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父の守ったもの


 気分転換にと誘われた庭園は、それは見事なものであった。

 水鳥を模る噴水を中心としたシンメトリーの整形式庭園で、整然と並ぶトピアリーは芸術品のように刈り揃えられていた。


「どうやら、バルシェンテ閣下は貴女に興味がお有りのようですね」


 テラコッタタイルの小路をそぞろ歩きながら、ノアンは自身が戻るまでにあったフォルクスとのやり取りを彼女から聞いて、思わず微笑んだ。


「単に誂われてるだけかと…」


 溜息混じりに言葉を返しつつ、カルディナは段々と冷え込む気温に二の腕を擦る。

 外套を持ってくれば良かったと考えているとその様子にノアンは己の上着を脱いで、その肩に被せてくれた。


「ありがとうございます」


 会釈の上で、礼を言った。

 日頃、自分のことは自分でやる職業軍人な所為か、レディ扱いは何だが照れくさい。

 綻びそうになる頬を引き締め、眼の前で勢い良く水を噴き上げる噴水を見上げた。


「閣下、こちらへどうぞ?」


 そんな声に振り向けば、ノアンは大理石のベンチにハンカチを敷いてくれていた。

 ドレスが汚れないようにとの配慮である。

 恐縮しながらもそこに腰掛けるや、彼はその隣に座り、暇潰しにと他愛も無い会話をいくつかしてくれた。

 お互い職業軍人とあって、話題の殆どが仕事の愚痴や食事の話だった。

 酒好きな上官や同僚に何回潰されただとか、何処の食事が美味しくて、いつの訓練が大変だったとか―――、そんな話ばかりだった。


「宴会と言えばですが…、閣下はあまり夜会がお好きではないようですね」


 気に掛かっていたのか、ノアンは小首を傾げて訊ねた。


「人が多いところが苦手なもので…。デビュタントでも散々な目に遭いましたから」


 自嘲気味に答えつつ、カルディナは地上の灯りに霞む星空を見上げた。

 島ではあんなに綺羅びやかに星が輝いていたのに―――…。


「…ここはあまり星が見えませんね……」


 気が付くと、そう零していた。

 故郷を再び離れたのは、ほんの三日前なのに暗いばかりの淋しい夜空を見ると酷く郷愁に駆られた。


「………。丁度、四年前でしょうか…、ラントさんも戦場でそんな風に仰っていました…」


 急に声のトーンを落とし、ノアンは祈るように手を組みながら言葉を漏らした。

 不意に彼の口から飛び出した父の名に、カルディナは耳を疑った。

 聞き間違いかと思った。


「…閣下は、ラント・シャンティスさんをご存知ですよね?」


 驚きを隠せない彼女に、ノアンは現実を突き付けるような薄暗い視線を向ける。


「実の父です。何故、父の名を?」


 端的に訊ね返しながらも、悟ってしまった事実に手が震えた。

 奪還作戦からの帰還後、ヴォクシスから聞かされた父の死に関する話が走馬灯のように脳裏を過った。


「モティでの救助作戦の時、同じ部隊でした。私にとっては初の実戦で…、そうでありながら彼等の指揮を任されていました…っ…」


 神妙な顔色で彼は答え、伝えなければならない事実にゴクリと生唾を呑んだ。

 当時の軍の人材不足は深刻であり、士官学校を出たばかりの若輩士官でもいきなり百人規模の部隊を任されるのはザラだった。

 戦場の凄惨さなど知りもせず、気位と志ばかりが高い上流階級の若者があの地獄の中を耐え抜ける訳もなく、恥ずかしながらノアンもそんな一人であった。

 一人でも多くの兵を生き残らせるための戦術を士官学校で叩き込まれたにも関わらず、まともな指揮を取れる者は一握りだった。

 数多の敵兵を前に怖じ気付き、時には指揮官の方が敵前逃亡する始末だった。

 それ故に―――、下士官や兵の死傷率はえげつなく、殆が生きて帰ることが叶わなかった。


「ラントさんは二等兵とは思えない働きぶりで、何度も私を助けてくれました…。誰よりも優しくて強くて…っ…、とても…勇敢でっ…」


 そこまで告げた彼は、込み上げる涙に言葉を詰まらせた。

 硝煙と血肉の臭いが入り交じる地獄で、銃撃と砲撃の嵐に連れ立った部下達がバタバタと減っていく中、果敢に敵兵に立ち向かってくれたカルディナの父は誰よりも頼もしい仲間だった。

 この地獄から生きて帰れたのなら、娘に都会のお土産を持って帰りたいのだと―――、そう話してはお茶目に笑う彼の存在が、無惨に斃れていく部下達への申し訳無さに苛まれるノアンにとって、どれほど救いだったか―――…。


「………、…ラントさんは…っ…貴女の父君を看取ったのは私ですっ…。残存兵に気を取られて砲撃から逃げ遅れて…っ…、私を守ったが為にっ…ラントさんは…っ…」


 やっとの想いで言葉を絞り出したノアンは、堪らずカルディナの隣から立ち上がり、懺悔するように彼女の前にて両膝を付いた。

 あの時、彼女の父が身を挺して守ってくれなければ今の自分は居なかった。

 誰よりも優しく、聡明だったあの人が咄嗟に盾になってくれなければ―――…。


「本当に申し訳ありませんでした…っ…」


 謝罪の言葉を放った直後、ノアンは地面に擦り付けんばかりに深く頭を下げた。

 こんなことで赦される事ではないとは解っていた。

 解ってはいたけれど、彼に良く似た彼女と直接会って話をしていて、そうせずにはいられなかった。

 後悔の念に駆られて震える彼の肩に、カルディナはそっと手を伸ばす。

 下げた視界の中、ノアンは揺れたドレスの裾に叱責を覚悟した。

 けれど―――、そんな彼に対し、カルディナは責め立てるどころか震えるその身を抱き寄せ、安堵するかのように静かに深呼吸をした。


「貴方が生きていて良かった…」


 その声は微かに震えていた。

 恐る恐る目を向けた碧の瞳には溢れんばかりの涙を浮かべて―――、あまりにも慈悲深い眼差しと微笑みは最早、言葉を躊躇う程に美しかった。


「父の死は無駄ではなかった…っ…貴方は、その証明です…っ…。生きて…生き残ってくれて…、…ありがとうございますっ…」


 囁かれる感謝の言葉に、ノアンの瞼からも堰を切ったように涙が溢れ出した。

 躊躇いながらも彼女を抱き締め返した彼は、まるで親に叱られた子供のように何度も何度も、ごめんなさいと詫びの言葉を繰り返した。




 随分と長い時間、そうしていたのだろう。

 やっと涙が鎮まって互いに顔を上げた時、時を告げる重厚な鐘の音が響いた。

 花盛りの大人達にしてみれば、これからが宴の本番だが、未成年は帰りの時刻である。

 煌々と光る灯りの方では、続々と年若い乙女達が迎えの車に吸い込まれていた。


「…そろそろ戻りましょうか」


 そんな言葉と共に立ち上がったノアンは、涙を払いながら戯けたように微笑んで手を差し伸べる。

 そんな手を取り、カルディナも困ったように笑みを溢した。


「ごめんなさい、すっかりお体が冷えてしまいましたね」


 室内に戻り、上着を返しながらカルディナは申し訳無いと頭を下げる。

 するとノアンはフルフルと首を振って、彼女の頬に残る涙の痕をそっと指の腹で拭った。


「失礼しました。これで涙は誤魔化せるとは思うのですが…」


「今日はこれで帰るつもりなので心配ありません。お気遣い感謝します」


 そう言ってカルディナははにかむと、少し改まったように姿勢を正した。


「あの…、もし良ければ日を改めてお話出来ませんか?父の事をもう少し聞きたいので…」


「勿論です。私もお渡ししたい物がありますので…」


「渡したい物?」


 きょとんと小首を傾げるカルディナにノアンは真剣な眼差しで頷いた。


「ラントさんが亡くなる直前、預かったものがあるのです。ヴェルフィアスの私なら、いつか貴女に辿り着けるからと…」


 そう彼が答えた時だった。


「カルディナ、ノアン殿…!」


 こちらを探していたのかヴォクシスが駆け寄って来る。

 お互いにハッとして時計を確認すれば、間もなく十時となっていた。

 庭園から戻るに、互いの目の腫れが引くのを待ちながらのんびりと歩いていた所為だろう。


「閣下、ごめんなさい。色々と話し込んでいたら遅くなりました」


 肩を竦めてノアンに非はないと示しつつ、頭を下げる。


「いや、楽しい時間を過ごせたなら構わないよ。実はこちらも少し出払っていてね。迎えが遅くなってしまった」


 何やら含みのあるヴォクシスの言い方に、カルディナは微かに不穏なものを感じた。

 恐らくは軍部から何かしらの連絡があったのだろう。

 周囲に視線を向けて見れば、来場者に紛れて警備に当たっていた筈の顔見知りの士官達が見当たらない。

 今日はドレスアップした所為で通信機の携帯が出来ず、彼女だけが状況を把握出来ていなかったらしい。


(…今度からは通信機もブラの中に忍ばせておくか……)


 反省を踏まえて今後の対策を練りつつ、ノアンの元からヴォクシスの傍らへ。

 実父を知る彼との別れは名残惜しいが、今日はもうお開きである。


「ノアン様、今日はありがとうございました。父を知る貴方にお会い出来てとても嬉しかったです」


 素直な気持ちを告げつつ、カルディナは別れのカーテシーを執り行う。

 礼儀作法として深く頭を下げた彼はその刹那、身に纏ったベストの胸ポケットから一枚のメモを取り出し、それを二つに折りながらそっと差し出した。


「私の連絡先です。差し支えなければ…」


 誘うような言葉を添えつつ、ノアンが不敵に微笑む。

 また話がしたいと言った手前、勿論だと頷いたカルディナは何の気無しにそれを受け取った。

 その瞬間だった。

 メモを取るために伸ばしたその手を、柔らかな手付きでノアンの指先が捕らえる。

 呆気に取られ、拒む隙などなかった。

 軍での過酷な日々で日焼けした決して綺麗とは言えないその手の甲に、柔らかな口付けが落とされる。

 レースの手袋をしていたとは言え、その仄かな温もりは生まれてこの方、恋も異性も知らないカルディナを赤面させるには十分過ぎた。


「またお会いしましょう、閣下。良い夢を…」


 甘やかな微笑みを添えて告げられた別れの言葉は、十五の乙女にはあまりにも刺激的だった。


「の、ノアン様も、いっ、良い夢を…!」


 声を上擦らせ、しどろもどろで手を引っ込めながらヘコヘコと頭を下げる。

 最早、頭の中はショート寸前だった。


「それではノアン殿、お先に失礼します」


 慌てふためくそんな彼女に半ば呆れつつ、ヴォクシスは貫禄たっぷりにノアンへと会釈。

 落ち着きなさいとばかりに娘の背を擦りながら、共に踵を返して綺羅びやかな世界を後にした。




 迎えの車の中、恥ずかしさに蹲る娘にヴォクシスは苦笑いが止まらなかった。

 多感な年頃なのだろうが、あまりの狼狽え方にこちらまで恥ずかしくなるくらいである。


「カルディナ、このくらいは慣れないと…」


「無理ですぅ…!」


 真っ赤な顔を両手で覆い隠し、カルディナは尚もパニック状態。

 そうと言うのも、彼女の故郷の島では未婚の乙女の手に家族以外の男が唇を付ける行為は求婚や告白を意味する為である。

 文化の違いなのは理解しているし、マナー本でもそう言った挨拶があるのは把握はしていた―――とは言え、実際にされて動じずにいられる程、カルディナは大人ではなかった。


(ありゃりゃ…、この初心(うぶ)さでは、お婿探しは前途多難かねぇ…)


 控えめな地団駄を踏んで悶絶する娘の様子にヴォクシスは腕を組みながら、やれやれと溜息を零した。

 今後増えるであろう求婚者の猛アタックを前にしても、毅然とあしらえるだけの胆力を身に着けてもらわねばならないのだが―――…。

 思わぬ彼女の弱点を知れた反面、危うい程のその免疫の無さに不安を覚えずにはいられなかった。

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