王女の葬列
翌日の夕刻、王城の礼拝堂にて執り行われたイーシスの葬儀は襲撃の混乱もあり、王家の人間のものとは思えないほどに質素なものとなった。
参列したのはヴォクシスを含む王室の人間とカルディナを含む護衛を兼ねた将校。そしてキャスティナを筆頭とする皇宮より逃げ出した皇妃とその付き人のみであった。
襲撃の巻き添えで亡くなった城内職員や近衛兵の棺がずらりと並ぶ中、それと変わらぬ簡素な棺に彼女の遺体は納められていた。
彼女と懇意にしていたことを示すように妃達は献花と共に混乱の中で持ち出した、なけなしの装飾品を棺に入れた。
キャスティナに至っては己の御髪をその場で切り取り、冷たくなったその手にしかと持たせた。
それはアルデンシア流の親友の証であり、たとえ死しても二人は永久に友であることを意味した。
複数名の神官による弔いの文言の後、申し訳程度に王家の紋章を刺繍した漆黒の布を被せられた棺は、流れ作業状態で外部の墓地へと運ばれた。
王家の人間の葬儀なら本来、高位神官が仰々しく送るのが習わしであるが、母セリカ皇女の凶行により王位を失った彼女にはそれが許されなかった。
せめてもの温情で王家縁の墓地には埋葬を許されたが、王家の廟に入ることは許されず、そこを遠くに眺める寂しい外れの場所に彼女は埋葬された。
「…決まりとは言え、あんまりですわ…」
妃の一人は、あまりの扱いに怒りを見せる。
参列を許可されたカルディナはそれを横目に拳を握った。
彼女も個人としては同意見であったが、渦中のセリカ皇女の子である故、イーシスの葬儀は再戦が目前の今、大々的に行うことは出来なかった。
王女として彼女を送ることは、長引いた戦争に疲弊した王国民の感情を煽ってしまいかねなかった。
「何故だ…、何故、イーシスが死なねばならんのだ…っ…」
建てられた墓標に縋り、父であるギリウスは嗚咽を漏らした。
この時ばかりは彼に同情する者も多かった。
「カルディナ…、大丈夫かい?」
そんな様子から目を逸らさせるように車椅子の上の養父ヴォクシスは声を掛けてくれた。
カルディナは頷いて答えたけれど、俯いた瞬間、涙がポロポロと零れ落ちた。
「ごめんなさい…」
「君の所為じゃない。カルディナの所為じゃないよ」
言い聞かせながら、ヴォクシスは励ますように娘の手を握る。
溢れる数多の涙に誘われるように空は曇り、ポツリポツリと雨が降り出した。
予報より強まった雨は煙るように地を打った。
痛いほどの大粒の雨に、迎えの車が来るまでの間、葬儀参列者は皆、墓地に隣接する教会にて雨宿りをすることとなった。
(イーシス様の涙雨かな…)
窓から流れる雨を見つめ、カルディナは小さく溜息を零した。
「ギリウス…、好い加減、認めたらどうなの?」
不意に聞こえたそんな声にそっと視線を向ける。
祭壇前の長椅子で項垂れるギリウスを、王太子シルビアは鋭く睨んでいた。
漂う唯ならぬ空気に涙に暮れていた妃達やその付き人、護衛の士官も目を向けた。
「全て貴方の所為よ。二十一年前、あの不祥事を貴方が謝罪していれば…!そもそも貴方がセリカとしっかり向き合っていれば…!」
湧き上がる怒りのままにシルビアは、ギリウスに掴み掛かった。
悲劇の主人公の如く只々涙に暮れる姿に、もう我慢ならなかった。
女児に恵まれなかった彼女にとって、イーシスは一際に可愛がっていた親族で、未だに脳裏に色濃い幼き頃の健気な姿を思い起こすほどに、その死の理不尽さが赦せなかった。
「殿下、お止めください…!」
車椅子を滑らし、ヴォクシスは士官等と共に止めに入った。
引き剥がされたシルビアは燻る怒りに震え、人差し指を突き立てて情けない従弟を責め立てた。
「貴方の最大の過ちは、己の弱さをセリカに許せなかった事よ!夫婦の誓いを立てたにも関わらず彼女を裏切った…!貴方のその傲慢さがイーシスを殺したのよ!」
その発言に、それまで虚ろを見るばかりだったギリウスはギロリとシルビアを睨み返した。
「言わせておけば…!貴様に何が分かるっ!?カローラスの王太子として切望されて来た重責がどれほど…!」
「だったら何故、その苦悩をセリカと分かち合わなかったの!?己の力量を過信し、彼女を蔑ろにまでして…!王太子の座に縋っていただけで、貴方は王の器じゃ無かったのよ!」
「黙れ!卑怯にも私から王位を奪い取った癖に…!私が知らんとでも思ったか?!お前の父親が私を廃嫡させんと画策していたことを…!セリカとディミオンが逢引していた事も、私を嵌めた愛人が王弟の差金だった事も…!私は貴様等ハインエイスに嵌められたのだ!」
静寂の礼拝堂に怒鳴り声が轟き、ギリウスの暴露に居合わせた妃達や士官らも言葉を失う。
溢れる怒りを湛える彼は、徐ろにヴォクシスに躙り寄った。
「貴様がセリカとディミオンの隠し子であることも知っていた…!黙っていたのはこの国を思う故!王太子妃ともあろう者が不倫の末に子を拵えていたなど、民衆が知れば王家が築いてきた信頼は地に落ち、国をも揺るがす火種となったからだ…!」
胸倉を掴んで責め立てるギリウスだが、ヴォクシスは微動だにしなかった。
言われずとも、分かっていた。
己の存在が忌むべきものであり、王国にとっても、帝国にとっても存在してはならない事など―――、だから皇帝に何度となく消されかけ、その度、多くの犠牲を生んでしまっていたことを―――…。
「ギリウス、何て事を…!」
彼に掴み掛かる腕を叩き落とし、シルビアは庇うように立ちはだかった。
何と、最悪なタイミングか―――。
別の葬儀で雨宿りに来た一般市民が入ってきていた。
案の定こちらの話が聞こえたらしく、激しくざわついた。
「はっ!いずれ、公然となることだろうよ!停戦の英雄と讃えられた男が、実際はこの戦争を引き起こしていたのだとな…!これでハインブリッツ王家は終わった!あの阿婆擦れを妃に迎えた時点で、この国は終焉に向かっていたのだ…!」
全てを投げ出すように舞台役者の如き大声でギリウスは言い触らした。
人々の混乱を煽る彼に、シルビアは怒りのあまり平手を振り翳した。
「好い加減にしてよっ!」
その声が鐘を撞くように轟いた。
窓際よりカルディナは息を乱し、ボロボロと泣いていた。
その姿に誰もが目を奪われ、口を噤んだ。
「イーシス様のご葬儀の場でふざけんな…!イーシス様が可哀想だよ!あの方を偲ぶならもう黙ってよっ!好い加減にしてよっ!!」
心のままに声の限り、カルディナは割れる声で嘆いた。
等身大の一人の人間の―――、十五歳の悲痛な叫びに大人達は我に返った。
その場に座り込み、彼女は言葉にならない声で泣き叫んだ。
大人達の醜い争いが虚しくて、こんな人達の為に自分達が犠牲になっていたことが苦しくて悲しくて、もう心の中がぐちゃぐちゃだった。
「カルディナ…」
軋む車椅子のタイヤを回し、ヴォクシスは躊躇いがちに近寄った。
座り込む傍らで義足を下ろし、床に手を突きながら覗うように頬を撫でる。
濡れた頬はその身に抱えた怒りのように熱く、途方もない哀しみに震えていた。
「…ギリウス殿。私のことはどう吹聴しようが構いません。ですが、娘の前では止めて頂けるか?」
淡々と、しかし、娘を傷付けられた怒りを持ってヴォクシスは睨んだ。
その目の鋭さに、誰もが凍り付いたように黙り込む。
再びの静寂の中、蕭々と降る雨音だけが場を支配した。
雨が止んでもカルディナの涙は尚も瞼に残っていた。
警備の観点から王太子シルビアを筆頭に王室の人間は日が落ち切る前にと一足先に王城に戻り、続くように妃達も少し遅れて教会を後にした。
ステンドグラスに月明かりが差し込む中、気持ちが落ち着くようにとヴォクシスはカルディナの肩を抱いて側に寄り添い、そんな父娘を放って置けなかったキャスティナとフォルクスもその場に残った。
キャスティナにしてみれば、王城襲撃に際して、自身の身の安全を優先したが為に二人が皇宮に連れ去られたと責任を感じていた面もあった。
そして、何よりも彼女にはカルディナに伝えたかった思いがあった。
「ごめんなさい…っ…、迷惑ばかり…情けないっ……」
涙を拭いながら、カルディナは寄り添ってくれる彼等に申し訳無いとばかりに謝罪の言葉を漏らした。
そんな彼女の前で膝を折ったキャスティナは労るように涙に濡れた掌を取り、落ち着かせるように擦った。
「謝らないで…。貴女は人一倍、沢山の辛い思いをしているのですから…。泣くのは当然の権利です」
慈悲深い微笑みを浮かべ、彼女はその頬の涙を拭う。
その手の優しさにカルディナは、ホロリとまた涙を零した。
「カルディナさん、ありがとう」
不意の言葉に、はたと顔を上げた。
キャスティナは酷く悲しげに微笑みながら、カルディナの隣に腰掛けた。
「イーシスを逃がそうとしてくれて…、あの子を看取ったのが貴女で良かった」
そう言葉を続けた彼女は、過去を振り返るように床に落ちるステンドグラスの光を見つめた。
愛する家族と民を無惨に殺され、祖国を失ったキャスティナにとって、仇である皇帝の寵妃としての日々はこの上ない屈辱であり、地獄であった。
処刑場より身を賭して救い出してくれたフォルクスを護るためと必死に耐えたが、その優れた剣術と身のこなしから戦場に駆り出され、日毎に傷だらけになっていく彼を見る度に心を擦り減らした。
いっそ自ら命を断ち、彼を解放したいとすら思ったが、厳重な監視はそれすら叶わなかった。
そんな生活の中で差し込んだ微かな光がイーシスの存在だった。
身一つで皇帝に囲われたキャスティナの世話係として最初に充てがわれたのが彼女であり、腹心である今の侍女を紹介してくれたのも彼女だった。
淑女として少し不器用なだけだったにも拘わらず、無知無能のレッテルを貼られたイーシスはサニアスタの出来損ないと皇宮内で誹られ、孤独な日々を強いられていた。
王国に戻ることも許されず孤立していた彼女は、居場所を求めるようにキャスティナに寄り添い、年が近かったこともあって気付けば二人は唯一無二の友になっていた。
男尊女卑の最たるものの皇宮で、互いに虐げられる痛みを知り、直接護ることは出来ずとも、その存在がいつしか心の支えになった。
だからこそ―――、フォルクスから革命の話を聞かされた時、彼女の事が頭を過り、セリカ皇女の娘として彼女が処刑されることを恐れ、頑として反対した。
親友を殺されるくらいなら、意気地無しと言われようと構わなかった。
己さえ屈辱に耐えればと―――。
けれど、カルディナの言葉に諭され、考えが変わった。
皇宮での冷遇により自身も皇帝の影に怯え、己を否定し、皇帝こそが正義だと言う暗示に掛かっていたことに気付かされた。
過激だとしても革命で似たような境遇に置かれたイーシスを皇宮の檻から救い出し、解き放てるなら―――、彼女を助けられるならと革命軍の広告塔となることを承諾した。
それなのに―――。
「イーシスは私の掛け替えのない友人でした…。彼女が居たから、皇宮という檻の中での日々を耐え抜けた…」
言葉を零し、キャスティナは徐ろに顔を上げた。
その表情を目にしたカルディナは、ゾクリと全身の毛が逆立つのを感じた。
人の憎悪と言うものを目の当たりにするのは初めてではない筈なのに、美しくも狂気を孕んだその瞳の鋭さに、極寒の吹雪く雪原で冷気を吸い込んでしまったかのように心臓が凍える感覚を覚えた。
「…もう赦さないわ…っ…、ランギーニも…それに助力する悪魔共も…。イーシスの為にも私は私なりに戦うわ…」
唸るように発せられた殺意に、傍らのフォルクスはただ静かに頭を垂れる。
その頬を静かに伝い零れ落ちた涙が、時代の荒波を引き起こす事となることをカルディナは悟った。
革命という地獄への扉が押し開けられた瞬間だった。




