惜別
フォレス公爵邸にて起きた事件は、予想を上回る衝撃と混乱をカローラス国内に招くこととなった。
ヴォクシスが提出したボイスレコーダーと彼自身の証言を基に、王国公安警察はフォレス中将を筆頭に本邸に集っていた人間を軒並み検挙。
襲い掛かった刺客も尋問を受け、徹底的に背後関係を洗った結果、フォレス一族が長年に渡って国庫を横領し、陸軍の軍需品を他国の闇オークションで売り捌いていたことが発覚。
その悪事を探られぬよう議会の正浄化に力を入れるヴェルフィアス傘下の議員や官僚をあらゆる手段で脅迫、もしくは買収して隠蔽を図っていたことも明るみとなった。
「…まさか、フォレス家がここまでの腐敗ていたとは…、これで当主である中将の逮捕は決定ですね」
事件から一ヶ月後の朝餉の時間、新聞に目を通したカルディナはホッとしたような―――、けれど何処か哀しげに言葉を漏らした。
「政界は大混乱だけどねぇ…、暫くあちこちで選挙続きかな?」
「これで悪徳議員や無能官僚に税金泥棒されずに済むと思えば安いものですよ。ま、心残りとすればあの場にいたディアスを仕留められなかったことですかね」
給仕がてら言葉を返したフォルクスに、ヴォクシスも苦い顔をした。
あの場にいて限りなく黒に近いディアスだが、彼は一貫して「政界を牛耳るヴェルフィアスを牽制する為、彼等の派閥に拮抗し得るフォレス側に付いていただけ」との姿勢で、国庫の横領やヴォクシスの暗殺についても知らぬ存ぜぬを突き通した。
警察機関も決定的な証拠が無いとして不起訴の判断を下し、まんまと逃げ切った状態である。
正直、フォレス中将よりも彼の背後に隠れていると思われる存在の方が気掛かりだったが―――。
「…王位を失って資産凍結も受けてる筈なのに、どうやって貴族至上主義のフォレス中将に近付けたのやら…」
そんな養父のボヤキにカルディナもきな臭いものを感じた。
フォレス中将は残酷なまでに貴族階級に拘っていた人間で、例え身内でも爵位や肩書きを無くした時点で切り捨てるような男だった。
現に再従兄弟で子爵位を冠していたボルボス中将の事も、事件後の処罰で爵位剥奪を受けてからはまるで初めから存在しなかったような素振りを取った。
彼にとって貴族で無い人間は、人間扱いされないとされ言われている程である。
「やっぱり不可解ですよね…」
潜む影の存在にカルディナは首を捻った。
夜会の話を聞く限り、秘密のサロンに出入り出来るほどにフォレス中将とディアスの関係は良好―――。いくら元王子とは言え、王位を失い資産も無い男を中将が態々懐に入れておくとは考え難い。
「…もしやディアス王子の王位復権を視野に入れていた?でも、それならお父様を抱き込んだ方が手っ取り早いし、クロスオルベを掌握するにも得では…、いや、お父様を引き入れる方が手間だったか…。だけど、それにしても…」
ブツブツと呟きながら、見えない魂胆に更に考え込む。
そんな折だった。
「失礼します!」
慌てふためいた様子で執事の男性が部屋に駆け込む。
滅多に焦らない彼の唯ならぬ様子に、ヴォクシスとカルディナは緊張を走らせた。
「お嬢様、急ぎお支度を。王宮経由でノアン・ヴェルフィアス様から緊急でお会いしたいとの連絡がありました。シルビア王太子殿下も立ち会うそうです…!」
思わぬ知らせだった。
事件以降、彼には会えていない。
だからこそ、様々な不安が胸に押し寄せた。
正午の鐘が鳴り響く中、呼び立てに応じて王宮へと馳せ参じたカルディナを待っていたのは、以前よりも更に窶れたノアンとそれを監視するシルビアとミラ妃だった。
部屋の四隅には万一に備えて女性士官達が待機し、乱暴騒ぎ以来とあってヴォクシスも立ち会いたい所ではあったが、帝国革命作戦におけるアヴァルトとの重要な会議があり、代わりとしてフォルクスが付き添いとして同行した。
「…念の為、身体検査はさせてもらったわ」
今尚、当時の恐怖を残すカルディナを安心させるようにシルビアは告げ、ノアンとの対面席へと誘う。
おずおずと席に就いたカルディナは、物々しい空気にゴクリと喉を鳴らした。
「…私は廊下で待機しています。何かあったら呼んでください」
場の空気からフォルクスはそう告げ、踵を返した。
これは男の自分は居ない方が良い。
そう判断したが―――。
「いえ、証人として貴方もいてください。複数いた方が万一の時に役立ちます」
引き止めたのはノアン自身だった。
意外な頼みに、振り返ったフォルクスだったが、賛同するように頷くシルビアに勘が働いた。
「カルディナさん…、今日は大切なお話があってお呼びしました。怖い思いをさせた後で、会いたくなかった気持ちは百も承知しています。本当に申し訳無い…」
ゆっくりとフォルクスがカルディナの傍らへと引き戻る中、ノアンは神妙な顔付きで頭を下げる。
その仕草と聞き慣れた物腰柔らかな口調で、彼女は思わずホッとした。
それは自身が溺れるほどに愛した紳士的な以前の彼の姿だった。
「ノアン様…、私は…」
躊躇いがちに、カルディナは今の気持ちを話そうとした。
お互い何がどう嫌だったのか、ゆっくりと落ち着いて話し合えば、きっと前のような関係に戻れる。
そう期待して勇気を出した。
「私…!」
両手を握り締め、声を出した。
それと同時だった。
「カルディナさん、私と別れてください」
穏やかで淡々とした声だった。
優しい笑みを浮かべ、けれど淋しげに弧を描く口元で―――。その表情と放たれた言葉に、カルディナは理解が追い付かなかった。
監視していた女性士官達も呆気に取られ、事前に聞いていたのかシルビアとミラ妃は動じなかった。
場の雰囲気に察していたフォルクスも、顔色を変えないように善処した。
「ここまで来て…、今更やっと目が覚めました。私は貴女の夫君には相応しくありません」
「ま、待ってください!そんな急にっ…!」
腰を浮かせ、縋るように声を荒立てる。
その姿にノアンは刹那、瞼を伏せ、両の膝に添えた拳を握り締めた。
「ハインブリッツ閣下を襲った軍用バイクをフォレス家に流したのは私なんです」
包み隠す事無く告げられた事実に、カルディナは喉元に控えていた言葉を失った。
ノアンは哀しみを湛えた笑みを浮かべ、絶望に染まり行く瞳を慰めるように、強張るその頬を撫でた。
「今日の午後、参謀本部と第一師団に特捜部の立ち入り調査が入ります。フォレス中将はヴェルフィアスを道連れにする為、私にハインブリッツ閣下暗殺未遂の罪を擦り付けるつもりです。軍の記録にも名前が残っているので言い逃れが出来ません。遅かれ早かれ軍法会議に掛けられ、実刑は避けられないかと…」
その言葉の意味する所は絶望に等しかった。
王族暗殺に関与し、軍の所有物を私的に利用したとなれば投獄は免れない。
下手をすれば、反逆罪で―――…。
「私の所為でこれ以上、貴女を傷付けたくはありません。今ならまだ…」
「わ、私に…!私に出来ることはありませんか!?証言ならいくらでもします!ノアン様がお父様を仇なすことなんて…!」
縋るように頬から遠ざかろうとするノアンの手を握り、カルディナは切に願った。
このままでは―――、このままではノアンとの未来が無い。
何とか彼を助けなければと必死だった。
けれど―――。
「フォレス一族に関わってしまった時点で私も同罪なんです。距離を取らねば危険な相手だと分かっていたのに…。父には私を先週付けで勘当するよう連絡して、既に家門からも除籍されています。王国宰相の息子が大罪人とあっては国に混乱を招きます。帝国との戦いが大詰めとなった今、父の失脚も貴女の不祥事もあってはならないんです」
宥めるように縋る手を撫で、ノアンはそっとその関係そのものから手を引くように繋いだ手を解く。
離れた温もりで彼の覚悟を悟り、カルディナの瞳からは大粒の涙が溢れた。
「カルディナさん…、貴女は素晴らしい女性です。強くて賢く、気高い…。だからこそ、容易く心を操られてしまう私のような人間では駄目なんです。貴女の隣に立つには力不足なんです…。貴女を護り、貴女を支えるには…、私では、その役目を果たせない」
穏やかなれど、強い意思だった。
彼は今一度―――、より深く頭を下げ、そして懇願した。
「どうか私と別れてください。この国の未来の為に…、より貴女に相応しい方の手を取ってください」
その声は微かに震えていた。
床へと下げた瞳には溢れんばかりの涙が浮かび、それを見せまいと頭を下げ続けた。
それが彼なりの、彼に出来る覚悟の形だった。
「………、…解りました」
時間としてはほんの二、三分。
けれど酷く長い沈黙を経て、か細く彼女は返答を絞り出した。
彼の覚悟を前に、溢れる涙の輝きを目にして、駄々を捏ねることは叶わなかった。
「今までとても楽しかったです。これからもまたチーズケーキ食べに行ったり出来たら嬉しいです…」
そう戯け交じりに気丈に笑った。
せめて、最後くらい―――、彼との時間が、彼にとっても楽しかった思い出になるよう綺麗に彩りたかった。
「…ありがとうございました」
尚も頭を下げながら、彼は感謝の言葉を絞り出した。
同時にその瞼からボロボロと大粒の涙が床に零れ落ちたのが見えた。
「こちらこそ、ありがとうございました…」
必死に浮かべた笑顔は、作り笑いにしかならなかった。
それでも声だけは―――、その耳に聞こえる声だけは明るく、彼が好きだと言ってくれた微笑みを纏わせた。




