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裏切り


 エンジンの重低音が近くから聞こえ、そっと瞼を開けた。

 強い衝撃による脳震盪で暫く意識を失っていたらしく、気付けば飛行する輸送機に乗せられていた。

 身に掛けられた申し訳程度の毛布を剥がしてみれば手錠が掛けられおり、小さな窓から外を覗いてみれば、民家が随分小さく見えた。


「逃げ場はないわ。大人しくなさい」


 そんな声に顔を上げてみれば、疲れた様子のセリカ皇女の視線があった。

 正直、生きていたことに驚いたが、すぐに頭を整理して納得もした。

 幽閉塔の砲撃は逃走の目眩ましだったらしい。


「皇帝はそんなに私が欲しい訳…?」


 唸るように喧嘩腰で訊ねた。

 けれど皇女は答えなかった。

 その顔は酷く憔悴しているように見えた。


「失礼します。セリカ様、手当が完了しました。状態は安定しています」


 カーテンで仕切られた後の座席から出てきた帝国兵がそう告げるや、皇女はこちらには目もくれず駆け足でカーテンの向こうへと消えた。

 誰か同行していた帝国の要人でも負傷したらしい―――。


(フォルクスや妃殿下は無事だろうか…。大佐、凄く心配してるだろうな…)


 そう考えながら反対側の窓の外を見ようと立ち上がった時だった。

 足元に沢山の血痕があるのに気付いた。

 銃撃戦でもあったらしい。


「機内で狙撃せざるを得ない状態でね。君や重要な機器に当てなくて幸いだったよ」


 そんな言葉を添えて、視界の中に湯気の立つカップが入ってきた。

 驚いて目を向ければ、長髪を三つ編みに結った黒縁眼鏡の紳士が微笑んでいた。

 年齢としては大佐より下くらいだろうか。


(この人、胡散臭っ…!)


 第一印象はその一言である。

 まるで、漫画に描いたような出で立ちに堪らず後退り。

 あまりの警戒具合に紳士はくしゃりと苦笑した。


「アクアス殿下、その子まだ十五です。ブラックコーヒーは飲めないかと」


 背後からのそんな声に、カルディナは絶句した。

 まずとして紳士の名に驚いた。

 セリカ皇女の嫡男にして、帝国に連れ去られた王子である。

 そして、それよりも衝撃的なのは―――。


「クーパー中尉…、どうして貴女がここにいるんですか…?」


 震え混じりにカルディナは、王子の背後にいた女に訊ねた。

 故郷の島で大佐の代理を務めるローバー中佐の秘書官をしていた人が――、セルシオンの存在が軍に知られて間もなく、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた人が何故―――。

 当時、数少ない女性士官として垢塗れだったカルディナの汚れ切った身体に臆すること無く湯浴みを手伝い、嫌な顔一つせず寝床の準備や自らの服を貸し出してくれた心優しい人だった。

 島を出るまでの間、足りない言葉遣いや街での暮らし方など、都市部や大人の中で生きて行くに必要な事を事細かに教えてくれた。

 そんな人が何故―――、何故、帝国の軍服を纏っているのか。


「私、本来は帝国の人間なの。諜報機関だから階級もないし、名前もコロコロ変えるけれどね」


「スパイだったってこと…?貴女だったの…?貴女が私達の情報を…?」


 その瞳に絶望の色を映し、カルディナは後退る。

 背後にあった座席に蹴躓いた彼女は、崩れるようにそこへと座り込んだ。


「私の任務は、シエンティアである貴女とセルシオンの回収だったの。ハインブリッツ大佐もローバー中佐も悪くない上司だったけれど…、これが仕事だから、悪く思わないでね?」


 その告白にカルディナは顔を覆い、涙に項垂れた。

 彼女の裏切りの告白により、胸に抱えていたいくつもの疑問が解けた。

 島を出て王都に着いたその日、どうやってフォルクスが第二格納庫まで侵入し、カルディナの拉致未遂に至ることが出来たのか。何故、奪還作戦決行前日に元駐屯兵が自身の部屋を特定出来たのか―――。

 そして、シェール神聖国にてセリカ皇女やフォルクスの部下が己の宿泊していた部屋をどうやって見つけ出していたのか―――。

 その全ての答えが、そこにあった。

 王国軍の中にあったのだ。


「…よくも…っ…、…よくもっ…!!」


 涙を散らし、声を荒げる。

 怒りのままに掌を振り上げ、カルディナは裏切り者に飛び掛かろうとしたが、アクアスにその腕を掴まれて押さえ込まれた。


「まあまあ、落ち着いて。君は大事な客人だから悪いようにはしないよ」


 ニッコリと微笑みながら彼は告げ、ダンスのターンのようにカルディナの身体を回す。

 グルンと回った視界と機体の揺れに、平衡感覚を失った身は蹌踉めき、止めとばかりにトンと背中を押された。

 座席に倒れ込んだ彼女は背凭れに手を付き、振り返り様に彼等を睨んだ。


「取り敢えず、皇宮までは大人しくね。あんまりオイタを張ると、君も君の養父(パパ)も痛い目見るよ?」


 柔く微笑みながら、アクアスはカーテンの向こうを指し示す。

 ―――まさか。

 その口が放った脅し文句に、カルディナは俄に足元の血痕の理由を理解。底が抜けるような絶望が全身を支配した。


「彼は心底、君のことが大切らしい。王国軍の悪魔と恐れられる男が、己の身の警戒を怠るとは…、機内での発砲はリスキーだから撃たれないとでも思ったのかな?馬鹿だねぇ」


 肩を竦めてアクアスが嘲るように告げた瞬間、パンっと音が弾けた。

 眼の前の出来事に裏切り者は呆気に取られた。

 手錠の腕を振り上げ、カルディナは怒りで息を乱しながら鋭く彼を睨んでいた。


「中々過激だね」


 殴られた頬を擦りつつ、その目が仄暗く光る。

 けれども彼女はボロボロと涙を零しながら、その目に負けず劣らない眼光で睨み続けた。


「…大人しくしろと言った筈だよ?それとも痛い思いをしないと分からないのかな?」


 そう吐き捨てながら一歩踏み込んだアクアスは、力任せにカルディナの髪を鷲掴み、投げ捨てるように床へと引き倒した。


「アクアス、何をしているのです?」


 その声に彼は振り上げんとした手を止めた。

 視線を向ければ、セリカ皇女が冷ややかな目を向けていた。


「その娘は傷付けるなと言った筈です。全く…、益々あの人に似て来たわね」


 呆れたように溜息を零しながら、セリカ皇女はカツカツと靴音を鳴らし、倒れ込んでいたカルディナに歩み寄った。

 実の息子相手だと言うのにその口調は、異様なまでに冷たく何処か棘を持っていた。


「ヴォクシスが会いたがっているの。ついて来なさい」


 囁くように告げ、皇女はカルディナの腕を掴んで引き起こした。


「…母上も心底、あの男が大切なようですね」


 擦れ違い様、アクアスは舌打ちと共に嫌味を放った。

 皇女は気にも止めない様子であったが、彼も母親相手だというのに鋭く敵視するようにその存在を睨んでいた。




 何やら確執のありそうな親子の様子に戸惑いながら、カルディナはカーテンで仕切られた機内後方へと入った。

 消毒用アルコールの臭いと血の臭いが混ざり合う中、痛々しいヴォクシスの姿がそこにあった。

 壊された機械義肢は体から外され、肩や脇腹には血の滲む包帯が巻かれていた。


「ヴォクシス大佐…!」


 セリカ皇女を押し退けるように駆け寄り、力のない手を握る。

 いつも温かかったその手が、今は酷く冷たい―――。唇は青褪め、出血の多さを物語った。


「……カルディナ…っ…?」


 薄く開いた瞼の内より、その瞳が覗く。

 励ますように握った手を擦り、深くゆっくりと頷いた。

 掠れた声に酷く弱った姿はカルディナにはあまりに辛過ぎた。


「…怪我は…ないかい…?」


 その問いにフルフルと首を振り、彼女は掴んだ手を涙の伝う頬に寄せた。


「ごめんね…、情けない姿で…っ…。…怖かったね…っ…」


 その一言と一緒に握り返される手の優しさに、涙が溢れて言葉が返せなかった。


「セリカ様、間もなく皇宮に到着します。着陸準備を」


 カーテンの向こうから帝国兵のそんな声が届いた。

 皇女は端的に分かったと答え、寄り添う二人の姿を名残惜しみながらも座席へと戻った。




 揺れの収まった輸送機から降りた瞬間、外気の寒さに堪らず身震いした。

 王国よりも北寄りの緯度にあるサニアス帝国首都の気温の低さは春先だと言うのに尋常ではなかった。


「お帰りなさい、お母様」


 雪がちらつく中、帝国兵に促されるままタラップを降りていると前方からそんな声がした。

 視線を向ければ、先に降りていたセリカ皇女と抱き合う女性の姿があった。

 年齢的にはキャスティナと同年代。

 皇女とよく似た顔付きからアクアスの妹であるイーシスだと気付いた。


「…あの子ですのね?」


 こちらを見た彼女は母に確認し、長いスカートを持ち上げながら駆け寄って来た。

 思わず警戒したカルディナに対し、イーシスは手に持っていた毛皮のコートをその肩に被せた。


「そんな格好では風邪を引きますわ。早く中へ…」


 そう告げながら背中を押して、彼女を建物の方へと誘おうとしたその時だった。

 背後から地を揺らす雄叫びが轟く。

 目を向ければ、後方に続いていた大型輸送機に吊られて、セルシオンが運び込まれていた。


「畜生!まだ暴れる気か!」

「頑丈が過ぎんだろ!」

「対機械竜用の持って来い!急げ!!」


 怒り狂うセルシオンに帝国兵は慌てふためく。

 網に絡め取られているとは言え、その巨躯で暴れられては堪ったものではなかった。


「撃てぇ!」


 その声が響いた瞬間だった。

 爆発音を伴って放たれた、いくつもの鉄杭が容赦無く機械竜の体を貫く。

 その衝撃に魂授結晶は弾け散り、痛みを叫ぶかのようにセルシオンが悲鳴のような咆哮を上げた。


「止めてっ!!」


 鉄杭に串刺しにされ、それに溶接された極太の鎖に縛られて行く相棒に、カルディナはコートを脱ぎ捨て駆け寄った。

 貫かれた竜の身からは血のように機械油が流れ出し、白く雪に覆われた地面をどす黒く染めていく。

 通常ならこれほどの損傷を受ければ、魂授結晶は自己防衛機能により、器を放棄する筈だった。

 けれど、セルシオンは尚も巨躯に居座った。


「セル!器を放棄して!お願いだから!」


 涙ながらに訴えた。

 セルシオンは戦う身体を手放すことを躊躇っていた。

 結晶のみの初期形態に戻ってしまったら、戦う術が限られてしまう―――、カルディナを護る為、本能に抗っていた。


「もう良い!もう良いから…!セルが苦しいのは嫌なの…!お願いだから…!」


 機械油に塗れながら首元を抱き締め、もう戦わなくて良いと言い聞かせる。

 涙に暮れ、極寒の中で崩れ落ちる主に、セルシオンはキュルキュルと慰めるように鳴き声を漏らす。

 暫しの後、花弁のようにハラハラと竜の器から剥がれたセルシオンは、頬を伝う涙を拭うように小さくなった鼻先を擦り寄せた。

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