13、最大の試練
「妊娠中は気分が不安定になることもあるって聞いたことがあるわ。だから無理して明るくふるまうことはないのよ。でもふさぎ込んでいたらお腹の子にも悪いから、気分転換になることがあるなら何でも付き合うわ。でね、もしむしゃくしゃすることがあったら、レオに当たり散らせばいいの。シーナをそういう体にしたのはレオなんだから」
ダリスの労りの言葉をそれぞれの仕事をしながら聞いていた侍女たちは、くすくす笑い出したり顔を真っ赤にしたりする。
サーシアはどう反応したらいいかわからず、テーブルの上に置かれた手をつけられずにいるお茶を見つめた。
レオは何も悪くない。むしろとてもよくしてくれている。
サーシアが妊娠しているとわかってからは、それまで以上に一緒にいる時間を増やしてくれたし、いつまでもふさぎこんでいるサーシアを気遣って、別のベッドで休もうかとまで言ってくれた。
そうまでしてくれるのにサーシアはレオに笑顔を向けられず、レオは一層心配でたまらない表情になる。
だからレオは何も悪くない。悪いのは、意思を伝える手段と交換にニンゲンになったサーシアだ。
今頃になって、それがどれだけ考え無しだったか思い知る。自分がレオの想い人だと、サーシアがあの晩レオを助けた人魚なのだと伝えられないことが、こんなにつらいことだなんて思ってもみなかった。
それだけじゃない。自分の無鉄砲な行動が姉さまたちやリリアやセラにどれだけ心配をかけてしまうか、全然わかっていなかった。サーシアだって、みんなが死ぬかもしれないと聞かされたらいてもたってもいられなかっただろう。
自分がどれほど自分のことしか考えていなかったか、サーシアは思い知らされ打ちのめされていた。サーシアがみんなに会えなくなるだけじゃない。みんながサーシアに会えなくなってしまうんだということさえ、みんなに再会して心配されるまで気付かなかった。
それに、サーシアのために魔女の所へ行こうとしたリリアを叱りつけて止めたセラと、そのセラに寄りかかったリリア。それだけで今のサーシアにはわかってしまった。二人は想い合っているのだと。
思い返してみれば、二人には前からそんな雰囲気があった。なのに気付けなかった。自分のことばっかりで。あのまま父の言う通りセラと結婚していたら二人の仲を引き裂いてしまうところだった。二人が大事なら、サーシアこそが言うべきだったのに。二人の結婚を認めてあげてと。でもサーシアはただ押しつけられた結婚を嫌がって、城を飛び出しただけだった。そこでレオと出会い恋に落ちてしまった。
今となっては、レオに恋してしまったことこそがサーシアに与えられた罰のような気がしてならない。
扉がノックされて、レオが部屋に入ってきた。
「ま。噂をすれば」
つっけんどんなダリスの態度に、レオは困ったような顔をする。
「どんな噂だい?」
「むしゃくしゃしたらレオに当たり散らせばいいって、シーナに話をしていたの。妊娠中は気分が安定しないそうだけど、そういう体にしたのはレオだからって」
レオは目元を赤くしながら、サーシアの隣の椅子に座った。
「ダリス、もうちょっと言い方を考えないか?」
「あら。どんなに言い方を変えても、事実は変わらないわ」
ダリスの言い方はレオに言わせると、たまにあけすけで慎みがないのだそうだ。どこがあけすけで慎みがないのかサーシアにはわからなかったけれど、サーシアが妊娠してふさぎ込むようになってから、ダリスがレオに冷たく当たるようになったのには気付いている。ふさぎ込むようになった理由はレオのことだけれど、レオが悪いわけじゃない。そのことをダリスに上手く伝えられないから、ダリスがレオに冷たく当たるのを止められずにいる。
レオは、最近ではダリスのあけすけな言い方をたしなめることを諦めたようで、つんとそっぽを向いたダリスを尻目にサーシアに話しかけてきた。
「シーナ。ダリスの言い方を肯定するわけではないけれど、わたしに当たり散らすことで気分が晴れるのなら、遠慮なく当たり散らしてくれていいんだよ。お腹の子のためにも、君が気分よく過ごしてくれるのが、わたしにとって嬉しいことなんだから」
その優しさが、今のサーシアにはつらい。
サーシアは涙をこらえながら、無理に笑顔を作ろうとした。
レオやダリスが言うように、あまりふさぎ込んでいてはお腹の子に悪い。サーシアは我が子のためにと思いながら、笑顔であろうと努力した。無理やりにでも笑ってしまえば、少しだけど気分は晴れる。
今ではレオにも笑いかけられるようになった。心の中で何を思っていようと。
頻繁に診察に来る白髪の医者が、今にも生まれそうなほど大きなお腹になったサーシアににこやかに言った。
「お子は順調ですね。きっと健やかな子がお生まれになりますよ」
そう言われて、サーシアはほっとする。
サーシアは自分に言い聞かせた。
産まれるまで。産まれるまでの辛抱。産まれたら子どもをレオに託して、わたしは海へ還ろう。姉さまたちがわたしのために何かを犠牲にすることはない。みんなを悲しませることになるけれど、自分の過ちは自分で決着をつけなければならないから。
レオも、自分の子が愛せないということはないだろう。我が子よ、どうかわたしの分までレオを愛して、愛されて。
ある日の午後、サーシアは急にお腹が痛くなって、周囲が慌ただしくなった。
サーシアは抱えられるように寝台に連れていかれ、医者がやってきて侍女たちが寝室にいろんなものを運び込む。
繰り返し襲う激痛。その痛みはどんどん間隔を縮めひどくなっていく。
「シーナ様、もう少しです。頑張ってください!」
朦朧とする意識の中、誰かの励ます声が聞こえる。
いきんで、という声に、サーシアは力を振り絞った。
何かが下半身から滑り落ちていく感覚。その途端、ひどい痛みから解放される。
「産まれ──え?」
「きゃああぁぁ!」
赤ん坊の泣き声がする中、上がる悲鳴。
激痛の余韻で体を起こすことのできないサーシアは、何が起こっているのか確かめられないまま、自分の足元で恐慌に陥る人々を見て恐怖した。