011_死闘2
ザインは、血の玉を成形し、それを人族の集団に向けて浴びせ続けていた。
逃げ惑う者の背中に、次々と赤黒い弾が突き刺さる。
悲鳴が上がり、地面に倒れ込む者が増えていく。
気づけば、50人いた人族は半数以下にまで減らされていた。
「くそっ!あれだけ四方八方に撃たれたら、さすがに近づけねえ」
リブロが叫ぶ。
人族にも数人の魔術師がおり、彼らは時折、ザインに向けて魔術を放とうとした。
だが、魔術には詠唱が必要だ。その隙をザインは見逃さない。
詠唱の途中で血の弾丸を撃ち込まれ、ほとんどの魔術師は魔術を完成させることすらできなかった。
それでもまれに詠唱が間に合い、魔術が放たれることもある。
しかし、ヒラリと避けられるか、手で簡単に払われてしまう。
「無駄です無駄です。魔王様ほどではありませんが、私に人族の魔術は効果がありません」
その声には、勝利を確信した者の余裕が滲んでいた。
戦闘というよりも、もはや狩りに近い感覚なのだろう。
盾を持つ人族の後ろに身を隠しながら、リブロが叫ぶ。
「なんとかあいつに近づく方法はねえのか! 近づければ、この拳を叩き込んでやるのによ!」
「……もしかしたら、隙は作れるかもしれない」
隣にいたアテナが言った。
だが、リブロは彼女の顔を見て言い返す。
「いや、お前……顔が真っ青だぞ。大丈夫か? あの魔術は、魔力の消費が激しいんだろ」
アテナは懐から何かを取り出した。
「まだ…やれるさ…。それよりも、リブロ。お前、これをザインに付けられるか?」
アテナが見せたのは、先ほどの演説の混乱の中で手に入れた代物だった。
「お前、それは!?いや…それで、そいつをどうするんだ?」
リブロが問いかけると、アテナは小声で説明を始める。
彼は話を聞き終えると、首を振った。
「いや、無理だろ。今この状況で、あいつに近づいて、そんなことできるかよ……」
「私が隙を作る。さっきの魔術を、もう一度行使する。その隙に、やってくれ…」
アテナの目には、覚悟が宿っていた。
魔力が切れかかっているのか、顔は青白く、唇も震えていた。
だが、だからこそ、その表情には鬼気迫るものがあった。
リブロはその覚悟を受け取るように、大きく頷いた。
「……分かった」
その時、ふいリブロやアテナを大楯で守っていた男が会話に割って入った。
「…何か策があるみたいだな。詠唱中は隙だらけになるだろう。さっきと同じように俺がお前を守るよ」
リブロが尋ねる。
「あんた、名前は?」
男は静かに答えた。
「ガーディだ。昔、冒険者家業をやっていてな。盾の扱いには自信がある」
ガーディは、血の弾丸が飛び交う戦場の中で静かに言った。
リブロが問いかける。
「おい、あんたは何をやったんだ?」
「おい、リブロ! 今そんなこと聞いてる場合じゃ――!」
アテナが叫ぶ。
だが、リブロはそれを遮った。
「違う!お前、こいつに命を預けるんだぞ。…だったら、聞いておかなきゃいけねえだろ」
ガーディは、弾丸の嵐に耐えながら答えた。
「……俺は罪人だよ。死んでも守らなきゃいけねえ女を、守りきれなかった」
それ以上、彼は語らなかった。
だが、リブロとアテナには、その一言だけで十分だった。
アテナが叫ぶ。
「さっきからヤツと何度も目が合ってる。おそらく、私やリブロを警戒しているんだろう。リブロ、お前は離れろ。お前ならヤツの玉を食らっても数発なら問題ないだろう。それにガーディの守る相手は少ない方がいい」
「……分かった。アテナ、死ぬなよ」
「お前こそな」
短く言葉を交わし、リブロは二人の元を離れた。
アテナは深く息を吸い、詠唱を始める。
数瞬後、ザインは気付いた。
「またあの魔術ですか。ダメージこそ通りませんが、軽く痺れるので嫌なんですよね」
口角を上げたザインは、離れていくリブロを目線で警戒しつつ、両手をガーディとアテナの方へ向ける。
アテナは目を閉じ、意識を集中させて詠唱を続ける。
彼女はガーディを信じていた。
ガーディは大盾を地面に突き刺し、重心を低くして防御の姿勢を取った。
血の玉が盾に当たるたび、ガーディの体と盾はズリズリと後退していく。
だが、彼は「フンっ!」と肩に力を込め、盾を押し戻した。
盾はところどころひしゃげていたが、彼は耐え続けた。
ザインは盾の端に攻撃を集中させる。
ガーディは必死に盾を正面に向け続けたが、次の瞬間――
すかさず反対側へと弾丸を浴びせた。
大盾が横に吹き飛び、二人の体が無防備にさらされた。
「はい、チェックメイトです」
ザインが冷たく笑う。
ガーディは即座に自身の体を横に向け、地面に落ちていた小さな盾を拾い上げた。
弾丸の嵐が襲いかかる。
盾は一瞬で砕け、ガーディの身体を貫いていく。
だが、彼が半身で構えたことで、アテナの方には弾丸が届かなかった。
血だらけになりながら、なお、ガーディは笑った。
「…今度こそ…守り切った…イリヤ…やったぞ、俺は…!」
(……ガーディ、お前の命…無駄にしない…!)
アテナは心の中でそう念じ、詠唱を終えた。
「――神速の審判!」
ザインの体が、轟音のような衝撃に包まれる。
雷が数発、連続して炸裂し、周囲に砂煙が巻き上がった。
…
……
………
砂煙が立ち上った。
その煙の中、ザインは悠然と立っていた。
「ふぅ……私に人族の魔術は効かないと言ったでしょうに」
ザインは独り言を漏らす。
「まあ、いいでしょう。どうせ、あの混じり血の魔術師はもう何もできません」
ザインは、誰に語るでもなく呟いた。
「今回は……おいしそうな人族が何人かいますからね。生きがいいからこそ反抗心も強いですが…。ふうむ。どう屈服させるか……今から楽しみです」
舌なめずりをしながら、ザインは血の玉を指先に浮かべる。
その瞳には、戦いではなく“収穫”を前にした狩人のような光が宿っていた。
その時、背後から微かな足音が聞こえた。
ザインは目を細める。
(なるほど。私の視界をふさぐのが目的だったのですね。だが甘い。隠しているようですが、かすかな足音が聞こえますよ)
足音が近づいてくる。
ザインは両腕を掲げ、指先に血の玉を形成し始めた。
(人族の驚く表情が目に浮かびます…さあ、早くおいでなさい。…さあ、さあっ!)
その瞬間、足元から「カチャン」と金属音が響いた。
ザインは眉をひそめ、自分の足元を見る。
両足首に、手錠のようなものがかけられていた。
すぐに後ろを振り返る。だが、誰もいない。
「……ばーか、下だよ」
腹這いになったリブロが、ザインの足元にいた。
ザインは足元とリブロを交互に見比べ、ため息をついた。
「何かと思えば……これで私の動きを封じたとでも?いいですか、私はあなた方みたいに非力な種ではありませんよ。こんな細身でも、ね」
そう言って、ザインは片足を上げた。
手錠がパンと外れた――が、次の瞬間、手錠が光を放つ。
ザインが目を見開く。
「なっ!これは…!?」
手錠が爆発した。
リブロも慌てて距離を取ったが、爆風に巻き込まれ、地面を転がった。
砂煙が再び立ち上がり、そして、やがて晴れていく。
そこに立っていたザインの姿は、先ほどとは違っていた。
スーツの下ははだけ、靴は吹き飛び、両足には火傷の痕が広がっている。
焼けただれた皮膚がジュージューと音を立て、煙を上げていた。
それを見て、アテナが絞り出すように叫ぶ。
「やはりそうか…人族の魔術は効かないと言ったな…だったら――魔族の魔術だったらどうだ…!」
「ぐぬぅ……!」
ザインが痛みに思わず膝をつく。
そして、膝をつくザインの前には。
リブロが両こぶしを握り締めて立っていた。
「いいのか…俺の拳の前で、そんな無防備でよぉっ…!!」
ザインは痛みに顔を歪めながら、なんとか立ち上がろうとする。
だが、爆発によって焼けただれた両足は、彼の体を支えきれず、ふらついた。
その姿は、先ほどまでの余裕に満ちた魔族の姿とはまるで違っていた。
痛みに耐えながら、ザインは後ろに下がろうとした、そのとき。
またしても足元で金属音が、かちゃりと鳴った。
「逃げちゃダメですよ、ザインさん」
ブリッツだった。
ブリッツがザインの傷ついた足に再度手錠をかけたのだ。
「なっ!?」
驚愕で顔を歪め、ザインはブリッツめがけて血の弾を放とうとする。しかし、
「よそ見はいけねえぜ、ザインさんよぉ!」
リブロの左拳が一閃、ザインの腹を襲った。
身体がくの字に折れ、呻きが漏れる。
リブロは迷わず詰め、ザインの胸元に額を押しつけると、渾身の力で腹に連打を打ち込んだ。
「うらららららぁあ!」
至近距離の拳が入るたび、ザインの身体が大きく曲がる。
最後に放たれた右拳が顔面を捉えると、ザインは勢いよく吹き飛んだ。
実況が悲鳴のような声で叫ぶ。
「ザイン氏、ダウンッ! まさか、人族が勝利か!?」
観客席からは歓声と野次が入り混じった声が渦を巻く。興奮と罵倒が場内を満たした。
ブリッツがリブロのほうに駆け寄る。
「やりましたね!リブロさん!」
「お前こそっ!どこであれを手に入れたんだよ?」
ブリッツは笑いながら答えた。
「手錠を外した時にミレガーさんにもらったんです。記念にもらってもいいですかって」
「記念って…お前なぁ」
「もちろん魔力は抜かれてますけど、それでもあの状況では判断できなかったでしょう」
「ぶははっ!馬車にいたころが思ってたが、お前、なかなか肝が据わってんじゃねぇか」
二人の間に笑みが交わされる。
だが、安堵の時は一瞬だけだった。
仰向けに倒れたザインはまっすぐに空を見つめていた。
こぶしを何度も叩き込まれた身体は確かにダメージを負っている。
周囲から観客の声が聞こえてくる。
多くはザインをなじる声だ。
ダメージでぼやけていた思考がクリアになっていく。
そして、怒りが湧き上がってくる。
「血の鎧…」
ザインの唇がゆっくりと動き、低くつぶやいた。
彼の体が足元から赤黒い血でコーティングされていく。
彼は静かに戦闘態勢を整えていった。
…
……
………
最初にそれに気づいたのは、神官のマリセだった。
彼女は51番の治療に専念していたが、ザインの異変を視界の端に捉えると、治療を中断して剣を掴むと同時に走り出した。
間合いを詰め、「何か」が起こる前にとどめを差すつもりだった。
しかし間に合わなかった。
ザインは一瞬で立ち上がり、驚異的な速度で拳を振るった。
マリセは反射で剣の腹を当てて受け止めるが、衝撃は剣を折り、マリセをそのまま吹き飛ばした。
ふるった拳は赤黒い結晶をまとっていた。
拳だけではなく、首から下も岩肌のような質感で結晶をまとっている。
そして、その色は血のように赤黒かった。
「マリセさん!」
ブリッツが叫ぶ。
返事はない。
地に伏したままのマリセの胸は微かに上下するだけで、動く気配はなかった。
「ブリッツ!離れろ!」
リブロが焦ったように叫ぶ。
ブリッツが振り向くと、リブロの正面にザインが立っていた。
「おっ!?ぉおおぉおお!」
リブロは強敵を前に、自身を奮い立たせるように叫んだ。
だが、リブロが拳を構えたその瞬間、両腕のガードをすり抜けて、ザインのショートアッパーが顎をとらえた。
「ぐふぉおっ!?」
鈍い衝撃音が場内を裂き、リブロの体はぐらりと揺れる。
ザインはゆっくりと近づき、額をリブロの胸に押し付ける。
「…さあ、お返しですよっ!!」
先ほど彼がザインに行った攻撃を、今度はリブロが受けた。
あまりの衝撃に、リブロは体をくの字に曲げながらつま先立ちになり、そしてついには体が宙に浮いた。
とどめの一撃とばかりに渾身の一撃を腹に最後に当てる。
リブロはその場で崩れ落ちるように倒れた。
「ふぅっ!すっきりしました」
「…んぐっ…ちくしょぉ…」
「おや、この状態の私の攻撃を受けても、まだ生きているとは。本当に素晴らしい。ですが、もう立てないでしょう」
リブロの声とも言えぬ呻きが漏れ、やがて動かなくなった。
「さて、残りはそこの少女とあなただけですね」
「にげろ…ブリッツ…!」
アテナが、ブリッツに叫ぶ。
だが、魔力切れによる極度の疲労からか、その声はか細い。
両膝をつき、今にも倒れそうな気配だった。
ザインとブリッツの目が合った。
ザインはゆっくりとブリッツのほうへ歩み寄り、そして向かい合った。
「さて…あなたはどうするんですか?」
「…ザインさん、一つ教えてください」
ブリッツの声が静かに響いた。
周囲を警戒していたザインは、自身の敵になるような人族がすでにいないことを確認すると、ブリッツの方へ顔を向けた。
「……いいですよ。言ってごらんなさい」
ブリッツは一歩前に出て、問いかける。
「なぜ、僕たちの同胞にあんなひどい目を?」
ザインはリブロやアテナ、そして息絶えたガーディの方へ視線を向ける。
「この方たちですか?」
「……違います。僕たちは理由があって、あなたに戦いを挑んだんです。剣を持っている私たちに、ザインさんが力で応じること、それを間違いだとは思いません。ですが……あなたが連れてきた最初の三人は違います。なぜ、あんな真似ができるんです?」
ザインは顎に手を添え、しばし考えるそぶりを見せた。
(あの人族ももとは罪人なのですがね…。ですが、そう答えるのも面白くないか…)
ザインは小さく頷いて答えた。
「私には、あなた方を踏みにじる権利があるんです。例えばですが、あなた方人族も、豚や牛や鳥を飼っていますよね。なぜ飼い主たり得るのか?それは、あなた方が優れているからです。優生種は劣等種に何をしてもいい。私たち魔族は、人族から進化した種族です。魔力に合わせて体や精神を変化させてきた者たち――それが、私たち魔族なのです」
ザインの声は冷たく、確信に満ちていた。
「私たちは、あなた方のことを“原人”と呼ぶことがあります。進化前のあなたがたは、我々に劣る存在で、私の考えでは、つまり…」
言い終える前に、ザインはブリッツの腹を蹴り上げた。
「ぐぁっ……!」
「あなたがたに人権などないのです」
ブリッツはその衝撃に膝を折りかける。
ザインはおそらく手加減したのだろう。ただ、いたぶるために。
「はあ……はあ……うぐっ……なるほど。分かり合えないんですね。だったら……!」
ブリッツは呻きながらも右手をザインに向けた。
ザインは笑う。
「ほう、あなた、魔術師ですか?ですが、人族の魔力は私には効かな――」
その瞬間だった。
「待ってくださいっ!」
魔術を発動しようとしたブリッツの前に、黒髪の少女が飛び込んだ。
背には薄く透ける羽根──人族にはありえない特徴。
「アミュレ……!?」
「お願い、ブリッツにひどいことをしないで!」
その瞬間、観客席がざわついた。
「……あの子、やるわね」
赤髪の少女が目を細める。
「やられましたなあ……」
ベルンガが低く唸った。
「彼女が生成した蠅に、影を隠されました」
老人の魔術は、対象の影を踏むことで動きを封じるもの。
だがアミュレは、自らの影を覆うように大量の蠅を生み出し、術式の対象を蠅たちにすり替えたのだ。
拘束を解いた彼女は、すぐさま駆け出した。
ベルンガもカリンも虚を突かれ、彼女を取り逃した。
「良からぬ客人ですね……」
ザインが眉をひそめた。
「あなたも、この子を飼いたいんですか?」
「バ、バカにしないでくださいっ! 私とブリッツは、あの…その…恋人なんです!」
「おっとぉぉぉぉ!? 謎の乱入者による恋人宣言! 魔族と人族の禁断の恋! 一体どうなってしまうのかぁぁぁ!」
実況席が野次馬根性全開で叫ぶ。
「私も人族を愛していますよ」
ザインは胸に手を当て、微笑んだ。
「私と! 私の気持ちとっ、あなたのとは違う!私は、ブリッツのことを──対等な相手として、愛してるのっ!」
その言葉に、観客席がどよめいた。
ブリッツは試合のことなど忘れ、顔を真っ赤にしている。
ちなみにアミュレもだ。
ザインは目を細め、静かに言った。
「言い分は分かりました。ですが、ブリッツ君をどうするかは──今日は私が決めていいんです」
「……え?」
「私には、この人族を殺すことも、飼うことも、自由にできます。それがコロシアムのルールです。ルールは守らないといけないですよ」
「で、でも──」
「……ですが、特別にあなたたちにチャンスをあげましょう」
ザインは囁くように言った。




