十八の春
荘厳な入道雲が闊歩する群青の空にエンジン音を轟かせ、六機編成の戦闘機が雁行陣形を取りながら翔けていく。
その先頭にて、機械仕掛けの翼を悠然と広げる白銀の竜は退屈そうに大きな欠伸を掻いた。
『イーグルⅠよりクイーンへ。セルシオンに疲労の兆候。指示願う』
戦闘機部隊を統率する機体より無線が入り、隊長であるエクスレイ少佐が指示を仰ぐ。
彼等を俯瞰するように雲の上から飛行する黄金の竜デュアリオンをその胸より操縦する乙女カルディナは、周囲の雲の動きを観察の上で判断を下した。
『こちらクイーン。北西に天候悪化の傾向あり。このまま飛行を継続。もう少しだから頑張りましょう』
『『『了解』』』
帰って来た部下達の声に己も気を引き締め、黄金の翼を羽撃かせる。
当初はその存在を忌み嫌い、恐る恐るであった操作も今では手足の如く自由自在である。
未だ解明し切れていない部分もあるため油断は禁物であるが、訓練や実戦を積み重ねて慣れた分、身体的負担も以前より随分と減り、その分、即座の状況判断能力も向上。
特務大佐として階級に見合った仕事が出来るようになったと言えよう。
『しっかし、卒業プロムの直前でルノンに派遣とは大佐も災難でしたね』
眠気覚ましにと談笑する少佐の声に、思わず苦笑い。
今回、派遣された南方の友好国ルノン共和国は都市国家ルノレト襲撃の折、派遣した一個大隊が帝国の猛攻を受けて壊滅させられる被害を被った。
元より仲間意識の強い民族が集中している国家故、ルノン共和国は襲撃から一年も経たずしてその報復として帝国に宣戦を布告。
始めこそ互角にやり合っていたものの近年頻発していた旱魃の影響を受けて戦況が悪化し、軍事協力を願われた次第である。
『全くですよ。帝国に喧嘩売る前に、先ずは旱魃で苦しんでる自国民を助けてあげて欲しかったものです』
呆れ気味に言葉を返し、見えて来た祖国カローラスの大地に一先ず胸を撫で下ろす。
現在航行している場所はルノン共和国とカローラスを隔てる広大な沙漠地帯ベレツィエ平原の大陸公道上空である。
この一帯の土地は元来ベレツェランと呼ばれる誇り高き遊牧民達の自治区であり、どの国もその土地を不用意に脅かすことを伝統的に禁じてきた。
そうと言うのも遊牧民ベレツェランは身体能力に優れた騎馬民族で、彼等が提供してきた馬やベレツェラン自体が傭兵として活躍した時代も有り、歴史上の対局に大きく関わっている為である。
今現在も彼等が産出する馬や羊毛は各国の王侯貴族に献上される程に質が良く、機械化が進んでいるとは言え農業や土木、資源採掘の現場では屈強なベレツェランを敢えて雇用する企業も多い。
そんな優れた民族である彼等を怒らせたくない為、各国は暗黙の約束として大陸公道以外は空も地上も通ってはならないと自発的に法律を制定。
自然的にベレツェランの逆鱗に触れぬよう大陸公道での争いもご法度となった。
しかし―――、帝国皇帝ランギーニが病に伏し、その執政をアクアスが握り始めてから、その暗黙の約束は反故にされた。
その決定的な出来事が、ルノレト事変と今日呼ばれているかつての襲撃である。
これまで金銀財宝を体に巻いて歩いても大丈夫とさえ言われた公道は最早、軍隊や傭兵と言った用心棒無しには通れない道となり、帝国の凶行に触発された盗賊も各所で頻発。不可侵の筈だったベレツェラン自体にも暗い影は差し込み、ベレツェラン児童の失踪が相次いでいるとの報告もある。
今回の派遣では、ついでにそれら調査と粛清も頼まれる羽目となった。
『取り敢えず、帝国軍も空賊も現れずに済んで幸いです。このまま王都まで帰れると良いのですが…』
次第に怪しくなってきた雲行きに、彼女は先の航路を心配した。
ルノン共和国からカローラスに伸びる大陸公道は緩やかに北東へと伸びているが、雲の動きを見るに祖国の領空に入る頃には追い付かれそうである。
機能性質上、機械竜は雨を嫌う。
既に飛ぶことに飽き始めている相棒のご機嫌を損ねない為にも先を急いだ。
季節は若葉の芽吹く春の折―――。
機械竜の開発者にしてその操縦者であるクロスオルベ侯爵こと、カローラス王国陸軍特務大佐カルディナ・シャンティスは齢十八となっていた。
派遣先から戻ったカルディナ達を待ち受けていたのは土砂降りの雨であった。
上空から見えていた雨雲は狙い澄ましたかの如く、王都中央に位置する王城すぐ脇の第一師団駐屯基地の滑走路に滑り込むと同時に大粒の雨をお見舞いした。
大慌てで隣接する格納庫に戦闘機が押し込まれる中、カルディナ操るデュアリオンとセルシオンは下士官の誘導で王城に通ずる門を潜り、王城内第二格納庫へ。
ほんの数分でビショビショになった二機の機械竜に整備隊は哀れみの視線を向けた。
『雨嫌い!』
不機嫌そうに機体を揺らして飛沫を豪快に払い、案の定セルシオンはご機嫌斜めの様子。
不貞腐れる白竜にその場の下士官や兵達は慰めるようにタオルやウエスを持ち寄った。
「お疲れ〜。災難だったねぇ!」
そんな飄々とした声を響かせ、陸軍の悪魔と畏れられるカローラス王国陸軍少将ヴォクシス・ハインブリッツが歩み寄る。
出迎えたその姿にカルディナは駆け足で竜の腹から飛び降り、皆への敬礼も適当に養父の下へと駆け寄った。
「お父様っ!お帰りなさい!」
喜びのあまり、満面の笑顔で養父の胸に飛び込む。
熱烈な歓迎にヴォクシスは面を喰らいながらも衝撃を流すべくその場で華麗に一回転。
再会を噛みしめるように、しかと娘を抱き締めた。
「カルディナもお帰り。大変だったね」
久々に見る娘の顔に、彼も感無量の様子。
互いに仕事や学業が忙しく、急な長期派遣があったりと擦れ違いが続き、顔を合わせるのは丸一年ぶりとなった。
「お父様こそ…!アヴァルトから戻ってらしたなら連絡くれれば良かったのに…!」
無邪気に手を繋ぎながら、カルディナは困り顔ではにかむ。
今より二年前となるルノレト襲撃事件を機に、世界各地へと凶行を繰り返すサニアス帝国への報復として、北のアヴァルト王国とカローラス王国は現在、大規模な進軍を開始すべく最終調整を行っている。
元より帝国革命を決起していたバンデット隊を筆頭とする旧アルデンシア勢力が壊滅に追い込まれ、民間集団――もとい、義勇軍による革命は困難であると判断された故であるが―――、二つの大国が直接的に手を下すとあって、その動きは一際に慎重であった。
「野暮用で急遽戻ることになってね。それと腕のメンテナンスも…。残念ながら来週にはまた行かなきゃいけないんだ」
ぎこちない動きをする左腕の機械義肢を見せつつ、ヴォクシスは苦笑い。
そんな養父の言葉にカルディナはシュンと肩を落とした。
「それは残念…」
「何とかプロムの日までには終わらせるよ。主催者だし、何よりも娘の晴れ姿は見たいからね」
そう意気込むヴォクシスに、彼女は困ったように笑った。
来月に予定しているプロム―――、高校卒業記念のダンスパーティは養父の一声で、現在の自宅となった王都の屋敷で催されることになった。
元より在籍する王立女学園のプロムは学年の成績優秀者が主催するのが伝統で、通常は格式のあるホテルやレストランで行われる。
時折、今回のように生徒の自宅を使用することもあるが―――。
「だけど、本当に百人も入れるの?」
「勿論…!昔は大規模な夜会をあの屋敷で開いていたくらいだからね。皆も張り切ってるし、安心してね」
力強く銅色の髪を撫でつつ、任せろとばかりにヴォクシスは微笑む。
そんな頼もしい父の手の温もりに、カルディナは頷きながら目を細めた。




