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どちらの響でも、俺は君を好きでいる



 乙女達の花園の一画、来客者駐車場。

 恭しくドアを開ける昌義に頷き、響と千鶴は姫之條女学園の地に降り立った。

 天敵の巣窟に眉間の皺がなかなか取れない。


「着いたねー、いいお天気」


 一方千鶴は緩く息を吐いている。

 艶やかな黒髪の尻尾が少し崩れてしまっている彼女は空気に敏感で、向かい合いながらも父子二人して黙り込んでいる白嶺家の二人に微笑んだ。


「小父さん、響くんは筆無精ですけど五日に一回くらいは連絡入れさせます。わたしも写真とか送ります。これでお別れじゃありません」

「そうだよ父さん……お父様。死にに行くのではないのですから」

「そうだな……。響、必ず帰ってくるんだよ」


 千鶴に背中を押されて背が高いのに小さくなってしまった昌義に抱きしめられた。

 これが娘なら感動の別れになるのかもしれないが、響は父の心境を思うと『親父も老けたな』になってしまう。


「お父様。安心なさってください。私は必ず千鶴とともに卒業いたします」

「ああ……苦労かけてばかりですまないな」

「いいえ、私こそ、ご心労をおかけしています」


 謝られ続けるのは厄介なものだと、強めに背中を叩いた。

 息子からして、白嶺昌義は不運の連続に見舞われた可哀想な人だ。

 一般家庭に生まれた青年は運命の悪戯によって琳条家の一人娘に見初められ、つきまとわれ半ば脅され、美世子との結婚から逃れられずにまだ囚われている。

 離婚をしても琳城家の抑圧や介入に逆らえず、息子もまともに助けられない情けない男──というのが父の自認だろう。

 千鶴の言葉を借りるなら昌義も被害者だ。

 琳城美世子の“愛”には悪気がなかったことを家族だった二人は理解している。言葉が通じるのに心が通わない化け物のような人だった。だけども愛していた。けっして忘れられない。


「千鶴ちゃん。娘を頼みます」

「お任せください!」

「それではお父様、私達はここで」


 深々とお辞儀をする父は、端から見れば一介の使用人に見えることだろう。

 ハイヤーが去っていくのを、響は無言で見届ける。

 無事三年間琳城響として過ごして卒業し、父にも救われてほしかった。


「知ってる、千鶴ちゃん? ハイヤーって普通の免許じゃ運転できないんだよ」

「そうなの?」

「俺と千鶴ちゃんを送り届けたいからってこのためにわざわざ免許取っちゃってさ。……あの人、バカだよね」

「親子で似てるなーって思う。響くんもたいがい不器用だし」

「そう? ま、かもね、親子だし」


 幼少期の記憶の中で父は悪者だった。陰でばかりこそこそと響に『男の子でいいんだよ』と混乱させる敵だった。

 普通の感性をしているただの人が魔物に食われて、必死に子どもを守ろうとしていたと思えば同情をする。

 父とはそんな距離感で、一応うまくやってきていた。

 父子二人暮らしが始まってからは、つかず離れず、昌義が忙しすぎて滅多に会わなかったが仲はよかった。

 この世に白嶺響が男であることを望んでいる人が二人はいる。

 心強くて、最初からずっと味方である女の子が一層眩しく尊く感じる。


「行くわよ、千鶴」

「はーい! って、響ちゃん、こっち。案内板見てこう」


 目の前に堂々とそびえる校舎に乗り込もうとしたが、くいっと千鶴に手を引かれて反対方向。格好がつかないし、広大な敷地面積を誇る姫之條女学院の現在地マークにうへっとなってしまう。


「観光地かよ……。俺達、何寮だっけ?」

「月桂樹。ここだね」

「うぇー? 校舎から一番遠いじゃん、しかもさらに登んの?」

「荷物なくってよかったね~」


 先に衣類や生活用品などは発送していたので二人は手ぶらだ。

 だからと言ってワンピースでハイキングは想定していない。


「がんばろう、響くん」

「がんばりたくねぇ……」


 響の物臭には慣れっこである千鶴は、うんざりをあからさまにしている響の手を引く。

 こうしていれば千鶴との接触を続けられると踏んでいる響の下心に彼女は気づいているのかいないのか、面倒見のいい幼馴染みはこういう甘っちょろいところもかわいいのだった。


 駐車場はコンクリートで固められていたが、案内図を写真に撮りいざ月桂樹寮へ向かうと、そこは石畳の緩やかな坂で、奥には石段が待ち構えている。

 千鶴が困った顔をしてローファーを見た。昨夜にでも雨が降ったのだろう、濡れているからよく滑りそうだ。


「千鶴、選手交代。私が手を引くわ」

「響ちゃんの靴のほうが危ないよ?」

「あなた、こういう場所は苦手でしょう。無理をさせてしまうから──御手を、お姫様」

「んもぅ……はーい」


 離した手をもう一度握り直しにいった響にはにかむ千鶴は、中学のバレーボール部では副キャプテンも務めていた女子にモテモテ女子だ。選手としてはそこまで高身長ではないものの、女子の平均を遥かに上回る一七〇センチ超。

 やはり七センチヒール装着は正しかった。女装中だからこそ完璧にエスコートできるよう努力した成果を見せられて響は嬉しくなる。


「響くんさぁ……、なにを参考にしたの? まえそんなんじゃなかったよ」

「お嬢様学校もののアニメとかだけど、一番は女性歌劇かな。女の人が憧れる男の姿ってのは一番わかりやすかった」


 見た目は男女だが中身は女性同士のゆめゆめしいやり取りを参考に、男の響ならできなくても女の響ならやってやるの精神で貪欲に吸収して誕生したのが、容姿だけ姫の王子響。

 無様は千鶴にも悪影響を及ぼすと考えたら、上品で楚々とした女子の基礎課程を修了したあとは励みに励んで“琳城響様”を成形していった。

 男の格好だと羞恥や照れが先行することも、お嬢様コスプレをするとキャラになりきってできる摩訶不思議。


「あんまり、わたしのこと特別扱いしないで」

「無理よ。千鶴だけが私の特別だもの」

「響く……ちゃん、目立ちそうだからなぁ~。わたし、平穏に過ごしたいよ?」

「そんなこと言ってあなた、私から離れないでしょう。傍にいなさい」

「──ダメ、笑っちゃう」


 決め顔で告げても中身がぐうたらな響だと知る女の子は、恥じらいを眦に忍ばせて唇を嬉しそうにつぐんだ。

 風が吹けば千鶴の髪が靡いて、石段を削る靴音とは相容れない。


「姫之條女学院、調べたけど写真とか動画とかぜんぜん出てこなかったんだ。てっきり、ミッション系の女子校風だと思ってたけど、和風だね」

「あの人の──生家に雰囲気が似てる。すごかったよあの人の家。中一のとき校外学習で鎌倉行ったじゃん。紫陽花が綺麗な寺、ガチであんな感じ」

「着物着て暮らしてたって言ってたもんね」

「そ。この制服は西洋趣味のあの人のためにリニューアルしたんだって。だから俺に似合う」


 光沢のある黒をベースに、襟や袖には白いフリルがあしらわれ、とても実用的ではない見栄え重視のAラインワンピース。

 腰で一度くびれる膝下丈の裾を捌きながら、昔あの人も通学路にここを使ったのかと木々に囲まれた静謐な階段を先に上がった。


「ゆっくりでいいわ。もっと強く掴まっても平気よ」

「……苦手意識って、なかなか取れないね」

「そのおかげであなたの杖になれるのだから遠い寮もさまさまかしら」

「世界で一番美人な杖だ」

「日本で一〇番目くらいにしておいて」


 千鶴のトラウマは実母のせいで刻まれたものだと知っているから、茶化すのは本当は悪いことだと思っている。しかしいつまでもペコペコしていると千鶴は気にしてしまう。

 難しい問題だ、この環境に千鶴を置くことも登下校にこの道を使わせるのも阻止したいが、諦めずに果敢に立ち向かう姿を美しく気高く、泥臭くて格好いいと思い勇気を貰う。

 腕を組まれても美少女の面を被ってニヤけないようにしていた。斜め上からやっと見つめられる幼馴染みは感無量だ。

 なのに階段を上りきったら離れようとしたから即座に腰を抱く。


「ちょっと響くんっ!」

「寮が見えてきたわね、このまま行きましょう」

「悪目立ちするから、……離して」

「寮では、あなたに誰も近づいてほしくないの──真相が発覚する可能性を抑えるには、私とあなただけの世界をつくっていたほうが安全でしょう?」

「そんな簡単なことじゃないと思うけどなぁ」


 ぼやく千鶴に、響は寮の窓からこちらの様子を窺う視線を感じてスカートの裾を翻して千鶴を抱きしめた。

 ついでに顎を持ち上げさせると、大きな目が落ちんばかりに見開かれる。


「なにしてっ……!」

「千鶴を独り占めしたい気持ちは、間違ってるかしら」

「響く──ちゃん、いい加減にして! もう……!」

「赤くなってるわ」

「なるでしょそりゃ……」


 すげぇな女装、というのが響の率直な感想だった。

 女のふりをしていると、男の響では一切できない行為が自然と取れてしまう。

 白嶺響は面がいいだけの男子であり、躊躇いや罪悪感でムッツリを長期熟成してしまっている。その点琳城響は数割演技であるぶん即物的だった。


「自分のこと忘れないでよ──」

「なにを?」

「響ちゃんが、わたしと違うってこと……わたし達の性別、頭に入れといて」

「……千鶴ちゃん、それかなり大変だよ」

「なにが……?」

「私は三年間、気を引き締めなければならないということ」


 自分からかけ離れた人格を作っているのには当然理由がある。

 響は見た目がどうあれ正真正銘男で、千鶴は女の子で、これから三年間寮の同室で寝食をともにしていく。

 女になりたくない響だが、女として振る舞う切実な理由は、千鶴を異性として意識しすぎないことだった。

 惚れている、うっかり唇に注視したり露わになっている首筋を見ないようにしている思春期魂は『私のほうが美少女よね』という滑稽な封で縛り上げなければ立ち行かない。

 いっそ清々しいほどにべた惚れで完全に恋の降伏宣言をしているのに、そんな子のあんな姿やこんな姿まで見えてしまう二人きり生活。

 うっかりが発生しないように、響は鉄の掟を打ち立てている。


 最初から目立っていた響達が寮の扉を開けると、興奮と感激で上気せた女子生徒が鈴なりだった。


「ごきげんよう響様!!」

「ごっ、ごきげんよう──ほら、響ちゃんも!」

「寮母さんはいらっしゃる?」

「呼んできますね!」

「そこをどいてちょうだい。私達はあそこのソファに座わるから、近づかないで」

「はい、響様!」


 お前ら全員最悪の無礼者、というのが真剣な評価だった。

 響が密着している千鶴が視界に入らないわけがないのに、琳城響がこの世で最も愛おしむ女の子をスルーされたのは心底気に食わないし、なにより感情を逆撫でしているのが入口からすぐに目に入る少女の肖像画。

 琳城美世子の存在が多感な時期の少女に女神の如く刷り込まれていくのがよくわかる、厳かな雰囲気を漂わせた一枚の絵。

 響は迫り上がる吐き気を唾を呑んでやり過ごし、人払いをした空間へ進む。


「あれ、響くんのお母さんだよね……」

「こんな形で会うとは思わなかったな」


 高級ホテルを思わせるカウンターの先には、シャンデリアが吊された社交のスペース。ダークブラウンのソファーの群れ。

 ここは明治時代の華族の館かと溜息をつきそうで、二人がけの座面でまたもや至近距離で耳元でささやく。

 危ういことをしているが、男の響は初手のカウンターに参り気味なのだ。


「千鶴ちゃん、やってけそう?」

「正直ちょっと難しいかなぁ……。ごきげんようってなに?」

「俺もキッツイ……。あなただけが癒やしよ千鶴」


 視線に敵意は千鶴への嫉妬を多分に含む。

 あの人の影響力を強く感じる『響様』という恍惚の声と、千鶴に向けられる一瞥の刺々しさは寒気がするほど対照的だ。

 千鶴過激派としては『千鶴ちゃんだってかわいいだろバカじゃねーの』と異議を申し立てたいが、どちらがお姫様らしいかと言えば、琳城美世子の豊かな黒髪がミルクティー色になっただけの響が該当してしまうし、所謂“女子校のお姉様”になるポテンシャルも高い。

 千鶴の内面の素晴らしさを知らない節穴どもに無知は憐れだと鼻を鳴らして、そっと彼女にもたれる。悲鳴が上がり、マジかよ……、と疲労感が強くなったが、千鶴が頭を撫でてくれたので気分がよくなる。

 恋する男は単純だ。


 土足の二人の元に、スリッパを履きエプロンを纏った中年女性が近づいてくる。

 大らかな笑みを浮かべているこの人が寮母なのだろう。


「琳城さん、亜咲さん、お待たせしました。お部屋に案内するからついてきて」


 差別されたら食ってかかろうとした響だが、目尻に年齢が出ている佐倶江(さくえ)と名乗った寮母はひとまず警戒しなくてもよさそうだった。

 エレベーターに乗ると佐倶江がエプロンのポケットから封筒を出し、それぞれ一枚ずつ響と千鶴に差し出される。


「ここに、このカードをかざすと、三階から上の寮生達の居住階に行けるわ。再発行には時間がかかるから失くさないようにね」

「すご、ほんとにホテルみたいだ。ボタンを押せる二階にはなにがあるんですか?」

「大浴場や食堂といった、みんなで使う部屋ね。図書室なんかもあるからあとで案内しましょう」

「結構です。……やはり、私達だけが最上階なのですね」


 パネルに現れた数字に気道が狭まる感覚に蝕まれながら尋ねる。

 佐倶江は困った様子で気遣わしげに上昇する機体の前面を見た。


「お母様から、お話を聞いているの?」

泉舘(いずみだて)理事からも」

「そう……」

「なんか、わけありな感じ?」

「行けばわかるわ」


 響の気負いよりもずっと軽やかにポーンと到着音が鳴り、絢爛な紅い絨毯の上を歩く。

 屋外よりも踵を取られそうになりながら左手に進み、突き当たり。

 右手側正面に現れたのは玄関扉よりも派手でけばけばしい重厚なドアだった。


「ここが、お二人の部屋よ」

「えっ……このフロア、わたし達だけですか?」

「寮母室のと併せて鍵が三本しかないから、紛失には気をつけてね」

「佐倶江さん……すみません、母との思い出が蘇って辛いんです……。千鶴と二人きりにしてもらえませんか?」

「あぁ、そうね、長距離の移動で疲れたでしょう。部屋に内線があるから困ったことがあったらすぐに呼んで。食事も食堂が難しいようだったら部屋で取れるから」

「ありがとうございます」


 しなを作って見送り、戸惑いがちな千鶴に微かに笑いかけて部屋へと入る。

 母の幼馴染みが得意げになっていただけはある、外の世界から隔てる扉とは不釣り合いの、どこにでもありそうな寮の部屋。


「外と中が別モンだよね」

「広いけど、普通だ。もっと、スイートルーム的なのかと」

「あの人の希望どおりに造られた場所なんだよ」


 千鶴に説明する気力もなくて自棄っぱちに靴を脱ぎ捨て左側のベッドに雪崩れ込む。

 制服が乱れても構わない。

 騒がしい男の純情は丸めて潰して、取り繕えない表情を隠して喚く。

 ひとしきり煩悩を追いやってから大の字に仰向けになった。一年半丹念に伸ばした髪が体の下でうねっているが知ったことではない。


「疲れたー!」

「響くん……。外歩いて来たんだからそのまま寝るのやめようよ」

「千鶴ちゃんも疲れてるっしょ? 休憩しよ、休憩。あー、疲れた~」

「スリッパ置いとくよ、響くん」


 陰になる千鶴の笑顔にギョッとしたが、千鶴はさっそくと言わんばかりに部屋の奥へと進んでいく。

 レースのカーテンが夕暮れを透かす窓辺には、響の小ぶりのスーツケースとボストンバッグが一つずつ。千鶴の荷物は倍以上あって段ボールも積まれている。

 左右対称に、クローゼット、机と椅子、ベッドが二つ置かれているシンプルな室内で、彼女には聞こえない心臓の音が打ち鳴らされていることなど知りもしないで、なぜか響の鞄から開けられようとしている女の子。


「なにやってんの千鶴ちゃん!!」

「座っちゃうとあとで動けなくなりそうだから、先に荷解きする。響くんのもしておくね」

「待って待って、しなくていいから!」

「休んでていいよ。適当にしまうだけだから」


 大慌てで千鶴の元に駆け寄った響は、無神経にも男の荷物を整理しようとする幼馴染みに怒鳴ってしまう。


「やめろよ! 千鶴ちゃんストップ!!」

「そんな、大声で怒らなくたって……」

「いい? 千鶴ちゃん。俺、男」

「知ってるよ」

「迂闊なことしないで頼むから。なんで当たり前みたいに俺の荷物漁ろうとしてんの!?」

「わたしが管理したほうが部屋が整うでしょ?」

「そうだけど──っ、ルール決めよう! ルール!」


 千鶴には弟がいるし近所に従兄も住んでいるから『あとで』と言ってやらない男の生態にも造詣が深い。綺麗好きな子だしお節介なとこもあるから、快適な生活空間にするには自分の管理下に置くのも利に適っている。

 しかし問題なのは響は赤の他人で、千鶴に惚れていて、好きな女の子に下着なんかを触られるのはドキドキするし困ってしまうという点が、彼女からすっかり抜けてしまっているところだ。

 告白していないから響の想いが通じていないのは仕方ないにしても、同級生の荷解きを請け負うのはやりすぎだと思ってしまう。

 幼馴染みと言えども小学校から中学まで同じ学校に通った同じ立場の男女は相当数いる。より適切に表現するなら“仲のいい異性同士の同級生”でしかない響と千鶴。

 開始早々意見がすれ違って響はなんだか泣きたくなった。

 千鶴は最初からずっと男扱いしてくれているが、彼女にとっての異性にしてもらえていない。


「ちゃんと片づけとかはするからさ、俺の荷物触ったりとか、そういう……、千鶴ちゃんはできるだけ俺のいろんなことに干渉しないで」


 無茶を言っている自覚くらい響にだってある。

 ここに引きずり込んだのは響で、千鶴はお片づけが得意ではない男の子の面倒を買って出てくれただけだ。

 彼女は優しい。誰にだって優しい。

 その気遣いや明るさに虚しくもなり、響はツインルームのような部屋に前髪をくしゃりと崩した。


「さっきさ、俺のベッドに近づいたでしょ。ああいうことも、二度としてほしくない」


 真ん中に目隠しがないのが痛恨の極みだ。

 響は三年間到底隠し通せないと、不満げな女の子に宣言した。

 九年間たった一人だけを想い続けている男の心情を聞かせてしまう。


「約束してるんだ君のご両親と。安全に、ひとっつも危険な目に遭わせないで、三年間守り抜くって。……誰からかわかる?」

「あっ──わたし……、響くんを、信じてる」

「信じられても困るんだって。千鶴ちゃんが最も警戒しないといけないの俺でしょ? 俺は男で、君は女の子だよ。同じ部屋で暮らすのさあ、だいぶおかしい。意識しないようにするけど、無理だ」

「自分でなに言ってるか、わかってる?」

「わかってる。けど、こんなナリじゃ言えない」


 好きな子より美人に仕上がっている女装中の男が、カツラではない自前でロングウェーブヘアの美少女が、遣る瀬ない気持ちになりながら立ち上がる千鶴から離れていく。

 密室という空間は、偽造人格琳城響を被らせてくれなかった。

 千鶴の初めて見せる花のようなかんばせから目を背けたのに、安全ではない男へと彼女は平気で詰め寄る。危機感のなさはなはだしく腕に囲われたがっている。

 抱きしめられたら楽だった。


「これまで一回だって、響くんを女の子だと思ったことない」

「千鶴ちゃん、離れて」

「響くん、言ってることとやってることがめちゃくちゃ」

「俺は男だって言ってる……」

「わたしは響くんが男の子なことよーく知ってるし、二人きりになってもいいって思ったから来てるんだよ」


 スリッパと素足では身長はそこまで変わらない。

 潤んだ瞳が近くにあって、まばたきの音まで聞こえてきそうだった。


「響くんがわたしをどう思ってるか、気づかないほど鈍くないつもり」

「知っててなんでついて来たの」

「独りぼっちで苦しませたくなかった。響くんがわたしのこと大好きでいてくれてるの、うちの家族みんな知ってる。一生懸命で優しい男の子だって認めて、来させてくれた。響くんを信用してなかったらとっくに引き離されてるよ」


“娘”である響が“男の子”として女の子を好きになってしまったことを、あの人は到底受け入れらなかった。

 あの人にとって千鶴は娘を奪う悪者で、騙して誘拐して人気のない山奥に置き去りにしたことも正当な行為だと主張した。

 響は単に臆病だから告白ができないのではない。

 自分の狂っている親が好きな女の子を害した事実に懺悔の気持ちを抱き続けているから『許して(好き)』と言えないのだ。


「うちのお父さん達、相手が響くんだから男の子と同棲してもいいって許してくれたんだ」


 フラワーショップあざきは地域に根付いた花屋で白嶺美世子は常連だった。

 事件発覚後に琳城家が大金を握らせて黙らせたにせよ、どうして今でも白嶺家が近隣に住み続けることを許可しているのかは謎だった。昌義は『亜咲さんには感謝しないとな』とよく口にして胸に誓いを立てていたが、響を許すどころか大切なお嬢さんを差し出そうとすることがにわかに信じがたい。

 一心に見つめてくる千鶴に、響は答えを求めた。


「同棲じゃないよ……。千鶴ちゃん──」

「わたしもおんなじ気持ちだって、その可能性には思い至らなかったんだ?」

「うん……待ってね、俺そんなバレバレだった?」

「わたしもバレバレだったよ」

「俺だけが知らなかったのか」

「そういうこと」

「なんで言うの今……!!」


 嬉しさあまって天国と地獄。

 男の響は好きな子の抱きしめ方すら辿々しくて、項垂れながら首筋に顔を埋めてしまう。


「待って。俺三年間耐えるんだよ!?」

「べつに耐えなくてもいいんじゃない?」

「バカ言うなよ! 俺ヤだからね、千鶴ちゃんが……キス、とか、それ以上とか思い出すとき、俺が女なのは絶対に嫌だ」

「そう言うと思ってた。だから、三年間はハグまでね」


 期待している眼差しが心臓をこしょこしょとくすぐっている。

 千鶴は一年の後半から不登校になった響とは違い保健体育の授業は受けているし、彼女は女友達が非常に多いのだ、そういった内容に触れたこともあるだろう。

 困る。困らないのに困るのは、響の姿が今まったく男ではないことが原因だ。


「千鶴ちゃん……こっち」

「響くん? ──響ちゃん?」

「私はね、今あなたに想いを告げることができなくてもどかしいけれど、注意を促すことならできるの」


 部屋の中央に連れてきて、彼女の後ろにベッドが見える。

 男白嶺響は華麗なる猫を被り、一か八かの賭けをしてそのじんわりと桃色を帯びる頬にくちづけた。


「境界線からこちらに入ってきたらダメよ。食べちゃいたくなるから」

「響くんっ!」

「よかった、やっぱり抵抗があるのねあなた。響くんは男の子だものね。覚えていて、私は男よ」

「自分よりすっごくかわいい女の子に言われるの、複雑すぎる……」

「見た目だけよ。私は誰よりもあなたがかわいいと思っているわ」

「知ってるよ……っ! 響くん、女の子って呼ぶの、わたしだけだし……」

「そういやそうだね」


 するりと両手を睦み合わせていた響は我に返り、真っ赤になってぷるぷると震えている幼馴染みの女の子に愕然とした。

 女の響は手が早すぎる。


「ごめん……」

「いいけど……わたし達こんなんで三年間大丈夫なの?」

「普通に無理だと思う、けど、本気でヤバいと思ったら『響ちゃん』って呼んで。俺は男として君が──……女の自分にも千鶴ちゃんを渡したくねーの」

「うん──。響ちゃん」

「なに……?」

「これから周りに女子ばっかりだけど、不安にさせないでね。わたしにだけ夢中でいて」


 わざと唇を尖らせる憎らしい千鶴に、響はしゃがみ込んで呻いてしまった。

 好きな女の子絶対守る響VS好きな女の子に触りたい響の永遠に終わらない戦いの火蓋まで切って落とされている。


「俺絶対無理だ……」

「無理──して。信じてるよ響くん」

「どっちを?」

「どっちだろ……わたしも決めきれないな」


 不安にさせるな白嶺響。琳城響の煩悩に打ち勝て、というには、男の自分こそ持っているもので千鶴を不安にもさせてしまうから度しがたい。

 友達以上恋人未満の幼馴染みの距離感を盛大に飛び越えて、響は爪先をちょっとだけ左の領域に入れてしまっている千鶴に悶えた。


「頭冷やしてきたいって言ったら怒る?」

「怒る。やだ。ここにいて」

「あ〰〰、無理…………。千鶴ちゃん、俺、がんばるね──」


 男の正気は保ちたい、だが、イチャつきたくはある。

 響は千鶴から髪ゴムを一本借りて高い位置で結わえると「おそろいよ千鶴」と女同士のように和気藹々と荷物の整理をした。

 女物の下着を見られて泣きたくなったが、細部までのこだわりを褒めてくれた千鶴は本当に響には勿体ないほどよくできたお嬢さんだ。

 けれど、男心にはうといのか、見た目で安心してしまうのか、それとも翻弄したがっているのか、着替えを手にシャワーを浴びにいった将来恋人確定の千鶴から投げられたのは「覗かないでね」の一言。

 これが三年間続くのかと、顔を覆ってもんどりを打つ他ない。

 白嶺響は絶賛両想い中の一五歳男子である。


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