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秘密取引


 縛り付けられた粗末な椅子の上、息も絶え絶えに、冷徹な目でこちらを見下ろす軍人らを睨み返す。

 顔に被せた布に水を掛けて窒息させるという簡単でありながら非道な拷問は、ここでも常套手段らしい。


「やはり、この程度の尋問では口を割らないね…」


 その声に酸欠で痛む頭を上げる。

 涼し気なその顔に思わず嗤った。

 王族でもある御仁が、自ら尋問に来るとは予想外である。


「はっ…、拷問の間違いだろう?次は手足でも切り落とすか?」


 その言葉に背後に控えていた軍人が黙れとばかりに髪を鷲掴み、強引に頭を下げさせた。


「正式には初対面になるから一応自己紹介をしよう。私の名は…」


「ヴォクシス・ハインブリッツ…、あんたの情報は確認済みだ…。階級は大佐で、所属は第八師団から参謀本部に変わったようだな…。確か国境の村の孤児院出身で、二十年前の襲撃に際して片腕を失う大怪我…。十八で陸軍に入隊するに当たっての調査で王弟の嫡男ディミオンの隠し子であることが発覚…。十年前に帝国の奇襲に遭い、両足切断の重症を負わされた挙げ句、身重の嫁さんが巻き込まれて死亡…。中々ハードな人生らしいな…?」


 つらつらと告げた把握情報に他の軍人らが驚きの表情を見せる中、ヴォクシスは顔色一つ変えず、憂い気な溜息だけを零した。


「君に比べればまだ救いのある人生だよ、ビジェット少佐…。否、フォルクス・バルシェンテ殿とお呼びした方が正しいか」


 その名を耳にして、フリードは目を剥いた。


「北東の旧アルデンシア公国の近衛隊長バルシェンテ公爵の第二令息として生まれ、物心付いた頃から公女キャスティナに仕えていたと聞いている。八年前に帝国が実験目的に放った生物兵器、翼肢病により国民の八割が死亡し、一夜にして国が滅ぼされて以来、敗戦奴隷として戦場に駆り出され続けているそうだね…。昨年これまでの武功から少佐に昇進し、キャスティナ公女の手元に舞い戻ったと聞いたが…、その様子から推測するに待遇はあまり変わらないのかな?」


 淡々と告げられる己の素性に脱帽した。

 一体、何をどうすればそこまで調べ尽くせるのか―――。

 帝国でもそれを知り得ているのは軍の極一部のみで、しかも生物兵器については帝国がばら撒いた事実は巧みに隠蔽されていている。


「察するに、主人であるキャスティナ公女を人質に取られているね?表向きは妃として召し上げられているが、実際は幽閉も同然だろう」


 これは恐れ入った。

 この男は、千里眼でも持っているのだろうか。


「流石は若干、三十で大佐にまで登り詰めただけあるな…」


 最早、その存在に気味悪さを感じて顔が引き攣る。

 思わず垣間見せた本音の表情に、ヴォクシスは微かに微笑み、彼と向かい合うように置かれた椅子に腰掛けた。


「その背は病で得た翼を切り裂かれた名残かな…?」


「あんたと同じで戦争で引き千切られたのさ。帝国にとっては良い実験体だ…」


 自嘲気味に肩を竦め、息も整ってきたので姿勢を正す。

 双方互いの身の上は把握済みと分かり、睨み合う内に変な笑いが込み上げた。


「気を取り直して、交渉に入ろうか…。我々に協力すれば公女の安全を約束しよう。サニアス皇帝ランギーニを討ち取った暁には、君も自由の身だ。公女と共に祖国を復興させるなり、新たな土地で新しい生活を送るなり好きに出来る」


 そんな提案と共にヴォクシスが手を上げ、それを合図に体を縛る縄が解かれる。

 浮かべる不敵な笑みが、言い様のない程に不気味であった。


「…敵兵に対して高待遇過ぎないか?」


 縄で擦れて痛む腕を擦りつつ、端的に疑問を投げる。


「それだけの仕事をしてもらうと言うことだ。今まで以上に命の保証もない」


 案の定の付け足しに鼻で笑った。


「…で、何をさせる気だ?」


 その問いにヴォクシスは足を組み、徐ろに指を二つ立てた。


「一つは間者(スパイ)になってもらうこと。皇帝の信頼を得るためなら多少の手助けもする。欲を言えば、帝国の参謀本部辺りに潜り込み、皇帝の動きと共に情報を流してもらいたい」


「無理だと言ったら?」


 速攻で返された返事に彼は、微笑みはそのままに小首を傾げた。


「断る理由があるのかな?」


「先ずとして、帝国の参謀本部は特権階級の領域で、俺のような奴隷上がりが入り込める場所じゃない。それに将校でも皇帝と直に話せるのは各軍の元帥くらいだ…。ランギーニは妹のセリカ皇女と四人の寵妃、七人の忠臣以外には顔すら見せない野郎だ。警戒心が強過ぎる」


「しかし、キャスティナ殿下は第一皇妃で紅玉宮(ルビーパレス)の主だろう?君はその腹心なのに、会うことも出来ないのかい?」


 その問い掛けに心底、食えないやつだと苦笑した。

 皇帝が召し抱える寵妃の情報は、軍事機密と同等の極秘事項である。

 妃達の素性は疎か、与えられている宮殿の名前やその順位も知らない官僚も多いというのに、本当に何処から情報を仕入れているというのか―――。


「皇帝が会いに来る時は、決まって全員宮殿から追い出されるんだよ。こっちは、いつも気が気じゃない…」


「………、どうやら、皇帝が腹癒せに妃に暴力を振るっていると言うのは本当らしいね…?」


 言葉に滲む不穏な事情に、ヴォクシスは密かに耳にした疑惑を訊ねた。


「それはキャスティナ殿下に限らないがな。妃は皆どっかしらの人質だし…、寵妃と言っても命の保証はない国だ」


 反吐が出ると言わんばかりに言い捨てる彼に、見守る軍人らは僅かに同情の色を見せる。

 戦場で彼の名前を知らない将校は居ないと言わしめるほど手強い宿敵だが、その身が置かれている立場と状況は、数ある武勲とは程遠いらしい。

 大方、少佐と言う階級も組織の指揮を上げるための見せ掛けなのだろうと、誰もが察した。


「ならば、君を餌にキャスティナ殿下に協力を願う他あるまい」


 不意に放たれた言葉に、フリードは耳を疑った。


「公女殿下は君を実の弟のように可愛がっているのだろう?寵妃ならば皇帝に近付くのも容易だろうから、こちらとしては手っ取り早いのだが…?」


 そう顎を撫でつつ悪意を持って嗤ったヴォクシスに、彼は噴き上がった怒りのまま反射的に殴り掛かろうとした。

 案の定、すぐさま控えていた軍人等に取り押さえられて床に叩きつけられたが、その目は爛々としていた。


「あの方を巻き込むなっ…!」


 唸るように警告する彼に対し、ヴォクシスは気に留めることなく懐中時計を確認。

 差し迫った時刻に、時間切れだと溜息を零した。


「ならば素直に協力してもらえるかな?時間はまだある。ゆっくり考えると良い」


 時計をポケットに戻しつつ席を立つ彼に、フリードはのたうち回り、何処へ行くのだと怒鳴り散らす。

 脇に控えていた部下から預けていた外套を受け取り、ヴォクシスは振り返り様に柔和に微笑んだ。


「見舞いだよ。君が虐めてくれた大事な部下が今朝から熱を出してね。もう一つの依頼は、君が一つ目に協力する気になったら話すとしよう」


 そう言い残し、踵を返してひらひらと手を振る。

 飄々とした足取りで過ぎ去る背に向け、乱暴に叫ぶその声は、無情にも無造作に閉められた扉に遮られた。

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