王たる覚悟
サニアス帝国皇帝アクアスの討伐から半年、長き歴史を誇ったサニアス帝国は戦勝国カローラス及びアヴァルト両王国の采配により、六つの州と自治区に分解され、国名もその頭文字を取ってLECAST連邦へと変更した。
その国の代表――初代大統領には、帝国宰相であったデュークス総統が抜擢された。
彼は元より優れた政治家でありながら皇帝の絶大な権力に逆らえず、しかし、その志は国民を想う真っ当なものであったことから、これからの新たな国と時代を牽引するに適任だろうとの任命となった。
「母上、本気ですか?」
そんな声が漏れたのはカローラス王国王都、再建中の王城の地下深くに設けられた簡易国王執務室だった。
建国間もない頃、有事に行政機能を維持する目的から造られた秘密の空間で、此度のように地上の建物が崩壊した場合にのみ使用される場所である。
幾重にも秘密通路が張り巡らされており、その一部は現在、臨時の行政施設に使われているヴォクシスの屋敷にも繋がっていた。
「これが最善よ。大戦の終わった今…、これからの時代に必要なのは、民の痛みに寄り添える人間性に富んだ君主なの…。私より貴方の方が適任だわ」
そう言葉を続ける母シルビア王太子に、呼び出されたアルファルド王子は戸惑いを隠せなかった。
帝国との長きに渡る大戦終結からまだ日が浅い今、大伯父にしてカローラス現国王ヴェーゼル一世は今際の際にあった。
元より高齢故に体調が優れず、帝国皇帝との対決で心労を重ね過ぎたのが仇となった。
意識はあるものの最早、身を起こすこともままならぬ御身はここより西にある王都迎賓館に秘匿され、その最期の時を静かに待っている状態にある。
そうした背景の上で、母から唐突に持ち出された―――、正しくは命じられたのは、その死と同時に己を次なる国王に任命すると言う内容だった。
「私もね、もう歳なのよ。この歳で国を背負わされても抱えきれないわ。アヴァルトのコルベル王とも同年代だし、これからの激動の時代を牽引していくなら若者じゃなきゃね?」
そう肩を叩くシルビアであるが、アルファルド王子の困惑は相当だった。
次期王太子として将来的にはと頭の片隅では考えていたが、サニアス帝国と言う大国が解体され、祖国カローラスも本格的な戦後復興へと動き出した動乱の今である。
「言うて俺ももう四十路なんですが…」
「働き盛りが何言ってんの…!気張りなさい!」
思わず零した弱音に、母は激励の一発を背にお見舞いした。
これだけパワフルなら、せめて戦後処理が落ち着くまでは君主の椅子に座ってもらいたいものであるが―――、その決意は固かった。
「………、やはりディアスの処分を考えての決断ですか?」
痛む背中を擦りつつ、然りげ無く訊ねた。
確認の為の問いだった。
常々気丈な母だが、この問いに対してだけは愁いを隠すことは出来なかった。
「そうよ…、息子の不始末を償うのは親の責務だもの。兄だからと貴方にまで背負わせる訳にはいかないわ」
テーブル上の書類を手にシルビアは毅然と答えた。
毅然とはしようとしたが、その手は震えていた。
「アルファルド、これからを良い時代にしなさい。それが貴方の使命よ」
顔を背け、凛と背筋を伸ばして母として告げた。
その背だけは王太子たる姿に見せたかったが、壁に置かれた書類棚の硝子戸には噛み締めた唇と頬を伝う涙が映っていた。
「言われずとも…、国民の為にも必ず期待に応えてみせます」
それが王家の子息として―――、強い母へと息子として応えられる最善の言葉だった。
王都郊外にあるその施設は、重大な罪を犯した軍人が収容される言わば監獄だった。
五年ほど前に旧帝国の手により襲撃されたこともあったが今は建物も再建され、本来の機能を取り戻していた。
「失礼するよ」
その日の晩、そんな施設に訪れたアルファルド王子は鉄格子の向こうで壁に寄り掛かってだらしなく座り込む姿に溜息を零した。
収容されてから既に五ヶ月。
最早、見る影もない弟ディアスの姿に王子は顔を顰めた。
「やあ、兄貴…。あ、そう呼ばれるのも腹立たしいかな?」
口だけは相変わらず、こちらを見た虚ろな目が嗤う。
昨日の判決にて、ディアスは国家反逆罪により最高刑―――死刑を言い渡された。
この国の法では、一般市民なら吊るし首であるが王侯貴族は矜持を保つ為として銃殺である。
この処刑方法の違いは貴族に対するせめてもの情けとされているが、現実、当たりどころが悪ければその分、死の苦しみを長く味わう事になる。
「何故、ヴォクシスを撃った?あんなに慕っていたのに…」
鉄格子に手を掛け、アルファルド王子は問い質した。
かつての若き日、従兄弟として確かに慕っていた筈なのに―――。
何処で道を間違えたのか。
「だって、ヴォクシス兄さんは狡いんだもん。俺が欲しかったものを全部持っていた癖に…」
拗ねたように返された一言に、思わず拳を握った。
そうだったのかと納得もした。
「ティアナさんの事か?」
その問いにディアスは自嘲気味に嗤った。
兄としてアルファルド王子も、弟の片想いは薄々気付いていた。
医療従事者一族であるクロスヴィッツ家は伯爵家としての顔も持ち、帝国との戦争が始まる以前は、資金集めの為に社交界にも頻繁に顔を出していた。
当時、王弟ハインエイス公爵の孫であった二人も貴族の集まりには度々引っ張り出されており、クロスヴィッツ伯爵令嬢であったティアナとも少なからずの面識を持っていた。
――正直、彼女は貴族令嬢としては一風変わった人だった。
年頃の女の子なのに化粧気もなければお洒落も面倒がり、主な話題と言えば流行りの感染症の傾向やその対策がどうとか、一族が経営する孤児院の子供達の事ばかり。
貴族としては浮いている人だったが、それがディアスの心を引いた。
初めは好奇心だったが、その人当たりの良さと優しさに魅せられた。
けれど―――、戦争が始まり当時十六だったディアスは王子として士官学校への入学を余儀なくされた。
彼女も医療従事者一族として努めを果たさんとパタリと社交界に顔を出さなくなった。
互いの忙しさに疎遠になったその縁は次第に綻び、再び結ばれることはなかった。
「羨ましかったんだよ。不意に現れたかと思えば、ティアナさんからの無償の愛を独り占めして…、しかも俺がどんなに足掻いても届かなかった高みに、あいつは易々と登り詰めた。戦場で讃えられるあいつが憎かった。ティアナさんだけじゃない。母さんからの期待も軍での地位も…、あいつがいつの間にか全部持っていきやがった。同じ王族なのに…、あいつより俺の方が貴族としての経験も教育も多いのに…、俺は凡人で…っ…、あいつの方が…っ……」
ボソボソと零した本音の言葉と共に、悔し涙が込み上げた。
ヴォクシスに対して、初対面の時は嫌悪感など微塵も無かった。
話してみて気が合うし、寧ろ良い奴だとさえ慕った。
先輩士官の死に心を病むほどの心根の優しさに、醜悪な戦争を終わらせんとする志の強さ、その背中に自然と集まる人望―――。
この男なら初恋の人を幸せにするだろうし生涯大切にするだろうと―――、だから諦めたのに―――…。
全ては帝国の魔の手に襲われ、無惨に彼女を死なせた事件が切っ掛けだった。
あの惨状で重傷ながらに生き残り、復活を果たした時は素直に安堵した。
けれど復讐心のあまり次第に冷酷無比な悪魔に成り果てる姿に―――、かつて彼女が愛した男の姿が薄汚れる様を見ていられなかった。
進んで血に染まり、その血塗れの手で何かに取り憑かれたように軍の上層に登り詰めていく彼が次第に不気味になった。
西の孤島から連れてきた無垢な少女を懐柔し、当然とばかりに連れそう姿には吐き気がした。
その隣に居るべきは初恋の人の筈なのに―――、段々と彼女の居場所を奪っていく小娘も気に食わなかった。
そして、そんな怒りと苛立ちを抱えながらも何一つヴォクシスに適うものがない自分自身が不甲斐無くて、どうしようもなく悔しくて―――。
ミラ妃暗殺未遂後にカルディナと顔を合わせた時は軽い牽制のつもりで、デビュタントでの件もほんの意地悪のつもりだった。
しかし、愚かで野心的な取り巻きは手加減を知らず想像以上に大事となった。
挙げ句には母や国王の逆鱗に触れ、飛んできた火の粉のあまりの熱さに、我ながら理不尽とは思ったが殺意を持った。
――いっそ堕ちるなら道連れにしてやる。
二人が英雄と讃えられる程、その黒い思いは膨らみ、相対して落ちぶれていく己に狂気に駆られた。
そうして手を取ったのが敵国の帝国だった。
皇帝となったアクアスに近付くのは思いの外、簡単だった。
王子としてのコネで祖国やヴォクシスに恨みがあると軽く情報を流してみればいくつかの帝国貴族が簡単に釣れた。
そこからクライス計画を知り、スパイとして情報を流した。
使い捨ての駒にされているのは承知の上だったが、それでも細やかにでも必要とされていることで飢えていた承認欲求は満たされた。
帝国が世界を征服し、いずれ己を見下して来た連中を見下し返せるなら十分だった。
自分を認めてくれない祖国カローラスなど滅べば良いと――、愛するティアナがいない世界など消えてしまえば良いと―――…。
そんな未勝手な破滅の願いは世界ではなく自分自身を滅ぼし、そうして終焉へと向かう今に至った。
「ほら、嗤えよ。不出来な弟が消えて清々するだろ?」
鉄格子の前、俯いて肩を震わせる実兄に苛立ちを乗せて嗤ったが、同時に零れ落ちた大粒の涙にすぐさま顔を背けた。
今更泣いた所で何も変わらない。
ならば、いっそ悪人らしい最期にしたい。
それがこれから国を背負っていく兄への餞だった。
「馬鹿野郎…っ…、俺にとっては、たった一人の弟なんだぞ…っ…、弟が処刑されるのに嗤えるかよっ…」
鉄格子を握り締め、アルファルド王子は声を震わせた。
顔など見れなかった。
ボロボロに泣いているのはディアス自身もだった。
「名君になれよ、兄貴…」
そっぽを向いたまま、そう不器用に告げるのが精一杯だった。




