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孤独の人魚姫  作者: K女史
14/15

14、末永く

 シーナのお腹は日に日に大きくなっていった。

 それとともにふさぎ込む気持ちが晴れていったのか、レオに再び笑顔を見せてくれるようになる。

 でも、その笑顔は作り物めいていて、瞳は焦点が合わずまるで何も見ていないかのようだった。

 以前の屈託のない笑顔が好きだったのに、もう二度と見れないかもしれない。

 シーナの笑顔を取り戻そうと、時間を見つけてはシーナのもとに顔を出し以前よりも話しかけるようにしてきた。けれど、シーナの微笑みは何もかもを拒絶しているようで、レオの言葉は彼女の心に届かない。

 今の笑顔のシーナを前にすると、レオは見えない壁をこぶしで叩いているような気分になった。


 聞こえてないのか?

 わたしの声が届いてないのか?

 お願いだ、聞いてくれ。わたしの声に応えてくれ。


 シーナが壁を作ってしまう前に、もっと彼女を愛する努力をすればよかった。浜辺に通うことをやめ、彼女が欲しがった人魚のうろこをあげ、一緒にいる時間をもっと増やせばよかった。

 言葉を惜しまずたくさん話しかければよかった。シーナはこちらからの質問にうなずいたり首を横に振ったりして答えることができる。そうやって、もっともっと意思を通わせればよかった。

 後悔しているだけでは始まらない。

 失ってしまったものを取り戻すため、毎日ひたすら話し続ける。


 そんなレオの心の中からは、すでに人魚のことは消えていた。

 求めるのはシーナただ一人。

 毎夜一緒にベッドに入り、眠る前にキスをして、吐息が重なる距離で囁く。

「愛しているよ、シーナ」

 ありったけの想いを込めて口にしても、シーナから返ってくるのはレオを見てるようで見ていない、あの作り物の笑顔だけ。


 もうどうしたらいいのかわからない。

 途方に暮れかけたそんな頃、シーナが産気づいたとの知らせを受けた。


 執務を中断し駆けつけたレオは、シーナの部屋に飛び込むなりその場にいたダリスに向かって叫ぶ。

「シーナは!?」

 ダリスは部屋の中をうろうろと歩き回っていたようだが、レオの姿を見ると途端にきびきびと近寄ってきた。

「シーナなら大丈夫よ。落ち着いてちょうだい」

 落ち着かなくてはならないのは、どうやらダリスのほうらしい。ダリスをテーブルに促し座らせると、レオは自分のための椅子を引いた。

「それで、今はどうなっている?」

「医者と産婆はとっくに来ていて、出産の準備も整っているわ。あとは産まれるのを待つだけよ」

 寝室に続く扉を見て、ダリスは緊張した面持ちで言った。


 少しして母クローディアも訪れた。しかし何かできることがあるわけでもなく、ダリスと三人、椅子に座って丸テーブルを囲み黙りこんでいるしかない。

 時折医者や産婆の緊迫した声が、寝室の厚い扉の向こうから聞こえてきた。

 シーナの叫び声こそ聞こえないが、きっと苦しんでいるだろう。

 何もしてやれないことが歯がゆい。


 夕方から始まった出産は、深夜にまで及んだ。

 クローディアやダリス、この部屋で待機している侍女たちの顔にも、疲労が見え始めている。きっとレオも似たような顔色をしているだろう。

 だがシーナは、疲れている上に苦しんでいる。次第に甲高くなっていく励ましの声が、それを教えてくれる。

「あともう少しです! 頑張ってください、シーナ様!」

 本当にあともう少しなのだろうか? どうか早く、彼女を苦しみから解放してやってくれ。

 テーブルに肘を突き組んだ手の上に額を当てて、レオはじっと祈り続ける。


 と、寝室から聞こえてくる声に変化が起こった。

 その途端、つんざくような悲鳴が上がる。


 レオははじかれたように顔を上げた。

 同様に顔を上げたクローディアとダリスと顔を見合わせる。悲鳴から不測の事態を悟り、二人は真っ青になっている。

 赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのと同時に再び悲鳴が上がり、レオは勢いよく立ちあがって寝室へと向かった。扉を乱暴に開け、中に押し入る。


 そこで、信じられない光景を目にした。


 シーナの足の間で、赤ん坊が泣き叫んでいた。

 その子には足がなく、その代りにあるのは色鮮やかなピンク色の尾ひれ。


 レオの思考は目の前の光景を受け入れられず停止した。

 出産の疲労のせいか体を起こせずにいたシーナは、寝室に入ってきたレオにすがるような目を向ける。

 シーナには赤ん坊の姿が見えていないのだろう。

 恐怖に立ちすくむ侍女や腰を抜かして床にへたり込む医者や産婆の間を抜けて、レオはシーナの視線に操られるようにベッドに近寄った。

 シーナの足元から赤ん坊を抱き上げて、彼女に見せる。


 シーナは驚きに目を見開いた。

 そして嬉しそうに顔をくしゃっと歪めると、我が子に向かって懸命に腕を伸ばそうとする。

 レオはその腕に赤ん坊を抱かせた。

 シーナは泣き叫んで尾をくねらすその子を、落とさないように気をつけながら、いとおしむように抱きしめる。


 その様子を見ているうちに、レオの思考は戻ってきた。

 上半身が人間で下半身が魚の、異形の赤ん坊。

 自分がそんな赤ん坊を産んだと知ったら、母親は普通、恐怖と混乱に陥るだろう。

 けれどシーナは、我が子の誕生を喜び異形の我が子を抱きしめた。

 つまり、我が子の姿を異形と思わなかったということだ。

 それが意味するところは──


 レオは上着のポケットをさぐり、中からあるものを取り出した。

 それは人魚のピンクのうろこ。シーナにあげようと思いながらも、きっかけが掴めず持ち歩いていたものだ。

 よく見れば、手にしているうろこと赤ん坊の尾ひれの色はとても似ている。


 気付けば、シーナが不安そうな怯えたような顔をしてレオを見上げていた。

「シーナ、もしかして君は……」

 そう言いながら、レオはうろこをシーナに差し出す。

 シーナはうろこを見て目を瞠り、それからあえぐように口を開いた。

「そ、うです。こ、のうろこは、わたし、が落とした物」

 こわばった、けれど愛らしい声がシーナの唇から零れる。

 レオも驚いたが、シーナはもっと驚いたようだった。喉に手を当て、視線を落とす。


 声が出た。一年近くもの間、何をしても出なかった声が。


 ベッドの端に腰かけ、レオは間近からシーナの顔をのぞき込んだ。

「君だったんだね。あのときの人魚は」

 シーナは喜びに涙を浮かべながら、こくこくとうなずいた。感極まって、声がまた出なくなったのだろう。


 レオもまた、遅れて感極まりつつあった。

 最初に好きになった人魚と今愛しているシーナとが、同一人物だった。

 彼女はレオを愛してくれて、レオが望んだ我が子を産んでくれた。

 先程の光景が心に浮かぶ。

 初めて大気に触れ泣き叫ぶ我が子を、いとおしそうに抱きしめるシーナ。

 しあわせいっぱいの母子の姿が、レオの心を感動で満たす。


 ベッドに横たわるシーナを赤ん坊ごとそっと抱きしめた。

「あのときは命を助けてくれてありがとう。──心から愛しているよ」

「わたしも、です。愛しています、レオ様」

 レオは驚いて体を離した。レオの唐突な動きに、シーナは戸惑いを浮かべる。

 こんな他愛のないことに驚き舞い上がる自分に笑いたいのか泣きたいのかわからなくなりながら、レオは瞳に涙をにじませ言った。

「初めて名前を呼んでくれたね」



  ──・──・──



 サーシアの兄姉たち、侍女のリリア、幼馴染のセラが魔女の家に集まっていた。

 サーシアに最大の試練がやってくると、魔女から報せを受けたからだ。

 魔女の狭いあばら家の中で、姉たちはうろうろと泳ぎ回り、兄とリリア、セラは姉たちを避けて小屋の隅っこに寄り、沈痛な面持ちをしながら落ち着か那げに腕を上げたり下げたりしていた。

 そんな彼らを、魔女は苦笑してながめまわす。

「もうちょっと落ち着いてお待ちよ」

 魔女は呼び付けておきながら、いつものように薬草を煮込んでいた。それが癇に障り、姉の一人が魔女に食ってかかる。

「あたしたちを呼びつけておきながら、あなたは何をやってるの? サーシアにやってくる最大の試練って何? いい加減に教えてくれたっていいじゃない」

「まあお待ちよ。急いたところで、いい結果を得られるってもんじゃない」

「何を待てっていうのかを聞いてるんじゃない! このババア!」

「だから落ち着けって!」

 魔女に殴りかかろうとするサーシアの姉を、兄が羽交い締めにして止める。幾度となく繰り返されたこの光景に、他の面々は深く重いため息をついた。

 魔女はサーシアの愛らしい声で「ひぇ、ひぇ、ひぇ」と笑い声を立てる。

「もうすぐ、もうすぐさ。そうら、天頂に満月がさしかかる」


 魔女の言う通り、今夜は満月だった。

 海溝にあるこの家までは届かないけれど、城からここに訪れるまでの道すがら、いつもより深いところまで月の明かりが届いているのを彼らは見ている。

 満月のこの夜に、一体どんな試練がサーシアを待ちうけているというのか。


 魔女の意味深な言葉に何人かが固唾を飲んだその時、魔女は急に変化を始めた。

 皺だらけの顔や腕の皮膚がピンと張ってみずみずしさを取り戻し、ごわごわだった髪も美しく波打つ。

 サーシアのために集まった面々は、目を瞠ることしかできなかった。

 変化に苦しみが伴うのか。魔女はしばらくの間自らの体を抱えもだえる。

 やがて落ち着きを取り戻して顔を上げたのはよぼよぼの老婆ではなく、真っ赤な唇をした美しい女だった。

「な、何が起こったの? サーシアは!?」

 気を動転させたサーシアの姉がわめき散らす。先程まで老婆だった女は、不満そうに顔をしかめた。

「やれやれ。まずあたしのことをほめたたえる礼儀ってもんがないのかね」

 声もサーシアのものではなくなっていた。張りのある艶やかな女の声だ。

「お、お美しいです……」

 セラが呆然としながらつぶやくように言うと、魔女は「ありがとさん」と答え説明を始めた。

「あの子は最大の試練に勝ちを得た。愛しい男と想いが通じ合い、完全なニンゲンになったよ。これでもう、あの子が海の泡になって消えることはない」

 嬉しい報せだけれど、なにがどうなってそういうことになったのか、誰にもさっぱりわからない。

「どうしてサーシアが完全に人間になったと……? それにおまえのその姿は?」

 困惑するサーシアの兄の質問に、魔女は満足げに微笑みながら話を始めた。

「あの子が想い人と本当に結ばれて完全なニンゲンになった時、あたしは若返るってことになってたんだ。──これはあたしの本来の姿さ。若かりし日のね。あたしゃ不死だ。不老ではないけどね。でも若さを取り戻すことはできる。その方法は、あたしの作った薬で恋人たちをしあわせにすることさ。ニンゲンになる薬もそのために作ったんだ。だが、陸の者と海の者の恋は簡単には叶わない。ニンゲンになって会いに行ったって、相手にはすでに好きな相手がいることもあるし、相手が好きになってくれたって、元人魚だったことを隠していることが引っかかって完全に心を開くことができない。だから試練を与えてやるのさ。いくつもの試練を乗り越えられれば、その分しあわせは大きくなる。──あの二人は人魚とニンゲンという種族の壁を乗り越えて、最大のしあわせを手に入れた。おかげであたしゃこうして若返ることができたのさ。これが本当のあたしへの報酬さね」

 明かされた真実に、みなぽかんとする。ついさっきも怒り狂っていたサーシアの姉も、怒りを通り越して唖然としてしまい。

 それを見て、魔女はさらに満足を深めた。

「あんたたちもいい恋をするんだよ。そしてあたしにしあわせを分けとくれ。それが今回骨折ってやったことへの報酬だよ」



   ──・──・──



 聞きたいことがたくさんある。今まで意思の疎通をまともにしてこなかったから。

 でも、今差し迫って聞きたいことがレオにはあった。

 泣き叫ぶのをやめうとうととしだした赤ん坊を受け取り、レオはシーナに尋ねる。

「君の本当の名前は?」

「サーシアです」

 愛らしい声で答えてもらい胸いっぱいになりながら、レオは困惑げな視線を我が子に落とす。

「サーシア。ところでこの子はどうやって育てればいいのかな? ──まさか水槽で?」



Fin.

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