弔い
話し声に気が付いて瞼を開くと、綺麗な星座が描かれた濃紺の天蓋が視界に映った。
まだ痛む頭を傾ければ、その天蓋から垂れ下がる白のレースの囲いの向こうで、通信端末を片手に神妙な顔で話をしているヴォクシスの姿があった。
「…っか……っ…」
呼び掛けようとして声が出ないことに気付いた。
次第に取り戻してきた感覚で手足を動かそうとしたが電池が切れたように力も入らない。
どうしたものかと困っていると、視界の中に小竜姿のセルシオンがひょこりと顔を見せた。
『ヴォクシス!カルディナが起きたよ!』
響いた少年の様な声に目を見開く。
確かにセルシオンから聞こえた。
―――喋れるようになったの?
心配そうに見つめる円らな瞳に震える指先を伸ばして問い掛けようとした瞬間、レースが大きく揺れた。
「カルディナ、気分は?」
傍らに腰掛けたヴォクシスは労るように頬を撫でる。
その手の温もりにカルディナは目を細めた。
「…まだ朦朧としているようだね。軍医を呼んでくる。セルシオン、カルディナを頼んだよ?」
『任せて!』
元気な返事に笑みを返し、彼は足早に部屋を後にした。
静かになった部屋の中、何だか見たことがあるような部屋の作りに、カルディナはここは何処だろうと考えた。
思いの外、大きなベッドの上を転がるようにして上手く身体を起こし、触り心地の良いシーツの上から当たりを見回す。
今更だが、いつの間にか上等なネグリジェに着せ替えられていた。
壁紙は真新しく、家具や調度品は古いけれど良く手入れがされている。
(官舎ではなさそうだけど…)
重い頭を傾げていると、吹き込む心地良い春風に天蓋からのレースが靡いた。
そこから見えた窓からの景色は見慣れたもの―――、そう気付いて息を呑んだ。
『ヴォクシスがお城を綺麗にしてくれたんだよ?』
そんな声に視線を落とした。
お行儀良くお座りしたセルシオンがこちらを見上げている。
「セルシオン?」
掠れ声で確認するように訊ねた。
セルシオンはそうだと言わんばかりにピィと鳴いてみせた。
『デュアリオンの音声機能を真似てみたんだ!これでカルディナと沢山お話出来るよ!』
自慢気に話すセルシオンに、カルディナは呆気に取られながらも楽しげな姿に笑みを零した。
「ねえ、セル。ここってもしかして…」
「侯爵の自室だった部屋だ。改装して君の部屋にした」
代わりに答えた声に振り返れば、軍医と看護師を連れてヴォクシスが戻って来ていた。
「閣下…、私、どのくらい…」
「一先ず横になりなさい。三時間程度、気絶していた。デュアリオンの稼働試験で予想以上に負荷が掛かったらしい。お腹は空いてるかい?」
訊ねる声を遮り、頭を支えながら身体を横たえるよう彼は促した。
軍医等が血圧や心拍を測る傍ら、横になったカルディナに甲斐甲斐しくブランケットを掛ける様は父性に溢れていた。
「…脳波にも異常はないので、やはり一時的なものようです。疲れに因るものかと」
一通りの検査を終えた軍医の診断に、ヴォクシスから安堵の溜息が零れた。
最後に今日の所は休むよう指示を受けた事から、本日分の稼働試験の中止が皆に通達された。
夕刻、白い装束に着替えて家紋付きの外套を羽織り、セルシオンを引き連れて西の岬へと向かうカルディナの姿があった。
終始、長らく手元にあった父の遺灰を抱き締め、言葉もなく夕焼けに染まる空の下を突き進む。
養父の計らいか辿り着いた目的地の祈り岬の祠はすっかり綺麗に整備されていた。
この島に産まれた者の魂は皆、この場所から天へと旅立つことを望んでいる。
大袈裟かも知れないが聖域と言える場所だ。
きっと、島の皆は感謝していることだろう―――。
「父、遅くなってごめんね」
そう声を掛けながら、両手を掲げる星乙女のレリーフがなされた祠の中に父の遺灰を撒き入れる。
サラサラと祠の中を通った遺灰は、海側を向く竜の口元より息吹となって風に乗り、天高く舞い上がった。
その様を見守りながら、カルディナは島に伝わる鎮魂歌を声の限りに紡いだ。
その歌を母と歌う度、父は何度となく褒めてくれて―――、そんな細やかながら幸せだった日々を思い出し、涙が溢れた。
もう戻らない日々に、変わってしまった己の立場―――。
背負わされた過酷な使命の重さに耐え兼ねて、夕闇迫る野に崩折れた。
『カルディナ、苦しいんだね…』
頬を伝う涙を舐め取りながら、セルシオンは戸惑いながらも慰める。
そんな相棒を抱き寄せ、カルディナは尚も涙に暮れた。
今だけは、ここだけは―――、胸に秘めた寂しさを哀しみを吐露することが出来る数限られた場所だった。
明日からはまたデュアリオンの稼働試験が再開される。
機械竜の繰り手である己の力を信じ、命を賭して戦う兵や士官達の為、弱い姿は見せられない。
泣いている姿など以ての外。
毅然と勇姿を見せなければ。
だから、今だけは―――…。
「カルディナ」
不意に聞こえた名を呼ぶ声に、驚いて涙を散らして振り返る。
瞬間、包まれるように大きな胸に抱き寄せられた。
突然の事に呆気に取られた。
気付けば強くて逞しく、優しい腕の力に包まれていた。
「一人で見送るなんて水臭いな…。書き置きだけして出てったから心配したんだよ?」
背を擦り、穏やかに叱る声にまた涙が溢れた。
その愛情は今のカルディナには、あまりにも温か過ぎた。
「ヴォクシス閣下っ…ごめんなさい…。泣き顔…見られたくなくて…っ…」
俯き、その胸に縋りながら堪らず本音を漏らした。
強くいなければと―――、弱々しい、ぐしゃぐしゃの顔なんて誰にも見せたくなかった。
「僕の前では泣いて良いから…、強がらなくて良いんだよ…」
涙に震える頭を撫でながら、ヴォクシスは困ったように哀しみを湛えた笑みを零した。
身体を冷やしてはいけないと持って来た肌掛けを項垂れるその背に被せ、立膝を突いていた足を崩して、胡座を掻いたその上に娘を乗せた。
「これで暫くは寒くないだろう。泣き止むまで側にいるから。寝ちゃっても構わないから…」
幼子をあやすようにトントンと背を撫でながら、ヴォクシスは胸に寄せられた旋毛に視線を落とした。
控えめながらこうして心を許してくれていることが嬉しい反面、嗚咽を漏らさずにはいられない程に無理をさせていることが辛かった。
「ごめんね。辛い思いばかりさせて…」
思わず漏れた言葉に、カルディナはフルフルと胸の中で首を振った。
こうして、ただ側にいてくれるだけで十分だった。
この温もりがあるだけで―――、それだけで心が安らいだ。
「…ん?おぉ…」
暫らくして不意に漏れた感嘆の声にどうしたのかと、視線を向ける。
彼は濃紺に染まった空を見上げて、微笑んでいた。
「こりゃ凄い。この島の星空は見事だねぇ」
何処か無邪気な感想にカルディナは笑みを零した。
頭上には宝石のように煌めく星々が一際の輝きを放っていた。
「星乙女伝説が生まれた理由が分かる気がするよ。星が掴み取れそうだ」
そう言って、ヴォクシスが徐ろに片手を伸ばした途端だった。
身を寄せていたカルディナの重みでバランスが崩れ、二人して天を仰ぐようにコロンと地面に転がった。
咄嗟に受け身を取って後ろも草地だったお陰で痛くはなかったが、思わぬハプニングとお互いの間抜けな姿に大笑い。
カルディナの瞼に残っていた悲しみの涙は、いつの間にか乾いて消え、星空のように明るい笑顔に変わっていた。
「さて。涙も止まったし、そろそろ戻ろうか…」
一頻り笑い飛ばし、ヴォクシスはカルディナを抱き起こす。
吹っ切れたように笑みを零す彼女は頷いて、養父に手を差し伸べて引っ張り上げるように立ち上がらせた。
「…嗚呼、そうだ。カルディナ、ちょっと待ってもらえる?」
ふと思い出したように告げたヴォクシスは、祠を前にして姿勢を正した。
どうしたのだろうとカルディナが見守る中、彼は祠に一礼の上、殉職者に対する敬礼を執り行った。
(…ラント・シャンティス殿、貴方のお嬢さんは、私が責任を持ってお預かりします。この身に代えても、必ず護ると誓います)
心の中、カルディナの実父へとその覚悟と決意を告げる。
刹那の間、目を伏せた彼は気を取り直すように振り返った。
「さあ、行こうか」
そう言って、行儀良く佇んで待っていたカルディナとセルシオンに穏やかに微笑む。
その背を押すように夜風が吹き抜け、二人とセルシオンは皆が待つ明かりの灯る城へと向かって歩き出した。




