004_祈り・奮起
沈黙が支配する待機室に、ふいに柔らかな声が響いた。
「…あの、祈らせてもらってもよろしいでしょうか」
殺伐とした空気の中で、その声は異質だった。
罪人たちも、彼らを囲む兵士たちも、思わず声の主に目を向ける。
手を挙げていたのは、緑色の髪をした妙齢の女性だった。黒と白のローブをまとい、どこか神官のような雰囲気を纏っている。
胸元には「55」の数字が赤く刻まれていた。
「私は神官です。77番の方を主のもとへ迷わぬように導いてあげたいのです。よろしいでしょうか」
兵士は少し考えたが、小さく頷き、「あまり時間は取らせるなよ」とだけ言った。
その言葉を聞いた瞬間、55番が動き出すよりも先に、ブリッツが手を挙げた。
「あっ、あの!僕も祈らせてもらっていいですか」
少し遅れて、アテナも静かに手を挙げた。
「…私も加わりたい」
兵士は一瞬眉をひそめたが、しぶしぶ頷いた。
その時、アテナはリブロに向かって何か小声でささやいた。リブロは一瞬怪訝そうな顔を彼女に向けたが、アテナの真剣な表情を見て、そっと頷いた。
55番は列をかき分けてアテナとブリッツの元へと歩み寄った。
「私はマリセ・ハイラーと言います。よろしくね。あなたたち、名前は?」
二人が名乗ると、小さくうなずき「アテナさん、ブリッツ君。行きましょう」と言って、77番のもとに歩いていく。
彼女の背はブリッツよりも頭一つ分ほど高く、歩く姿には迷いがなかった。
三人は77番――先ほど兵士に斬られた男の亡骸の元へとたどり着いた。
男はうつ伏せに倒れていた。
突き立てられていた剣はすでに抜かれていたが、傷口からは今も血がドプッドプッと音を立てて溢れていた。
「ブリッツくん、この方を仰向けにできるかしら」
マリセがそう言ったその瞬間、剣を振るった兵士が一歩前に出て、「待て、俺がやる」と言ってブリッツ達を後ろに下がらせた。
ブリッツの心にはわずかな抵抗があった。
兵士が亡骸を粗雑に扱うのではないか――そんな懸念がよぎった。
だが、兵士は両手を使い、思ったよりも丁寧に男の身体を仰向けにさせた。
その作業を終えると、兵士は何も言わずに立ち上がり、静かに後方へと引いた。
マリセは死体に近づき、じっとその顔を見つめるブリッツに意外そうな表情を浮かべた。
「あなた……亡くなった方を見るのは、これが初めてじゃないわね」
「ええ。僕は魔術師です。どちらかというと…医療系の。だから、こういった場面に出くわすこともありました」
マリセは静かに頷くと、少し考えるように目を伏せた。
「そうね……じゃあ、ブリッツ君。あなたは、この方の――両手を握らせてあげて」
そう言ってマリセは立ち上がり、77番の頭の方へ移動して再び膝をついた。手錠のかかった手で器用に、何も見つめぬその瞳をそっと閉じる。
ブリッツは77番の腕を取り、その両手を祈りの姿勢に変えさせた。
「これでいいですか?」
「ええ、ありがとう。あたしは見送りの言葉をかけるわ。ブリッツ君とアテナさんは、その間、祈っていてくれる?」
「分かりました」
ブリッツはそっと両手を組み、目を閉じた。
名も知らぬこの人にも、死後の安寧を――そう心で唱える。
一方、アテナは無言でマリセの隣に膝をついた。
その目は死者ではなく、手首にかけられた手錠へと向けられていた…。
…
……
………
「兵士さん、時間をいただきありがとうございました」
「…さっさと元の位置に戻れ」
兵士の言葉は冷たかったが、先ほどよりも何か感情のようなものが感じられた。
「最高じゃねえか!」
祈りの余韻がまだ空気に残る中、リブロが叫んだ。
その声は罪人たちだけではなく、周囲の兵士たちの視線も集める。
「見ろ、お前ら!過去にどんな罪を犯したとしても、死ぬ間際にはあいつらが、看取ってくれるぞ」
彼はマリセ達を指さした。
「お前らも道中、考えただろう。自分たちの結末ってやつを」
誰もが黙って頷いた。それぞれが胸の奥に抱えていた恐れと覚悟が、今、言葉にされていく。
「…どれもよくねえ結末だったはずさ。魔族に殺されて、俺たちは故郷の土も踏めねえ。俺たちの魂はどこへ行く?」
リブロは声を張り上げて叫ぶ。
「大事なのは、勇ましく戦うことだ!勇敢に戦って、そして、パッと散ってやろうぜ!そうすりゃあ、あいつらが…。あいつらが、俺達の魂を故郷まで導いてくれる!」
リブロはブリッツ達の前に立つ兵士に向き直った。
「兵士さんよ、もう一度教えてくれ!俺が――俺たちが魔族を倒したら、俺たちはどうなるんだ?」
兵士はすぐにその意図を理解した。そして、鼓舞するように答えた。
「人族と魔族との停戦が一ヶ月実現する。魔族を倒した者たちは、間違いなく英雄になる」
ざわめきが広がる。
「お前たちが勝てば…。自身の足で故郷の土を踏み、我らの王に讃えられるだろう!」
リブロは再び叫んだ。
「聞いたかお前ら!やり遂げれば英雄!途中で倒れたとしても、神様のもとまであいつらが送ってくれる!罪人の俺らにとって、こんなにいい条件なんか、ほかにねぇだろっ!」
両腕を掲げる。その声に、皆が大きく歓声を上げた。
「やってやろうじゃねぇか!」
その姿に、罪人たちは歓声を上げた。周りの兵士たちでさえも体の芯を熱くさせていた。
…兵士も同じ人族なのだ。
「…リブロ、君は…上出来すぎるくらいによくやってくれたよ」
アテナは小さくつぶやくと、目的のものをそっと自身の服にしまい込んだ。
ブリッツたちも列に加わる。
そこには仲間たちの声と、魂の叫びがあった。




