2、お見合いパーティー
満月の照らす、波の穏やかな夜の海。沖に出た大きな船の上では、華やかなパーティーが催されていた。ランプやろうそくで真昼のように照らされた船首側の大きな甲板で、着飾った人々が陽気な音楽を聞きながら、酒を飲み、料理をつまみ、話やダンスを楽しんでいる。
「お久しぶりです。レオ王子」
白い布地に金銀の装飾がほどこされた衣裳を身にまとった金髪の青年は、給仕からワインの入ったグラスを受け取りながら、背後を振り返った。
「これはリービッヒ卿。お久しぶりです、今宵はお楽しみいただけてますでしょうか?」
まだ1、2度しか会ったことのないレオに名前を覚えられていたのが嬉しかったのか、皺の多い四角顔の男性は相好を崩す。
「ええ。存分に楽しませていただいておりますよ。ブリタリア王国ご自慢のコーネル=クルプカ号は、沿岸諸国最大級──いや、沿岸諸国最大を誇るだけあって、このように穏やかな波ですとほとんど揺れませんな。おかげで快適です」
「リービッヒ卿」
歓談の最中、どこかから女性の小さな声がかかる。
「おお、そうでした」
リービッヒ卿はにこにこしながら、背後に隠れるようにして立っていた女性に、レオの視界を空け渡した。
「こちらにおられる方は、我が国の第二王女ルビア様でして……」
「……」
リービッヒ卿が続ける王女の紹介を、レオは閉口しながら聞き入っていた。
これで一体何人目になるか。
パーティーが始まってから、女性を紹介されることひっきりなしだ。
周辺諸国の親睦を深める名目で開かれたパーティーだが、本当の目的はレオの妃選びにあった。
あと一カ月で二十歳になるレオは、数年前に亡くなった王に代わって国を治めている母女王に代わって、王になることが決まっている。だがブリタリア王国では、王は結婚していなくてはならないと定められている。世継ぎの決まっている中継ぎの女王ならともかく、レオは結婚をしたことがなければ世継ぎも持たない。
即位の日が間近に迫っているのに結婚相手を決められずにいるレオのために、女王や臣下の者たちがこのパーティーを用意した。
母が女王に即位した時から、レオが二十歳になった時に王の位を譲ることが決まっていた。それなのに妃が決まらないからなどという理由で即位が延期になれば、国民は失望するだろうし対外的にも体裁が悪くなる。
このパーティーが、レオに残された最後の選択の機会だった。
だが、そう自分に言い聞かせ気持ちを奮って臨んだにもかかわらず、始まって早々、その気持ちは完全にしおれてしまっていた。
長々と続く王女自慢にしびれを切らし、次の大使が声をかけてくる。
「レオ王子、お久しぶりです」
「ゲーチェル卿、お久しぶりです。先月お会いした以来でしたか?」
これも王子の、次期国王の務め。
そう割り切って、レオはひきつりそうになる笑顔を懸命に保ちながら、令嬢たちの紹介を受け続けた。
薄暗い船尾でぐったりと手すりにもたれかかるレオに、ワインの入ったグラスを差し出す者がいた。
「お疲れですね」
「お疲れだとわかるのなら、何故途中で助けようとは思わなかった、リヒド?」
レオはふてくされながら、差し出されたグラスを受け取る。
銀ボタンと銀の房をあしらった紺色の衣裳をまとった彼は、レオの隣に立って悪びれない笑顔を向けてきた。
「一介の従者が王子のお妃選びの邪魔などしたら、女王様や重臣の方々に叱られてしまいます。それに、わたしとしても王子には早くお相手を決めていただいて、安心させていただきたいのですよ」
それを言われると言い返すことはできない。
手すりに肘を突いて海面を眺めているレオに、リヒドは言い聞かせるように言った。
「相手は自分で選びたいと言った貴方に与えられた、これが最後のチャンスですよ。それをフイにしてどうするんですか?」
乳母の息子で乳兄弟として育ったリヒドは、レオが王子だから、仕えている主だからというからだけでなく、レオ個人に対して親身になってくれる。今も心配してくれているのはわかっているのだが。
「じゃあ聞くが、おまえはあんな状態の場所に自分を置かれて、伴侶を選べるというのか?」
一通り紹介が終わったと思ったら、今度は紹介のあった女性たちに囲まれた。次々に話しかけられ一人ひとりに返事を返すのも大変だったのに、笑顔を絶やさないで互いをけん制し合う女性たちを目の当たりにして、始終背中にうすら寒いものを感じていた。なりふり構わず逃げ出さなかっただけでもほめてもらいたいものだ。
「あー……まあ、それは……」
一応の理解はあるのか、リヒドは言葉をにごす。
「結婚は、王になるための大事な責務だとわかっている。誕生日までには決断するから、もう少し待っていてくれ」
「わかりました。我が国が招いたのですから、失礼のない程度に姫君たちのお相手をしてくださいよ。……少し休憩の時間を差し上げます。その間、王子を探してパーティー会場からも抜けだしている姫君たちのことはわたしが何とかしますから」
「助かる」
リヒドは口の端をにっと上げると、板敷きの甲板をあまり音を立てないように歩いて、レオから離れていった。
再び一人になったレオは、手すりに肘を突いたまま空を見上げた。
見事な満月。
ろうそくやランプで照らさずとも、十分に明るい。
穏やかな水面が月の光にちらちらとまたたいて、満天の星空に負けないくらいに輝いていた。
高台にある城からの眺めとはまた違った、美しく荘厳な光景。
めったに見ることのできない光景を目にしながらも、レオの心は晴れなかった。
何をやってるんだ、わたしは……。
自嘲を禁じえない。
ブリタリア王国の世継ぎの王子として生まれ、王になるための十分な教育を受けながら、何不自由なく育った。父王の早すぎる逝去にもかかわらず今まで王の重圧を背負わずに済んでいたのは、母クローディアが当時まだ8歳だったレオに国を背負わせるのは忍びないと言って、中継ぎの女王になってくれたからだ。
それから12年近い月日が経つ。その間、レオは母の傍らで、王の務めの厳しさを見つめてきた。
早く母の肩の荷を降ろしてあげたい。そう思うのに、レオが結婚相手を決めることができなかったばかりに、決められた期限まで即位の日を伸ばしてしまった。
母や重臣たちに国益につながる、この国のためになる妃を選んでもらって結婚するという手もあった。だが、そうした結婚にレオは抵抗を覚え、好きな相手を選んでいいという母の言葉に甘えて、結婚相手を決めてほしいと言い出せなかった。
結果二十歳の誕生日はあと一カ月というところまで迫り、レオの選択肢を広げるために、母や臣下の者たちに骨を折らせることとなってしまった。加えて、夜にこのような大きな船を出して豪勢なパーティーを開くという苦労をかけておきながら、レオは自身の望む出会いを見つけられなかった。
誰にも話したことがなかったが、レオは運命的な出会いを信じていた。目と目が合った瞬間、この人としか考えられないというくらい激しい恋に落ちる。
そのようなものにこだわってきたから、もう後がないところまできてしまった。
今宵こそ決めよう。運命的な出会いなどという個人的な感傷を捨てて、国のためになる妃という基準で十分吟味して。
レオは、先程リヒドから受け取ったグラスに視線を落とした。
実は姫君たちから逃げたかったのは女の戦いが怖かったからだけではない。少しでも他よりリードしようとした姫君たちからワインを我先にと勧められたため、断ることにも疲れてうっかり飲み過ぎてしまったのだ。
酔い覚ましをしたかったこともあってここに隠れたが、いい加減戻らないと各国の大使たちの不興を買いかねないだろう。
それに喉も渇いてきた。
だが、会場にアルコールの入っていない飲み物があっただろうか? そして手元にはワインがある。
一口だけなら酔いが増すこともなく、喉の渇きもなだまるだろう。
体を起こしてワインに口をつけようとしたその時、ひっかけるようにして持っていたグラスが、するっと指先から離れた。
しまった……!
前屈みになって掴もうとした瞬間、頭にぐらっと強いめまいを感じる。急に頭を下げたため、酔いが急激に頭に回ったのだろう。どうやらレオ自身が思っていたより、相当酔っていたようだ。
バランスを崩したレオは手すりを乗り越えてしまい、月の光にきらきら輝く海に、まっさかさまに落ちていった。