016_闘いの決着
「アイン・ウォシュレットが告げる! 魂の借款の拒絶、才智偽芯の神を排せ。開闢の第四門――その名は……!」
ブリッツの詠唱と同時に、地鳴りのような音がコロシアムを揺らした。
地面が裂け、そこから巨大な石造りの門がせり上がる。
「拒絶の門!」
それは魔王の背丈を優に越えるほどの巨門。
石の表面には、古代語のような紋様が刻まれており、黄色い煙が門の周囲を漂っていた。
「な、なに!?なんかでっかい門が現れたんだけどっ!?」
カリンの声は鼻声だった。
あまりの臭気に、鼻呼吸を諦めたためだ。
嗅覚の鋭い魔族の中には、すでに失神している者もいた。
「アイン・ウォシュレット……!聞き間違えでなければとそう申したか…!?」
「何、そいつがどうしたのよ!?」
「い、いえ……確証はないのですが……偶然かもしれません」
カリンは、ベルンガがここまで困惑した表情を見せるのを初めて見た。
その顔には、動揺とも恐怖ともつかぬ色が浮かんでいる。
「…我々魔族の歴史の中で、最古の魔王の名前を“インシュレット”と言うのですが……それは今の言語での発音でして…最近、古代語での正確な読み方が判明したのです」
ベルンガは、ゆっくりと口を開いた。
「古代語で発音すると――“アイン・ウォシュレット”」
カリンは呆然とした。
これは、ただの魔術ではない。
尋常ならざる何かが、今まさに起ころうとしている。
かろうじて意識を取り戻したザインが、その光景を見て叫んだ。
「なっ、なんだこれは……!?はっ、魔王様! 早急にあの少年を殺してください! 今なら術式が発動しきる前に殺せます!なんなら私が――!」
魔王はザインに目もくれず、叫んだ。
「バカな!今、最高に楽しいところだぞ!さあ、見せてみろ……人族よ。これがただの虚仮威しでないことを願うぞ……!」
魔王は腰を深く落とし、全身に力をみなぎらせる。
その姿は、まさに戦神の構え。
ブリッツは、伸ばした両手の甲をぐっと押し当てた。
そこから何かを掴むような動作をし、まるで目の前の門をこじ開けるかのように、外側へと力を込め始める。
門が、軋む。
石が、震える。
ブリッツの手の動作と連動するように、目の前の門が「ズズズズッ……!」と地鳴りを立てながら、ゆっくりと開いていく。
「ぬぐぅ……!?」
突如、魔王が顔をしかめた。
それに気づいた実況が叫ぶ。
「なんだなんだ!?魔王様が苦しんでいるようだぁ!もしや……ブリッツ少年の魔術が効いているのかぁ!?」
魔王は足を地面にめり込ませるほど力を込めて踏ん張り、門から溢れ出す「何か」に耐えようとする。
だが、それでも門は開いていく。
ブリッツもまた、全身に力を込めて門をこじ開けようとする。
門が半ばまで開いたその瞬間――扉越しに、魔王とブリッツの目が合った。
魔王は全身に汗をほとばしらせながらも、噛みつくような笑みを浮かべる。
「楽しませてくれるではないかぁ!小僧ぉお!はぁぁあぁ!ふぅぅぅん!!」
掛け声と同時に、魔王の体が膨れ上がった。
さらにケツに力を込めたその瞬間――腰布が破け、鋼のような筋肉が露出する。
「……あっ!開かない!?」
ブリッツの両手がそこでピタッと止まる。
それどころか、門は徐々に閉まり始め、両手の甲が近づいていく。
「おっとぉ!これはすごい!魔王様、さらに力を込めて、ブリッツ少年の魔術を堰き止めようとしているのか!?」
「小僧!よくやった!だが、これまでよぉ!」
魔王の言葉と同時に、門はさらに閉じていく。
「ふぎぎぎぃぎぎぃ!」
ブリッツは懸命に力を込めるが、それでも門は徐々に閉じていく。
「ぐぐぐぅっ!こっ!?これ……でもだめ、なの……か……!?」
その時――。
「おい、俺たちを忘れんなよ」
具象された門に、手をかける人物がいた。
「ぇっ……」
顔を上げると、そこには黒髪の人族、リブロが立っていた。
「リブロさんっ!」
汗に濡れるブリッツの顔が笑顔で輝く。
「おっ、触れるんだなこれ。なら話は早ぇ!」
リブロが左側の門を両手でつかみ、腰を深く落として思い切り外側に引っ張った。
魔王の力によって閉じかけていた門が、ピタッと動きを止める。
次いで、後ろから誰かがブリッツの肩に手をかけた。
「……君のおかげで少しは回復できた。私も微力ながら手伝おう……!」
「……アテナさん!」
先ほどよりも血色の良くなったアテナが右の門に手をかけ、ぐっと力を込める。
先ほどとは一転――今度は門が、ほんの少しずつ開いていく。
「行っけぇぇぇぇ!」
ブリッツの叫びが場内に響き渡る。
だが、最後の最後で門がまたピタッと止まった。
魔王の全身の血管が張り出し、筋肉は限界まで膨れ上がる。
浅黒い肌は真っ赤に染まり、全身から汗が吹き出す。
すんでのところで、魔王は踏みとどまった。
「やらせてたまるかぁぁぁ!」
そう言うと、またゆっくりとだが門が閉じていく。
「まだ足りないのかっ!?」
ブリッツがそう叫んだ、その時――。
彼の左手を、温かな両手がそっと包み込んだ。
「アミュレ……!」
「私も一緒に……いいかな?」
蠅族の少女、アミュレだった。
その声に、ブリッツは最高の笑顔を向ける。
「…うん!もちろんだよ!」
アミュレはブリッツの左手に自身の両手を重ね、静かに、しかし確かな力を込め始めた。
…
……
………
「ぅぅっ……なに、このにおいは……」
マリセはゆっくりと上体を起こした。
空気は重く、濃密な臭気が地面から立ち上っている。
マリセの視線が、遠くにそびえる巨大な門へと向かう。
その門の前には、ブリッツと仲間たちが立ち、魔王と対峙していた。
そして、門は――再び、ゆっくりと動き始めていた。
「ぬぐぅ…!」
「あっ…!大丈夫!?」
マリセが振り返るとザインに致命傷を負わされた51番がうめき声をあげていた。
彼は重症の身体なのに横にはならず、膝をついたままブリッツ達を見つめていた。
マリセはすぐに駆け寄った。
そこで回復魔術を詠唱しようとしたが、それを51番が手で制した。
「良いさ…どのみち助からん…」
マリセは抵抗しなかった。
だが、代わりに彼の肩を支えた。
「すまんな…」
「いったいこれはどういう状況なの…?」
「ガフっ…!はぁはぁ…。96番の少年が…交渉…したのだ…魔王と…。自身の魔術が通れば…停戦を認めろと…」
「あの子が…。ってことはあれはあの子の魔術なのね…」
マリセが巨大な門を見つめる。
「…なぁ、思わないか…」
「…何を…?」
51番は震える手をゆっくりとブリッツ達に向ける。
「あそこには人族も…魔族…も…ハーフ…もいる…ふっ、ふふ。おかしい…と思わないか…。さっきまで俺たちは殺しあっていたのに…」
「そう…ね。確かに…そう」
「皆で、協力して…子供の…ころ、本で…読んだシーン…みたいだ…ははっ」
「ねぇ…あなた…名前は…?」
「なん…だ?ただ、番号…で呼び合う…関係…君が言ったこと…だっただろ…」
「なんでかしらね。だけど…知りたくなったの。あなたのこと…。いえ、他の人たちのことも知っておけば良かったって思うの」
51番は血濡れの顔でマリセに微笑むとこう言った。
「…ピースフル…俺の…俺たちの…名前…だ」
そう言うと目を閉じた。
彼の身体から力が抜ける。
マリセは彼の身体をゆっくりと地面に寝かせた。
その顔は安らかだった。
マリセは悲しげに微笑む。
「バカね…そんな名前…。でも、でも…」
マリセが顔を上げる。
そこでは、汗にまみれ。必死に闘う少年たちの姿があった。
「…信じたくなる」
「あけぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
ブリッツが叫ぶと同時に「ガコンッ!」と何かがハマる音がした。
急に手にかかった感触がなくなる。
「少年よ…。見事だ…!」
肩で息をしていたブリッツ達が前を向くと、門は完全に開き、汗に濡れた魔王が腕を組み、立っていた。
ーーぶりゅりゅりゅっ!!!
その音はコロシアムに響き渡った。
実況が息を吸い、そして、会場内に向かって叫んだ。
「…この勝負!人族の勝利だぁぁあぁぁぁぁあ!」
会場全体が割れんばかりの歓声に包まれた。




