最後の静寂
賑やかな晩餐を終えて、粗方の片付けが終わった頃、一足先にヴォクシスはシャワーを浴びた。
カルディナは出撃前にやりたいことがあると言い、一人になりたそうだったので言葉に甘んじることにした。
今日を最後に暫くゆっくりと汗を流すことも出来なくなるだろうとお湯の温かさを噛み締めつつ、のんびりと着替えを済ませた。
戦地派遣に伴い、刈り上げた頭をタオルで拭きつつ風呂場から出ると、カルディナは黙々とテーブルで書き物をしていた。
「あ、すみませんっ。すぐに片付けます」
こちらに気付いて慌ただしく便箋を片付け始める彼女だが、その拍子にペンを落とし、それを拾ったかと思えば、今度は纏めた便箋を弾き飛ばして床にばら撒き―――。
何やら落ち着きのない様子にどうしたのかと思えば、その目が潤んでいるのに気付いた。
一緒になって便箋を拾う傍ら、微かに震えるその背を擦った。
テーブルにある封筒には、これまで彼女に関わって来た人間の名前が書かれており、自然と書いていたのが遺書だと分かった。
この国の軍では暗黙のルールとして出撃が決まったら家族や知人に遺書を書き、死亡通知と共に発送されるよう手配することになっている。
この基地にも民間宿舎近くに郵便局の分署があるので、彼女もそれに倣い、ぎりぎりまで作成していたらしい。
「取り敢えず、風呂に入ってきなさい。スッキリすれば気持ちも落ち着くだろう…」
そう頭を撫でながら便箋をテーブルに置き、涙を流してくるように促した。
唇を噛みながら彼女は頷いて、駆け足で風呂の準備に向かった。
「ごめんなさい…、書いていたら段々前線に来たことを実感してしまって…っ…」
上質なソファの上に隣り合って腰掛けつつ、風呂から出た彼女から涙の訳を聞いた。
大人びてはいるが彼女はまだ十四歳。
戦火を前にして怖気付くのは当然だった。
「怖いと思うのは当然。すぐ目の前では今も殺し合っているのだからね…。大人の僕だって怖いし出来るなら逃げ出したいよ」
差し入れの牛乳とコーヒーで作ったカフェオレを一緒に啜りつつ、ヴォクシスはそう告げて苦笑い。
思わぬ彼の言葉にカルディナは驚いたように顔を上げた。
「大佐も…ですか?」
キョトンと訊ねる十四歳らしいあどけない顔つきが可愛らしく、彼は思わずその頭を撫でた。
「自分が死ぬ事も怖いし、仲間が死ぬ事も怖い。僕の命令で名前も知らない敵味方両方の人間が死んでいくことを思うと、いつも怖くて仕方がない…」
困ったようにくしゃりと微笑み、彼はおどけて肩を竦める。
そして、微かにその顔に影を落とした。
「だから、ここに居る時は常々今生きていることを実感するし感謝もする…。皮肉なものだけどね」
不意にトーンを落とした声色にカルディナはどうして良いか分からず、取り繕うようにカフェオレを傾けた。
何とも言えない空気の中、前線基地だというのに不思議なくらいに静かな時間が流れる。
「…嗚呼、そうだ。カルディナ、認識証を貸してくれる?」
束の間の静寂の後、思い出したようにヴォクシスは訊ねた。
その指示に彼女は首を傾げながらも、胸に下げていた認識証を手繰り上げて―――、無論、そこに一緒にしている星の欠片は取り外してから差し伸べられる手に置いた。
彼は認識証を受け取るや、徐ろに対になっている内の一枚を外し始めた。
「ここでの決まりで、出撃に際して認識証の片方は基地に残る人間に渡していくことになっている。連絡が途切れて一週間が経過しても帰還しなければ死亡扱いを取り、遺族に送る為だ」
そう言ってヴォクシスはカルディナの首に残りの認識証を掛ける。
そして、俯いた頭にそっと手を添え、自らの胸に彼女を抱き寄せた。
「君の認識証は私が預かる。必ず、取りに帰って来なさい」
耳元で囁かれた言葉は、いつもの彼でありながら酷く切実なものだった。
部下として了解と端的に答えれば良い筈なのに、泣きそうなくらい悲痛な声にどう答えるのが正解なのか、カルディナは分からなくなった。
込み上げる言いようのない不安と伝わる温もりの優しさに涙が瞳に滲む。
躊躇いながらも両腕を広い背中に回し、彼女は縋るようにその胸の中で頷くのが精一杯だった。
押し寄せる数多の恐怖に震える背を擦り、ヴォクシスは守るように抱き締め返した。
一体いつから、こんなにも彼女が大切になってしまったのか―――…。
出会った最初は、己の目的を果たす為に使えそうな一人に過ぎなかった。
上手く手懐けて、勝手の良い道具として利用するつもりでさえいた。
愛する者を失う痛みを知っているからこそ踏み込み過ぎないよう、常に心の扉に鍵を掛けていた筈だった。
その鍵が開くことは永遠に無いとすら思っていた。
そう思っていたのに―――、半ば強引に王都に連れて来られ、見知らぬ土地に惑いながらも必死に出来ることを努力し、年相応に悩み、時に涙する姿に―――、その健気な姿を見守る内に、次第にその存在に心を許すようになっていた。
今更ながら、雪の降ったあの日にマーチス元帥から受けた警告の意味を思い知った。
自分でも気付かない内に、他人だった筈の彼女が実の娘のように愛しくなってしまっていて―――、愛しくなってしまったからこそ、この地獄の入口に彼女がいることが苦しくて堪らなかった。
「……すまない…、…君とセルシオンを利用するしかない我々を赦してほしい……」
詫びる言葉と共に、ヴォクシスの鼻筋を長らく涸れていた涙が伝う。
堪えるように瞼を閉じ、彼はカルディナの涙が治まるまで、その隣に寄り添い続けた。
遠くで砲撃の音が花火のように響く部屋の片隅、そんな抱き合う父と娘をセルシオンは唯、静かにいつまでも見守っていた。




