事件
時刻通りに今日の仕事を終わらせ、駆け足で戸締まりを急ぐ。
いつもなら嘲笑しながら待ち構えている監視兵だが、今日は嫌に恭しく労いの言葉まで掛けてきた。
気味悪いと思いつつ、粗末な布袋を担いで家路を急ぐ。
戸の外れた門を潜り、鍵のない大扉を押し開ければ、薄ホコリ舞う大階段の前にて、セルシオンが行儀よく出迎えた。
「ただいま!」
帰りを告げ、寄せられた頭を抱きしめる。
尾を振って興奮気味に頬擦りする姿は、まるで犬である。
「今日は珍しくナッツを貰ったの。一緒に食べよ?」
懐く頭を撫で、駆け足で奥の厨房へ。
以前は裏口から直行していたが、セルシオンが出迎えるようになってからは遠回りだが正面から入るようになった。
竜の体では厨房は狭くて、ドアから頭を覗かせるのが精一杯な為である。
大きなアルミの器に配給のナッツと自分用のパンを入れ、出涸らしのお茶を持って、一緒に二階へ。
器を床に置くと同時にナッツを頬張り出したセルシオンに微笑み、カルディナはその横に座って抜けた天井から空を見上げた。
西の果てのこの島は温暖な気候で、雪が降ることは滅多にないが、多少の冬支度は必要となる。
カルディナにとって今一番の悩みは、次の冬を乗り切るに必要な衣服の調達であった。
「防寒着の配給ってあるのかな…」
そんな心配をしつつ取手の折れたカップを口に寄せた瞬間だった。
何かに気付いたセルシオンが弾かれるように頭を上げる。
その拍子に鼻先にぶつかった器が宙を舞い、けたたましい音が鳴り響いた。
辺りに散ったナッツも気に止めず、一点を睨みながらセルシオンは唸り声を上げる。
初めて聞く敵意の声に、カルディナは不安に駆られた。
「セル、隠れて。もしもの時は呼ぶから」
意を決して転がった器を手に、微かに物音の聞こえる方へ。
下の階には両親の形見もある。
泥棒なら放っておく訳にはいかなかった。
駆け足ながら慎重に、不自然な明かりが見えるキッチンを覗き込む。
案の定、そこにいたのは何人もの監視兵だった。
よく見れば見覚えのある顔で、手首には壊れた手錠が掛かっている。
(この人達…!)
思い出してハッとした。
今朝方、大佐に問い詰められていた連中だった。
朝には本土に送還されると噂に聞いていたが、逃げ出した模様である。
「ん?お、これは…」
戸棚を漁っていた一人が何かを取り出す。
瞬間、カルディナは怒りのあまり物陰から飛び出した。
それは父が母のために作った家紋の竜を模ったブローチであり、母の死の間際、形見として貰い受けた大切な物だった。
「返して!」
叫びながら飛び掛かり、ブローチを奪還。
持っていた器を投げつけ、彼等が怯んだ隙に貴重品の入った布袋も奪い返した。
本当は先祖の研究資料も取り返したかったが、その暇はなかった。
逆上する追手が何人も迫る中、エントランスホールを駆け抜ける。
外に出て森に入れば、セルシオンとも合流できる。
必死の思いで、玄関の大扉に手を伸ばす。
しかし、あと一歩の所で背後から衝撃が掛かった。
咄嗟に手を突くも立ち上がる間もなく髪を掴まれ、仰向けに引き倒された。
「ハッ!やっぱ、あのガキだ!」
嘲笑と共に、二人がかりで床に手足を押さえつけられた。
必死に抵抗したが、十四歳の力では到底敵わなかった。
「へえ!近くで見れば可愛いじゃん」
「どうせ俺ら捕まりゃあの世行きだし、やっちゃおうぜ?」
「ちげーねぇや!」
集まってきた脱走兵の声に背筋が凍る。
ここで叫べば、セルシオンは確実に飛んで来て、助けてくれるだろう。
しかし、その姿を晒せば存在を軍に知らせるようなもの―――。
何より、あの巨躯で暴れようものなら城跡も脱走兵も唯では済まない。
刹那に躊躇う間にも、その手が胸元に掛かった。
―――もう迷っている暇はない!
「セルシオン‼」
呼ぶと同時だった。
砲撃を受けたように大扉が崩れ、一陣の風が過ぎ去る。
剥がれた圧迫感の代わりに身を包んだのは、いつもより熱を帯びた相棒の温もりだった。
怒れるセルシオンの口元から吐き出された黄金の炎は、逃げ惑う脱走兵を容赦無く炙り、カルディナを襲おうとした者に至ってはその鉤爪に薙ぎ払われ、動くこともままならなかった。
主を守らんと立ちはだかる巨躯は、島に伝わる伝説そのものだった。