クロスオルベの悲劇
それはカルディナの入院から五日目の朝のことだった。
いつものように病室に見舞いに来たヴォクシスは室内の乱れ具合に顔を顰めた。
初めはまたカルディナの研究没頭に拠るものかと思ったが、転がる書物はシャンティス夫人への聴取の為、軍が置いて行ったクロスオルベ家の記録ばかりだった。
「おはようございます。散らかして、ごめんなさいね」
座っていたベッドから立ち上がり、挨拶するカルディナは何処か柔和な表情で頭を下げる。
その手には彼がアウラ医師から貰い受け、昨日の晩、彼女にこっそり渡していたクロスオルベ侯爵の次男ラドルクの手記の写しがあった。
「カルディナなのか…?」
「…この身体の持ち主は、カルディナさんというのですね」
その問いにヴォクシスは息を呑んだ。
目の前に居るのはシャンティス夫人である――が、その気配はこれまでとは異なっていた。
「この子のご家族でしょうか?」
自らの体を示し、彼女は訊ねる。
ヴォクシスは拳を握った。
「………、父親です。本人は認めてくれてないようですが…」
「成程…、それは酷なことをしましたね」
そう悲しげに微笑んだ夫人は、徐ろに壁に掛かっていたショールを手に取るとカーテンを開けて病室の窓を覗いた。
見えるのは病院の殺風景な中庭である。
「すみませんが景色の良い場所を知りませんか?そこでお話しましょ?」
困ったように眉を下げつつ、夫人は訊ねた。
クロスヴィッツ病院の裏には、ヴォクシスが三年程過ごした児童養護施設がある。
その建物は病院施設が出来るずっと前から存在しており、今では歴史的建造物として国からの指定管理をされている。
そして、そこで生活する子供達は今も引き継がれるクロスオルベ侯爵の意志の下、温かい環境で伸び伸びと暮らしていた。
「この建物まだあったのね。ヴィクターが知ったら喜ぶわ…、子供達も幸せそう…」
懐かしげに目を細めながら、シャンティス夫人は学校へと走っていく子供達の背を見つめる。
予め病院を通して訪ねることを連絡していた為、施設職員や子供達は顔を見ても軽い会釈だけである。
本当は久々に来たヴォクシスと話たがってはいるが、そこは後日に回してもらった。
「ごめんなさいね、我が儘を言ってしまって…」
そんな事情を察してか夫人は悲しげに微笑む。
暫く施設の風景を楽しんだ夫人は、その裏手にある広場に来るやそこを一望できるベンチに腰掛けた。
芝地には草花が伸び、秋を彩っていた。
「そう言えば、まだお名前伺っていませんでしたね」
不意に合わさった視線にヴォクシスは苦笑い。
彼も名乗っていないことを忘れていた。
「失礼致しました。王国陸軍大佐ヴォクシス・ハインブリッツと申します」
「ハインブリッツ…ということは、もしかしてデリカナさんのご子孫?」
「血縁的にはですがね…」
頭を搔きつつ、ハハハと戯けて笑った。
その様子に夫人は何処か寂しげに微笑み、感慨深そうに溜息を零した。
「デリカナさんには辛い思いをさせてしまったわ…。ラドルクにも…レヴォルグにも…、ヴィクターには特に…」
その囁きに、彼は気を改めた。
そっと傍らに腰掛け、彼女の言葉に耳を傾けた。
全ては今より遥か二百年前―――。
当時まだ何処の国にも属していなかったカルディナの故郷である西果ての島には、独自の文化を持つエルファ人と呼ばれる先住民が暮らしていた。
彼等は島でのみ採れる星の欠片の力を発現させる独自の言葉を持ち、それを密かに使いながら素朴ながら安定した生活を送っていた。
ところがある時、時の帝国皇帝の命を受けた軍隊が突如として島を襲撃―――。島長の娘であった後のシャンティス夫人以外、先住民を皆殺しにした上で島を乗っ取り、島中から星の欠片を根刮ぎ奪い去った。
そして、帝国の皇宮に連れ去られた彼女は、そこで星の欠片の研究開発を強要された。
しかし、乱暴に扱われた所為か星の欠片は皇宮に運ばれた頃には殆どが割れて使い物にならなくなっており、それを知った皇帝は激怒。
腹癒せとばかりに彼女は皇宮の奥に幽閉され、その存在は世間から抹消された。
「…何故、皇帝はエルファの人々を皆殺しに…?貴方方の言語が星の欠片の鍵だとすれば、生かしておいた方が得だったのでは…」
ふとした疑問を投じたヴォクシスに、夫人は困ったように嘲笑った。
「それがね、皇帝は私達の言葉が重要だと知らなかったみたいなの。エルファは星の欠片を使わずとも兵隊に勝てるくらい強い民族だったから…。きっと怖かったのね」
そう答え、夫人は晴れ渡る空を見上げて言葉を続けた。
「島にも帰れなくなった私はエルファの言葉を書物に纏めたわ…。誰にも語り継がれなくなった言葉は死んでしまうから…。衣食住は保証されていたし、時間も有り余ってたから…」
淡々と語りながらもその目は仄暗さを纏い、その姿にヴォクシスは己を重ねずにはいられなかった。
その孤独と絶望は痛いほど分かる気がした。
「でもね…、それがヴィクターとの出会いが繋がったの…」
不意に視線をこちらに戻した夫人は、穏やかな微笑みを浮かべた。
それは幽閉から三年が経った時の事―――。
僅かに残った星の欠片の研究を皇帝から命ぜられたクロスオルベ侯爵は、唯一エルファの言葉を扱える彼女に興味を抱き、度々会いに来るようになった。
初めは警戒したシャンティス夫人であったが、溢れる好奇心のままエルファの文化を学び知ろうとする彼の真摯な姿に、次第に彼女は心を許し、気付けば恋に落ちていた。
そして、それは侯爵も同じであった。
二人は星の欠片の研究を盾に逢瀬を重ね、侯爵は他の研究開発で得た功績の報酬として、彼女の故郷であるエルファの島の所有権と彼女自身を所望。
彼女から興味を失っていた皇帝はあっさりと婚姻を承諾し、間もなくして侯爵は研究施設の名目で彼女の故郷の島に城を建て、そこで魂授結晶の開発を開始した。
シャンティス夫人はその開発を手伝う傍ら、原則的には島に留まって残された伝統的施設を守る活動に励んだ。
「ヴィクターは独占欲が中々強くてね。私が皇帝の目に入るのが心底嫌だったみたい。帝国での作法をきっちり習わした癖に式典にも殆ど連れ立たなかったし、病気するか出産の時くらいしか島から出さなかったのよ?寄宿学校だったとは言え、子供達にも寂しい思いをさせて本当に困った人よね…!」
頬に手を当て、困り果てたように夫人は夫の愚痴を零した。
侯爵の記録にもかなりの愛妻家であったことは記されていたが、聞く限りだと最早、軟禁である。
世紀の変人と揶揄されるだけはあったらしい―――。
「まあ、私としても島の外には良い思い出がなかったし、皆がいたから寂しくはなかったのだけど…」
溜め息交じりにシャンティス夫人は告げ、不意にその表情を曇らせた。
信頼する家臣等に二人の息子にも恵まれ、平穏な日々を紡いでいた彼女であったが、侯爵との出会いから三十年の月日が経った時、その平穏が崩れた。
戦争に邁進していた帝国皇帝は近隣諸国との小競り合いに業を煮やし、侯爵に対して完成間際だった魂授結晶の軍事転用を要求。
侯爵はそれを拒絶したことで投獄され―――。
「帝国の使者が来てヴィクターが捕まったと知らされた時は、皆で泣き崩れたわ…、もう会えないとさえ覚悟した…」
シャンティス夫人は苦笑しながら、ショールを掛ける肩を抱き締める。
ヴォクシスはそっと己の外套を取ってその肩に掛けた。
さほど寒い訳では無かったが、項垂れるその姿を見ているのが辛かった。
「酷く痩せた彼と本邸にいた皆が島に流されて来た時は、悲しくもあったけれど安堵もしたわ…。皆、生きて会えたんだもの…、それだけで…ね…」
そう続けながら夫人は外套を見て会釈し、背筋を伸ばした。
彼女は少しだけ島での自給自足だけれど充実した生活の様子を伝えた後、問題のデュアリオンについて語り始めた。
究極兵器となったデュアリオンは開発当初、大型輸送用の魂授結晶の器として計画されていた。
クロスオルベ侯爵が幽閉された当時、時の皇帝は齢七十を超えており、近い未来にその崩御と共に幽閉を解かれることを目論んでの開発であった。
それが急転したのは幽閉から三年目のことである。
侯爵等の目論見通り、急病により時の皇帝が崩御して新皇帝キュリアスが即位。
しかし、新皇帝はクロスオルベ家の幽閉を解くどころか監視を強化し、更には魂授結晶の引渡しとシャンティス夫人の身柄を要求。
当然拒否した彼等であったが、帝国の武力行使も厭わない姿勢を目の当たりにした侯爵は、魂授結晶を奪わせまいと天へと逃し、島の防衛システムとしてデュアリオンの開発転換を余儀なくされた。
しかし、ここで問題が生じた。
デュアリオンは魂授結晶の器として作られた為、起動装置が無かった。
魂授結晶を新たに作ろうにも、先代皇帝の凶行により星の欠片は殆ど遺されておらず、彼等の手元にあったのは魂授結晶の開発過程で作られた試作品だけだった。
それ故に―――。
「だから私を核として起動するようデュアリオンは作り直されたの。それが思念の揺籠…。あの試作品には人工知能を載せられなかったから誰かが頭脳となる必要があってね…」
そう告げ、シャンティス夫人は自嘲気味に肩を竦めた。
「失礼ですが何故、貴女が…」
どうして、究極兵器の繰り手に選ばれたのか―――。
そんなヴォクシスの問いに、夫人は酷く悲しげに笑った。
「私が一番適任だったから。試作品の魂授結晶に入っていた星の欠片はとても不安定でね…。ヴィクターは開発のリーダーだし、息子や家臣の皆に危険な真似はさせたくなかったの。何より、私が一番エルファの言葉を使い慣れていたから…」
そう答えて間もなく夫人は肩を落とし、静かに目を伏せると悲痛に眉間に皺を寄せた。
もしあの時、開発を急かなければ―――。
それは今となって思えば、防げたかも知れない悲劇だった。
帝国の圧力が日増しに強まり、クロスオルベ家は追い詰められていた。
本当ならば、入念な検査確認と検討の上で行うべきであったデュアリオンの稼働実験を、その運命の日、半ば見切り発車で行ってしまった。
そして、その結果―――。
「稼働から間もなくして、試作品のファルファランの結晶が爆ぜてしまったの。私は弾けた結晶の衝撃波と破片をもろに浴びて致命傷を負い、その所為でデュアリオンの自己防衛システムが予期せず作動…、後は記録に残っている通り…」
淡々と語りながらも彼女は、生々しく記憶に残る痛みの感覚に顔を歪めた。
「私の記憶が思念の揺籠に残留したのは、きっと過去の悲劇を繰り返さぬ為の天啓でしょう。デュアリオンは魂授結晶とは異なり、魂を持たぬ器に過ぎません…。念の為に血縁制御システムを搭載しましたが、遣い手によっては容易く恐ろしい破壊兵器に成り果てます」
警告するようにシャンティス夫人は過去の惨事を話し、徐ろにベンチから立ち上がった。
秋の花が彩る草深い芝地に佇んだ彼女は、悲しみを湛えた笑みを浮かべて、ヴォクシスへと振り返った。
「どうかカルディナさんに伝えてください。体を借りて申し訳無かった。私の想いを伝える時間をくれてありがとう、と…」
それは別れの言付けだった。
そっと胸に手を当てた夫人は目を伏せて何かを囁やく。
そして、一筋の涙が頬を伝った。
「私の想いは貴方方に託します。どうか、クロスオルベの悲劇に終止符を…」
そう告げたのを最後に、その身から魂が抜けるように体が力を失った。
崩れるように倒れる彼女を咄嗟に駆け寄ったヴォクシスは受け止め、その腕の中に抱き寄せた。
「…また託されてしまったな」
そう呟きながらカルディナを抱え、病室に戻ろうとした時だった。
徐ろに瞼を開けた彼女は、ヴォクシスの顔を見るや安心したのか泣き出して、その胸に抱きついた。
「カルディナ、大丈夫かい?」
背を擦りつつ、彼は宥めるように声を掛けた。
カルディナは小さく頷きながら、悲しい夢を見ていたと告げ、彼と同じくシャンティス夫人から想いを託されたことを話した。




