アクシデント
祝賀会が終わって間もなく、カルディナは屋敷へと連絡を入れ、ノアンに教えられた王城内の客室へと小走りで向かった。
祝いの会場にはヴォクシスも居たが、古参の士官達に取り囲まれていたのと、ノアンと密かに会うことを告げたら何となく止められそうな気がして直接は言わなかった。
帰りが遅くなる旨の伝言を頼んだフォルクスには、護衛として話が終わるまで待機するとも言われたが、セルシオンを連れて行くし王城内だから大丈夫だと説き伏せ、無理矢理でも先に帰らせた。
無論、誰に会うかは上手くはぐらかした。
近頃ボディガードとして何処に行くにも常に一緒だった事もあり、自由に行動したい気持ちも少なからずあった。
加えて彼の私情を含めて言わない方が互いの為だと考えた。
「ここね…!」
待ち合わせの客室前、胸に抱えていたセルシオンを床に下ろし、ときめきながらチャイムを鳴らす。
間もなく聞こえた返事を伴い、そっとドアが開いた。
「待っていました。どうぞ?お疲れ様でした」
笑顔を添えて出迎えたノアンに、カルディナはすっかり乙女の表情である。
会釈してドアを潜り、堅苦しい礼装軍服の上着を脱いだ。
「セルシオン殿もどうぞ?」
そんな声に振り返って目を向けると、セルシオンは不機嫌そうに床に叩き付けるように尾を揺らし、ノアンを睨んでいた。
『やだ。僕、ここにいる』
そう言うや、セルシオンは廊下の端にあったコンソールの下へと潜り込み、不貞腐れた様子でとぐろを巻いた。
「ノアン様、気にしないでください。只の我儘ですから」
毎度ながらの毛嫌い具合にカルディナは呆れ返った。
交際から随分経つし、会う度に色々とおやつや玩具を貰ったりしているのに未だにセルシオンは彼を認めていない。
寧ろ、日増しにその嫌悪具合が増していた。
『…お前なんか嫌いだ』
プイッとそっぽを向き、ストレートな悪態をぶつける。
あまりの態度にカルディナは眉間に皺を寄せた。
「そんなに嫌ならそこで待ってて…!」
上着をハンガーに掛けるや戸惑うノアンを押し退けて言い放ち、バタンとドアを閉める。
更にはあからさまな音を立てて鍵まで掛け、反省しろと示した。
「良いのですか?」
「流石にオイタが過ぎますから…!」
困り顔で訊ねる彼に、カルディナは室内へとフンっと踵を返す。
そんな彼女にノアンは溜息を零しながらも、二人だけの時間を満喫すべく不敵に微笑んだ。
客室のテーブルには、宴会の疲れを癒すような温かな飲み物と乙女心を擽るアフタヌーンティースタンドが置かれていた。
王城の客室は正式な身分証の提示などいくつかの制約はあるものの一般的なホテルと同様、使用料を払えば誰でも借りることが出来る。
ノアンは特に王子妃の弟で軍人と言う事もあり、顔パス状態で利用が可能であった。
「ごめんなさい、折角城内に部屋を取ってもらったのに嫌な思いをさせてしまって…」
スタンドの中からサンドイッチを頂きつつ、カルディナはセルシオンの無礼を詫びた。
王城の客室は高級ホテルの部屋と互角の相場で、いくら名門貴族の令息とは言え、中々の出費である。
こちらを気遣っての手配とあって、申し訳無さが込み上げた。
「謝らないでください。これは私からの細やかなお祝いの気持ちですから」
そう向かいの席に腰掛けながら答えたノアンは徐ろに手を伸ばす。
そして、彼女の口元に付いていたソースを指で拭うと、当然のように自身の口へと運んだ。
艶めかしくさえある所作に、カルディナは思わず目を泳がせた。
これまでなら紳士らしく、ハンカチ等を差し出してくれたが―――。何だか会わない内に雰囲気が変わった気がした。
「…お祝いと言えばですが、公的な婚約発表の日取りが決まりました」
不意に告げられた重大な知らせに、カルディナは面を食らった。
堪らず口に寄せた紅茶をゴクリと喉を鳴らして飲み込み、言葉を咀嚼。
この国の貴族間における公的な婚約発表は、夜会などを主催して大々的に執り行う――が、先ずとしてまだ両家の正式な顔合わせが済んでいない。
普通なら食事会を兼ねた両家顔合わせの後、新郎新婦の両親が婚約発表の打ち合わせを行い、新郎側の主催で行なうが―――。
「で、でもまだ顔合わせが…」
「僕からハインブリッツ閣下には許可を頂いています。帝国への出撃がいつになるか分からないですし、手順を守っていてはいつになるか分かりませんから。婚約発表後、落ち着いたら顔合わせでも遅くはありません」
そう説き伏せる彼に、カルディナは疑問を残しつつも頷いた。
こんな大事な話なら養父から一言あっても可笑しくない筈だが―――、この所、多忙だったし何かのすれ違いだろうと強引に自らを納得させた。
「確かに…、それもそうですね…」
自らに言い聞かせるように言葉を放ち、戯けたように肩を竦める。
彼との結婚が近付くなら、悪い話ではない。
そもそもこの国の貴族同士の結婚は、交際から半年程度で婚約するのが主流だ。
発表が遅過ぎるくらいでもある。
「只、それに差し当たってなのですが…」
不意に声のトーンを落としてノアンは起立し、無言で隣に腰掛けた。
何だろうかと小首を傾げるカルディナを前に、彼は内ポケットから折り畳んでいた一枚の紙を広げた。
「カルディナさん…、これはどう言うことか、ご説明願えますか?」
そう見せられたのは、数日前に発売された大手のゴシップ記事だった。
文面的にはアルデンシア奪還作戦の成功を祝す内容であったが、その片隅には涙に暮れる己とそれを抱きしめるフォルクスの姿が大きめに映っていた。
添えられた一言も【英雄、仲間の死に涙】と事実とは異なった内容が書かれてあり、どうやら心配を掛けてしまったらしい。
「あー、作戦の時に撮られたやつですね…、機械竜での大規模襲撃を余儀無くされて…、その…精神的に辛くなってしまって…」
「それで?」
「フォルクスが介抱してくれたんですが、マナーのなってないカメラマンが無理に私を撮ろうとしまして…。激怒した彼がカメラを投げ捨てて追っ払ってくれたんですが…、多分データが残ってたんですね…。こんな出鱈目な記事にされているとは…」
困ったものだと語りながら、記事から彼へと視線を戻す。
瞬間、目の前にあった何処か真剣な目にドキリとカルディナの心臓が跳ねた。
「やだ、ノアン様ったら…」
あまりの顔の近さに苦笑い。
不意に距離を詰めて誂うのは度々彼が行う悪戯だが、こんな無表情は初めてである。
どうやら長らく会えていなかった分、嫉妬したらしい。
毎回の通り、止して頂戴と優しく指で頬を押した。
いつもならそれで彼はクシャッと笑って、紳士らしく手の甲にキスをする。
そうして、甘く楽しいお喋りが再開される。
しかし、今日のノアンは違った。
「私以外の男の胸に縋ったんですか?貴女には、私という婚約者がいるのに…、私という恋人がありながら…」
責め立てるように問いながら、彼は触れた指を乱暴に掴む。
その手の力と冷ややか声色で、異変に気付いた。
「の、ノアン…様…?」
「酷い人だ。こんなにも貴方のために影で働く私を蔑ろにするなんて…、他の男に現を抜かすなんて、あんまりではありませんか?」
明らかな怒りを含んだ声に、ゾワリと悪寒が走る。
躙り寄った彼に乱暴に座面に押し倒され、痛いほどの力で両腕を押さえつけられた。
下される冷たい視線に、心臓が警鐘を放つ。
怖い―――。
混乱の中で己の感情を自覚した刹那、強引に唇が重ねられ、押し入った熱に止めてと叫ぶ声を塞がれた。
襟元から身体をなぞるように指先が這い、ゾクゾクと悪寒が全身を駆け巡る。
止まぬ口吻に呼吸が乱れ、強張っていた手足から力が抜ける。
漸く離れた唇にどうしたのかと聴こうしたけれど、どうしても言葉が出なかった。
唇が、体が震えて声が出せなかった。
「…怖がる必要はありません。唯、私の事を忘れられないようにして差し上げるだけですから…」
不気味な笑みを浮かべ、ノアンが耳元へと囁く。
多分、普通なら――、恋人ならこの展開にときめく筈なのに―――…。
その声に、向けられる怒りと欲望に、只管恐怖しか湧かない。
頭の想いとは裏腹の感情に戸惑う間にも、首筋に艶めかしい熱が這い、チリッと痛みが走った。
怖い、気持ち悪い――…!
こんな筈じゃなかった。こんな感情を彼に抱くなんて。
好きだったのに、好きな筈なのに、愛し合っていた筈なのに―――…。
どうして良いか分からなくて涙が溢れた。
その刹那、ダンッ!と強烈な衝撃音が締め切ったドアを打ち鳴らす
何か硬いものでもぶつかったようなその音に、魂消たノアンは上体を起こして振り返る。
瞬間、剥がれた圧迫感にカルディナは身体を捩ってソファの上から転げ落ちるように逃げ出し、助けを求めるように鍵をこじ開け、ドアノブを引いた。
途端に部屋に押し入ったのは白い花弁の大群―――、形を崩したセルシオンだった。
ドアに体当りした衝撃で形態崩壊したのだとすぐに理解した。
「カルディナさん!」
ノアンの叫ぶ声に脇目も振らず、カルディナは兎に角外へと直走った。




