夜警
その晩、館内が消灯された真夜中。宇宙船に内蔵されたセシウム時計に従って、ヒューマノイドは皆眠りにつく時間である。
俺はそっとベッドから抜け出した。部屋の扉には俺が勝手に出歩かないように管理するためロックが掛けられている。スライド扉に目いっぱい指を突き立て、そのまま力任せに無理やり動かすと、扉のロックシステムは簡単に壊れた。静かに扉を開き、俺は足音を立てぬよう、廊下へ繰り出した。夕焼けのような色の照明が廊下を妖しく照らしている。長く伸びた影を、誰かに見られるのではないかと不安に思いながら、なるべく壁にピッタリと張り付くようにして移動した。
立ち入り禁止を言い渡され、ジャックスに阻まれた1階にはやはりなにかある。頑なに俺を立ち入らせないのは、それなりの理由があるに違いない。そんな確信を胸に、吹き抜けを足早に目指した。
3階から見下ろす吹き抜けは、夜間に見るとより一層陰気だ。まるでブラックホールのように不気味な、ぽっかりと開いた深淵が、訪れる者を飲み込もうとしているような、そんな錯覚を覚えた。音を立てぬよう階段を降り切ると、昼間ジャックスと喋った場所に着いた。相変わらず、エンジンだかモーターだか、機械が稼働する音が鳴り響いている。その轟音の隙間に僅かに物音が聞こえた。慌てて階段下の空間に身を隠す。
――音が近付いてくる。息を潜めてその正体を待ち構えていると、暗闇から現れたのは小さな掃除ロボット。どうやら物音は、ロボットが立てた音らしい。ロボットが走り去るのを見送ってほっと息を吐いた。
1階はどうやら船の機構が集結している階らしい。扉にはエンジンルームやら酸素供給室やらが書いており、宇宙船の心臓部だと言うことが分かる。俺を1階に近づけたくなかったのは、部外者であり信用の無い者を遠ざけたかったからなのかもしれない。悪さをすれば船に甚大な被害が及ぶからだ。
探索していると、宇宙船の後方側に、部屋のプレートが剥がされている部屋を見つけた。ドアの取っ手には鎖が巻かれ、南京錠で封じられている。本気を出せば、この鍵を引きちぎる事は容易い。だが、俺がここに来たことがバレてしまう。いつか来ようと思い、踵を返した瞬間だった。
「――――?!」
何かがこちらに向かって飛んできた。あまりの速さで飛来するそれを視認するのは容易でない。なんとかそれの影を捉えるので精いっぱいだった。握り拳ほどの大きさの、透明なガラスのようなものでできた球体の中に、液体が揺らめいているのをわずかに視認した。俺は瞬時に顔面を腕で覆って球体の顔面への直撃を免れたが、腕に当たった衝撃で割れた球体から、飛び散った液体をモロに被ってしまった。ガラスの破片と液体の雫が床に散乱した。
問題は、これが何かということよりも、誰が投げつけてきたのかだった。
球体が飛んできた方向を見ると、見覚えのある男がひたひたと近づいてきた。暗闇の中でも目立つ、白銀の髪。――アハルテケだ。
「……ルルイェ人、ここで何してた?」
「お前には関係ないだろ」
俺が凄むとアハルテケは激昂した。
「関係ないだぁ?……誰が床掃除すると思ってんだァ!?」
投げてきたのは君だろう――そう反論する余地も無かった。アハルテケは無遠慮に殴りかかってきたのだ。その拳を紙一重で避けるも、背後の通路は行き止まり。次から次へと繰り出される鋭いパンチに次第に追い詰められていった。このままだと、この話の通じない男に無茶苦茶にされてしまうと本能が警鐘を鳴らしている。仕方がないので、俺は両手を拘束する邪魔な手錠を引きちぎった。アハルケテの目が一瞬、見開かれる。俺は自由になった両手で彼の拳をいなし、なんとか応戦する。――だが、仮にアハルケテを打ちのめしたとして、そのことがほかのクルーに知られたらどうなるだろうか。相応の報復に遭うだろうが、とりわけ不味いのはリュウがいるかもしれないこの船から追い出されることだ。なんとかアハルテケに釈明して、見過ごしてもらわなければならない。彼の拳をやり過ごしながら説得を試みた。
「ちょ……話を……!あぁもう、本当に話を聞かないな、お前は!」
なんと、アハルケテはまったく手を止めてくれない。平和的に解決しようだとか、そういう考えが彼には全く感じられなかった。
「後でじっくり聞くからなァ!!」
「どういう意味……」
そう問いかけようとした瞬間、ガクンと膝の力が抜けて床にへたり込んだ。まるで、足が棒になってしまったかのように言うことを聞かない。突然の事に混乱していると、左頬にアハルテケの拳がクリーンヒットし、鈍い痛みが脳を揺らした。そのまま、彼は倒れた俺に馬乗りになると容赦なく何発も頭部を殴った。口の中に血の味が広がった。
「う……え……?」
「ルルイェ人とまともにやり合うバカは居ねーよ」
「何、を……?」
身体に力が入らない。こんなやつ、跳ね除けてお返しするのは造作もない事である。それなのに、さっきから何度も身体を起こそうとしているが、腕や脚が鉛のように重い。思い当たるのは、さっき浴びてしまった謎の液体だ。
「さぁ、来てもらうぜ」
アハルケテは俺の服を乱暴に掴むと、俺をずるずると引き摺りながらどこかへと向かい始めた。不味い、逃げなくてはと思うものの、全く身体が動かない。
回らない頭と、閉じようとする瞼。俺は意識を繋ぎ止めようとしたが、意識が遠のいていく。
――終わった、と思った。




