王国陸軍大佐ヴォクシス・ハインブリッツに関する備忘録
今から三十五年前の吹雪の夜、サニアス帝国との国境に位置するカローラス王国領モティ村の孤児院に、生後一週間の男児が置き去りにされた。
保護当時、男児は母親の物と思われる上等な上着に包まれており、その上着の内ポケットには生年月日と【ヴォクシス、赦して】と帝国の綴りで書かれたメモが入っていた。
これらを頼りに地元警察は母親の捜索を始めたが、その足取りは一向に掴めず、男児はメモにあった名前からヴォクシス・モティと名付けられ、孤児院で育てられることとなった。
孤児院でのヴォクシスは素直で争いを好まず、仲間思いな面を併せ持ちながらも何処か孤高な少年であった。
そんな彼に最初の試練が訪れたのは十五歳の時だった。
当時の王太子ギリウスの不義密通に対する王国の対応を巡り、帝国が報復として侵攻を開始。
宣戦布告として撃ち込まれた砲撃の内の一つが孤児院に命中し、ヴォクシスは倒壊した建物の下敷きとなった。
彼の左腕は倒れてきた柱に押し潰され、間もなく乗り込んできた帝国歩兵は砲撃に逃げ惑う民間人を次々に殺害。
その光景を目の当たりにしたヴォクシスは生き残る為、自らの腕を割れた窓ガラスで引き裂き、前日の雨で増水した川に飛び込んだ。
下流の町で保護された彼は、片腕を失う大怪我にも関わらず、冷静に帝国軍の侵攻の様子を大人達に伝え、それを元に国は陸軍一個師団を派遣。
残念ながら軍が到着した時には既に一方的な虐殺により、モティ村は帝国に制圧され、村の生存者はヴォクシス以外には誰も居なくなっていた。
この件について、帝国側の主張としては市民からの抵抗があった為としているが、武器を手にした遺体は殆どなく、老人や子供まで殺されていたことから、現在、国際的にはこの事件を【モティの大虐殺】と称して帝国に対して猛烈な非難を浴びせている。
村唯一の生き残りとなったヴォクシスは、話を耳にした国王の慈悲により、王都のクロスヴィッツ病院に搬送され、そこでアウラ医師の執刀の基、機械義肢を装着された。
リハビリは楽なものではなかったが、その時の支えとなったのが、アウラ医師の娘で三つ年上のティアナとの交流だった。
母のような医者になりたいと幼い頃から沢山の患者やその家族と接してきた彼女は、人の心に寄り添うことに長け、底抜けに明るく、同病院に併設されていた養護施設では子供達を纏める姉的な存在だった。
施設の新入りとなったヴォクシスにとっても彼女の存在は大きかった。
献身的なティアナの優しさに触れ、穏やかな養護施設での生活を過ごす内、村での悲劇も記憶から薄れ、今ある日々の楽しさを失うことが惜しくて、いずれは施設職員として働こうとさえ考えていた。
しかし、いよいよ施設からの退所が迫った十八歳の夏、次なる試練が彼を襲った。
突然、訪ねてきた王国陸軍中将――後のマーチス元帥が軍への入隊を迫ったのである。
表向きは戦況悪化による士官の補填と戦闘用機械義肢開発に対する試験人員としての要請であったが、この時、軍は既に彼の出生に関して情報を掴んでいた。
身辺調査と称して強制的に行われたDNA鑑定の結果、王弟の嫡子ディミオンとの親子関係が発覚。
強引に公爵邸に連れて行かれた時、ディミオンは既に病で今際の際にあり、昏睡状態で話すことも出来ない実父に代わり、祖父に当たる王弟ガルドアはヴォクシスに跡取りとなることを迫った。
公爵家は長女シルビアが既に王太子に抜擢されて兄王の養子になっていた挙げ句、何故かディミオンが一貫して独身を貫いていた為、後継者が誰一人いなかった為である。
彼自身は母親の素性も知れず、特権階級としての教養もない己ではとても務まらないと拒否したが、育った養護施設に対する醜聞を世間に流すと脅迫され、彼は途方に暮れた。
突然、降って湧いた実父の存在と望まぬ高貴な地位にヴォクシスは苦悩した。
施設育ちと小馬鹿にさえしてきた人間は途端に掌を返し、王弟からは毎日のように脅迫じみた手紙が送られてきた。
日増しに増える重圧に押し潰されそうになっていた彼だったが、そこに手を差し伸べたのがアウラ医師とティアナだった。
施設育ち故に上流社会で辛い思いをさせられるくらいならばと、アウラ医師は娘の夫として伯爵位を有するクロスヴィッツ家への婿入りを提案。
それはヴォクシスにとっては密かな望みでもあり、ティアナ自身も彼ならばと快く了承した。
そうして、軍への入隊と同時にヴォクシスはその姓をクロスヴィッツへと改め、軍からの出向という形でアウラ医師と共に、機械義肢開発の一員として病院で働くこととなった。
無論、軍人として辛い訓練もさせられ、有事には徴兵されることもあったが、帰る場所があり、待つ人がいると思えば耐えることが出来た。
それから一年も経たずして、実父ディミオンの訃報が届いた。
間もなくして王弟も息子と同じ病に倒れたとの連絡が入ったが、ヴォクシスは見舞いに行くこともなければ、その葬式も親族ではなく一般参列者として花を手向けたのを最後に遺産の相続権も全て放棄。
公爵家との関わりを完全に絶った。
これにより跡継ぎを完全に失った公爵家は取り潰しとなり、血族の柵から一先ず開放されたヴォクシスは軍と病院の仕事の傍ら、ゆっくりとティアナとの愛を育んだ。
案の定、尻には敷かれた。
軍人が情けないと野次を飛ばされたこともあったが、姉と弟の関係を長らく続けた彼らにとってはそれが当たり前だった。
施設の子供達は、夫婦となった二人を兄姉から父母として慕った。
ティアナにはいずれ病院を継ぐ兄がいて甥もいたので、自分達の子供は焦らなかった。
何より―――、ヴォクシスには懸念があった。
いくら公爵家が取り潰しとなったとは言え、王家の血を引いていることに変わりはなく、その身には王位継承権が発生していた。
国王にはギリウスしか子がおらず、孫達も帝国に渡ってしまった為、姪である伯母シルビアを養子として迎え、王太子に据えざるを得なかった事情があった。
現状ではシルビアとその二人の息子に優先度が回っているが、彼女等に万一があれば王冠は彼の頭に降ってくることになる。
王弟が逝去し公爵家が潰れた余波で後ろ盾を亡くした者達が、栄光を取り戻そうと自身を君主にしたがっていることは目に見えていた。
妻には申し訳なかったが、後継争いが起きることを思うと、己の血を分けた子を持つことに抵抗を抱かずには居られなかった。
だか、結婚から暫くした頃、新たに養護施設に来た乳飲み子を愛おしそうに抱く妻を見て考えが変わった。
愛する妻ティアナの子を、この手に抱きたい―――…。
その願いを神は見ていたのか翌年の春、妻の妊娠が分かった。
段々と膨らむ妻の腹の中、確かに成長する我が子の様子に、それまでの不安は覚悟へと変わった。
夫として父として、どんなことがあろうとも妻と子供を守ってみせる―――。
そう誓った晩秋、再びにして最大の悲劇が彼を襲った。
当時、齢僅か二十五にして実力で少佐にまで登り詰めていたヴォクシスの才を帝国は警戒し、脅威となる前にと暗殺を計画。
買ったばかりの自家用車で妻との思い出作りに遠出をした帰り道、彼は首都を目前にした橋の上で帝国特殊部隊による襲撃に遭遇した。
帝国兵は二台の大型車両でヴォクシス達を乗せた車に追突し、その弾みで二人は車諸共ガードレールを突き破って川へと転落。
沈み行く車内からどうにか脱出した彼は、銃撃を受けながらも極寒の川を身重の妻を担いで泳ぎ、橋脚に避難した。
そして、妻と胎児を救おうと援軍を呼ぼうとした矢先―――、帝国兵は多くの民間人が橋を渡っていたにも関わらず大型車両に積んでいた爆弾を起動。
過剰なまでに用意されたダイナマイトは、帝国兵をも巻き込んで橋そのものを倒壊させ、降り注いた瓦礫は容赦無く逃げ場のない二人を襲った。
次に目を覚ました時、ヴォクシスは全身を襲った激痛と脚の違和感に絶句した。
爆破により降り注いだ橋の瓦礫は、彼の背骨を砕き、その両脚をも引き千切り、最早、自力では起き上がることも出来ない身体となっていた。
地獄はそれだけではなかった。
腕に抱きしめていた筈の妻は爆風に吹き飛ばされ、襲撃から三日も経ってから数キロ先の下流で見つかった。
発見時、妻の遺体は直視に堪えないほど損傷が激しく、身元の確認に時間が掛かってしまったのだと地元警察から聞かされた。
司法解剖の結果、胎児も腹の中で死亡しているのが確認されたが、外傷がなかったことから妻は最後の瞬間まで子供を守ろうとしたのだと悟った。
妻と産まれて来る筈だった我が子を一度に亡くし、ヴォクシスは深い喪失感と絶望に自殺を考えたが、身動き一つ出来ない体ではそれすら出来なかった。
加えて己の意思とは関係なく繰り返される手術と投薬の壮絶さに、いっそ殺してくれと何度も願った。
それでも日々見舞いに訪れる施設の子供達の前では穏やかに微笑みを返した。
兄として父として慕ってくれた彼等に、咽び泣く姿は見せられなかった。
それぞれ辛い過去を背負っている子供達だからこそ、自分達の前では安心できるようにしたいと気高く笑っていた妻の想いを貫きたかった。
そして、意に反した手術を執刀するアウラ医師の姿に、次第に死を願うことへの罪悪感が強まった。
彼女もまた愛娘と孫を失った悲しみに身を裂かれる想いにも拘らず、軍は追い打ちをかけるように娘婿であるヴォクシスの身体を実験体として切り刻むことを要求。
人を救う筈の医者の倫あらざる行いに苦悩し、痛みに魘される枕元で密かに懺悔する姿は涙を禁じ得なかった。
襲撃から二年が経った頃、ヴォクシスは文明の利器により、自力で立てるまでに回復した。
全ては己の身体を二度に渡って引き裂き、妻子との未来さえ掻き壊した帝国に復讐する為―――、執念の復活だった。
見事、軍への復帰を果たした彼は最前線である東方基地への移動を願い、同時に国王への謁見を申し出た。
そして、玉座を前に大伯父である国王にサニアス皇帝ランギーニの首を献上することを誓い、ハインブリッツの名を冠する許可を得た。
それは彼なりのけじめだった。
妻の姓であるクロスヴィッツを名乗り続けることはアウラ医師とその家族を危険に晒す危険があり、彼女達の安全のためには世間に対して彼等との縁は切れていると示す必要があった。
しかし、かと言って、父方の公爵家は既に取り潰されて最早名乗れる名ではなく、故に王家であるハインブリッツを名乗る事が最善と考えた。
貴族連中は今更図々しいと陰口を叩いたが、そんなもの気にも止めなかった。
王も彼の考えを理解し、軍の士気を上げる為にも役立つだろうと彼を養子とすることで了承した。
王家の名を頂き、離れた仲間は少なくなかったが、その程度では己の歩む地獄の道には耐えられないと振るいに掛けるつもりで切り捨てた。
一方で擦り寄る者は骨の髄まで利用し、仇なす者には生地獄を味合わせた。
それでも好んで付いて来る者は多かった。
全ては愛する妻子を奪った怨敵を討ち取るその時まで―――、どれほど恐れられようが軽蔑されようが、彼は業火の中を進む事を厭わなかった。
例え、その怨讐の彼方にあるものが更なる地獄だとしても―――…、その破滅の歩みを止められる者は最早、居ないだろう。




