帝国からの来賓
カルディナのデビュタント当日、王城には来賓と共に、多くの報道陣が介した。
彼らのお目当ては英雄カルディナの晴れ姿は当然のこと、帝国皇帝の名代である亡国の元公女キャスティナ妃であった。
「何だか注目持ってかれちゃったなぁ…」
新聞を片手に残念そうに呟く養父に、パーテーション越しに化粧を施されるカルディナは苦笑い。
しかし、それも仕方ない。
新聞の見出しを飾るキャスティナ妃は絶世の美女との噂で、巷では【氷雪の女神】と言われている。
生憎、島育ちのカルディナは人並の見目であり、華があるとは言い難い。
そんなものだから、これまで島にいた手癖の悪い監視兵に襲われずに済んだようなものだが―――。
「美人は美人で、苦労が多いそうですよ」
悔しながらに呟きつつ、仕上げにルノレトのセーディスから快気祝いに貰ったイアリングを装着。
気合を入れるように背筋を伸ばして立ち上がった。
「おー、良いねぇ!」
準備完了の娘にヴォクシスは満足げに顔を綻ばせた。
この国でのデビュタントは白を基調にしたロングドレスを着るのがルールであるが、カルディナの肌と髪色にはそれがよく似合った。
「大佐、顔が緩み切ってます。お気持ちは有り難いですが、気合い入れてください。調子狂いますし、何だか腹立ちます」
真顔でピシャリと放たれた一言に、準備を手伝ってくれた城内女官達は堪らず失笑。
中々辛辣な思春期の娘に、ヴォクシスはシュンと寂しげに眉を下げた。
王城内の大ホールには多くの賓客が集っていた。
主催者である国王ヴェーゼル一世の開宴の挨拶から間もなく、主役であるカルディナの登場を待たずして会場はどよめいた。
「皆様、ご静粛にお願い申し上げます!主賓!サニアス帝国皇帝代理キャスティナ皇妃殿下!並びに帝国陸軍特務大佐フォルクス・バルシェンテ閣下のご来場に御座います!」
司会進行を務める王室女官長の声が高らかに響き渡る中、ここぞとばかりに開かれた大扉から姿を見せた主賓に、集った紳士淑女は感嘆の声を漏らしながらも頭を垂れた。
氷雪の女神と呼ばれるに相応しく、キャスティナ皇妃は銀の髪に雪白の肌、そして宝石のようなアイスブルーの瞳を持つ絶世の美女であった。
更にその隣に寄り添う黒髪の美丈夫――フリード・ビジェット改めフォルクス・バルシェンテの雄姿に、老いも若いも淑女達は軒並み心を奪われた。
「殿下、真っ直ぐに進んでください」
そっと傍らで囁くフォルクスの声に頷き、キャスティナ皇妃は淑やかに玉座の王へと歩み寄る。
浅瀬の海の色を思わせるマーメイドラインを波のように妖艶に揺らす様は美麗の一言であるが、その歩き方と視線の置き方に、人々は次第に皇妃が秘匿されてきた理由を悟り始めた。
「…殿下、静止を。国王陛下の前です」
的確に指示を出したフォルクスはその場に跪き、キャスティナ皇妃は厳かにカーテシーを行った。
「お初にお目に掛ります。サニアス帝国第一皇妃キャスティナと申します。この度は記念すべき祝宴にご招待頂きました事、帝国皇帝代理として心より感謝申し上げます」
静寂の中、玲瓏な声で皇妃は挨拶を執り行なう。
しかし、その視線は何処か虚ろを見ており、微笑みを浮かべる顔には隠し切れない不安の色が見て取れた。
「お初にお目に掛ります、皇妃殿下。遠路遥々ご足労頂き、恐縮の限りです。差し支えなければ、どうぞこちらの席へ。長丁場故、楽になさってください」
微かなざわめきの中、国王は傍らに用意した貴賓席を示し、誠意を見せる皇妃に礼を尽くした。
「恐れ入ります」
少し困ったように微笑みながらキャスティナ妃は姿勢を正し、傍らのフォルクスに手を翳した。
透かさず彼はその手を取るや、足元を気遣いながら席へと誘った。
「皆様、今一度ご静粛お願い申し上げます!王太子シルビア殿下のご登壇に御座います!」
再び女官長の声が轟き、ホールが静寂に包まれる。
凛とした空気の中、司会席に登壇したシルビアは堂々とした佇まいで玉座に続き、集った人々に一礼した。
「ご来場の皆様、今宵はお忙しい中、遠路遥々この王城にお越し頂きましたこと、心より感謝申し上げます。この二十年、戦争という悲劇によりサニアス帝国と我が国の絆は無常にも引き裂かれ、多くの尊き血と涙が流れました。しかし、一人の少女の決意と覚悟が、この混迷の時代に黎明を齎し、停戦協定という両国の絆を結び直す機会を与えてくれたことは両国のみならず世界各国に大きな衝撃となった事でしょう。我等ハインブリッツ王家は彼女カルディナ・シャンティス少佐の功績を讃え、かつて彼女の先祖クロスオルベ侯爵が失った栄光の復権を宣言致しました」
朗々とした語り口でシルビアは挨拶の言葉を読み上げ、徐ろに翳した手で一度閉じられた大扉を示した。
「今宵この停戦協定祝賀の場を借り、新たなヒロインの誕生を皆様にご覧に入れます。停戦の立役者カルディナ・ド・シャンティス・クロスオルベ侯爵です」
その宣言を合図に扉が開かれ、盛大な拍手が巻き起こる。
目の眩みそうな沢山のフラッシュを浴びながら緋色の花道に歩み出した姿は、十五の少女とは思えぬほどに堂々と自信に溢れていた。
開かれた大扉を潜り、堂々と歩みを進めるカルディナであるが、内心はタラリタラリと冷や汗を掻いていた。
「大丈夫?」
エスコートの傍ら養父ヴォクシスは前を向きつつも視線で心配を見せた。
貼り付けた微笑みで隠してはいるが緊張で顔が強張っていた。
「大丈夫じゃないけど頑張るしかないです」
思わず本心が口に出た。
前回は護衛任務であった為、注目はそれほどであったが今回は全視線が向いている。
普通デビュタントは複数人で行うものだが時期的な問題もあって、今回はカルディナの独壇場となってしまった。
挙げ句には王家主催という大舞台―――。クロスオルベ侯爵家の後継者という相乗効果も抜群で、最早その注目度は王女のデビュタントと相違無いレベルである。
「国王陛下並びに皇妃殿下にご挨拶申し上げます。クロスオルベ侯爵家当主カルディナ・ド・シャンティス・クロスオルベに御座います」
そんな言葉から手筈通り、玉座の国王と主賓である皇妃に挨拶を執り行ない、一同が見守る中、人払いをして広げたホール中央へと踵を返す。
「…行けるかい?」
そう向き合って微笑み掛けるヴォクシスは、人の目など意に返さず余裕の表情である。
流石は大人というか王族と言えよう。
「サポートお願いします」
深呼吸しつつ苦笑いで頼み、カルディナは気合を入れ直した。
「承知した」
不敵な笑みを添えた返事と同時に、ワルツの調べが始まった。
背筋を伸ばし、養父のリードに合わせて何度も練習したステップを踏んで行く。
練習の時のような褒め言葉は無いけれど、穏やかな笑みが緊張で俯きたくなる心を励ましてくれた。
次第に動きの硬さが解れ、上手く踊れている自分が嬉しくなった。
人の目はもう気にならなかった。
終わる調べと入れ替わるように鳴り響いた盛大な拍手の中、カルディナは安堵の笑みを浮かべながらリードを取ってくれた養父へと深くお辞儀。
見事に大舞台を遣り切った娘の晴れ姿に、ヴォクシスもホッとしたように会釈して微笑んでいた。
再び始まったワルツの調べに人々が思い思いに語らい踊り出す中、二人はフェードアウトするように玉座の国王へと挨拶に向かった。
初めの挨拶はデビュタントの作法に過ぎない為、個人として改めてのお伺いである。
「カルディナ嬢、お疲れ様でした。遣り切りましたね…」
何処か砕けた口調で国王は、挨拶に来た彼女に声を掛けた。
「恐れ入ります、陛下。この度の栄えある祝宴に私のデビュタントの舞台を設けて下さったこと、心より感謝申し上げます」
深く頭を垂れながら言葉を返し、感謝を述べた。
王は感慨深げに頷き、ふと傍らのヴォクシスに笑い掛けた。
「ヴォクシス、本当に良いお嬢さんを娘に貰ったね…。君にとっても大きな支えになるだろう。これからも末永く大事になさい」
何やら意味深な言葉に、カルディナが内心で小首を傾げる。
一方でヴォクシスはその心中を悟り、困ったように微笑みながら眉を下げ、恐縮の限りだと言葉を返した。
「時に皇妃殿下、宜しければ私の代わりに我が甥の子ヴォクシスと一曲如何でしょうか?殿下はダンスが大変お好きだとか…」
王が気さくに提案し、キャスティナ妃は花が綻ぶように柔和に微笑んだ。
「ええ、そうですの。私、目が良くない代わりに耳はとても良いので…!友好の証にヴォクシス様がお嫌でなければ是非…!」
何やら話は出来ていたようで、喜々と皇妃が訊ねる。
君主と主賓の依頼にヴォクシスは勿論だと答えた。
両国の友好を深めるべく、貴賓の手を取る養父の邪魔しないよう、カルディナは玉座の傍らへと退却せんとした―――のだが。
「…あぁ、そうだわ。フォルクスも折角ですからクロスオルベ侯爵と踊ったら?」
「「えっ」」
唐突な皇妃の指示に、双方から漏れ出た心の声が見事に揃った。
その声に思わず互いに顔を見合った。
(お前とかよ…)
(あんたと踊んのかよ…)
何故だろう。
言葉に出していない筈なのに、お互い表情からそんな声が聞こえた。
「一緒に踊りましょ?ね?」
悪意無き、皇妃の提案には拒否の選択は無かった。




