とある夕餉
季節は気付けば秋の入り、久々の帰国は卒業式の直前だった。
学校側の計らいで卒業に必要なカリキュラムは出撃前に既に終了しており、卒業制作も学友の協力のお陰で提出済み。
残すは当日に出席するだけの筈であった。
「…えっ⁉待って待って!こんな直前に言われても無理ですって‼そんな無茶な!」
屋敷の固定電話を前に、カルディナが声を荒げたのは卒業式の前々日の夜である。
あまりの声量と慌てふためく声色に、夕飯の為に呼びに来たヴォクシスは何事かとその背後で首を傾げる。
暫しの問答の末、先方の依頼に折れた彼女は溜息混じりに受話器を置いて、その場に座り込んでしまった。
「大丈夫?どーしたの?」
背を擦りつつ何事かと訊ねてみれば、カルディナは泣きそうな顔で養父に助けを求めた。
「首席挨拶⁉この直前で⁉」
夕飯の席、話を聞いたフォルクスは耳を疑った。
本来なら仕事のスケジュール確認がてら三人で和やかに食事をする筈が、テーブルには卒業式の一連の流れを記した書類が並べられ、カルディナに至ってはパンを齧りながら最新式のデジタルメモ機器を叩いていた。
明日の昼には学舎の講堂にてリハーサルに出なければならないため、大慌ても良いところである。
「この前の給料でこれ買って正解でした…!校正お願いします!」
すぐ脇に設置した印刷機より書き出した挨拶文を取り出し、ヴォクシスに手渡す。
彼はそれに目を通し、細かな言い回しや指摘を書き加えては返却した。
「前から思ってましたが、この屋敷の家電とかデジタル機器って最新式ばっかですね…」
「カルディナに合わせて買い直したの。結構高く付いてる…」
少々困り顔で言葉を返したヴォクシスに、カルディナは焦りもあってキッと目付きを鋭くした。
「調理器に関してはお父様でしょ!」
「カルディナだって、お菓子作りに使ってるじゃない」
「あれは借りてるの範疇です!業務用オーブンに石窯なんか普通の家は無いっての!」
「だって、石窯でピザ焼くの夢だったんだもーん」
そう彼はお茶目に言うが、屋敷のキッチンの現状を知るフォルクスは苦笑い。
料理やお菓子作りがヴォクシスの趣味だと言うことは周知の沙汰であるが、一流レストランかと思うほど、この屋敷の調理機器は充実しており、最早趣味と言うのはその範疇を超えている。
「それにしても何で今更、カルディナを首席挨拶に抜擢なんか…?」
率直なフォルクスの疑問にカルディナは酷く深い溜息を吐いた。
曰く、本当は学年連続トップを叩き出してた子爵令嬢がやる筈だったのだが、三日前から高熱を出しているらしく、他の候補も同じような風邪を拗らせて治りそうもない為、お鉢が回って来たとの事であった。
「嗚呼、そう言えばルノンで出始めた新型肺炎が国内でも流行り出してるってアウラ先生がぼやいてたなぁ…」
添削を済ませ、ヴォクシスはそんな話を思い出しつつ、出来上がった挨拶文をカルディナへと返却。
丁度、昨日になるが手足の機械義肢のメンテナンスで病院を訪れたところ、内科を主に院内が外来患者で酷く混み合っていた。
何でも心筋炎に発展して重症化する患者も多数いるらしく、王国の保健機関も調査に出てるとの事であった。
「先の翼肢病の時みたくパンデミックにならなきゃ良いけどねぇ…」
杞憂を零しつつ、ヴォクシスは皿に残る夕飯を口へと運ぶ。
養父の何気無い一言にカルディナは出来上がった挨拶文を鞄に仕舞いながら、俄にその顔を曇らせた。
翼肢病―――。
久々に耳にする病魔の名前に、仕舞い込んでいた過去の辛い記憶が頭を掠めた。
「…カルディナ、大丈夫か?」
名を呼ぶ声にハッとした。
こちらの様子の異変に目敏く気付き、フォルクスは心配の表情を浮かべていた。
「ごめん、何でもない。忘れない内に書類片付けて来るね。ご馳走様でした」
平静を装いつつ、使い終わった機器を仕舞って足早に自室へ。
どんなに慌てていても出された物はきっちり残さずがモットーな彼女には珍しく、テーブルには殆どの食事が残ったままだった。
「…こりゃ不味った」
食後のコーヒーを淹れつつ食器の片付けに取り掛かったヴォクシスは、思わず言葉を漏らした。
「カルディナには禁句だったの忘れていたよ…」
「禁句?」
片付けを手伝いつつキョトンとフォルクスは訊ね、そんな彼にヴォクシスは躊躇いがちに理由を告げた。
「実を言うとね、あの子の母君は翼肢病で亡くなってるんだよ。島の診療所に残っていたカルテに記録が残っていてね…。国内での終息宣言がなされた直後に罹患したらしくて、当時の駐屯兵長がその事実を揉み消した形跡があった。多分、国の保健機関による調査が入るのを恐れたんだろう…」
それはフォルクスにとって、初めて知る事実だった。
当時、島を牛耳っていた駐屯兵長の少佐はサニアス帝国の密偵であり、島民への苛烈な迫害を加えていた張本人だった。
当時、武器製造拠点として軍の中でも外部からの立ち入りが厳しく制限されていた島だからこそ、長らくその事実を隠蔽出来ていたが、大流行した病原菌が島内に侵入したとあっては国の保健機関の介入は避けられない。
故に駐屯兵長は罹患者発生の報告を揉み消し、患者も自宅隔離の上で放置するという悪手を働いていた。
「都市部では既に重症化を防ぐ治療薬があったのにねぇ…。どれ程頭を下げても、まともな治療を受けさせてもらえず、あの子は只々弱っていく母親を看取ることしか出来なかったそうだ…」
以前、涙ながらにカルディナから聞いた話を語り、ヴォクシスは物思いに懐からシガーケースを手に取る。
慣れた手付きで蓋を開き、抓み取った煙草を咥えれば、隙かさずフォルクスがライターの火を寄越した。
「こっちに来てからの検診で、産まれてから一度もワクチン接種を受けてないと知った時は肝が冷えたよ。出撃までに受けられる最低限の定期接種は完了させたけど…」
「まさか、まだ未接種が?」
片付けの傍ら灰皿を寄越し、フォルクスは眉を顰める。
ヴォクシスは溜息混じりに紫煙を吐いた。
「翼肢病ワクチンもその一つ。女の子だから子宮頸癌も受けさせないと…」
そう答え、腰を上げた彼はまだ長さのある煙草を消し潰した。
充てがわれた自室にて年季の入ったバックパックの中身を開け広げ、諸々の掃除がてら次の出撃までに買い足す物をメモして行く。
派遣先から戻ったら必ず行うフォルクスのルーティンだが、その手付きは何処と無く重く、中々進まなかった。
―――カルディナの母親は翼肢病で亡くなった。
今更、知った所でどうしようもないが、知ってしまったからこそ、その過去の事実が胸に閊えた。
フォルクス自身かつて猛威を奮った翼肢病に罹り、親族含め周りの人間が次々に斃れていく中、奇跡的に生き残った身である。
だからこそ、その壮絶さは痛いほど分かった。
(あの時の俺の話も聞いてて、しんどかったんだろうか…)
かつて彼女に聞かせた己の身の上話を思い出し、後悔の念に駆られた。
改装前の王城第二格納庫の片隅、戦闘翼肢のメンテナンスをしながら語ったあの時―――、端からは淡々と聞いていたように見えたが、内心は穏やかでは無かったのだろう。
「あ、いけね」
悶々としながら荷物の点検を続ける中、ふと脇ポケットから出てきた物にしまったと顔を顰めた。
スティングレイス修道院にて、セリカ皇女の侍女ライゼから手渡されたピルケースだった。
本来ならばヴォクシスか、カローラス軍の誰かしらに渡さなければならない品であったが貰い受けた後のドサクサに紛れて持ってきてしまった。
(…あれ?この花って…)
ピルケースの蓋に彫られた彫刻を眺め、些細な違和感を覚えた。
子供の頃、薬草として習った東洋の草に似ている―――。
そう思うや棚に置いていた各地の野草が掲載されたポケット図鑑を手に取った。
野の草花や各種生き物を知っておくことは戦場ではかなり役立つ。
食用になるかどうかは勿論、薬や武器として使えることもあるので、見知らぬ土地への派遣の際には必ずその本を持ち歩いていた。
「あった…」
花の名を見つけ出し、相違がないかを確認。
――何故、あの時セリカ皇女は敢えて自分達の見ている眼の前で毒を飲んだのか。
そして侍女のライゼが態々ピルケースを渡した理由とは―――。
微かながら胸に閊えていた疑問だった。
その疑問の鍵が見え始め、荷物の確認そっちのけで図書室に走った。
かつて王弟の住まいであったことから、この屋敷の蔵書数は目を瞠る物がある。
逸る気持ちを抑えて植物図鑑の棚を捜索し、手当たり次第に目ぼしい本をテーブルへと運び出す。
名前を頼りに次々その花が掲載されたページを開き、遂に見つけ出した秘密のメッセージに辿り着いた。
「ははっ、やっぱそうか…」
薄々は気付いていたが、突き付けられたメッセージに苦笑い。
これからどうしたものかと考えながら、戦地派遣の間に伸びた前髪を搔き上げた。




