迫害の残痕
藤澤)ちと、きつい話となります。
目を覚ました時、無機質な天井が視界に映った。
朧気な記憶の中では、交渉成立の祝いにセーディスの邸宅にて晩餐を頂いていた筈である。
「…ど…こ…?…」
掠れ声で呟き、体を起こそうとした瞬間、身体に激痛が走った。
あまりの痛みに蹲り、呻き声を上げた。
「っ!カルディナ…!」
駆け寄る声に、涙目で顔を向ける。
酷く青褪めた大佐の姿が見えた。
―――一体、何が起きたというのか。
頭を過ぎったのは奇襲の二文字だったが、痛みに悶える背を擦る彼には、衣服の乱れや外傷が見受けられない。
記憶を辿るも現状に繋がる理由が見つからなかった。
「大佐…、ここは…っ…?」
点滴で痛み止めを追加してもらい、落ち着いたところで励ますように手を握る彼に訊ねた。
「セーディス殿の知人が経営している病院だ。昨晩、出血性ショックで担ぎ込まれた」
そう答えた大佐は、労るように頬を撫でてくれた。
手から伝わる温もりに安堵を覚えつつ、その回答に何となく事の次第を思い出してきた。
出血箇所から推測するに婦人科系の病気だろうか―――。
男性の大佐に見られたと思うと、何とも気不味い。
「すみません、お恥ずかしい所を…」
「謝らないでくれ」
言葉を遮った大佐の悲痛な声に、カルディナはキョトンとした。
今まで聞いたことのない弱々しい声音で、何だが気味が悪いくらいだった。
「運ばれる途中、一時心臓が止まっていた…、もう目覚めないかと…。すまない…、もっと早くに気付くべきだった…」
泣いているのではないかと思うほどに弱った声に、どうしたものかと戸惑った。
心停止したというので全身あちこちが痛い理由は何となく分かったが、何故に大佐がここまで気を止む必要があるのだろうか。
「お嬢さん、起きたかい?」
その声と共にガラリと病室のドアが開く。
見舞いの品を手に、熟年の女中を連れてセーディスが様子を見に来てくれた。
「後遺症は今のところ心配なさそうかね…。手術は無事に終わってるし、安心して休むと良いさね…」
手土産を手近な棚に置き、大佐の横で彼女は腰に手を宛てがいながら安堵の溜め息を零した。
「あの…、私どうしちゃったんでしょう…?」
一先ず、何が身に起きたのか知りたくてカルディナは訊ねた。
病名次第では今後の任務に支障を来しかねないし、もし今後は訓練に参加できないとなれば己という戦力の在り方を考えなくてはならない。
酷く不安の色を見せるカルディナに、セーディスは何やら困ったように眉を下げた。
そして、傍らの萎れた偉丈夫を見て、呆れたように深い溜め息を吐いた。
「ヴォクシス、あんたは席を外しな」
突然の通告に、彼は何故だとばかりにセーディスを睨んだ。
「この件はあたしから話した方がお嬢さんの為だよ。それにお前さんは、ちぃと頭を冷やした方が良い。そんな取り乱して、らしくないったらありゃしない…」
早くしろとばかりに背を乱暴に叩きながら、顎で出口を示す。
彼女の強い眼光に気圧されて、大佐は消沈した様子で病室を後にした。
妙な静けさに包まれる中、セーディスは大佐が座っていた椅子に腰掛けると、控えの女中から透明な袋に入れられたものを受け取った。
「これは執刀した医師から預かったもんだ…。これが何か知ってるかい?」
そう眼の前に差し出された見たこともない細くて小さな医療器具に首を傾げる。
一体これは―――。
「お前さんの腹から出てきたもんだ…。今回の大出血はこいつが身体で悪さをしていたのが原因らしい。本来、成長途中の子供の体内にはあってはならない物だ」
詳細はオブラートに包みつつもその説明で己の身に起きた―――正確には起きていた事をカルディナは悟った。
続けてセーディスは婦人科系の不調で医者に掛かったことがあるかを訊ね、その際の医者の名前、受診した時期など事細かく確認した。
「どういう意図でこれを装着されたかは、これから調べるとして…、今後は定期的に信頼出来る医者に診てもらった方が良いだろう。将来、子供が欲しいなら尚更にね…」
そんな忠告に只々カルディナは頷いた。
幸い、今回の大量出血の原因は外科的処置で取り切れたので、今後は身体の回復を待ちつつ経過観察となった。
「しっかし、あのヴォクシスがここまで狼狽えるたぁねぇ…!良いもん見させてもらったよ…!」
唐突に何やら嬉しそうに話すセーディスにカルディナは首を傾げる。
彼女曰く、大佐は遣手の交渉人としてルノレトでも恐れられているらしく、彼との駆け引きで勝てた商人は数少ないとのことである。
(噂には聞いてたけど、若くして上級士官に登り詰めた理由が分かってきた気がする…)
顔を顰めつつ、そんな事を思っているとノックの音が聞こえた。
来たのは点滴の交換に来た看護師で、それと入れ替わるようにセーディスは大佐を呼んでくると言って病室を後にした。
暫しのカルディナとの会話を済ませ、セーディスは病院の裏庭を訪れた。
この病院で喫煙所があるのはここだけなので、彼が来るとすればここしか無いだろうとの考えだった。
「だったら、何故それをもっと早くに連絡しなかったんですかっ!?」
喫煙スペースから少し離れた噴水の脇に設けられたガゼボの中、物々しい怒号が轟いた。
駆け足で近寄って様子を見てみれば、通信機を片手にヴォクシスは鬼のような剣幕で憤慨していた。
「それはそちらの言い訳でしょう!?万一、こちらでの対応が遅れていたら…!あの子も死に掛けたんですよっ!?」
こちらの存在にも気付かず、彼は怒り心頭で通話相手を怒鳴り付ける。
会話内容から察するに、カルディナの故郷の島に駐屯している彼の部下らしい。
「…兎に角、その軍医は拘束の上で厳重に監視を。限られた証人であること肝に銘じ、尋問に当たっては細心の注意を払ってください…!良いですかっ?これ以上しくじるなよっ?」
目頭を押さえながら、彼は厳しく相手に言い付ける。
そして、溜息混じりに通信機を切った。
冷めやらぬ怒りに、彼は機械仕掛けの拳を握り締め、力を加減しながらもガゼボを叩いた。
銅製のガゼボからは鈍い響きが鐘のように伝わり、屋根に乗って羽を休めていた鳩達が魂消たように飛び立った。
振り向き様に顔を上げた彼は、セーディスの姿に漸く気付いて、バツが悪そうに通信機と入れ替えるようにシガーケースを手に取った。
「お怒りのようだね?」
腕を組みながら、彼女は淡々と喫煙所に向かう彼に訊ねる。
怒り任せにライターの火を点け、彼は咥えた煙草を深く吸った。
「怒りたくもなります。二週間前から昨晩のカルディナと同様の症状で島民が立て続けに本土に救急搬送されていました。二週間も前からです…!」
連絡が遅過ぎるとばかりに、ヴォクシスは怒りの理由を煙と共に吐露した。
被害者が相次いだことで現場が混乱した事も分からなくはないが、部下達の初期対応の遅さに苛立ちを禁じ得なかった。
「カルテ管理の点から島に残していた軍医が、二年前から受診した全ての島民女性に施術していたことを白状したそうです。最年少の被害者はカルディナのようですが…」
そう言って言葉を詰まらせたヴォクシスにセーディスは首を傾げた。
嫌に表情が暗い。
「…一昨日、最初に本土に搬送された女性が亡くなったそうです。運ばれる一週間以上前から、本人は身体の異常を認識していたにも拘わらず、我々が信用出来ず手当が遅れた為にっ…」
額を押さえ、項垂れた彼は悲痛に告げた。
自身が島の駐屯兵団長に任命されてから既に三ヶ月近く―――。
長く過酷な生活を強いられてきた島民にはこれ以上の辛い思いをさせまいと出来る限りのことはしていたつもりだった。
文化的生活を継続的に続けられるよう優秀な部下を置き、各所に手配を回し、こんなことが起きる前にと手を打ちたかった。
けれど―――、島民の遺恨はあまりにも深かく、取り零された命は救えたかも知れない人生だった。
あまりの彼の落胆ぶりに、セーディスは慰めるようにその背を擦った。




