奇襲
大理石の床を蹴り飛ばし、逃げ惑うように回廊を直走る。
冷えた空気に肺が凍え、痛む胸の息苦しさに涙が溢れた。
己の呼吸だけが鼓膜に響く中、重い鉄鋼の扉を押し開ける。
静寂の中、強固な鎖に繋がれたセルシオンは、目の前で泣き崩れた主に歩み寄った。
寄せられた鼻先を抱き締め、カルディナは耐え兼ねたように嗚咽を漏らす。
色々なことが一度に押し寄せ過ぎて、もう心が限界だった。
そんな主を慰めるように、セルシオンはキュルキュルと喉を鳴らす。
ガラス玉を嵌め込んだだけの無機質な筈の瞳は慈しみに満ち、寄せた耳に聞こえる鼓動の様な稼働音に心が安らぐ。
同じ人間と過ごすよりも機械であるセルシオンと過ごす方が安堵を覚えた。
「…セル、ありがとう。ちょっと落ち着いてきた…」
寄り添い合いながら気持ちを落ち着け、涙を拭う。
垣間見えた笑顔に、セルシオンはキュイと安心して笑うように声を上げた。
「今度のボディチェンジで発声機能、試しに付けてみよっか?セルとお喋りできるようになったら楽しそう…!」
交差された前足の間に腰掛け、そう訊ねながら喉を撫でる。
そんな主人の髪を甘噛みしながらセルシオンは目を細めた。
「…さて、そろそろ戻らないと。大佐にちゃんと謝らないとね…」
涙が引いたのを確認し、溜息混じりに腰を上げる。
握り締めたままの石をブローチに隠し入れ、相棒におやすみのキスをした。
「セル、また明日」
額を撫で、最後にもう一度抱きしめる。
そうして、気持ちを整えて踵を返そうとした瞬間だった。
「お前がクロスオルベの末裔だな?」
そんな声に、驚いて背後を振り返る。
閉ざされた鋼鉄扉の暗がりに人影があった。
「どなたですか?」
訊ねながら、見知らぬ相手に身構える。
またも大佐と確執のある御仁だろうか。
見た目は二十歳前後の青年で、目鼻のハッキリした中々の男前であるが―――。
「俺の名はフリード・ビジェット。階級はお前と同じだ」
そう相手が名乗った瞬間だった。
その背後が俄に青白く光り、機械仕掛けの翼の形が浮かび上がる。
同時に唯ならぬものを感じたセルシオンは、素早く立ち上がってカルディナを守るように翼を広げた。
「お前には壊れてもらう。ご主人様は皇帝への手土産だ…」
淡々と告げられた直後、キンッと甲高い音を立て、セルシオンの胸に火花が散った。
火の粉と共に舞い落ちた銀の鱗に、カルディナは目を疑った。
セルシオンの体を包む魂授結晶は、ちょっとやそっとでは傷付きもしない強固な物体で、そう簡単には壊れない。
その筈なのに―――、たった今、その鱗が意図も容易く砕けた。
「次は頭だ」
そんな呟きと共に、特殊な形状の銃がこちらを狙い定める。
セルシオンは反撃に出ようとしたが脚の鎖が邪魔をした。
容赦無く打ち込まれる銃弾から、主人を守ろうとその背と翼を盾に蹲る。
銃弾の衝撃でパラパラと剥がれる鱗は通常ならば、すぐに形を直して機械の体に戻ろうとするが、今は不自然に塊になって痙攣するように揺れるばかり。
撃ち抜かれた皮膜も戻るどころか、そこからボロボロと崩れていく。
その異様な様子にカルディナは混乱の中で何が起きているのかを考察。
この場を乗り切る打つ手を必死に探した。
「…まさか…磁石?」
その回答を閃いた瞬間だった。
「御名答。こいつは一時的に魂授結晶の再生能力を阻害する弾だ。まあ、結晶の人工知能が学習するまでの話だが…」
間近で聞こえた言葉に、勢い良く頭上を見上げる。
対のファンが高速回転する機械の翼を広げ、動けないセルシオンを踏み付けながら、フリードと名乗った男はこちらを見下ろしていた。
制圧されるまで一分も掛かっていなかった。
あまりにも素早かった。
「やっぱ頭が良いらしいな。これは使える」
小首を傾げながら不敵に微笑むその腕が、乱暴に髪を鷲掴む。
頭から床に押し付けられたカルディナは咄嗟に助けを呼ぼうとしたが、その間もなく口を塞がれ、腕も縛られた。
手慣れた動きでフリードは彼女を拘束すると、徐ろに床に散ったセルシオンの鱗を拾い始めた。
「分析に回すなら、こんなもんで良いだろう…」
そんな呟きを零しつつ、いくつか鱗をジャケットのポケットに仕舞い込む。
そして、再び迫った掌にカルディナは恐怖した。
―――助けて…!
心で叫んだ時だった。
「その子から離れろ!!」
その声に涙を浮かべた目を見開く。
驚いたように振り返るフリードの背の向こう、照射される眩しいほどの光を背負い、拳銃を構える大佐の姿があった。
「ハインブリッツより各員へ。第二格納庫にてカルディナを発見。至急応援を頼む…!ビジェットと遭遇した…!セルシオンもやられている!」
インカムを着けた耳元を押さえ、大佐は焦りを滲ませながら部下達に指示を送る。
その間、背後からはライト付きの銃を携えた特殊部隊がフリードの動きを睨んだ。
「全く、何でこんなところに帝国のエース級将校が居るのかね…」
「それはこっちの台詞だ。あんた東の前線基地に居た筈だろう?」
顔見知りなのか、互いに銃口を向けつつ訊ね合う。
カルディナはこの隙にと逃亡を図ったが、すぐにフリードに銃口を向けられ、泣く泣く断念した。
「階級が上がってから、あちこち行かされるものでね。今はその子の身元引受人…。そんな訳だから、早く返してもらおうか?」
「断る。こちとら、あんたの部下に手を焼かされて単独突入を余儀無くされたんだ。手ぶらで帰ろうもんなら俺の首が飛ぶ」
そう言いながら、立ち上がらせたカルディナを盾に逃走経路を模索する。
背後のセルシオンはまだ動けずにいるが、それも時間の問題である。
「ちっ…もう時間が無いってのに…」
ボソリと零れたボヤキに、カルディナはもしやと彼の背中にそっと目を遣る。
案の定、腰元に小さな筐体の機械があり、そこから僅かに見えるバッテリー残量を示すゲージの点灯は残り一つ。
これは絶好のチャンスと思った。
一か八か、抵抗する振りをして背後へと体当たりで重心を傾ける。
突然の反撃に蹌踉めいたフリードは狙い通り、セルシオンの腹に背を打ち、背負う翼から異音が響いた。
「しまった…!」
会心の一撃に顔を歪め、首に回していた腕が解ける。
瞬間、カルディナは全速力でセルシオンの影へと駆け出し、同時にフリードは脚に括り付けていた二丁の拳銃を乱射しながら、軽い身のこなしで二階デッキへと退避。
背負っていた銃剣を頼みの綱に銃撃戦となった。
様子を窺いつつ、カルディナは苦しそうに足掻くセルシオンを擦る。
徐々に再生を始めた魂授結晶だが、特殊な弾がめり込んだ部分には鱗が戻らず、皮膜もボロボロのままである。
動けるようになるには自然再生は厳しく、人為的な修復が必要だった。
「カルディナ、無事かっ?」
その声と共に銃弾の嵐を走り抜けて、大佐と応援に来たモーヴ中尉が駆け付けた。
「大佐…私……っ…」
すぐさま先程のことを謝ろうとするカルディナに、大佐は優しく微笑んで気にするなと首を振った。
「大丈夫。丁度、悪い知らせが届いて対応に追われていた。遅くなって、すまない」
セルシオンの体に隠れつつ、大佐はそう言って戦時仕様と思われる義手の手首を弄り始める。
キリキリと音を鳴らしながら装甲を浮かせ、人工筋肉の間に挟まるように姿を表した何かの安全装備を解除した。
「使いたくはなかったけど仕方ない…」
ぼやきつつ装甲を嵌め直し、指を動かして動作を確認。
生身の腕で拳銃を構え、反撃のタイミングを狙った。
次の瞬間、果敢に飛び出した大佐は弾丸の雨の中を駆け抜け、フリードへと一直線!
特攻とも取れる行動に部下達は慌てて銃口を反らし、フリードは差し迫る大佐に向けて拳銃の引き金を引く。
しかし、その銃口からは何も飛び出さず、カチンと乾いた音だけが響いた。
(こいつ、弾切れだと分かって…!?)
鉄の塊と化した銃を投げつけ、飛び退きながら銃剣に手元を切り替える。
けれど迫った機械の腕はその刃を恐れることなく握り取り、力任せに圧し折った。
絶体絶命の状況にフリードは最後の切り札とばかりに壊れかけの翼を起動。
決死の覚悟で出力を最大に上げ、正面から強行突破を図った。
しかし―――!
「ビリっとするよ?」
そう囁かれた直後、目の前に迫った掌が不気味に光った。
回避する隙もなく押し当てられた指が腹に食い込み、そこから閃光が走る。
痺れる痛みを認識して間もなく、フリードは意識を失い、その場に崩れ落ちた。
その光景に誰もが安堵の溜息を零しながら動かなくなった好敵手に駆け寄る。
大佐は倒れた彼の口元や首筋に生身の手を宛てがい、心肺の異常が無いかを確認するや部下達に次なる指示を送った。
「貴重な情報源だ。あまり痛め付けないように」
担架にフリードを乗せて運び出す部下に念押ししつつ、起き上がったセルシオンの足元で、駆け付けたアウラ医師に診察されるカルディナに歩み寄る。
拘束時に頬に軽い擦り傷を拵えはしたが、他は異常ないとの診断だった。
「これが噂の機械竜ね?真っ白くて可愛いじゃない」
主人の手当のお礼をするように鼻先を寄せたセルシオンに、アウラ医師は臆することなく頭を撫でる。
「私も生き物飼ってみたかったんだけど家業柄、許して貰えなくてねぇ。可哀想に、こんなにボロボロにされちゃって…。大人しくてお利口さんねぇ…!」
弾丸を取り除く整備隊の様子を見つつ、アウラ医師は更に竜の首や頬の辺りを撫で撫で―――。
セルシオンを大層可愛がる彼女の様に、カルディナはペットロボットの開発に挑戦してみようと密かに決意した。
「災難だったね、カルディナ」
そんな声掛けに、軽く会釈したカルディナは酷く疲れた様子だった。
時計を見れば既に十二時を回っている。
子供の体にはしんどい時刻だ。
「セルシオンの解体は明後日に延期しよう。明日はよく休みなさい」
そんな指示にカルディナは頷いて、座っていたベンチから腰を上げる。
まるで全身に鉛を纏わせてしまったように酷く体が重かった。
大佐に付き添われながら重い足取りで宿舎に向かった彼女はその翌日、酷い熱を出して、またもアウラ医師の世話になることとなった。




