030_メルと藁人形
「……嫌じゃのう……こういう勘が当たるのは……」
カワズがぴょこんと立ち上がると、ドアごと自分を蹴り飛ばした存在を見つめた。
そこに立っていたのは、黒いローブをまとった藁人形だった。
大きさは人族の女性ほどで、胸のあたりには黒い石造りの杭が深々と打ち込まれている。
さらに、極端に大きなつばの三角帽子をかぶっていた。
「……ウィッチ…を模した傀儡かの?」
その藁人形の後ろには、メルが立っていた。
頭をすっぽり覆う仮面をかぶっており、鼻から下しか素顔は見えない。
藁人形は音もなくカワズの目の前に移動すると、左腕を覆うローブが膨らむ。
次の瞬間、その腕をブンと振り抜いた。
「うぉっ……!?」
カワズは慌てて転がるようにして避ける。
廊下の壁には、まるで鉄球を叩きつけたかのような大きな跡が残った。
その跡を視界の端に捉え、カワズは苦笑を浮かべる。
「……あの質量であの破壊力。相当な魔力を有しておるな」
藁人形の顔が、ゆっくりとカワズの方へ向いた。
瞳などないはずだが、カワズは強烈な視線を感じる。
藁人形はカワズに飛びかかった。
「っ! 見た目に……反してっ! インファイターじゃのう……!」
カワズは藁人形の振り回す腕をかいくぐりながら、独り言を漏らした。
藁人形の蹴りを両腕で受け止め、その勢いを利用して後方へ飛び退く。
(儂を吹き飛ばすほどの膂力……それに、見た目からして儂の魔術とも相性が悪そうじゃな……)
「相手の土俵で闘わねばならんわけか。さて……どうするか?」
カワズは懐からドスを二本抜き、両手で構える。
「本当はこんなものを使わんほうがやりやすいんじゃがの……あれに効くかどうかわからぬからなぁ」
今度はカワズが藁人形へと踏み込む。
暴風のような連撃を紙一重でかわし、藁人形の放ったストレートを避けながら――伸びた腕を両手のドスで上下から切り落とした。
切り落とすと同時に、鋭く重い前蹴りを叩き込む。
老人とは思えぬ一撃に、藁人形の身体が後方へ吹き飛んだ。
だが、人形は空中でバク宙し、すぐに体勢を立て直す。
「器用な奴じゃ…さて……どうかの……?」
藁人形の顔が切り裂かれた手へと向く。
すると、一本一本の藁が伸びて元通りの指の形を作り出した。
「ゲココッ……まあ、そうじゃろうな。大火力の魔術で焼いてやるのが一番いいんだろうが……儂、そういうのは使えんしな……」
カワズの視線が、藁人形の胸に突き刺さった黒い杭へと向けられる。
(…おそらく、あの杭が核じゃろうな。あれを破壊するしかあるまい)
「…四肢を一瞬でもぎ取り、だるまにしてから……渾身の一撃をあの杭に叩き込む……!」
カワズは四つん這いになり、ぐっと体に力を込めた。
四肢が蛇腹のように縮み、身長の三分の一まで体を圧縮する。
腕も足も三分の一ほどに縮め――そこから、ダンッ!と跳ねた。
周囲の壁に、金属が高速で当たるような鈍い音が響き渡る。
その音は徐々に藁人形へと近づき、一瞬、影が腕を通り過ぎた。
右腕が削がれる。
次いで左手、左足、右足と続き――支えを失った藁人形は仰向けに倒れ込む。
藁人形が天井へ瞳のない顔を向けると、そこには吸盤で張り付いたカワズの姿があった。
「……殺った!」
床に降り立ったカワズは拳を固め、胸の中心にある黒い杭へと振りかぶる。
「……エクスプロード…」
その瞬間――口のないはずの藁人形が、確かに言葉を発した。
人族や魔族の声とは異なり、藁全体が震えるように揺れながらの発声だった。
その言葉を聞いた途端、藁人形の身体が光り輝く。
「……!っマズっ!?」
轟音と共に大爆発が起こった。
…
……
………
「メルさん! 大丈夫ですか!?」
ようやく全員の縄を解いたブリッツが廊下へ飛び出す。
後ろからアテナ、リブロ、マリセも続いた。
「なんだ、あの仮面は……!?」
煙の手前に立っていたのは、奇妙な仮面をつけたメルだった。
彼女は煙の上がる先をじっと見つめている。
煙が少し晴れ、宙に黒い杭が浮かび上がっているのが見える。
「なんだ、あの杭みたいなやつは!? メルの魔術か!?」
杭から根のように藁が伸び、人間の形を作り出す。
黒い闇のような布地が広がり、ローブを形作る。
最後に三角帽子が生成され、藁人形はそれを頭に乗せた。
「…ゲコココッ!やられたわい…!」
煙の向こうから老人の声が聞こえた。
ブリッツ達が身構えながら、その声のあたりを見つめる。
煙が晴れるとともにカワズが姿を現した。
服はボロボロになり、全身傷だらけになりながらも、カワズはしっかりと立っていた。
「いやはや……ウィッチの格好をしておきながら、なんて乱暴な術じゃ」
血の混じった唾を廊下に吐き捨てる。
「あのカエルの老人が傷ついている……ということは、あの傀儡が魔術を放ったのか?」
「そしてあれが――悪魔、ということかしらね」
その時、階下から兵士たちの騒ぎ声が響いた。
「ちっ、時間切れか。やれやれ、任務失敗じゃのう」
カワズはため息をつき、振り返る。
「また会おう、少年たちよ。次はこうは行かぬぞ」
そう言い残すと、ガラスを割り、窓から夜の闇へと飛び降りた。
あたりに静寂が戻る。
「ふ、ふぅ……死ぬかと思ったぜ」
リブロが顔を腫らしながら膝をつく。
「おい! リブロ、まだ終わってないぞ!」
「はっ? なんだよ?」
そう言って前を見ると、仮面をつけたメルがいつの間にかこちらを見つめていた。
その後ろには藁人形が立ち、ブリッツたちをじっと見つめている。
一歩ずつ、藁人形がこちらへ近づいてくる。
「……これ、私たちもまずいんじゃないの?」
「だろうな…!」
「…クソっ…まじかよ!」
マリセの言葉に、アテナとリブロが腰を落とし、戦闘態勢に入る。
その時――ブリッツが駆け出した。
「メルさん……ごめんなさい……!」
彼は彼女の口に指を突っ込み、丸薬を飲ませた。
メルは無意識のままそれを飲み込む。
すると、藁人形は苦しむように体をくねらせる。
「…ッ!ァアァァァアアーー!!」
断末魔のような声を上げながら、身体を伏せる。
そして、這いつくばってメルのほうに近づいていく。
だが、彼女の一歩手前で、力尽きるように霧のように消えていく。
消える直前、傀儡は絞り出すような声を残す。
「……メ……ル」
「……!?」
その言葉は近くにいたブリッツにしか聞こえなった。
だが、確かに傀儡は彼女の名前を口にしていた。
藁人形は完全に霧散した。
藁人形の消失とともに、メルの仮面にヒビが走りそれが全体へ広がる。
やがて、仮面は粉々に砕け散った。
仮面が取れたメルは倒れ込み、それをリブロとブリッツが急いで支える。
「メル! 大丈夫か!?」
メルは穏やかな笑みを浮かべながら目を閉じていた。
どうやら眠っているようだった。
メルは幸せな笑みを浮かべながら、かすかに「……お母さん」とつぶやいた。
リブロはその純粋無垢な寝顔を見つめ、複雑な表情を浮かべる。
マリセはその言葉を耳にすると、藁人形が立っていた場所へ視線を向けた。
「……まさか……」
その問いは、夜の闇に溶けていった。




