第二話:周回の記憶と真実の衝撃
ルシアンは、エヴァンジェリンの行動を注意深く監視していた。
彼女は相変わらず「善良な令嬢」を演じ、ヒロインであるリリア嬢のそばに常に寄り添っていた。
しかし、ルシアンはそこに不自然さを感じずにはいられなかった。
特に、リリア嬢の周囲で不可解な魔力の異変が頻発するようになってからは、その疑念は確信へと変わりつつあった。
エヴァンジェリンがその異変を隠蔽するように振る舞うたびに、彼の心には重い鉛が沈んでいくようだった。
そして、ついにその時が来た。
王家の秘宝「王家の魔導石」が盗まれ、その現場にはエヴァンジェリンの魔力と酷似した痕跡が残されていた。
レオンハルト王子が彼女を呼び出し問い詰める姿を遠くから見ていたルシアンは、王子の怒りと困惑が入り混じった表情に、妹が決定的な「悪」の道へ進んだのだと確信する。
「もう止めるしかない」
ルシアンは、家訓に従い、妹を断罪する覚悟を決めた。
たとえ、それが唯一の肉親である妹を切り捨てることになろうとも、グランヴィル公爵家の名誉と王国の秩序を守るのが、当主としての彼の使命だった。
だが、彼の決意は、魔の森の奥深く、リリアの聖なる力が暴走したあの夜に打ち砕かれることになる。
王城から急行したルシアンが目にしたのは、制御不能な力で周囲を破壊するリリアと、そのリリアに黒い魔力の槍を放とうとするエヴァンジェリンの姿だった。
民衆は悲鳴を上げ、エヴァンジェリンを「悪役令嬢」と罵る。
「待て、エヴァンジェリン!」
ルシアンは、迷わず妹の前に立ちはだかった。
家訓が刻まれたグランヴィル家の紋章を掲げ、彼は妹を止めようとした。
しかし、その瞬間、妹が放っていた魔力の槍が、彼の身体に吸い込まれるように消えていくのを感じた。
そして、その魔力と共に、ルシアンの脳裏に膨大な情報が流れ込んできた。
それは、エヴァンジェリンが経験してきた「周回」の記憶だった。
炎に包まれた王城。
互いを憎み合い、殺し合う民衆。
影の魔術師に操られ、狂気の目で世界を破壊するリリア。
そして、その絶望的な光景の中、たった一人で戦い、誰にも理解されずに力尽きていく妹の姿……。
(これは……一体……)
彼の知る妹は、常に完璧で、冷静沈着な、強い存在だった。
だが、目の前の記憶の中の妹は、何度も何度も絶望を味わい、それでも立ち上がり、孤独に戦い続けていた。
「もう、独りぼっちは嫌……!」
記憶の中で、そう叫ぶ妹の声が、ルシアンの胸を締め付けた。
彼女の「善良な令嬢」の演技も、魔力を隠していたことも、魔導石を盗んだことも、全てがこの世界を救うため、そして「独りぼっち」になることを避けるための、悲痛なまでの努力だったのだ。
彼は、妹が「悪」に染まったのではないかと疑っていた自分の愚かさに、全身が震えるほどの衝撃を受けた。
妹は、誰にも理解されず、たった一人で世界の命運を背負い、戦い続けていたのだ。
「……そうか。お前は……」
ルシアンの口から、掠れた声が漏れる。
彼の瞳からは、もはや疑念も怒りも消え失せ、ただ深い悲しみと、妹への計り知れない後悔が浮かんでいた。
その時、妹の悲痛な声が聞こえた。
「兄様…どいてください!」
ルシアンは、妹の言葉にハッと我に返る。まだ時間は残されている。
妹の孤独な戦いを、今こそ終わらせなければならない。
彼は、公爵家当主としての冷徹な仮面を再び被り直した。
そして、妹にしか聞こえない声で、静かに、しかし力強く告げた。
「行け。グランヴィル家の責務は、この私が引き受けよう。お前の使命を、果たしてこい」
彼は、公の場で「悪役」である妹を断罪することで、彼女の行動を隠蔽し、周囲から彼女を守ることを決意したのだ。
それは、グランヴィル公爵家当主として、そして妹を心から愛する兄として、彼が下した「影のヒーロー」としての覚悟の瞬間だった。