星の降った夜
煌々と熱せられた鋼鉄へと、職人達が一心不乱に鎚を落とす。
すぐ脇ではトロッコ一杯の屑鉄を運ぶ、あどけない少年達の姿があった。
鍛えられた鋼鉄は工場すぐの水場へと運ばれ、手作業で刃へと研ぎ澄まされる。
それは女達の仕事であり、十四歳の少女カルディナもその労働を強いられていた。
ここは、とある国家の西の果て。
彼女の暮らすその島は、かつて権力者に歯向かった咎人達の流刑地にして、国家戦力の一端を担う武器製造拠点であった。
とっとと失せろと吐き捨てる声は、侮蔑に満ちていた。
威張り腐った監視兵から僅かな硬貨を投げ渡された時、陽はすっかり沈んでいた。
その昔、先祖がこの地に囚われて以来、ここに生まれた人間は国賊の末裔として奴隷も同然な扱いを受けている。
男女も歳も関係なく、軍へと供給する武器の作り手として働かされ、使い捨ての末端兵として召集される以外、島を出ることは許されない。
そして、追い打ちを掛けるように過酷な戦争が始まって、もう十数年―――。
鍛冶職人だったカルディナの父も戦況悪化で兵役に駆り出され、半年も経たず届いた戦死の知らせに心折れた母は一昨年、流行り病でこの世を去った。
両親と過ごした家も工場拡張に伴って強制的に取り壊され、今や彼女の帰る宛は工場から離れた丘にある古びた城跡となった。
出来ることなら工場で寝泊まりしたかったが、就業後の工場は素行の悪い監視兵の酒場と化す。
残っていたら何をされるか分からず、工場の仲間は心配する割に、誰も家に来いとは言わない。
それだけ皆、余裕がないことは承知している。
それに比べて城跡は監視兵も近付かず、未だに現役の井戸も窯もある。
近くの森には豊富な食料もあり、既に一年以上は過ごしているので、身の安全は保証されたようなものだった。
「ただいま」
返事があったら寧ろ怖いが、癖で帰宅を告げる。
照明代わりに窯に火を焚べ、工場で拾った廃材を床に並べた。
古びた機械工学の文献を足元に広げ、配給の乾いたパンを齧りつつ拾った廃材を組み合わせる。
このパンはこの日最初で最後の食事だ。
両親に先立たれて自分の世話は自分でせねばならず、住み慣れた家も壊されたので、まともな食事は中々取れなくなった。
料理を学ぶ前に母が倒れた為、作り方も分からずカトラリーも握らなくなって久しい。
暫しの後、残りのパンを口に押し込み、出来上がった部品を握り締めて駆け足で上の階へ―――。
天井が抜け落ち、空が覗いているその大部屋には、人丈を超える機械仕掛けの竜が鎮座していた。
この城跡は元々クロスオルベ侯爵という機械工学博士の工房兼別荘だった。
侯爵はその天才的頭脳で多くの歴史的功績を残すも、戦争に邁進する当時の権力者に歯向かい、家臣諸共この島に幽閉された。
しかし、侯爵の探究心が折れることはなく、その名残りか、ここには機械加工に必要な道具が揃い、工学を主とする学術的書物に侯爵自らが残した数多の研究資料が残されている。
そんな先人達の遺構を利用するカルディナだが、常人ならば全て読み解くに大学まで行かねばならない膨大な専門書の内容をその歳にして習得し、侯爵が遺した複雑怪奇な研究書をも理解した。
彼女のずば抜けた頭脳は島一番の博識者だった父譲りで、父は度々この城跡に出向いては児童絵本から文学小説まで、幼いカルディナが興味を示すなら年齢に囚われることなく読み聞かせる人だった。
そんな父を支えた母は先祖代々の狩人で、島民一の歌い手だった。
森で熊が出たとなれば借りた銃剣で容易く撃ち倒し、伝統舞踊を舞う様は天女と謳われ、紡がれる民謡には普段は蔑む兵すら虜にされて密かに聴きに来る程だった。
両親とも一際に正義感が強く、武器を携える相手にも果敢に物申す姿は、幼いカルディナの憧れだった。
島民にとっても二人はリーダー的な存在で、そんな両親の姿を間近で見てきた彼女自身も、仲間が困っている時には子供なりに率先して助けに入った。
―――けれど、雄弁で頭の回る父が徴兵された途端、それまでの日常は一変した。
賢い彼女を気味悪がっていた監視兵はここぞとばかりにカルディナを虐め、何かに付けて配給や賃金を減らしたり、酷い時には怪我もさせられそうになった。
流石に頭に来て、ある時仕返しに銃剣を持って喚き立ててやったが、大人達からは二度とするなと酷く怒られた。
自分より利口な人間はもうこの島にはおらず、助けてくれる力があった賢い大人は皆、父のように徴兵されてしまった。
長年続く迫害により、抵抗すればするほど酷い仕返しを受けると思い知った島民は怯え切り、お前も反抗するなと強く言い聞かせられた。
母が病床に伏してからはそれは加速し、貞操を守る為に毛虫みたいな太眉と癖の強い銅色の髪は、見目を悪くするため切ることを禁じられた。
それまで父と一緒に工場の片隅で堂々とやっていた読み書き教室も、目を付けられるからと休みの日だけに縮小を余儀無くされた。
無体を強いる監視兵に怯える皆の為、息を潜めるように暮らし、やられっ放しの日々に自尊心はボロボロになった。
悔しいがまだ子供の彼女には、沈黙が一番効果的な自己防衛で、穏便に済ませるためには弱い周りに従うしか無かった。
孤独になればなるほど、その身を危うくすることは悲しいけれど理解していた。
「えっと、ラチェットレンチは〜、あった…!」
独り言を添えて意気揚々と壁に掛かる工具を取り、作った部品を竜に取り付けて動作を確認していく。
多少軋みはするが滑らかな動きだ。
「あと少しなんだけどなぁ…」
力作を見上げ、まだ足りぬ部品に歯噛みする。
――機械仕掛けの白の竜
偉大な魂を抱きて、天を駆け
選ばれし主の下にいつか帰らん
幼い頃、両親からそんな冒頭から始まる伝説を聞かされた。
それは島の民謡にもなっているもので、侯爵が創り上げた最高傑作の存在を意味するとも言われていた。
故にずっと憧れて―――、憧れのあまり独学で作り始めたのが眼前の大作だった。
本来、この竜に使われている金属は武器の素材となる為、これだけくすねていることがバレれば折檻どころでは済まされない。
しかし、日頃ろくに仕事もせずに踏ん反り返る監視兵は、全く気付いていないので彼等への細やかな仕返しとして今日もコツコツ製作を続けている次第である。
「あ!」
ふと、天井に星屑が流れて消えた。
今日は流星群だと聞いている。
竜の背を足場に屋上へとよじ登り、そこから空を見上げる。
満天の星空に、白銀の光の雨が競い合うように流れていた。
「綺麗…」
首を反らせ、その光景を両目に焼き付ける。
限界まで背伸びして精一杯に両手を掲げ、流れ星をその手に包んだ。
「どうか戦争が早く終わりますように…」
星を抱く両手を胸元に寄せ、微かに囁く。
願いはひたすら世の平穏だった。
「さて…」
気を取り直し、首を回して踵を返した。
流星をもっと見ていたいが、微かに見える月の傾きに気付いた。
もう寝ないと明日が辛い。
軽い足取りで竜の背を蹴り、古びた床に飛び降りた時だった。
夜が明けたように強い光で背後が照らされ、何事かと振り返って目を剥いた。
空の彼方から轟音を伴った閃光が猛烈な速度でこちらに迫る。
悲鳴を上げる間もなかった。
甲高い音を上げて目の前に落ちたそれは、作りかけの竜に激しくぶつかり、一際の光を放って粉々に砕け散った。
呆気に取られる中、カルディナは花弁のように辺りを舞う砕けたそれを手に取った。
透けるほど薄いのにしっかりとして弾力もあり、表面には複雑な幾何学模様が見える。
サラサラとした不思議な触り心地だった。
「隕石…なの?」
見知らぬ物体に戸惑い、首を傾げる。
すると、風もないのに謎の欠片が掌から離れた。
欠片は意思を持ったように一斉に竜の体に集結するや翼の骨組に皮膜を張り、頭には角を生やし、竜に足りなかった細かな部分を補った。
目の前で起きる一連の出来事が、あまりに現実離れしていて夢を見ているようだった。
機械仕掛けの竜は体を軋ませながら厳かに立ち上がり、彼女に向けて優しい眼差しで頭を垂れた。
その姿は彼女が憧れる伝説の竜に似て、七色に輝く白銀の鱗に包まれていた。
その日からカルディナの日常から寂しさが消えてなくなった。
廃材から作った機械仕掛けの竜だが、動き出してからは食事を必要とし、見目とは裏腹に綺麗な水と木の実などの植物を好んだ。
色々と調べた結果、竜はそれらを摂取することで己を形作る機械部分に必要な燃料を生成していることが判明。
幸い餌となるものは森に山程あり、カルディナが仕事に出ている間、竜は独りでに食事を済ませては、ついでに城跡に近付く大小の獣を蹴散らし、薪や彼女が食べられるものを持ち帰った。
竜のお陰で精神的にも体力的にも余裕ができ、肌艶が良くなったカルディナに、事情を知らぬ工場の仲間は戸惑いを隠せなかった。
正直、説明には悩んだ。
流石に一連の出来事は信じ難いので、仲間には森で見つけた動物を飼い始めたのだと説明。
住んでいた場所の関係もあり、皆その説明を疑うことなく信じ、そして同時に誰もが安堵したのだった。
「ただいま、セルシオン!」
元気に帰宅し、出迎えてくれた相棒に駆け寄る。
セルシオンと名付けた竜は、話すことはできないが人の言葉を理解する知能を持ち、字を読むことも出来た。
島の仲間への読み書き教室が表立って出来なくなった分、カルディナは竜に熱心に読み書きを教え、時には大好きな工学の本を一緒に読みながら竜の生態を書き留めて考察。
金属の身に纏わる物体についても物理の本や侯爵の研究書を手当たり次第に調べて、その正体を探った。
「セルは温かいなぁ!」
寝る時間となり、いつものように寝そべる竜の腹に背を預けて擦り切れた毛布に包まる。
不思議なことに、機械だというのに竜の体には温もりがあった。
季節柄、肌寒くなってきたこともあり、カルディナは好んでセルシオンと一緒に眠りに就くようになった。
その温もりは両親を亡くして以来、彼女が焦がれて止まなかったもので、気付けば同じ人間と過ごすよりも機械仕掛けのセルシオンとの方が心安らぐ時間となっていた。
藤澤)※現在、人物名の修正を行っています。その他、誤字脱字を発見されましたらご連絡ください。