いながら机がくっつけられる。
「見せてくれる?」
僕は半ばパニックに陥りながら、テキストを君との間に広げた。
どうして今更、授業などしなくてはならないのか。
熱心な国語教師を恨みたい気持ちになる。
宿題を出されなかったらこんな事にはならなかったのに。
三行ラブレターを書いたページは不自然に折られたままだ。
このままでは見つかってしまう。
無情にも教師はページをめくる指示を出した。
34
ページを大袈裟に捲り、できうる限り自然に折り目を隠した。
熱心にテキストに見入っているふりで前のめりになる。
「それじゃ見えないよ」
笑われておずおずと体をずらすと、君は澄ました視線でテキストに視線を送った。
授業は滞りなく進んでいく。
僕は握りこぶしを作り、この時間が無事に過ぎることを切に祈る。
「それでは、最後の問題―――」
教師が言った側からチャイムが鳴りはじめ、安堵に胸を撫で下ろした。
「ごめん借りるね」
35
油断した瞬間にテキストが抜き取られた。
あろうことか最後に指名を受けた君は、それを手にして立ち上がる。
一瞬、合った目がどこか動物的で、僕は怯んでしまう。
テキストを読んでいる君の姿に特段の変化は見て取れなかった。
その手の内で弱々しく折り目が揺れている。
「ありがとう」
君は席に着くとそれだけ言った。
そっけなく。
僕にはそれが何に対しての謝意なのか把握できない。
テキストを貸したことに対して?
それとも――――。
36
授業が終わると、君はすぐに席を外してしまった。
僕はそそくさとテキストをしまい、遠慮がちにその姿を探す。
真っ白な頭で、折り目に隠された三行が読まれたのかを考える。
何が隠されているのか確かめたかったなら、間違いなくそれは読まれただろう。
でも、気にしていなかったら気付かないままのはずだ。
果たして想い人は、それを見てしまったのだろうか。
真意を確かめたくてその姿を探す。
が、そんな時に限って行方知れずだった。
37
君はきっと、そこに何があるか気付いただろう。
仮に詳しく読めていなかったとしても、それが三行であることでどんな内容かもわかったはずだ。
昨日のラジオで書いたラブレター。
それが誰に宛てられたものなのかは不明だが、僕に誰か好きな人がいることは気付かれた。
次に顔を合わせた時、君はどんな表情をしているだろう。
どんな態度で、どんな言葉をかけてくるのだろうか。
始業のチャイムが鳴り終える直前で君は教室に滑り込んだ。
38
僅かに息を切らした君は、でも平然と教壇に目を向ける。
こちらの視線など撥ね付けるようにピンと背筋を伸ばして。
差し込む夕陽が眩しくて、君の表情は窺い知れないまま。
夕陽が沈んでいく。
何事もなかったようにホームルームが終わった。
本当は、本当に何も起きていないのかもしれない。
全ては僕の自意識過剰だったり。
何かが書いてあると気付いただけかもしれないし、そもそも書いてあることにすら気付いていないのかもしれない。
39
じゃあなぜ。
僕は声に出さずに問い掛ける。
なぜ君はそんな態度を取る?
サヨナラもせず教室を後にする背中に訴える。
でも、もちろん君が振り向くことはない。
だって、僕がそう思っただけで、実際に呼び止めたわけではないのだから。
声を掛けられなかった自分が腹立たしくて、僕は誰もいないドアを睨んだ。
「もしかして読まれた?」
バツの悪そうに親友が近寄ってくる。
「かも」
短く答えると、
「そっか」
と彼も同じ方へ視線を向けた。
40
その日を境に、君は僕を避けるようになった。
挨拶はする。
表面上はお互いに至って普通に接している。
でも、君は確かに僕を避けていた。
僕にはそれがわかる。
理由なんてない。
ただ、わかるんだ。
挨拶だって、会話だって、視線だって。
君はどこかで僕を避けている。
まるで見えないバリアで隔てられているように。
言葉はもちろん、態度にすら表れないレベルでそれは感じられる。
どうして避ける?
僕に好きな人がいるってわかったから?
41
好きな子と隣り合えたのに、それが却って辛くなるなんて誰が想像するだろう。
近づけたと思っていたのに、離れてしまった感覚。
何も決定的なことは起こっていないのに、起こったみたいになっている。
でも、そう言うものだともわかっている。
僕の軽率な行動は想い人を戸惑わせるのに充分だったのだろう。
かえって今、告白すべきなのか。
そう考え首を振る。
もっとちゃんとしたい。
僕はもっと正面から、君の事が好きだと言いたいんだ。
42
そうこうしている間に、合格発表の日が訪れた。
最寄り駅まで慣れない電車移動。
校舎に貼り出された受験番号を、白い息を吐きながら見上げる。
人生の岐路に立っているのに僕はどこかで醒めていて、周りで騒ぐ輩を尻目に粛々と番号を目で追った。
「あったか?」
隣で一通り喜び終えた親友がこちらを遠慮がちに窺う。
「ああ、あった」
自分の番号を見たままそう言うと、力強く肩を抱かれ、揺さぶられた。
喜びより、安心が全身を包んだ。
43
合格発表の翌日の教室は、後のなくなった私立受験組を尻目に浮かれているものと、気遣い慎ましくあるものに分かれた。
「今日からバカみたいに遊んでやるぜー!」
前者である親友はそう嘯いてまわる。
後者である僕は、先に進路を決めていた君に報告すべきか迷っていた。
「またこいつと一緒だよ」
そんな迷いも親友の一言で吹き飛ばされる。
「受かったんだね」
「うん」
「おめでとう」
「ありがとう・・・」
久しぶりの会話に胸が躍った。
44
でも、会話はそれきり続かなかった。
もうダメなのかもしれない。
そのとき僕はそう思った。
すぐに興味が別に移る。
想い人にとって僕なんて、所詮、その程度のものなのだろう。
勝手に好きになって、勝手に好きでいてくれるんじゃないかと感じて。
でも、それはただの勘違いだったのかもしれない。
誰にでも優しい君は、冴えないクラスメートにも同じく接してくれただけなのかもしれない。
僕は悲しくなって、努めて明るいバカを演じた。
45
そして月日はあっという間に流れ、卒業式の前日になった。
「今日はさすがに、テキストを使うのはやめにしよう」
最後の授業で、バカ真面目な国語教師は言った。
「最後はこの三年間をお題に、みんなで一句詠んで見ようじゃないか」
お祭り気分のクラスは、半ば自棄っぱちで賛同する。
ここでもふざけるモノはふざけ、真面目に考えるモノは二三、句を詠んだ。
僕は無意識に、想いを綴る。
誰にも読まれないように。
君に届けと願いながら。
46
「じゃあ書けた人から発表してもらおうか」
これにはブーイングが飛ぶ。
「それなら、誰か一人だけに読んでもらうってのはどうだ?」
思わず君を見ると、君もこちらを見ていて、僕と同じように句を隠した。
「誰に読んでもらえばいいですか」
親友は全員に発表してもよさげだった。
「誰でもいいが、誰もいなければ隣通しででも見せ合ってくれ」
その言葉に、僕は句を直すか迷った。
当たり障りのない方を書いておいて良かったとも思った。
47
君は僕をまっすぐに見て自分の句を握りしめていた。
僕は卑怯にも出方を伺おうとした。
周りではふざけた輩の笑い声が溢れている。
親友が自分の句を声高に詠っているのを尻目に、僕は背筋を伸ばす。
自分から動くんだ。
そして握りしめた二句の一方を、意を決して君に差し出した。
もう逃げたくなかったから。
卒業したら、追いかけることすらままならないと思ったから。
【伝えたい 会えなくなる その前に】
足らないところは眼差しで補う。
48
心臓は体の内側を暴れ回り、鼓膜は膜で覆われたように雑音を遮断した。
たった三行を読むだけなのに、君は句を握りしめ、動かない。
早く顔を上げてその表情を見せて欲しかった。
息苦しい時間が続く。
すると君は徐に自分の句を手に取り、こちらに差し出してきた。
綺麗に折り畳まれていたそれを開くと、いつもの小さく愛らしい字があった。
【君のことがずっと前から好きでした。
ずっとずっと好きでした。
好きです。これからもずっと】
49
思わず顔を上げると、イタズラな笑顔を向ける君がいた。
やっぱり読まれていたんだ。
唖然としているところにもう一枚の句を置かれる。
そこにはこう書かれていた。
【夢見草 見上げる隣 君の席】
僕は少しその意味を考える。
「夢見草って?」
「桜のこと」
「これって、桜が咲いても———」
言う前に君は僕の言葉を遮る。
人差し指を鼻先に立て、片目を瞑り、恥ずかしさを隠すようにおどけて。
僕にはそれが、もう逃げられない魔法に思えた。
50
卒業式。
思い返せば冴えない三年間だった。
でも、中学生最後の日は清々しい気持ちで迎えることができた。
僕は友達と連れ立つ君を見つけ、目で合図を送る。
僕たちは二人にしかわからないやり取りで次第に近づいていく。
「第二ボタン、いる?」
余裕ぶってそんなことを言ってみる。
「いらない」
予想外の答えに、
「なんで?」
と訊いてしまう。
君は少し考えるそぶりで、だって、と前置きしてから、
「またすぐ会うから」
と笑うのだった。




