018_黄金の糞
調印を終え、魔王は要は済んだとばかりに背を向けた。
その背を見つめながら、皆がそれぞれの闘いの終わりに安堵した。
「やった、やったぜぇ!これで、晴れて無罪放免!俺らは英雄じゃねぇか!」
「待て、リブロ。闘いは終わったが、猶予は一か月だけだ。人族の窮状に変わりはないぞ。気を抜くなよ」
リブロの叫びにアテナが釘を刺すが、その表情は柔らかい。彼女も闘いの勝利に気が抜けているのだろう。
「ブリッツ…やったね!」
「うん…」
ヴヴヴと羽音が聞こえる。蠅族の少女、アミュレだった。彼女はブリッツの手を掴みピョコピョコと跳ねている。いつもだと、少女のスキンシップにドギマギするのだが、今日の彼はそんな様子を見せない。不思議そうにアミュレは首をかしげる。
「ブリッツ、どうしたの?」
ブリッツは魔王の背をじっと見つめていた。彼は何かを考えていたようだった。そして、「その考え」
に気付いた瞬間、アミュレの手を離すと、魔王のほうへ駆け出した。
「魔王さん!」
ブリッツが走って魔王を呼び止めた。勝利の歓喜に沸く人族たちやアミュレもびっくりした様子で彼を見つめている。
「…なんだ、少年よ」
背中越しに返答する魔王。
だが、ブリッツの視線は魔王の背中ではなく――尻に向けられていた。
(なんて、糞だ…)
王族、王都軍の兵士、宮廷魔術師――数多の糞を見てきたブリッツにとって、魔王のそれは、恐ろしいほどに力強かった。まるで一個の生命が産声を上げたかのようだった。
「魔王さん、あなたの糞は……素晴らしい」
場が静まり返る。人族たちは呆然とブリッツを見つめた。
「……素晴らしい、だと。何を基準にそう申す」
「はいっ…糞というものは、人を写す鏡、と言います」
真剣な表情で話続ける彼の後ろで、リブロがアテナに耳打ちする。
「……アテナ、聞いたことあるか?」
「……無いに決まっているだろう」
ブリッツは、真剣な表情で言葉を続ける。
「食べ物の嗜好はもちろんのこと、性別、健康状態、魔力の残滓から職業や強さまでわかる。その観点から言って、あなたの糞はお世辞抜きに素晴らしい。見なくても分かります。服越しからでも溢れる魔力の残滓は、あなたの強さの証明です」
「魔力の残滓…ベルンガ爺、聞いたことある?」
「いえ…糞からそのようなものが見えたことはありませんな」
ベルンガが冷静にツッコむ。
魔王は依然として振り向かない。だが、興味を示したのだろう。立ち去らずに問答を続ける。
「…悪い気はせぬが何か目的があるのだろう」
ブリッツは深呼吸をした。心臓がバクバクと鳴っているのが自分でも分かる。
「……半年。人族に猶予をください」
魔王の背がピクリと反応する。そして――筋肉が隆々と膨れ上がった。
「こんな余興で半年寄越せと…。俺にそう申すのか……!」
人族一同は驚愕した。ダブルアップどころではない。
魔王がブリッツに向き直ると、その目は射殺さんとばかりに少年を見つめていた。
「俺が腕を振るえば、貴様らの首など数秒で飛ばすことができるぞ」
脅迫の言葉にも、ブリッツはたじろがない。
「私は言いました。あなたの糞は素晴らしいと」
魔王が歩み寄る。
「やはり、貴様、死ぬか」
「ですが、私は…」
ブリッツは恐れず前へ一歩踏み出し、声を張った。
「人族の世界でもっと素晴らしい糞を見たことがあります!」
魔王の足が止まる。
「……何?」
「それは、あなたの糞とも負けず劣らずの素晴らしいものでした」
場が、再び静まり返る。魔王の瞳が、わずかに揺れた。
「……続けてみよ」
その一言に、場の空気が張り詰める。
「私がそれを目撃したのは、数年前のことです。まだ小ぶりでしたから、おそらく子供だったと思います。ですが――」
ブリッツは一歩、魔王に近づく。
「半年あれば、その糞の持ち主が誰か特定できるはず。魔王さん、あなたは強者を望んでいるのでしょう?」
彼はここぞとばかりに魔王に詰め寄り、目を見開いた。
「僕なら、あなたにも劣らぬ力の持ち主、そう。黄金の糞を持つ『勇者』を見つけられる!」
魔王は黙り込んだ。その瞳は、まるで深淵のように静かで、何も語らない。誰もが息を呑んで見守っていた。
「…おいっ、ルビッチと言ったか」
「はっ、はいっ!」
突然名を呼ばれ、ルビッチが背筋を伸ばす。
「先ほどの羊皮紙とペンをよこせ」
「あ、はい……!」
魔王は渡されたペンを手に取り、何かを書き足していく。その動きには迷いは一切ない。すぐに書き終えると、自身の控えにも同じ内容を書き込み、2枚の羊皮紙とペンをルビッチに戻す。
「もう一度内容を確認をしろ」
「は、はい!」
ルビッチが恐る恐る目を通すと、そこには――「1」の文字に二本線が引かれ、「6」という数字が新たに書き加えられていた。
ルビッチは驚きから声を失う。
「おい、そこの人族二人。両方をこちらにかざせ」
ルビッチとハイネは、顔を見合わせると羊皮紙を魔王に向けて恐る恐る掲げる。魔王は左手の親指を噛み、血をにじませる。
そして、両手の親指を――羊皮紙に、ぐっと押し付けた。
「ケツは最悪の感触だが、気分は最高にいい!お前の戯言、付き合ってやろう!」
人族全員が、魔王に視線を注ぐ。
「半年やる。俺の前に、そいつを連れてこい!」
「ま、ま、まじかぁ!?」
リブロが思わず叫ぶ。誰もが、同じ気持ちだった。ブリッツも、ようやく肩の力が抜ける。全身から冷たい汗が流れているのに、今さら気づいた。
今度こそ、立ち去っていく魔王の背を見届けながら、ブリッツはその場に立ち尽くしていた。
そこへ、リブロが勢いよく駆け寄り――ぶつかるように抱きついた。
「やるじゃねぇか!!!おまえ!なんて度胸だ!」
アテナやルビッチ達も駆け寄ってブリッツを祝福するように囲む。
皆の声に、ようやく彼は満面の笑みを浮かべた。
それは、15歳の少年らしい輝くような黄金の笑みだった。




