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出発前


 想定外の事態が発覚したのは旅立ちの前日だった。


「ごめんね、付き合わせちゃって…」


 書斎机にてカリカリとペンを走らせながら、ヴォクシスは同じく全力で書類確認に追われるカルディナとそのサポートに当たる士官に謝罪じみた言葉を掛ける。

 この約一週間、王都への出立に向けてあれこれと準備を進めてきたのだが、彼女の身元引受人として申請した筈の書類が一向に届かず、可怪しいと問い合わせた結果、なんとカルディナの出生届が未提出であったことが発覚。

 十歳以下の子供達の申請がなされていない事は既に承知していたが、カルディナの世代でも数名ほど発覚し、大急ぎで行政関係から保険関係までこの国で生きる上で必要不可欠な書類の再申請に追われていた。


「ローバー中佐いる〜?」


 必要事項を書き留めたメモを手に、慌ただしく廊下へと駆け出したヴォクシスは、隣の事務局で同じく島民の不備書類を捌いていたローバー中佐と他複数の士官の元へ。

 エナジードリンクを傍らにげっそりな中佐は、待ってましたとばかりにヨロヨロと席から立ち上がった。


「一先ずカルディナは戦災孤児扱いで、保護者関係の枠は私の名義に。明後日までには間に合うように一番手っ取り早く書類が受理される方法でお願いします」


「了解であります」


 端的に答えて、ローバー中佐はすぐさまブラウン管に向かう部下の元へ。

 受け取ったメモを片手に行政手続きの説明書類を漁り、諸々の処理を急いだ。


(えっと後は…)


 次の予定を思い返しつつ、ふと窓の外から聞こえたキャッキャと賑わう声に目を向ける。

 見れば、鎖に繋がれた機械竜セルシオンが尻尾や翼を使って子供達や士官と戯れていた。

 どうやら敵意が無いと解れば、竜はこちらに友好的らしい―――。

 あまりの巨躯故にセルシオンは陸軍が保有する中で最大の貨物輸送艦で運び出すしか無く、その兼ね合いから今日中に王都への輸送を開始する予定だ。

 近場の港まで乗り付けたら、そこからは戦闘機に見せかけて貨物車に乗せ換え、秘密裏に王城へと運び込む。

 出来ることならカルディナは竜と同行を願いたかったが―――。


「失礼します、大佐」


 カツンとヒールを鳴らし、クーパー中尉が声を掛ける。

 その手には国内鉄道の乗車券と王都までの道程を記載した冊子が握られていた。


「カルディナの方は万全そう?」


「はい。ご指示通り、ベルウッドから出る王都行き軍用列車の席をいくつか手配しました。あちらで手頃な身代わりバイト(ダミー)も数名用意したので安全かと」


 その返答に満足気にヴォクシスは頷き、安堵の笑みを零した。

 機械竜の軍事利用には竜を知り尽くしているカルディナの協力が不可欠であるが、彼女はまだ十四の少女である。

 この島を牛耳っていた前任駐屯兵団長が帝国のスパイであったことから、否応無しに大掛かりになる竜の移送に伴い、王都到着までに襲撃される可能性も否めない。

 最悪、竜は破壊されたとしても核である魂授結晶がある限りは何度でも再生する。しかし、生身でまだ自衛の術を持たない彼女は襲われれば一溜まりもない。

 故に、竜とカルディナの移送は手段とタイミングをずらさなければならなかった。


「同じ車両に同乗する士官や兵には軍の要人が乗るとだけ通達します。カルディナさんの我々への警戒心は完全には払拭出来ていませんので、特定の護衛官を常に付けるのは彼女への心的ストレスになります。何より我が国の軍人ならそれだけで理解するかと」


「確かに…。そうだね、その方が良いだろう」


 言葉を咀嚼するように頷き、ヴォクシスはその手筈で進めるようにと示唆。

 クーパー中尉は学生時代に心理学を専攻し、児童養護施設の補助指導員も経験。また看護師の資格も持つので、その意見に賛同した。

 中尉はキビキビとした敬礼の後、執務室で書類に追われるカルディナの下へと踵を返した。


「さて…」


 気を取り直すように呟き、時計を確認。

 時刻は正午。


 ―――そろそろ出立の準備をしなければ。


 カルディナと同様ヴォクシスもまた王都への帰還を命ぜられており、今晩にもエクスレイ中尉やモーヴ中尉と共に輸送機で本土に戻らねばならない。

 分刻みのスケジュールに溜息を零し、彼はシガーケースを手に取った。




 王都へと向けてセルシオンを運ぶ為の貨物輸送艦が到着したのは夕方の事だった。

 てっきり空舟かと思いきや、輸送艦には島民達が要望を出した農機具や作物の種、いくつかの苗木、更には家畜家禽にその飼料まで乗せられていた。

 これはヴォクシスの指示に因るもので、これまで迫害により島民全員が工廠での強制労働を強いられて来たが、かつては自給自足の生活が行われていたのを踏まえ、島民自身からも農業をしたいとの声もあって、その要望に応えたのである。


「大佐…、もしや東の川辺を開拓させていたのって、これの為だったんですか?」


 次々に運び込まれる農業資材に島民が歓喜する傍ら、クーパー中尉は得意げに微笑むヴォクシスにやや呆れを含んだ視線を送る。


 彼の一存で島の東側は今、大開拓を行っており、悪さをしていた元駐屯兵の内、島民に危害を加えていた連中は懲罰として昼夜そこで生い茂った木々の伐採抜根に耕運を()()でさせられている。

 元より二百年前の初代クロスオルベ侯爵が存命だった時代に柑橘類の栽培が行われていた痕跡があり、川の周辺は石積みの段々畑にはなっているが、なまじ人の手が入った跡の為、蔓草の山となった放置された人工物の撤去に、モルタル固めの土留壁の(はつ)り等々、余計な仕事だらけでやり難い事この上なし。

 挙げ句、カルディナを襲った前歴から逃亡防止として兵に渡した道具は全て古びた(なまく)ら―――。

 これは彼等が基地の備品の管理を怠り、鉄屑置き場に投げ捨てた品々で、監視役には脅しとして銃剣の携帯を義務付ける徹底ぶりである。


「末端兵ではあれこれ言い訳して大した刑罰にはならないだろうし、本土の拘置所で只飯食わせるより有益でしょ?これでもカルディナ達が受けた屈辱に比べたら軽いものさ。現に思ったより農地整備の進みが早いから、(つい)でに取り寄せんだ。この辺境じゃあ輸送コストも馬鹿にならないからね」


 嬉々と話す彼は、シガーケースより煙草を咥える。

 この厳しさこそ、彼が身内からも陸軍の悪魔と呼び称される所以(ゆえん)だ。

 彼等の罪状はC級戦犯――ジェノサイドや人体実験など《民間人への危害》に該当するもので極刑もあり得るが、その実、末端兵は殆どの場合「上からの命令に逆らえなかった」「同調圧力があった」などの弁明により不問に付されてしまう事例が多い。

 更に今回のような身内の犯行の場合、上層部が揉み消してしまう可能性も高く、実際、軽い処罰で終わってしまう事も少なくはない。

 故に―――、彼は島民達の怒りの消化の為、そして軍人としてのけじめとして先手を打ったと言えた。


(…王子と言う肩書上、大佐が彼等に何をさせようと黒い事実は国に握り潰される。国は握り潰す他ない。正義の鉄槌だから尚更、彼等は声を上げられない。全く、権力の使い方が恐ろしくお上手で…)


 溜息混じりにクーパー中尉は、眼前の御仁の恐ろしさを改めて痛感。


 ――この人の前で気を抜いたら命は無い。


 腕時計に見せ掛けた通信機にそっと手を宛てがい、中尉は己の背負った使命に緊張を走らせた。


「失礼します!ハインブリッツ大佐、機械竜移送の準備が整いました」


 駆け足でやって来た下士官が快活に報告を述べる。

 その知らせにヴォクシスは軽く頷き、竜が待機する基地へと踵を返した。

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