王家の過ち
王太子シルビアに呼び出されたのは、その日の午後のことだった。
側から離れないセルシオンを小脇に抱えつつ王太子執務室に入れば、シルビア本人が茶の準備に勤しんでいた。
「来たわね。長くなるから座って頂戴。ヴォクシスに関わる全てを話すわ」
彼女の宣言に一際の緊張が走った。
このタイミングで、その話をする意味の重さにゴクリと生唾を呑んだ。
促されるままソファに着座し、一瞬にしてカラカラに乾いた喉を潤すように差し出された茶を口にした。
緊張を解すようにとの配慮を感じさせる甘口のミルクティーに対し、シルビアのカップの中は底の見えない闇を思わせるブラックコーヒーだった。
「先ずとして、王家の過ちから始まるこの戦争に、貴女を大きく巻き込んだことを王太子としてお詫びします。そして、その最大の火種であるヴォクシスの出生に対し、当事者家族でありながらこれまで秘匿してきたことを旧ハインエイス公爵家…王弟一家の者として謝罪します」
毅然としながらも悲痛な謝罪の言葉を述べ、シルビアは深く頭を下げた。
静かに上げられた視線に囚われるように、カルディナは彼女と向き合い、養父ヴォクシスに関わる全てを聞かされた。
全ての発端は、今より四十年あまり前―――。
和平の手段としてセリカ皇女とギリウスが結ばれてから暫く経った頃、王宮では一つの懸念が起きていた。
誰もが羨む程に仲睦まじい二人であるにも関わらず、一向に懐妊の兆しが見られなかったのである。
社交界ではセリカ皇女が不妊症ではないのかと不安視され、格好のゴシップとなっていたが、実際の所の二人は【完璧な王太子夫妻】を演じているだけの仮面夫婦であり、不妊に対してはセリカ皇女だけでなくギリウスも問題を抱えていたのである。
秘密裏に検査を行った医師は、現状では自然妊娠は難しいと診断の上で体外受精を奨めたが、皇女はそれを断固として拒絶した。
帝国の国教であるシェール信教では、神への冒涜として体外受精はタブー視されており、彼女もその教えに背くことを良しとしなかった為である。
世継ぎの懸念は、次第に二人の建前の関係にも罅を入れた。
元より完璧過ぎる王太子妃に劣等感を抱いていたギリウスは、不妊治療を口実に人目から遠ざけるようにセリカ皇女を表舞台から下げさせ、王宮に軟禁。当時、愛人関係にあった秘書と逢引を兼ねた公務に明け暮れた。
あからさまに自身を避けるようになった薄情な夫に加え、日増しに強まる世継ぎへの期待と言いようのない孤独に追い詰められた彼女は、唯一、友好関係を築いていたシルビアに密かにその苦悩を吐露―――、しかし、その密談が全ての悲劇の幕開けとなった。
二人の会話を盗み聞いた王弟ガルドアが、彼女と息子ディミオンを逢引させんと画策したのである。
王弟は相当な野心家であり、既成事実を作った上で子を成せない事を理由にギリウスを廃嫡させ、ディミオンを新たな王太子に自身は関白の座に就かんと企んでいた。
初めこそ父の甘言を強く拒否したディミオンであったが、彼はセリカ皇女に隠し切れない程の恋心を抱いており、ギリウスの不義と皇女への心無い言動に我慢の限界を迎えていた。
そして、それから間もなくして開かれた王家主催の夜会にて事件は起きた。
王太子夫妻として久々に公に顔を出したセリカ皇女は王太子妃として役目を果たすべく、ギリウスの隣で公務に勤しんだ。
良妻として夫を完璧にフォローし、未来の王妃として懸命に来賓等を持て成していたが、ふとした瞬間、耳に入った世継ぎを懸念する声に心の傷を抉られ、過呼吸を起こした。
倒れ込んだ彼女をギリウスは体裁の為に直ちに控室に運び入れたが、表舞台から退場して人目が無くなった途端、彼はセリカ皇女を強く叱責した。
ギリウスにしてみれば、それは劣等感から来る言葉であり、プライドの高い彼には皇女の完璧なフォローは自身の至らなさを思い知らされているように感じ取られていた。
しかし、その本心を理解出来るほどにセリカ皇女の心には余裕が残されていなかった。
擦れ違い過ぎた心と合わぬ考え方に限界を超えた彼女は泣き崩れ、そんな彼女に面を食らったギリウスは、その場を居合わせた侍女に任せて逃げるように立ち去った。
そして、奇しくもその様子をディミオンは目撃―――。
抑え続けていた彼女への想いが溢れた彼は控室に飛び込み、移動と看病を口実に彼女を私利私欲の渦巻く王城から連れ去ったのである。
「…夜会が終わって私も屋敷に戻った時、父から客人がいるから明日まで弟の部屋には近付くなと言われたわ。その時は友人でも来ているのかと思ったのだけど…、翌朝、客室から出てきた彼女を見て、何が起きたのかを察したの…。幸いセリカの侍女以外には目撃者が居なかったから、迎えに来たギリウスには私が彼女を連れ帰ったことにしたわ。けれど、それから暫らくして…」
そこまで淡々と語っていたシルビアであったが、不意に言葉に詰まった。
「その時の御子が、ヴォクシス大佐…ということでしょうか…」
勇気を出してカルディナは訊ねた。
溜息混じりに彼女は小さく頷き、冷めたコーヒーを啜った。
「不味かったのは懐妊の時期…。どう計算してもギリウスとの子ではない事が明らかだったの…」
そう続けたシルビアはそっと目を伏せ、溜息を零した。
そこからは彼女の自白だった。
セリカ皇女から秘密裏に懐妊を知らされたディミオンとシルビアは、事の重大さに隠蔽を図ることを決意した。
胎児を利用せんと画策する父ガルドアを欺く為、二人は伝手を使ってその目が届かないモティ村の小さな産科病院に彼女を通院させた。
夫であるギリウスに対しては、あの夜会から彼女と距離を取っていた為、隠し通すことは容易だった。
経過は順調で腹が目立ち始めたのを機に、セリカ皇女は公には体調不良と称して長期入院のみを通達。
影武者を話を付けていた王都付近の病院に配置し、シルビア達の根回しの上で出産の日に備えた。
そして、運命の冬の日―――。
産まれてきた男児が、父譲りの瞳の色と母譲りの髪色を継いでいるのを目の当たりにした皇女とディミオンは、その子を手放す他無いという残酷な決断を下した。
王権を付け狙う王弟ガルドアの目が近い自身等の下では、その子の秘密を隠せないと悟ったのである。
一週間だけ許された母子の時間を過ごした皇女は、その別れの直前、男児にヴォクシスと名付け、せめてもの想いで己の匂いを付けた外套に包んだのであった。
「あの、大佐はこの事を…」
事の顛末を聞き終え、カルディナは堪らず訊ねた。
「知っているわ。モティ村に遺されていた記録を自力で見つけたそうよ…」
そう答えながら、シルビアは眼の前のテーブル上に古びたファイルを差し出し、カルディナは会釈の上でそれを手にとって記された内容に目を通した。
内容はヴォクシスの古巣である孤児院に、ディミオンから送られた多額の寄付金の明細についてだった。
またその書類に隠されるように挟まっていた写真には、愛おしげに赤子を抱く若き日のセリカ皇女の姿が写っていた。
「その写真はディミオンが残したものでね…。いつの日かヴォクシスが己の出生を知りたいと思った時、手掛かりとなるように孤児院の院長に預けていたみたい」
何処か自嘲気味に話しながらシルビアは、またコーヒーを啜った。
「ヴォクシスを産んだ事で体質が改善されたセリカはその二年後にギリウスとの間にアクアスを授かり、父の野望は潰えたわ…。けれど、ディミオンとセリカの関係は変わってしまったの…」
落胆するように背凭れに寄り掛かり、彼女は溜息混じりに話を続けた。
一夜の過ちから隠し子と言う大きな秘密を共有する事になったディミオンとセリカ皇女は、表面上は親戚上の付き合いを続けつつもその絆は日増しに強まった。
王子アクアスの誕生後、醜聞を恐れてギリウスは秘書との不倫関係を解消したものの、拭えぬ劣等感に尚もセリカ皇女への冷徹な態度を続けた。
そんな従兄弟をディミオンとシルビアは何度となく諌めたが、それでも彼の態度が変わることはなかった。
劣等感に苛まれて体裁ばかりに気を取られる夫に対し、ディミオンの無条件の愛は寂しさに凍える皇女の心には魅力的な劇薬だった。
周囲に関係を悟られぬよう直接会うことは控えつつも定期的に手紙を送り合い、密かに愛を囁き合う関係は長らく続いた。
しかし―――、ある年、ディミオンが病に冒され、余命宣告を受けたことにより、全ての運命の歯車が狂い出すこととなった。
セリカ皇女は窶れていくディミオンを目の当たりにして心を擦り減らし、そこに追い打ちを掛けるように、ギリウスが新たに社長令嬢と交際を開始。
積年の恨みは憎悪と化し、皇女は人質として子供達を連れ立って帝国に赴き、兄である皇帝にこれまでの仕打ちを暴露。
同時に帝国の有する最先端再生医療でディミオンの治療を懇願した。
―――けれど、その告白を聞いた皇帝ランギーニはギリウスの不義を大義名分に、王国への侵略を開始。
その混乱に乗じて彼女の密かな息子ヴォクシスの暗殺を決行し、彼を亡き者にすることでディミオンとの関係を抹消せんとした。
「…まさか、それがモティの大虐殺の理由?」
絶句するカルディナにシルビアは頷き、置かれていたビスケットを抓んだ。
「彼一人を狙っては逆にその出自を探られるし、彼を知る人間を消す目的もあって村人全員を標的にしたみたい」
「死人に口無し…という訳ですか…」
そう呟きながらもゾッとした。
えげつないにも程がある。
「結局のところ暗殺は失敗に終わり、襲撃に因る国交悪化でセリカはこちらに引き返す事も出来ず、私やディミオンも連絡を取れなくなったの。きっと皇帝は利口な彼女を帰したくなかったのでしょう…。今のアクアスとイーシスの様子を聞いた限り、セリカはギリウスを恨むあまり二人を愛せなかったのね…」
落胆するように溜息を零した彼女は、カルディナにもビスケットを勧めたが、とても喉を通る心境ではなかった。
イーシスが最期に遺した母と兄を赦してほしいという言葉が、何故だか靄のように頭にこびり付いていた。
「襲撃から暫く経って、いよいよディミオンの命が尽きかけた頃だったわ…、せん妄による譫言で父はヴォクシスの存在に気付いてしまったの。挙げ句、孤児院への送金やセリカとの手紙が仇になってね…。あっと言う間に彼に辿り着いたわ」
続けられた言葉に、かつてヴォクシス自身から聞かされた王弟の暴挙を思い出した。
途端に顔を強張らせた彼女に、シルビアは困ったように微笑んで、戯けたように肩を竦めた。
「ここからはもう、ヴォクシスから聞いているみたいね…」
そう呟いた彼女は徐ろに立ち上がって、ツカツカと扉に歩み寄った。
「…話は終わったわ。娘に会いに来たのでしょ?」
扉越しに告げ、ガチャリと入り口を開く。
廊下には車椅子に乗ったヴォクシスと、何故かマーチス元帥の姿があった。
「ヴォクシス大佐…!」
気不味そうに微笑む姿に堪らず駆け寄り、人目も憚らずカルディナはヴォクシスに抱きついた。
ポロポロと溢れた涙を零す彼女を抱き締め、ヴォクシスは安堵するように溜息を吐いた。
「カルディナ、すまない。君にまで重いものを背負わせてしまったね」
背を擦りながら謝る彼に、カルディナはそんなことはないと頭を振った。
彼の背負う過去の全てを知って、やっと彼を理解出来た気がした。




