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SAME×BAR  作者: 芦丸瑞葉
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「凉子、きいてよ。光くん次の練習試合出るんだって」

誰かに聞かれていないのか確かめるように、周りを見た。そっと囁くように耳打ちした。

「よかったじゃん」

凉子もふっと口元も緩めた。

「ポジションはセンターからショートに変わったんだよ…知ってた?」

ルツは最新情報を凉子とその前の席の水沢に披露した。

「知らなかったけど、ルツ怖いよ」

水沢も頷いた。ルツは目を丸くして肩をすぼめた。光くんと自分を繋ぐものそんな新しい情報しかない。光くんは遠い存在である。

何だか凉子たちに軽蔑されたような気がして、ルツは目線をはずした。

水沢が凉子に何か耳打ちしていた。

凉子は美人だ。綺麗な黒髪を肩くらいに垂らしている。凉子はスポーツマンだからだ。それとは逆にあたしは美術部だし、顔は平凡。髪の毛なんか栗色でふわふわしてて三つ編みだ。髪がくるくるすぎてあまり綺麗に三つ編みできてない。

凉子が告白したら誰も断らないだろう。一度気になったので、こっそり誰が好きなのか訊いてみたことがある。凉子は誰かは教えてくれなかったけど、笑って「絶対フラれるわ」と言っていた。

「今週の土曜、この中学校であるって。凉子行く?」

「うーん。気が向いたら部活の帰りにでも行くわ」

水沢が凉子に言った。「言わなくていいのか」

「…仕方がないでしょ」

凉子はため息をつきながら、何も知らないルツを見た。



 あ、暑い。とてつもない猛暑だ。よく考えれば今は8月はじめ。暑くて当然である。

「そっか…。今8月だった」

既にルツの頭は夏バテ真っ盛りのようであった。

きょうは光くんが試合に出るらしいから午前中はその試合を見に行く予定だ。

本当は秋に出展するコンクールがあるから、こんなにのんきに光くんの試合を見に行ってる場合ではないのだ。心の中でそういう自分がいたので、ルツは画板と画用紙と絵の具セットを持っていった。画板は大きいし、重たいから持っていくかどうか迷ったが結局持っていくことにした。それに日よけの麦わら帽子。桃色のりぼんがまかれていて庭に咲いていたひまわりをりぼんがわりに止めた。麦わら帽子に三つ編みではどことなくおかしかったのでほどいた。

「なんだか…ラプンチェルみたい」ルツは、はっと目をつむった。

「きのうは光くんのこと喋りすぎちゃったかも…」


 髪の毛はラプンチェルで麦わら帽子を被っていても、制服だからしまりがない。それに半袖カッターに紺色のワンピースだから余計に暑い。赤いタイもきょうは、きゅっと結べない。結んだりしたら確実に窒息する。学校まではさほど遠くはない。二十分くらいで着く。けれど今日は別だ。一歩踏み出すとともに身体の熱が外に汗となって出ていく。この暑さに画板はやはり無理があったと痛感した。

 学校に無事着いたのだが、暑いぶんとても疲れた。それに無駄にいろいろと悩んでいたため、到着時間も大幅に遅れた。(その分暑さも増した)

練習試合とはいえ、両者の観客がいつもに増して多い。あいにくスタンドは空いていなかった。しょうがないので階段の木陰に座った。少し遠いが、ちゃんと光くんは見える。野球帽をとって汗をぬぐっているのが見えた。

 光くんとルツとを結んだ直線上に凉子がいた。何だかんだ言って試合を見ている。部活がはやく終わったのかもしれない。

 試合はもう6回をまわっていた。遅刻のせいだが、さほど支障はない。ルツは画板を取り出して光くんを描写した。光くんの動きの一秒を一枚に、描きたかった。打席、守備、グラウンドを駆け抜ける光くんのすべてをとらえる。

 太陽が真上にきたごろ、試合も終わった。今回は十枚程度描いた。遅れたわりには上出来だ。やはりモデルが良いからかな。

「あっ…光くん」

光くんがスタンドまで来ていた。ちょうどそこに人だかりができていた。ルツは重い荷物を担いで人だかりへと急いだ。光くんが近くにいる。

ルツはその場に立ちつくした。瞳がそれを映すのをこばんでいた。

「りょ、うこ…」凉子と光くんが対面していた。

みんながそれを一心に見ている。凉子の方の外野と光くんの方の外野。凉子の方にはいつもの取り巻き軍団がついている。当の凉子は下をむいてうつむいている。

取り巻きが凉子をこずく。凉子が首を振って瞬きをする。

 ルツはその出来事がレフカメラの一枚のフィルムのようにゆっくりと、ゆっくりと脳裏で現像されていくのを感じた。こんな場面、早送りしたいのに。

(やめて)

(やめてよ、凉子!)


「凉子が光のこと好きだってよ!」

取り巻きがこらえきれなくなったのか、大声で言った。その瞬間、凉子も光くんも顔を赤らめた。そして光くんは頷いた。

「…え、いいの?」

また光くんは頷いた。


 人だかりがどよめいた。雑音と化した。凉子は笑う、光くんも顔は照れているけど、きっと笑っている。

 笑っていないのはルツ…だけ?






















《凉子ト光くんハオタガイノコトガ好キデシタ》








走った。家へとルツは走った。もうルツの帰る場所はない。光くんはもう光くんではない。

全力で、髪を振り乱し、スカートをなびかせ、頬をつたう涙をこぼし、一心不乱に走った。

「絶対フラれるから」

凉子の言葉が蘇る。

足がもつれて、身体が宙に浮く。瞼が自然と閉じられ最後の涙をこぼす。そして意識が途切れる。その瞬間、世界が終わる音がした。


 

 あるところにラプンチェルがいました。柔らかく長い髪をたらしています。レンゲ草とクロバーとシロツメクサの広大な花畑にいました。ラプンチェルは高い高い木の上に住んでいました。けれど魔女のおばあさんと王子様が木の上からラプンチェルを落としました。ラプンチェルはもう木の上にあがることができません。ラプンチェルの瞳は海の淡いブルーが映っていました。

白くて透き通った手で触れたものはすべて消えていきます。

[ぽつん]

また一つ光が消えました。


「かあさん、生き返った」

目を開けると、そこには見知らぬ人影があった。目が周りになれてくるとその人影が背の高い男の子ということが分かった。

けれど、顔は周りが薄暗くてよく見えない。

 ゆっくりと身体を起こす。寝かされていたのはソファのようだ。なんとか起きあがったけど、まだめまいが少しした。

「かあさん、生き返ったよ」

男の子がさっきいった言葉を、ちょっと大きくゆっくりと言った。

あわただしく階段を下りる音がきこえた。パタパタと音をさせながら「かあさん」はやってきた。

「何が生き返ったよ。あんたがおぶってきたんでしょ」

「かあさん」は少し息を吐いた。

「大丈夫?」

綺麗な声だった。綺麗なのは声だけでなく、顔や容姿もだった。前髪は左に流してあって、

頭の高い位置で結ってある。長い黒のスカートをはき肩には大きめのグレーのケープを羽織っている。比較的クーラーがきいているので、こんな格好ができるのだろう。靴は漆黒のハイヒールだった。口には控えめな笑みが浮かんでいる。

「は、はい。大丈夫です」

笑う気分にはさらさらなれなかったが、二人が心配そうな目で見てくるので少し微笑んだ。

「あの…あたしはどうなったのでしょうか?」

「あぁ、何だかうちのバーの前に倒れていたらしいのよ。それを奏多が……息子ね、この

 子ね」「かあさん」はさっきの男の子を指さした。

「それを奏多が見つけて、あなたをここまで運んだわけ。分かったかしら?」

「はい。どうもありがとうございました」

ルツは腰を軸にぺこりと頭を下げた。その拍子に髪の毛がぼわっと待った。

 「かあさん」は、少し何か飲んでいかない?、とルツをバーのカウンターへと誘った。ルツは「かあさん」の目の前のいすに座った。奏多は2つ席をはずして座った。「かあさん」は手際よくグラスの準備をしている。

「申し遅れたけれど、私はここのバーのママの麻美。ママ、って呼んでもらってかまわな

 いわ」

そういって片目をつむった。「あなたは?」

「私は、沖本ルツです」

「ルツちゃん、可愛い名前ね」

ルツは顔を赤らめた。「それに可愛いのは名前だけじゃないしね」とママは付け加えた。

ルツは隣の隣の隣に座っている奏多をじーっと見た。見たことあるような気がするのだ。

「ちょっと、奏多。あんたも自己紹介しなさいよ」

ママはルツの視線を何か勘違いしたらしい。奏多は、目を丸くした。

「えっ、俺も?」

ママは当たり前じゃない、とばかりに横目で奏多を見る。

「俺は垣野内奏多。たぶん、沖本と同級生だと思うけど」

「えっ!同級生」

「だって学校同じだろ」

「そうだったの。知らなかった」

ルツは目をぱちくりさせながら奏多を見た。それを見たままがクスクスと笑った。

「ああ、ルツちゃんおもしろい。……これ、よかったらどうぞ」

ママはグラスをルツに差し出した。持ち手の部分の長いスラリとしたグラスだった。

グラスにはうすピンクかオレンジ色の飲み物とさくらんぼが入っていた。甘い香りがつん、と鼻を刺激した。

「梅酒よ。梅酒といってもアルコールはほとんどはいっていないわ。疲れたときのよく効

 くのよ。少し濃いめに作ったから飲みやすいと思うわ」

ありがとうございます、と言ってからルツは梅酒を口に含んだ。

のどを通って身体のすみからすみまで流れるようにしみ渡っていくのを感じた。

《凉子が光のこと好きだって》

笑ってないのはルツだけ?

涙が頬をつたった。ゆっくりとゆっくりと流れた。

「誰が…幸せ…になるの?」

ルツは途絶える嗚咽を飲み込みながら、世界にきいた。

「一人のひとを一番愛した人が幸せになるのよ」


 梅酒がなくなる頃には涙もひいた。今頃、光くんはどうしているだろうか。もしかしたら凉子と一緒にいるのでは……。何時間も何時間も考えていた。ずっとバーに座り込んで、どこか虚ろなところを見つめていた。ママは何も言わなかった。

 外はもう暗くなっていた。奏多は奥の部屋へと消えていた。ママはさっきと替わらずグラスを磨いている。ルツはむっくりと起きあがった。

「もう、帰ります」

そう言うとママは振り返って、時計を見た。「ああ、もう八時なのね…」そして外を窓越しに見た。「もう真っ暗じゃない。―――奏多。奏多。ちょっと来なさい」

「あー?」遠くの方から声がした。

「奏多に送って行かすから」

ルツは目をぱちくりした。


「ルツちゃん送ってきな」ママは言った。

「は?」

奏多は声を裏返して、ルツを見た。

「ひとりで帰ります」

ルツは急いで椅子から立ち上がって、ドアへと向かった…けど身体が思うように動かなくなってふらりと重心が揺れた。

「送って行きなさい」

倒れかけたルツを支えた奏多はしぶしぶと頷いた。


 奏多は通学用の自転車を持ってきた。奏多が乗れよ、という風にルツを見た。

「あ、あの…画板とかは…」

「アトリエに置いたまんまだ」

奏多が思い出したように言った。

「それならまた明日取りに来ればいいわ。今日はどっちにしろ持って帰れないでしょう」

確かに自転車の後部座席にルツ、前に奏多が乗るから荷物は持てない。

「それじゃ、また明日ね」

ママが手を振った。

「ありがとうございました」ルツはぺこりと頭を下げた。


 二人を乗せた自転車はぐんぐんとスピードを出して進んで行った。夏は暑いけど、夜は涼しい。風が顔をくすぐった。

「どうして泣いてたの」

奏多は自転車をこぎながら前を向いたまま訊いた。子供たちが花火をしていた。

「……」

言えない。言えるはずがない。ルツは口をつぐんだ。奏多は質問を変えた。

「学校行ってたんだろ?夏休みなのに何しに行ったんだ?」

どうしてこんなに訊いてくるんだろう。今日の日のことなんて一刻も早く忘れたいのに。

「野球を見に行ってたの」

「光を見に?」

「え…どうして……」

「見たんだろう。別に見るつもりはなかったんだ。けど…倒れたときに、その拍子に沖本のスケッチブックが開いてあってさ」奏多はスケッチブックを取り出した。ルツはそれを掴んだ。

「だから何よ…」

子供たちの花火はいつのまにか消えていた。バケツの水だけがその場に残されている。

「俺も見たよ。光に―――岩崎が告白してるの」

心臓の鼓動がはやくなる。苦しい。

「あなたに何が分かるのよ……」

唇を強く噛む。目からは涙が流れる。止まらない。

「あたしが一番好きだったの…、あたしが……」


 奏多がティッシュを渡してくれた。目をごしごし拭いて、鼻をかんだ。もう家は近い。けれどここからは坂が続く。ルツは座席を降りた。

「分かるよ」

奏多がぽつん、と言った。ルツは何のことか分からず、奏多を見た。

「俺は分かるよ。お前の気持ち」

「今…何て」

空は星でいっぱいだった。真っ暗な空と地球を照らすのは、この星たちと欠けた月。

「俺は、岩崎が好きだった。別に岩崎を見に学校に行ったわけじゃないぜ」

自分を否定するように顔を赤らめた。

「ごめん」ルツは申し訳ない気持ちになった。まあ、自分も悲しいわけだけど奏多も十分同じ悲しみを持っているのに。

「別に謝ることじゃない」

奏多は自転車を押し、その隣をルツが歩いている。

「でも、俺は何も後悔してない。たとえ俺が岩崎に告白していたとしても上手くいくとは思えないしさ。それに光には勝てない」

少し笑って、ルツを見た。

光くんはかっこいい。もうありえないくらいかっこいい。野球をしているときはすべての殻がはがれたみたいに、ふっきれる。光くんに勝てる男子などもうこの世にはいない気がした。

「沖本は未練大アリって感じだけどな」

はは、と奏多は言いながら笑った。「未練」か。あたしはどうなんだろう。まだ光くんのこと好きなんだろうか。もう諦めたって言い切れる?

「あたしだって……。凉子とは比べ物にならないよ。頭悪いし、凉子は可愛いし。あたし…凉子に勝てるもの何てない」

口に出して言うと、それが本当になる感じがして傷ついた。

「そんなに悲観することないだろ」

「凉子のこと好きなくせに」

「うるさい」

初めて出会った二人なのに、何でこんなにも心うち解け合っているのだろう。似ているのか。自分たち二人の境遇が。

「あっ!流れ星」

奏多が虚空を指さして言った。ルツはつられて夜空を見上げた。満天の夜空に流れるのは小さくて儚い流れ星。どこから突然現れて下へ下へ……。そして消える。

「消えちゃったな」

「うん」

ルツは何だか流れ星が自分のように思えた。自分の光くんへの思いが今消えたように思えた。

いつのまにか二人はルツの家の前にいた。坂は既にほとんど登りきっている。ルツは奏多にお礼を言って玄関へと走った。もう身体のだるさはない。

「沖本にもいいとこあると思う」

背後で奏多が小さい声で言った。

ルツはドアを勢いよくあけ、鍵も閉めずそのまま二階へとのぼった。そして二階の出窓をぱっと開けた。まだ奏多はいる。

「今日はありがとう。ケンタくん」

奏多がこっちを振り向いた。

「カナタだよ」

奏多が見えなくなるまで、ずっと出窓に座り込んでいた。そしてスケッチブックに目をやった。光くんの絵しか描かれていない。フォーム、しぐさ、癖…。どれをとってもこれは光くんそのものだった。

ルツはそれを一枚一枚破り捨てた。



 目が覚めると、ルツは自分がどこにいるか分からなかった。出窓から涼しい風と朝日が差し込んでいた。その光を目にして自分がきのうそのまま、その場で寝てしまったことを思い出した。床で寝ていたようだ。目は真っ赤に腫れて、背中の節々が痛い。

 真っ赤にはれた目をみてまた光くんのことを思い出した。今が夏休みであることが唯一の救いだった。まだ新学期が始まるまで半月以上ある。今は誰にも会いたくない気分だ。

凉子にも光くんにも。

 ルツはとりあえず奏多の家に行って、昨日の荷物を取りに行くことにした。

「髪の毛…切ろうかな」

ルツは自分の長くてくるくるとした髪の毛を、指に巻き付けた。心も体も軽くしたかったのかもしれない。急いで支度を整えた。からくさの模様の入ったTシャツに真っ白なワンピースを着た。背中がすっぽりと隠れるくらいの髪の毛とも、もうおさらば。

美容院へ走った。あの時のように。一つの大きな悲しみから逃げるようなあの時から。

「いいんですか?本当に」

美容師さんに問われる。髪の毛は既に適度に濡らされていて、片手にはコーム片手にはシサーズ。

「いいんです。はやくお願いします」

目をぎゅっとつぶる。

「じゃあ、切りますよ」


 ジャキっ


栗色の髪の毛が床にどんどんたまっていくのをルツはずっと見ていた。

何度か、若い美容師さんがちりとりと箒を持ってルツの髪の毛をはきにきた。

怖くて大きな鏡に映る自分を見ることができなかった。



 「ありがとうございました。よくお似合いですよ」

美容師さんはそう言って、とびきりの笑顔をくれた。ルツは頭を下げてお礼を言った。

髪の毛は思ったより、変ではなかった。

ショートカットにするつもりだったのだか美容師さんに止められて、肩にかかる程度にした。くるくるだった髪はかるくのばしてゆるいウェーブがかかっているうになった。

量もすいた。

そのあと、美容師さんが髪の毛をおだんごに結ってくれた。頭のてっぺんにまあるいかわいらしいおだんごだ。

今の髪型の方が、自分には似合うと思った。


 まだお昼を回っていないのに、かなり暑くなってきた。ルツはできるだけ日陰を見つけて奏多の家へと急いだ。

 きのうはいきなり奏多の家の前で倒れたから、何も見ていなかったけれど、奏多の家は表にママのバー。裏に2階建ての自宅があるようだ。裏からも入れるはずだが、入り方が分からないので表のバーから入ることにした。

 バーはカントリー風の建物で、壁はクリーム色、ドアは中が半分くらい見える窓がとりつけてある。ドアマットにはwelcomeと描いてある。そして、ドアの横に看板が立ててあった。


SAME×BER


「セイム×バー」同じ人のためのバー。

ママはあたしと同じなのだろうか。ママも遠い昔に、誰か大切な人を失ったのだろうか。

ルツと同じように。ルツが光くんを愛したように、ママも誰かを深く愛したのだろうか。

 そんなことを考えてたら、また光くんのことを思い出した。ちくりと胸が痛んだ。あたしの光くんへの気持ちは古傷みたいに一生、ずきずき痛むのだろうか。

鼻があつくなるのを感じた。目がうるむ。あわてて目をこする。今泣いたら、またきのうみたいにずるずると泣いてしまう。

「あー、やばい」

目頭に手をあてて、ほっと深呼吸。少しして涙も落ち着いてきて、バーに入る。

カランコロロン

ドアにかけてあるベルが鳴る。バーのなかは外と違ってひんやりといていた。

「ちょっと」

外から声がした。反射的にふりむく。

「荷物、こっちにあるから」奏多が手招きをした。

ルツは店の路地裏を通って奏多の後ろをついていった。バーの真反対に小さなドアがある。

ドアをいっても金属の引き戸で、真っ赤なドアの下に「KANATA」と書いてある。

「ここから入って」

「あ、うん」

奏多が引き戸を思いっきり引いて、ルツを入れた。そこにはいくつものキャンバスが立てかけてあって、画材道具がたくさんあった。

後ろで奏多が引き戸を閉める音がした。「奏多くん。ここって……」

ルツは大量のキャンバスを見て訊いた。

「ここはおれの親父のアトリエなんだ。今は使ってないけど」

そう言って奏多はルツの隣にきた。

「あれ、かみ切った?」

「ええ」

奏多はじっとルツを見た。「変…かな」

「い、いや。あの…その、……よく似合っているよ」

奏多はそう言うと、そっぽを向いた。

「ありがとう」

ルツは、辺りを見回した。そこは本当にアトリエそのものでキャンバスが部屋の大半をおおっていた。床には絵の具のチューブが散々している。

「奏多くん」

「何」ルツは一回り大きなキャンバスを指さした。

「これ、誰がかいたの?」


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