婚約者候補がスピリチュアル令嬢だけど、俺は占いは信じません~現実主義王子と占い好き令嬢の日常~
異世界なので、諸々概念として捉えてお楽しみいただければ幸いです。
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卓の上は、すでに賑やかだった。
絵柄も大きさもばらばらなタロットカードが扇状に広げられ、水晶玉は燭台の光を反射し、
金属の振り子は、彼女の指先で忙しなく揺れている。
横には星図と数秘術の帳面。書き込みの量が異常だ。
リュシエンヌ・ド・ラヴェール。
俺の婚約者筆頭候補であり、巷では"スピリチュアル令嬢"と呼ばれている人物だ。
侯爵家の令嬢でありながら、占いに傾倒しすぎている。
父上はそう眉をひそめていたが、俺は悪くないと思っている。面白い。
政治の駆け引きばかりの宮廷で、ここまで純粋に何かに熱中している人間は珍しい。
ただし、俺自身は現実主義者だ。
占いを信じるかと聞かれれば、答えは否だ。
信じるのは、記録と数字と人の行動。それ以外に、判断材料はない。
「まずこちらをご覧ください、殿下! このカード配置、過去・現在・未来すべてが"王権"を示していますの!」
楽しそうだな、と率直に思う。
「星回りも最高ですわ。とくに今日、月と火星の位置が……あ、振り子も反応しています!」
振り子がくるくる回る。
……本人が揺らしているように見えるのは、気のせいだろうか。
「さらに数秘術ですわ。フェリクス殿下、このお名前の数……!」
帳面をめくる手が止まる。
「強い。とても強いです。支配、決断、導き。選ばれる側ではありません、"中心"です!」
満面の笑みで言い切られた。
なるほど。要するに、全部いい結果ということらしい。
都合が良すぎないか、とは思うが、本人が真剣なので黙っておく。
背もたれに体を預ける。占いの内容より、処理が必要なのは別のところだ。
視線を横に流し、軽く手を挙げる。それだけで侍従が一歩前に出た。
「殿下」
「記録。今のはタロット、水晶、ダウジング、数秘術。全部な」
「かしこまりました」
側近も無言で頷き、紙を広げる。こういうときの動きだけは早い。
慣れてきたな、とも思う。
「まあ! きちんと残してくださるのですね」
「婚約者筆頭候補の見解だからな。参考にはする」
言葉を選ぶ。"信じる"とは言っていない。
だが、リュシエンヌは嬉しそうに身を乗り出した。
「では続けますわね! 次は夢占いですの。昨夜、殿下が見られた夢は――」
待て。
「……なぜ知っている」
「お付きの方に伺いましたわ」
侍従が、視線を逸らした。
お前か。
「殿下が寝言で『戦場』と仰っていたそうで」
恥ずかしいことを報告するな。
「その夢の意味はですね、内なる闘争心の表れ」
リュシエンヌが熱心に解説を始める。侍従は真面目な顔で筆を走らせている。
側近も、肩を震わせながらメモを取っている。笑うな。
……まあいい。
この勢いなら、いずれどこかで躓く。
そのときに、占いだけでは足りないと気づいてくれればいい。
それまでは、好きにさせておこう。
「殿下、聞いていらっしゃいますか?」
「ああ、聞いている」
「では、次は手相ですわ。手をお貸しください」
手を取られた。
侍従と側近が、また筆を走らせる音が聞こえる。
……記録係、本当に慣れてきたな。
◇
殿下が、また笑っている。
正確には、笑いを堪えている、というべきか。
背もたれに体を預け、リュシエンヌ様の占いを聞きながら、口元をわずかに緩めている。
「……殿下はお楽しみのようですな」
隣の侍従が、小声で囁いてきた。
俺も小声で返す。
「最近、よくああなられる」
「リュシエンヌ様が来られるようになってから、ですな」
「そうだな」
メモを取る手を止めずに、殿下の横顔を盗み見る。
以前の殿下は、もっと無表情だった。
政務の書類を処理し、貴族たちと謁見し、淡々と日々をこなしていた。
それが今では——
「殿下、次は手相ですわ。手をお貸しください」
リュシエンヌ様が、殿下の手を取る。
殿下は何も言わず、手を差し出した。
「ほら、また」
侍従が、肩を震わせている。
「何だ」
「殿下、抵抗されませんでしたぞ」
「……確かに」
以前なら、「今は政務中だ」と断っていたはずだ。
それが今では、素直に手を差し出している。
「掌のこの線……ああ、やはり! リーダーの相ですわ」
リュシエンヌ様が、熱心に解説している。
殿下は、黙って静かに聞いている。
「記録します」
侍従が、筆を構える。俺も紙を広げる。
最初の頃は、正直なところ、困惑していた。
リュシエンヌ様が婚約者候補に選ばれたと聞いたとき、宮廷中が驚いた。
名家の令嬢ではあるが占いに傾倒しすぎている、と。
だが、殿下は気にしていなかった。
「面白い」
それだけ言って、リュシエンヌ様との面会を続けた。
そして、今では——
「殿下、この線は幸運を示していますわ!」
殿下が、また口元を緩めた。
侍従と目が合う。
二人とも、同じことを思っている。
殿下、楽しんでおられるな、と。
「では、次は夢占いですわ。昨夜、殿下が見られた夢は——」
お二人の会話に侍従が、視線を逸らした。
ああ、お前か。
俺は、必死に笑いを堪えた。
侍従も肩を震わせている。
殿下は、無言で俺たちを睨んでいる。
だが、怒っているようには見えない。
むしろ、呆れているだけだ。
「……記録しろ」
「はっ」
侍従が、真面目な顔で筆を走らせる。
俺もメモを取る。
リュシエンヌ様が、熱心に夢の解説を続けている。
殿下は、また背もたれに体を預けた。
その横顔を見ながら、俺は思う。
殿下が、こんなに柔らかな表情をされるようになったのは、リュシエンヌ様のおかげだ。
政務は相変わらず厳しいし、貴族たちとの駆け引きも続いている。
だが、こうして占いを聞いている時間だけは、殿下も少しだけ肩の力を抜いている。
「殿下、聞いていらっしゃいますか?」
「ああ、全部聞いている」
嘘だ。
絶対に、半分くらいしか聞いていない。
だが、殿下はそれでいいと思っているのだろう。
リュシエンヌ様が楽しそうにしている。
それだけで、十分なのだ。
侍従が、また小声で囁いてきた。
「この婚約、悪くないかもしれませんな」
俺も、同じ意見だ。
二人で、静かに頷く。
リュシエンヌ様が、また新しいカードを広げ始めた。
殿下は、また話半分に聞いている。
この光景が、これからも続くといい。
そう思いながら、俺は再びメモを取り始めた。
◇
大規模なものではない、交流目的の茶会。
茶会のセッティングは、リュシエンヌに任された。
ほぼ決まりかけている婚約を、宮廷に知らしめるための席。
彼女にとっては、婚約者候補としての実質的な最終試験だ。
離宮の大サロンは、貴族たちのざわめきで満ちていた。
中庭に面した高い窓から光が入り、卓には菓子と紅茶。
形式としてはささやかな交流の茶会。だが、婚約が近いと噂される第二王子と、
占いで名高い令嬢が並んで座っている。
招待客の視線は自然と、俺とその隣のリュシエンヌに集まっていた。
だが、彼女は気にした様子もなく——
「殿下、この配置で完璧ですわ」
朝の占いで出た結果を元に、彼女が決めた席順だ。
数秘術と星の配置、それに水晶玉まで使って導き出したらしい。
「本当に大丈夫なのか」
「ええ。調和の取れた配置です。今日の茶会は穏やかに進みますわ」
自信に満ちた声だった。
貴族たちが次々と着席していく。西側の伯爵、東の子爵、北方の男爵。
それぞれが、リュシエンヌの指定した位置に座る。
そして、最後に入ってきたのが、老齢の侯爵だった。
王国でも有数の名家。長年宮廷に仕え、父の代から信頼されている人物だ。
「これは、フェリクス殿下。本日はお招きいただき、光栄です」
穏やかな笑みで一礼する。
侯爵は侍従に案内され、リュシエンヌの指定した席——テーブルの端、やや離れた位置——へ向かう。
その瞬間、周囲の空気が、わずかに変わった。
貴族たちの視線が泳ぐ。誰も何も言わないが、違和感が漂っている。
侯爵は何も言わず、静かに腰を下ろした。表情は穏やかなままだ。
だが、俺には分かる。
あの位置は、侯爵の格に対して失礼だ。
本来なら、俺の正面か、少なくとも中央に近い席であるべきだった。
端の席は、格下の者が座る場所だ。リュシエンヌは気づいていない。
茶会が始まる。
会話は表面上、和やかだ。だが、侯爵はほとんど発言しない。
時折、こちらに視線を向けるが、すぐに逸らす。
他の貴族たちも、侯爵に話を振ることを避けている。
気まずい。
リュシエンヌはようやく何かに気づいた様子で周囲を見回し、小さな声で俺に話しかける。
「……あの、もしかして何か、おかしいでしょうか」
俺は紅茶を一口飲んだ。
「後で話そう」
「で、でも」
「後で、だ」
それ以上は言わない。今、ここで指摘すれば、彼女の面目が潰れる。
侯爵の不快感も増すだろう。
茶会は、予定通りの時間で終わった。
貴族たちが退出していく中、侯爵が最後に残った。
「殿下。本日は、ありがとうございました」
静かな声。言葉は丁寧だが、わずかに硬い。
「今後とも、よろしくお願いいたします」
それだけ言って、侯爵は去っていった。
言いたいことはあっただろうと思う。
端の席に座らされたこと。それが、どれほど屈辱だったか。
だが、侯爵は何も言わなかった。
リュシエンヌが若く、不慣れであることを理解しているからだ。
そして、俺の顔を立てて、黙って引き下がってくれた。
その配慮に感謝すると同時に、申し訳なくも思う。
後で、個別に詫びを入れる算段を付けながら顔を上げる。
サロンには俺とリュシエンヌだけが残っている。
「……フェリクス殿下、わたくし、何か……」
震えた声。
「席順だ。侯爵の位置が、不適切だった。
あの方の格なら、中央に近い席であるべきだった。端の席は、格下の者が座る場所だ」
リュシエンヌの顔が、青ざめた。
「そんな……占いでは、あの配置が最良と……」
「占いは、格式を教えてくれない」
水晶玉を抱えたまま、固まっている。
「あ……わたくし、占いの結果ばかり見て……」
「そうだな」
否定はしない。
「だが、今気づいたなら、次は間違えないだろう」
リュシエンヌは、うつむいたまま何も言わなくなった。
しばらく、そのままだった。水晶玉を抱く手が、わずかに震えている。
俺は何も言わず、ただ待つことにした。
急かす必要はない。自分で気づいたことを、自分の言葉で言えるまで。
「殿下は……最初から、分かっていらしたのですか」
「ああ」
「では、どうして……」
「お前が自分で気づくことが大切だと思った」
侯爵には、後で個別に謝罪する。それで済む話だ。
多少、俺の立場が悪くなろうと、リュシエンヌの学びになるなら安いものだろう。
王子妃には、占い以外にも学ぶべきことがある。礼儀、格式、政治的な配慮。
バランスが必要だ。リュシエンヌが占いに頼りすぎている。
——それを、彼女自身が理解する方が重要だった。
彼女なら学べる。失敗を糧にできる人間だと、俺は思っている。
「……申し訳ございません」
小さな声。
「いや」
俺は立ち上がる。
「次から気をつければいい」
それだけ言って、サロンを出た。
廊下を歩きながら、侯爵への対応を考える。
こういう事態は今後も起こるかもしれない。
面倒だ。仕事だって増える。
それでも、俺は彼女を選ぶ。
◇
婚約の儀は、静かに執り行われた。
王宮の小礼拝堂。参列者は両家の関係者のみ。
形式的な誓いの言葉を交わし、指輪を交換する。
リュシエンヌは、終始おとなしかった。
いつもの水晶玉も、タロットカードも持っていない。占いの話も一切しない。
儀式が終わり、参列者が祝福の言葉を述べていく中、彼女は微笑んでただ頷くだけだった。
「リュシエンヌ様、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
短い返事。笑顔もどこか硬い。
俺は、それを黙って見ていた。
夕刻。
婚約披露の晩餐会も終わり、ようやく二人きりになった。
離宮の一室。窓から夕日が差し込んでいる。
リュシエンヌは、椅子に座ったまま、膝の上で手を組んでいた。
「殿下」
「何だ」
「わたくし……王子妃として、ふさわしくない行いをしてまいりました」
うつむいたまま、続ける。
「茶会での失態も、占いばかりに頼って、大切なことを見失っていました」
「ああ」
「これからは、きちんと礼儀作法を学び、王子妃としての務めを果たせるよう、努力いたします」
真面目な声だ。
「占いは……もう、控えます」
その言葉を聞いて、俺は椅子から立ち上がった。
リュシエンヌの前まで歩いていく。
「顔を上げろ」
「殿下……?」
ゆっくりと、顔が上がる。困惑した瞳が、こちらを見ている。
「一つ、聞く。お前は、占いが好きか」
意外な問いだったのだろう。目を瞬かせる。
「……え? 好き、ですけれど……でも、今は……」
「好きなら、続けろ」
リュシエンヌが、言葉を失う。
「何でも占いに頼るのは、確かに良くない。だが、お前が占いで楽しそうにしている姿は、悪くない」
茶会での失態は確かにあった。
だが、それ以上に——朝の占いで目を輝かせていた姿や、カードを並べながら
真剣に考え込んでいた表情が、記憶に残っている。
「占いを取り上げるつもりはない。ただし、王子妃としての務めは、きちんと果たせ。
礼儀も、格式も、学ぶべきことは学べ」
リュシエンヌは言葉を一つ一つ噛み締めるように聞いている。
「その上で、占いを続けるなら構わない」
「……本当に、よろしいのですか」
「ああ。ただし、公式の場で占いに頼るのは控えろ。茶会の席順を占いで決める、なんてことはもうするな。
その代わり、個人的なことなら好きにしていい」
「個人的なこと……?」
「俺のために占う、とか」
俺のためにという言葉に、リュシエンヌの瞳が明るく輝いた。
「殿下のために……」
「ああ。今日の運勢とか、明日気をつけることとか。そういうのなら、聞いてやる」
「本当に……本当によろしいのですか!」
声が弾んだ。さっきまでの沈んだ様子が、嘘のように消えている。
念押しのようにいいのかと何度も尋ねてくるリュシエンヌに苦笑して頷く。
「わたくし王子妃の勉強、頑張ります! 礼儀も、格式も、きちんと学びますわ!
そして、占いは……殿下のために!」
水晶玉を取り出しかけて、慌てて仕舞う。
「あ、今はまだ、公式の場ですわね」
「いや、もう二人きりだ。好きにしろ」
「では……!」
嬉しそうに、水晶玉を抱える。
その姿を見て、俺は小さく笑った。
早速、明日の運勢を占ってもいいかとソワソワしている。
もう記録は必要ないか。
「ああ」
リュシエンヌは嬉しそうに水晶玉を覗き込み、真剣な表情で何かを読み取ろうとしている。
しばらくして顔を上げると、満面の笑みだった。
「明日は……とても良い日ですわ! 殿下にとって、幸運な一日になります」
本当に当たるのかは分からないが、まあいいだろう。
明日が良い日ならそれでいい。そう答えると、彼女は何度も頷いた。
「これから毎日、殿下のために占いますわ。王子妃としての務めも果たしながら」
「期待している」
夕日が、部屋をオレンジ色に染めている。リュシエンヌは水晶玉を抱えたまま、窓の外を見た。
「殿下」
「何だ」
「わたくし……幸せです」
小さな声。
「占いも、続けられて。殿下の隣にいられて」
俺も、窓の外に視線を向ける。
「なら、良かった」
これから先、彼女が王子妃としての責務を学び、立場に相応しく成長していく。
その過程を見守るのは、正直なところ楽しみだ。
だが同時に、占いに夢中になって瞳を輝かせる姿も残っていてほしい。それが、彼女らしさだから。
リュシエンヌが水晶玉を覗き込もうとしている。
もう夕方だぞと言うと、では今夜の運勢を! と返ってきた。
「……好きにしてくれ」
彼女の横顔を見ながら、俺は静かに笑った。
部屋の隅で、侍従と側近が顔を見合わせている。
筆を構えたまま、どうするか迷っているようだ。
今夜の運勢まで記録するのか、と。
まあ、好きにさせておけばいい。彼らも、この新たな日常に慣れるだろう。
リュシエンヌは真剣な表情で水晶玉を覗き込んでいる。
やはり、こうしている方が——彼女らしい。
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