015_ブリッツ、魔王へ魔術行使
ブリッツは、二本の指を地面に下ろした。
――否、下ろそうとした。
「どうした、少年よ。俺に糞を漏らさせるはずじゃなかったのか?」
指が、折れない。
ブリッツは驚愕した。
下ろそうとした指先に、岩のような感触があり、まったく曲がらないのだ。
左手で右手首をつかみ、渾身の力を込める。
だが、指は微動だにしない。
「くははは。少々ケツが痒い程度だぞ」
実況席が困惑の声を上げる。
「これはどういうことだぁ!? 魔王様に魔術は効いたのか、それとも効いてないのか!?」
観客席もざわつく。
「爺や、どういうこと?」
「おそらく、指を下ろすと同時に排泄させる魔術なのでしょう。ですが、魔王様の何かがそれを防いでいる」
魔王の地響きのような声が、コロシアム中に響き渡る。
「どうだ、俺の肛門括約筋は?」
「なっ……!?ただの筋肉、で!?」
「おうよっ!貴様はクソを漏らさせる魔術を使うと言ったな。ならば事は単純。俺は漏らさせぬようにケツに力を入れるだけだ」
「なあぁんと!?魔王様はただケツに力を入れているだけだったぁ!人族の魔術抵抗が強いザインですら防げなかったその魔術を!ケツに!力を入れているだけでぇ!」
「繰り返さなくていいのよ!」
カリンがしかめっ面で実況にツッコミを入れる。
「どうした。こじ開けてみろ。まぁ、貴様のその細い指ではとても無理そうだがな」
「んんぬらぁぁぁあっ!」
ブリッツは叫び声を上げ、なおも指を下に下ろそうとする。
だが――とても無理そうだった。
「無駄無駄無駄! 今の俺の肛門は破砕車でも破れぬわ!」
「……何よその例え」
カリンが呆れたようにぼそりと漏らす。
ついに、ブリッツは右手を下ろした。
全身に力を込めていたのだろう。両手を膝に当て、肩で息をしている。
「少年よ、暇つぶしぐらいにはなったぞ。だが、もう見せるものはないのか?」
ブリッツは黙ったままだった。
「絶体絶命の窮地――どうする!ブリッツ少年ん!?」
「……余興はしまいだ」
返答をしないブリッツに、魔王は種切れと判断したのだろう。一歩ずつ、ブリッツに近づいていく。
一方で、窮地であるにもかかわらず――蠅族の少女・アミュレは、この勝負が決まった瞬間から、ただ黙ってブリッツを見つめていた。
「昔……」
ブリッツが突然、ぽつりと一言漏らした。
魔王が歩みを止める。
「こんな魔術を、何に使うんだろうって。おじいさまに魔術を教えてもらった時、僕はそう思いました。今使った魔術と結果は一緒なのに、なんでこんなものを教えるんだろうって」
ブリッツはゆっくりと体を持ち上げ、魔王をまっすぐ見つめた。
「仰々しい詠唱が必要だし、一回使えば僕の魔力もすっからかんになります」
その瞬間――。
「……なんだ、この匂い」
最初に気づいたのは、地面に横たわっていたリブロだった。
膝をついていたアテナも、思わず顔をしかめる。
ブリッツを中心に、恐ろしいほどの臭気が漂い始めていた。
観客席にもその匂いが届き、カリンとベルンガも顔をしかめる。
「くっさぁ!? 何よこの匂い!?」
「分かりませぬ。ですが、おそらくこれは……今から使う魔術の予兆のようなものではないでしょうか……」
魔王は歩みを止め、獰猛に笑った。
次に来る“何か”に、期待しているようだった。
ブリッツは静かに言葉を紡ぐ。
「僕、聞いたんです。誰にこんな魔術を使うのって。そしたら、おじいちゃんはこう答えました」
『――神話に出てくる怪物に』
ブリッツは両手を魔王に向けた。
そして、目を閉じてゆっくりと詠唱を始めた。
詠唱とともに、臭気はさらに濃密になり、ついには視認できるほどの黄色い煙となって地面に漂い始める。
観客たちは皆、鼻を覆い呻き声を漏らす。
だが――アミュレだけは鼻をスンスンと鳴らし、懐かしむように微笑んだ。
「ああ……肥溜めを凝縮してスープにしたような……すごく濃い……とても、濃い」
――魔力の香り。




