8、自分への誓い
服を着替え、一人で簡単な朝食を済ませたレオは、新しく自分の部屋となった王の居室から外へ出た。
朝も早いというのに、廊下でダリスが待ち構えていて、レオが部屋から出てきたのに気付くと、壁際からいそいそと近づいてくる。
「うっふっふー。どうだった? 新婚第一夜は?」
「未婚の女性が男に聞いてくるようなことじゃないだろう」
我が幼馴染はどうしてこう慎みがないのかと頭が痛くなる。
「だって、気になるじゃない。わたしが嫌だって言ったから、シーナと結婚することにしたんでしょう? 冗談とはいえけしかけちゃったし、責任というか何というか、ともかくうまくいったのかどうか気になるじゃない」
心配してくれたということか。気は進まなかったけれど、心根の優しい幼馴染の心配を解消するために、最低限のことだけ口にする。
「ああ。うまくいったよ。シーナとなら何とかやっていけそうだ」
そっけない物言いに引っかかったのか、にやにやしていたダリスの顔から笑顔が消える。
「……ねえ、多少はシーナのことが好きになったから、結婚することにしたんじゃないの?」
「……君が僕との結婚を嫌がったからだよ。そこに偶然シーナが現れた。彼女は乗っていた船が難破して身寄りを亡くした。故郷に帰るあてもない。僕と結婚することで新たな身元を得て新しい人生を歩めるのなら、一石二鳥だと思ったんだ」
「そんな理由で!?」
声を荒げたダリスに、レオは淡々と告げた。
「ダリスが言いたいことはわかっている。結婚したからには彼女を愛してしあわせにすると誓うよ」
いつまでも叶わぬ恋を追いかけていても仕方ない。
助けてくれた人魚にどことなく似ている少女──彼女ならいずれ愛せるようになると思ったのだ。
息を飲み、眉をひそめたダリスの横を、レオは通り過ぎる。
「あまり話している時間はない。王になったばかりで忙しいんだ」
遠ざかっていくレオの背に、ダリスの声だけが追いかけてきた。
「愛すると誓ったからって愛せるようになるほど、人は単純じゃないのよ?」
レオは聞こえない振りをして、階下の執務室に向かうべく階段を下りはじめた。
ダリスの言葉を今一番実感しているのはレオだ。
昨夜、夜着にガウンをまとい頬を染めるシーナを目にしても、レオの胸に湧き上がったのは愛しいと思う気持ちではなく、守ってやらねばならないという庇護欲ばかりだった。
そんな相手の初花を散らさなくてはならない背徳心に苛まれながら、これは義務だからと自分に言い聞かせ、彼女を少しずつ暴いていった。服の上からでは華奢にしか見えなかった少女だが、まだ若々しいものの大人の体つきをしていた。しかし、そのことに情欲を覚えながらも、最後まで愛しいという気持ちは生まれなかった。
似ていてもあくまで別人。そのことを思い知らされた。
痛みに苦しみながらもけなげに応えてくれた姿にさえ愛情の芽生えを感じられなかったのに、この先本当に彼女を愛せるようになるのだろうか。
だが、レオは選んでしまった。彼女と共に歩む人生を。愛せるようになるかどうかはすでに問題とするところではない。レオは、シーナを愛するようにならなければならないのだ。
王子であった時は母女王の補佐をするだけで比較的余裕のある生活を送ってこられたレオも、王になり国を治める責務を負ったとたん、時間に追い立てられるような忙しさにまともな食事の時間も取れない日が続いた。
忙殺される日々に対し、女王の位を退き王太后となったクローディアが苦言をもらす。
「内々のことだったとはいえ、あなたの妃候補として各国の王女様方をお呼びしてしまった引け目がこちらにはありますからね。そのお詫びにすべての要求を飲むわけにはいきませんが、ある程度の譲歩は必要です。何を承諾して何を拒否するか、ここが王の手腕の見せ所です。相手も全部の要求が通るとは思っていませんから、無茶やどうでもいい要求も混ぜてきます。その中から相手が本当に望んでいる要求を見抜き、わが国にも益のあるものを選び取りなさい」
相手を唸らせるような選択ができれば、レオを近隣諸国で類のない大国の王として認めさせることができる。レオが他国にも王として認められれば、ブリタリア王国に他国が付け入る隙を与えにくくすることになり、長年続いてきているブリタリア王国を中心とした平和な世の中を維持することができる。
そのため各国大使との会談や、会談の際にどのような話運びをしていくべきか王太后や重臣たちとの打ち合わせをするために、朝昼晩の食事の時間はおろか、夜眠る時間まで削られた。
レオは毎晩深夜に寝室を訪れ、レオを待っていたのか寝台の端ですっかり寝入ってしまったシーナを毛布の中に寝かせ、その横に体を滑り込ませた。朝は朝で、まだ眠っている彼女を起こさないようこっそり寝台を抜け出す。
そうして結婚式の翌日から、シーナとまともに顔を合わせないまま、二週間余りが過ぎた。