思わぬ邂逅
調印式の後、カルディナは祝賀会が始まるまでの間、休憩時間を頂いた。
初めての土地に好奇心をぐっと我慢している事に大人達は気付いていたらしく、ご褒美としての自由時間であった。
学校の歴史の授業でいくつか学んでいた分、見て回りたいところは沢山あったが、あまり遠くには出歩く訳には行かないので、神殿内の見学をすることにした。
「お、教科書にあった奴…」
一般参拝者用に飾られている、調度品や歴史ある品を前に思わず声が漏れた。
百聞は一見にしかずとは言うが、本で見るのと実際見るのとでは印象や迫力が異なる。
(軍に属しているお陰だけど、これは貴重な体験…!私、恵まれてる…!)
回廊を歩きながら、目に見える光景の数々に思わずガッツポーズ。
そんな折、ふと視界に写った一枚の大きな絵画に目を奪われた。
描かれていたのは、天空より惑える人々を見つめるとても美しい姿だった。
「凄く綺麗な女の人…」
思わず言葉を漏らした。
慈悲深く人々を見下ろす瞳は母性に溢れている。
「そちらは我等が主シェール神の御姿です」
そんな声にはたと振り返る。
高位の神官であることを示す、緋色の胴着を羽織った老齢の女性が静静と歩み寄って来ていた。
「こ、これは失礼致しました…!」
咄嗟に頭を下げて謝った。
神官が見ている前で、この神殿の一番偉い神様を女の人だと言ってしまった。
シェール信教は男尊女卑な所があるし、とても失礼だっただろうか―――。
「カローラスの方では存じ上げないのも無理はありません。このシェール神聖国も戦争の余波で帝国と同様に隔絶されていましたから…。お若い方では尚更です」
慈悲深い眼差しで微笑み、その神官は非はないと許してくれた。
「その服装…、まだお若いというのに軍に属していらっしゃるの?」
「はい。この度は護衛官として随行を命じられた次第です」
「…良ければ名前を伺っても?」
不意に名を訊ねられ、一瞬躊躇った。
今や自分の名は王国領土奪還の英雄として世間にも広まり始めている。
―――まあ、神官だし大丈夫だろう。
僅かな迷いの後、そう判断した。
「カルディナ・シャンティスと申します」
名乗った瞬間、神官は憂いげに目を細めた。
「そう、貴女が…」
やはり名前は知っていたらしい。
何となく気不味くて、泳がせた目を床に向ける。
すると神官はそっと歩み寄り、戸惑う頬に触れて手を取ったかと思うと、酷く悲しげに微笑み掛けてきた。
「あ、あの…」
「ごめんなさいね、過酷な運命に巻き込んでしまって…」
その言葉と共に触れていた手が離れる。
神官は改まったように厳かに頭を下げ、次に顔を上げた瞬間―――、その瞳が威厳を放った。
「私の名はセリカ・フォン・サニアスタ。サニアス帝国の皇女として、この神殿の神官長を務めている者です」
その名を聞いた瞬間、カルディナは目を剥いた。
咄嗟に飛び跳ねるように後退り、腰の拳銃に手を伸ばす―――が、直後に携帯していないことを思い出した。
神殿内は武器の所持が禁じられている。
「安心なさい。貴女に危害を加えるつもりはありません」
そう言われても、信じられる訳がなかった。
相手は帝国の現皇帝ランギーニの実妹にして、此度の戦争を招いたと言っても過言では無い人物。
ここは逃げるべきか―――。
そう考えた瞬間だった。
「失礼。私の部下に御用でしょうか?」
その声と共に、大きな背が目の前に立ちはだかった。
視線を向ければ怪訝な表情の大佐が、恐れ多くも皇女を睨んでいた。
「少しお話をと思ったまでです。上官の方でしょうか?」
何処か憮然として訊ねた皇女に、大佐はほんの一瞬、嘲笑うように口元を歪めた。
「お初にお目に掛かります。カローラス王国陸軍大佐ヴォクシス・ハインブリッツと申します」
恭しくも淡々と彼は名乗り、頭を下げる。
しかし、その名を知ったセリカ皇女は戦慄した。
「…ヴォクシス…っ……ハイン…ブリッツ…?」
彼の名を復唱し、皇女は蹌踉めくように後退る。
口元を押さえ、酷く狼狽えた。
「恐れながら、我々は次の予定がございますので、これにて失礼致します」
取り付く島もなく、大佐はカルディナの肩を抱いて踵を返す。
皇女は愕然と立ち尽くし、唯ならぬ空気の中、カルディナは会釈して大佐と共にその場を立ち去るしかなかった。
肩を抱くその手の力は痛いほどで、そうでありながら微かに震えを帯びていた。
「大佐、あの…」
こちらの歩幅などお構い無しに肩を掴んだまま、どんどん進む大佐に駆け足で付いていく。
いつもは気を使ってくれていたのだと気付きつつ、逃げるようなその足の速さにふとした瞬間、足が縺れた。
あっ!と短い悲鳴を上げた瞬間、身体が前のめりに傾く。
咄嗟に両手を前に突き出して受け身を取ったが、床に突く前に小脇に抱えられるようにして抱き止められた。
「す、すみません!」
思わず赤面して、抱き止めてくれた大佐に顔を向ける。
しかし、彼の顔を見たカルディナは言葉を呑んだ。
大佐のその瞳は激しい怒りを湛えていた。
固く唇を噛み締めるその姿は、溢れ出さんとする憎悪を堪えているようで―――。
静かに取り乱す彼の姿に、カルディナは己を落ち着けるように大きく深呼吸をした。
「大佐、ちょっと来てください」
腕から擦り抜けると同時に、彼女はその手を引いた。
人目を避けながら回廊を進むカルディナは駄々を捏ねる幼子のように、乱暴に彼の袖先を掴んでいた。
「カルディナ、何処に…」
そう問うヴォクシスに対し、彼女は振り返ることなく一つに結った髪を左右に軽快に揺らすばかり。
傍から見れば、むすっ垂れる娘に嫌々同行させられる父親のようである。
暫くして辿り着いたのは、神殿の一角にある鐘塔だった。
階段を登り、夕暮れの空の下から見えた町並みは絶景の一言である。
「…さっきの顔で戻ったら確実に何か遭ったとバレます。お互い頭を冷やしましょう」
息を切らせつつ、カルディナはそう告げるや乱暴にペイっと手を離した。
「単刀直入に訊きます。あの方は…、セリカ皇女は大佐の母君ですか?」
そんな核心を突く問いに、ヴォクシスは度肝を抜かれた。
「…何故……」
どうして分かったのか―――。
そう続く返答に、カルディナは唐突に魂が抜け出しそうなくらい長い溜息を吐いた。
「いやぁ…何と言いますか…、漠然とですが皇女と大佐が似ていると思ったんです。そもそも大佐の髪と瞳の色は、ハインブリッツ王家の血統には無い色ですからね。加えて皇女が母君だと仮定すれば、今程の狼狽え方も納得出来るので…」
そんな彼女の名推理に思わず、拍手を送りたくなった。
本当に聡い子である。
「さっきは駆け着けてくださって、ありがとうございます」
不意に零した彼女の一言に、はたと顔を上げた。
カルディナは徐ろに礼装軍服の襟元や袖先を探り、そこに付けられていた盗聴器と発信機を抓み取った。
「恐らく皇女はこれを仕掛けるために私に接近したんだと思います。一人になったところを拉致するつもりだったのか、もしくは殺すつもりだったのか…。まさか、あの場に息子である大佐が現れるとは思ってなかったのでしょうね」
推測しつつ仕掛けられた機器を確認し、動いていることを確認。
溜息を零した彼女は、盗聴器に向けて言葉を放った。
「帝国の方?聞こえているなら、よぉく聴きなさい?子供だからって甘く見ないでよ?島育ちはしぶといんだからね?お前たちは竜の逆鱗に触れたのよ…、熱りが冷めるまで大人しくなさい?さもないと火傷するからね?」
そう脅迫した次の瞬間、カルディナは盗聴器と発信機を床に落とし、力の限り思いっきり踏み付けた。
怒りを込めて止めとばかりに踏み躙り、足元からはバキバキと音が立つ。
その様は爽快の一言だった。
「さて、気を取り直して護衛任務を続行しましょう。また皇女に会ったとしても、毅然としてくださいよ?ヴォクシス大佐!」
粉々になった機器を蹴り飛ばし、彼女は小悪魔的に微笑んで、くるりと出口に体を翻す。
不意打ちの呼び方に、彼は思わず目を丸くした。
「今、名前で呼んでくれた?」
「そう呼んで欲しかったのでしょ?」
少し拗ねたように照れながら、呆気に取られる養父を振り返る。
そして、くしゃりと誂うように彼女は笑ってみせた。




