瀕死の鷹、焦る悪魔
セルシオンが時間を稼いだ間にカルディナとフォルクスは森を南下し、そこを流れていた川の中を進んでいた。
そうというのもフォルクスが背負っていた戦闘翼肢が起動出来なかった為である。
再開の嬉しさのあまりローゲンと抱き合った際、バッテリーを抜き取られたらしい。
足で逃げるしかなくなったものの、来た洞窟の道は手負いのフォルクスでは険し過ぎてとても通れず、兎に角、追跡されないようにと血痕が流される川の中を選んだ次第である。
挙げ句、頼りの連絡手段である竜騎士連隊独自の通信機ビートルも圏外表示となっていた。
褒められた話ではないが、ビートルは僻地や国外では特殊な方法で飛んでいる電波を傍受してハッキング紛いのことをしているのだが、アルデンシア領土は山間の地域で長らく無人な場所が多い。
故に、今いる一帯には当てに出来る電波そのものが無いらしい。
「…カルディナっ…俺のことは…、…早く…お前だけでも…っ…」
「馬鹿言わないで!見捨てられる訳無いでしょ…!」
川辺の手頃な岩陰にて、構わず置いて行けと言うフォルクスに対し、カルディナは撃ち抜かれた肩の止血を急いだ。
兎に角、逃げる事を優先した為に手当をしている暇が無く、既に夥しい量の血が戦闘服を真紅に染めていた。
――貫通したお陰で、弾は残っていないが、早く野営地に戻って輸血しないと命が危うい。
次第に混濁し始めた彼の意識と青褪めていく顔色に焦りが募った。
いっそまた灼熱止血に踏み切るか―――。
彼の体力の消耗具合から一か八かではあるが、意を決して発煙筒を取り出した時だった。
「…カルディナ……っ…」
「まだ置いて行けとでも言う気っ?」
しつこいとばかりに顔を顰め、黙っていろと睨み付ける。
そんな彼女にフォルクスは酷く悲しげに笑みを浮かべ、囁くように言葉を告げた。
「…好きだ」
「……はっ?」
思わず声を漏らし、着火しようとした手を止めた。
何の冗談かと耳を疑った。
「好きなんだ…、お前のこと…。ずっと…言おうか…迷ってたけど…っ…、今…言わねぇと…言えなく…なりそうだから…っ…」
「…な、何…言って……」
突拍子も無い告白に、理解が追い付かない。
只管に狼狽えるカルディナに対し、フォルクスは虚ろな眼差しで血に塗れた手を伸ばし、愛おしげに呆気に取られるその頬を撫でた。
「…お前には…ノアン殿が居ることも…分かってるっ…、けどっ…分かってるから…。…俺はきっと…長くないから…、…っ…だから…後悔…したく…っ…」
積もり積もった想いを伝えようと懸命に言葉を発するが、血が流れ過ぎた所為で呼吸が上手く続かない。
動揺する彼女の顔もぼやけ、その頬から血痕だけを残して掌が滑り落ちた。
「フォルクス⁉ちょ、だ、駄目!弱気になっちゃ駄目!フォルクスっ‼」
光を失いゆく瞳に、我に返ったカルディナに底の抜けるような恐怖が押し寄せる。
必死に呼び掛け、死ぬなと叫んだ。
「良かった、ここに居たのね」
その声に絶句した。
咄嗟に腰元から拳銃を引き抜き、憎悪を持って銃口を差し向ける。
刹那、カルディナは自身の涙ぐむ瞳に写った姿に目を剥いた。
時は少し遡り、ローゲン達の足止めから撤退したセルシオンはその体を花弁に崩したまま、制圧後の調査と後始末に追われるポルテール城へと全力で引き戻った。
「…おい、あれ何だ?」
遺体の埋葬に当たっていた兵士達は、空から接近する靄のような白銀の塊を見て何が何だとざわめいた。
セルシオンはそんな彼等を見るや体を小竜へと変化。
それで漸く彼等は起きていた事態に勘付いた。
『ヴォクシス!ヴォクシスは何処⁉』
慌てふためく竜の声に、士官達はヴォクシスを呼び立てるべく駆け回る。
間もなく連絡を受けて駆け着けたヴォクシスにセルシオンは怯えたように飛び付いた。
「セルシオンっ⁉カルディナとフォルクスはどうした⁉」
震える竜を抱き締めながら、彼は何事だと問い質す。
『ヴォクシス、助けて‼カルディナ達が伏兵に襲われた!フォルクスが撃たれて大怪我なんだ!』
その知らせは場を凍り付かせるには十分過ぎた。
ヴォクシスが状況を事細かに聞き出す間、士官達は急ぎ捜索隊を編成。
直ちに二人が襲われた現場へと駆け付けた彼等は、イェリスの花に残る多量の血痕と、抜き取られて捨てられていた戦闘翼肢のバッテリーを見つけ、二人が置かれた状況に戦慄した。
「セルシオン、カルディナの居場所は分かるか?」
一縷の望みを賭け、ヴォクシスはセルシオンに訊ねる。
セルシオンは意識を集中するようにガラス玉の目を伏せ、彼女の身に着けている星の欠片の結晶の在り処を辿った。
『…凄いスピードで移動してる。南に向かっているみたいだ』
その回答に、捜索隊の脳裏を最悪の事態が過ぎった。
「既に帝国に拘束された後かも知れんな…」
溜息混じりに溢れたランドル中佐の言葉に、ヴォクシスは拳を握った。
二人の力量を過信していた。
否、帝国の狡猾さを甘く見ていた。
元帝国エースパイロットにして数多の修羅場を潜り抜けてきたフォルクスならば適任だと―――、簡単な任務だから大丈夫だと高を括っていた。
「………、現時刻を持ってアルデンシア奪還作戦を中止する…!シャンティス大佐とバルシェンテ遊撃隊長の救助を開始せよ!セルシオンは戦闘用ボディでカルディナ達の下に案内を…!」
その号令に、当然ながら現場にいた部下達はどよめいた。
「ヴォクシス、待て!お前さん一人で決められる事じゃ…!」
冷静になれとランドル中佐はヴォクシスの肩を掴んだ。
愛娘が行方不明とあって焦る気持ちも十分に解るが、国軍の筆頭指揮官が冷静さを欠いては兵や下士官達の命に関わる。
しかも今回はカローラス王国だけの戦いではない。
彼個人の独断では国際問題になりかねない。
「二人だけで偵察に行かせてしまったのは、この私だ。それに二人がいなければ先の公宮殿には進めないっ…。全ての責任は私が…!」
冷静に居ようにも隠し切れぬ後悔と焦りで判断が先走る。
如何なる状況に於いても冷静沈着が売りだと言うのに、彼らしくない姿に皆が動揺した。
「お待ち下さい!」
そう声を発した存在に皆が驚いた。
いつの間にか現れてヴォクシスへと会釈していたのは、サニアス帝国の国教シェール信教の神官の服を着た初老の女人だった。
「シェール神聖国より参りました中央神殿神官長付きのライゼと申します。中央神殿神官長セリカ・フォン・サニアスタ様より託けを預かっております」
詰まる所、セリカ皇女の侍女だという女人は堂々たる姿勢でそう告げ、一通の手紙を差し出した。




