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017_束の間の勝利

 ーゴンゴンゴンゴンゴンッ!

 突如、扉が叩かれる音が響いた。


「んんっ……なんだよ、るせぇな……」


 人族の書記官・ルビッチは、机に突っ伏していた。頭の横には空になった酒瓶が一本。顔を上げ、音のする方を睨む。


ーゴンゴンゴンッ!


 なおも響くノックに、舌打ちをひとつ。ようやく立ち上がり、ふらつく足でドアへ向かう。ちらりと壁の時計を見ると、そろそろ夕方だった。


「ああ、もう一日も終わりか。ま、終わりも始まりも俺には関係ねえ……やることは一緒さ」


 ぼやきながら扉を開けると、そこには拳を振り上げた新人がいた。


「おいっ!新人!うるせえぞ!」

「あ、すいません、先輩……けど! 大変なことが起こったんです!」


 小柄な丸顔の女性――ハイネが、顔をしかめながら焦りの表情で立っていた。その目は、何かを訴えるように真っ直ぐルビッチを見つめている。


「早くっ、早くっ! もうそんな格好してないで、早く身なりを整えてくださいってば! ああ酒臭い! またお酒飲んでっ! だめっじゃないですか! まだ勤務中です!」

「なんだよ、おめえ……別に急かしたって仕事なん――」


 突如、建物全体が震えるほどの歓声が湧いた。


「ああっ!?ほら、早く! もう終わっちゃうから!」

「なんだっ? いてっ! おい! わかった、わかったからよ!」


 ルビッチは扉を閉め、鏡の前に立つ。ぼさぼさの茶髪、面長の顔には刻まれ始めた皺。顎に手をやると、無精髭がざらりと指先に触れる。鏡の中の瞳は、諦めを宿していた。首を振り、髭剃りをやめる。シャツのボタンを締め、服についたゴミを軽く払うだけにした。


「…どうせまた魔族の残忍なショーが始まったんだろ。あいつらも飽きねぇな……」


 コロシアムに派遣されたルビッチたちは、人族側の書記官。戦いの結果、死亡者、生存者の報告――

魔族との交渉を担う、文官という名の記録係。


「昔は俺も、あいつ……ハイネみたいに瞳をキラキラさせてたんだがな。俺が人族の初勝利を記すんだって、意気込んでた。浅はかだったよ……俺たちはただ、死亡者の目録を作るだけだってのによぉ」


 人族のむごい死を見せつけられ、殺されこそしなかったが、差別は日常茶飯事。いつしか酒に溺れ、すべてを忘れる日々。


「ハイネもよくここに来たよな……いや、飛ばされたのか。どっちにしても、女をこんな僻地に、しかも敵国に配置転換するなんて、いかれてやがる。あいつの両親が聞いたらどう思うだろうな……」


 いらぬ考えが浮かぶ。だがまた、ノックの音が聞こえてきそうな気配に、ルビッチは扉の元へ急いだ。

再度扉を開けると――。


「急いで急いで!」


 ハイネが、焦った様子で服を引っ張ってくる。


「なんだおめえ! 分かった分かったって! やめろ、引っ張るな!」


 ハイネの手を振り払うと、ルビッチは足早に廊下を駆け出した。階段を降り、コロシアムの中心へと続く扉の前にたどり着いた。そこにはすでに数人の人族たちが集まっていた。


 検分役、医師――彼らの仕事は、生き残った者の治療と、遺体の回収、死因の特定。だが、彼らの服はまだ汚れていない。それを見て、ルビッチは眉をひそめた。


「あっ、なんだお前ら? まだ終わってねぇのかよ? おいおい……!」


 そう言って、隣の新人――ハイネを見る。


「お前、言っただろう! 今俺たちが来たところで何も記録することなんてねえんだぞ。こいつらの仕事が終わってから呼べ。馬鹿野郎っ!」


いつもなら文句を言われるとブスッとするハイネも、今日は一切取り合わず、真剣な表情でこちらを見つめていた。他の者たちも同様だ。空気が、違う。


「おい、ファーランドっ。お前もなんか言えよ」


 医師の一人に声をかけると、ファーランドは目を見開いてこう返した。


「な、何言ってんだお前が……お前が今日の主役だぞ! 早く行け!」

「は? ど、どういう意味だ」

「いいからっ!」


 そう言うと、ファーランドはルビッチとハイネの背中を押し、コロシアムのステージへと続く扉を開けた。二人は、半ば強引に押し込まれる。


 ルビッチの目に映ったのは――立ち上がる人族たち。互いを称え合う姿。

 そして、中央に立つ魔王。

 巨岩を切り出したような巨体に威圧的な筋肉。だが、その浅黒い肌は汗に濡れ、魔王の表情はなぜか晴れやかだった。


「あれ……なんで? あいつら、立って……しかもなんで、魔王が……魔王の役割は前半で終わりだろう?」

「……先輩、私、見てたんです。この人たち……勝ったんですっ……!」

「……は?」

「だからっ! 魔王様との勝負に勝ったんですって!」

「な、バカな……!」


 だが、ルビッチの視線の先には、確かに勝者の姿があった。互いを讃え合う人族たち。そして、魔王がこちらに手を差し出している。何かを要求しているようだった。


(んっ? なんだこの匂い……まるでクソを漏らしたような……)


 ルビッチはそう思ったが、その方向が魔王からだったため、何も言えなかった。一方で、状況を理解しているがハイネが、そそくさとペンを手渡し、羊皮紙をぐっと開いて魔王に見せる。


 魔王は、静かに――その紙に、文字を書き込んでいった。書き終えた書類を懐に入れるとハイネはもう一枚羊皮紙を取り出し、魔王に見せる。同じように魔王は文字を書き込んでいく。

 

「内容を確認しろ」


 魔王が、低い声で言った。ハイネは2枚の紙を自分の方へ向け、目を走らせる。ルビッチも、隣から覗き込み内容を確認する。


 そこに記されていたのは――。


 本日をもって、魔族は人族に対して一か月の停戦を結ぶ。

 王歴7年9月6日。

 魔王 トミー・ジーン


「ま、まま…マジ…かよ…」

 

 ルビッチの口が、勝手に震えた。言葉にならない音が漏れる。用紙を持つハイネの手も震えている。

にわかに信じられず、書き込まれた内容をもう一度確認する、だが、そこにあるのは確かに――魔王の署名。


 ルビッチは、思わず人族の方へ顔を向けた。そこに立っていたのは、人族とハーフと思しき二人の女性。周囲を見渡すと、ステージの隅に一人の少女が座っていた。軽く咳き込みながら、ぼうっとこちらを見つめている。遠巻きには、神官の女性が視線を向けていた。壁沿いには、魔族が膝をつき、苦しそうな表情を浮かべている。


 理解できぬこともある。

 だが、確かなこともある。


 ――いつものように、多くの人族が倒れていた。

 ――多くの命が、ここで散った。


 ルビッチは、自身を恥じた。


(俺は……バカだ。命を懸けている同胞に目をそらして……酒に溺れていたなんて……!)


「返答は先輩がしてください」

「いや、俺にその資格なんて……」

「そんなことはありません。先輩だけです!この地獄から逃げ出さなかったのは……!」


 その言葉に、ルビッチは言葉を失った。

 

 最初は皆希望の目をもってコロシアムに来たものだった。だが、状況が悪くなるにつれて、帰還するもの、魔族に賄賂や人族の情報を渡し魔族側に取り入ろうとするものが増えた。どちらにしても、ルビッチの同僚だった人族たちは一人、また一人といなくなり、ついには書記官は彼だけになった。彼には酒が必要だったが、それでも、心を殺し愚痴を吐きながらも、淡々と闘いの結果を記録していった。


 全てはいつか来る人族の勝利を信じて。

 彼は希望を捨てきれなかったのだ。

 

 ルビッチの目頭が熱くなる。

 彼は人族のほうに向きなおり、ゆっくりと、丁寧に頭を下げた。


「…ふがいない態度をとってしまい、申し訳ありませんでした…!」


 その謝罪は、立っている者たちに向けたものだけではなかった。ここに倒れた、すべての人族の英霊に。心からの、謝罪だった。


 ルビッチは渡されたペンを取ると、羊皮紙に文字を走らせる。

 

――人族文官代表 ルビッチ・ワイルダー


 多くの人族の屍を礎に築かれた、束の間の、だが、最初の“平和”だった。

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