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001_魔界への亡命

 魔界の国境に程近いミスラム村は、それでもある程度の安寧を得ていた。

 比較的温暖な気候に、耕作に向く平地。

 海が近いため、塩や海産物を運ぶ陸路として王都との中継地点のような立ち位置にもなっている。

 行き交う人々の顔も未だ明るい。

 世情を考えると、この状況は奇跡とも言えた。


……

………


 今から2年前、先王かつ愚王、ランデル・グロースは自身の即位を祝う式典の場で「人族こそが唯一の人間である」と言い放った。

 

 この年、即位したランデルには、奴隷と土地が必要だった。のしあがるために湯水のように使った金銭の補填、寝返らせた貴族たちへの知行。

 

 戦争は全てを解決してくれる。


 人族は未開の地、魔界へと大規模な侵攻を開始した。魔界は人族とは異なる容姿を持つ多種多様な魔族たちが暮らす世界である。侵攻の目的は領土の拡張、奴隷の確保――要するに、その地にあるすべてを人族のものとすることに他ならない。

 当然、魔族は抵抗した。だが、人族の軍勢に敵うことはなく、侵攻は着々と進み、領土は日々広がっていった。

 世界地図は日毎に塗り替えられ、略奪によっても補いきれぬ消費を支えるため、国は特需に沸いた。


 多くの人族は新たな王の功績を讃えた。


 王都から魔界へと続く侵攻経路は「真王の道」と呼ばれ、街道は整備され、小さな街や関所が次々と築かれていった。


 転機が訪れたのは、侵攻開始から三ヶ月を過ぎた頃だった。


 人族の最前線に配された一部隊が、魔族の暮らす小さな村へと踏み込んだ。彼らは、いつも通り逃げ惑う魔族を殺し、捕え、そして犯していた。


 そのとき、突如として現れたのは、岩のような巨体を持つ魔族の男だった。


 彼は、魔族の女性に腰を振る人族の兵を、両腕で引き裂いた。人族の剣はその肌に弾かれ、振るった者は手刀ひとつで真っ二つにされた。


 一人の魔族によって、人族の部隊は恐慌状態に陥った。


 当の魔族は、逃げ惑う人族には目もくれず、向かってくる人族のみをひとり残らず殺した。

 誰も向かってこなくなったところで、逃げた人族の一人を捕らえ、「お前たちはどこから来た?」と問いかけた。

 震える男は、遥か遠くにある王都を、そっと指差した。それを見た魔族は、指差した腕の肘から上を、手刀で断ち落とした。


 ついでに叫ぶ男の首も落とした。


 魔族は落とした腕を拾い上げ、それを地面に斜めに突き立てた。

 差し込まれた腕の指先は、王都の方角をまっすぐに向いていた。


 魔族の男は、そこから王都へ向けて、ただ黙々と歩き出した。

 もちろん人族は抵抗したが、たった一人の魔族の足どりすら、誰ひとりとして止めることはできなかった。


 一ヶ月後、魔族の右手には、王――ランデル・グロースの首があった。

 その首をみやげに、魔族は来た道を、再び歩いて戻っていった。


 王の死からさらに二ヶ月が過ぎた頃、王都に腐りかけたランデルの首と、一通の封書が届けられた。封書には、魔族が人族に対し正式に宣戦を布告する旨が簡潔に記され、結びにはこうあった。


――魔王トミー・ジーン


 のちに、この魔族が歩いた道は「魔王の道」と呼ばれ、魔族には崇められ、人族には最大限の恐怖として語り継がれることとなる。


……

………


ブリュッ!

ブリュブリュブリュッ!


「んん〜!おほぉおおっ!」

「エンコラ様、すごい声が出ています!」

「あっ!失礼……なにせ、っおふぅ!久々だったものですから……」


 ミスラム村の外れにある粗末な一軒家。排便の音すら防げないボロ屋を、数人の騎士が囲んでいた。


 入り口を見張っていた女騎士は、響き渡る汚い音に思わず顔をしかめる。女騎士はプレートメイルに、フレア状の皮製ロングスカートという出立ち。鎧には細かな装飾が施されており、一目で貴族の私兵とわかる。


 長く続いた排便の音が止むと、入り口から一人の少年が姿を現した。

 輝くような金髪に鮮やかな碧眼、端正な顔立ち。身長は女騎士と同じくらいで、やや細身。薄白いシャツに茶色のズボンという簡素な服装。


 一見すれば、絵に描いたような美少年。

 だが、女騎士は彼の顔を見て再び顔をしかめた。少年からは強烈な便臭が漂っていた。


「ふぅ〜終わりました〜」

「……中に入っても?」

「どうぞどうぞ!」


 少年の手招きを無視して、女騎士はずかずかとボロ屋へ入っていった。

 少年も気にする様子なく、その背に続いた。


 中も当然ながらボロ屋そのもの。ガタついたテーブルに腰掛ける太った女性へ、女騎士は立ったまま声をかける。


「エンコラ様、終わりましたか?」

「ええっ、この通りっ。見て、お腹周りもすっきりしたでしょ?」

「……おっしゃる通りでございます」


 エンコラと呼ばれた女性は、膨らんだ腹を叩いてそう言った。もともと肥えている腹は変わらずドレスを押し上げている。女騎士には違いが分からなかったが、主人の機嫌を損ねる理由もないので、適当に相槌を打った。


「ふふっ、ブリッツもありがとう。ひどい便秘に苦しんでいたので助かりましたわ」

「お褒めに預かり光栄です、エンコラ様」


 ブリッツと呼ばれた少年は、女性の前に片膝をつき、はきはきと礼を述べた。それはこの国における目上の者への公的な儀礼。


 とはいえ、彼の所作はあまりにも手慣れていた。


「ブリッツ、そんなにかしこまらなくても良いのよ。私とあなたの仲じゃない」

「ありがとうございますっ」

「それにしても、あなたも運が悪かったわねぇ…。こんな辺鄙な所に追いやられちゃって…。王、いえ…先王様に間違えて魔法をかけちゃったんでしょ」

「ええ、まぁ……」


 ブリッツの脳裏に、苦い記憶が蘇る。


……

………


 事件の顛末はこうだ。

 先王による人族の侵攻が始まる少し前のこと。彼は王都に暮らしていた。


 彼の使える魔術は、排泄を促し便秘を解消するもの。

 エンコラのような上流階級の女性たちの便秘解消に使われていた。


 王妃(当時)も例外ではなく、その日ブリッツは王妃の使用人に呼ばれ、城内の王族専用洗面室の前に連れて行かれた。

 使用人から目隠し用の黒布を渡される。位の高い者に魔術をかける際にはよくあることで、彼は素直に従った。


 目隠しされたブリッツの腕を使用人が掴み、洗面室へと導く。

 少し歩いたところで手を離し、身体の向きを調整してある方向へ向かせる。そして再び腕を掴み、まっすぐ前へ向けさせた。


 この方向に魔法を使え、ということだ。


 合図に従い、ブリッツは魔法を行使しようとした。だが、その瞬間――彼はくしゃみをしてしまった。

 魔法は尻を出していた王妃の横に立つ人物に当たった。


 それが、先王だった。


……

………


 後に使用人がこっそり教えてくれた話によれば、王妃の不貞を疑った先王が、無理やり立ち会っていたらしい。


 王に攻撃性の魔法をかけた場合、発覚した時点で、たっぷりと拷問をかけて、バックにいる人物がいないか吐かせたのちに、(拷問で得た情報に関わらず)速やかに死刑執行である。今回の場合、攻撃性自体はないが、それでも場所が違えば、王の権威に泥をぶっかけるような行為である。


 死刑になってもおかしくはなかった。


 さらに言えば、先王は激怒していた。


 糞でお尻の部分を茶色にこんもりさせながら、死刑を言い渡そうとした先王だったが、先王妃が必死になって止めてくれた。

 死刑にすれば罪状が公になるし、公になること自体がそもそもお互いの恥になる。今なら密室で行われた行為のため、この場にいる人間が黙っていれば済む問題だ。


 王妃はそう説得した。


 彼女の説得によって、ブリッツは死罪を免れたが、それでも王都からの追放を言い渡された。


「運が良かったのです。先王妃様からの恩赦が無ければ、私は打首に処されていました」

「それは……確かにそうね。でも、こんな僻地で。召使の一人もいないのでしょう?」

「私の治療は魔術の行使のみですから、もともと必要ありません。それに、暮らすにも私一人くらいであれば、問題ありませんから」

「そう?……でも、久々に美味しいものも食べたいのではなくて?良ければ、今夜私の別荘で一緒に食事でもどう?」


 もちろん、目的は食事だけではない。

 一難去ってまた一難である。


 エンコラは好色な笑みを浮かべながら、ブリッツの顔の前に左手を差し出した。

 ブリッツは逡巡したが、ゆっくりとエンコラの手を両手で取り、その手を女性の膝の上に戻した。


 断りの合図である。


「……誠にありがたいお申出ですが、今夜は先約が」


 エンコラは返答を聞いて、一瞬顔を顰めた。

 しかし、ちらっと近くにいる女騎士の顔を見た後、すぐに笑顔の仮面を被った。


「……それは残念ですわ。けど、私はしばらく別荘で暮らすつもりですから、近いうちに必ずいらしてくださいね」

「も、もちろんでございます」

「きっと、ですわよ?楽しみにしてますわ」


 女性がそう告げると、椅子から身体を持ち上げて声を張り上げた。


「馬車の準備!帰るわよ!あぁっ、ブリッツ。今回の治療代はリムルから受け取って」

「ありがとうございます」

「じゃあね。約束、守ってね?」


 返答を待たず、エンコラはドスドスとボロ屋を出ていった。


 部屋には、跪いたままのブリッツと、リムルと呼ばれた女騎士だけが残された。エンコラの姿が消えたのを確認すると、ブリッツは膝をついたまま、ガクッと項垂れた。


「今回の報酬だ。机の上に置いておくぞ」

「はぁあ〜。ありがとうございます……」

「まぁ、私が言うのもあれだが、頑張ってくれ」

「無理ですよっ!あの巨大に上になられたら圧死します!というか!なぜ、こんな王都から遠い僕の診療所まで!?囲いの男娼がいたでしょ!?」

「疎開だよ。戦時中だからな。エンコラ様は別荘と言ったが、今は実質本邸だ。王都のは男娼ごと軍に接収されてしまったんだ」

「そんな〜。なんとかなりませんか……?」


 捨てられた子犬のような目でリムルを見つめるブリッツ。

 リムルはゆっくりと首を振った。


「残念だが、ね。人族の存続すら危うい今の時節もあいまって、さらに放埒になっている。旧知の仲であることと、私のいる手前今日は諦めたが、あくまで振りだ。君が邸宅に来るまで絶対に諦めないだろうな」

「夜逃げでもしようかな……」

「勧めないが、引き止めもしないよ。じゃあ、また本邸で」

「ちょっと!」

「ははっ、冗談だよ。だが、どんな形であれ、また会えるといいな。お互いに明日生きれるかもわからないんだから」


 リムルが去った後、ブリッツは立ち上がり、またため息をついた。

 そして、小さな声で呟いた。


「やっぱり、行くしかないのかな……」


 ため息をつくブリッツの顔の正面を小さな蝿がブンブンと飛んでいた。


 蝿はブリッツの意識を引こうと、顔から少し離れた位置で同じ場所を旋回している。ブリッツがそれに気付くと、蝿は彼の視線を誘導するように、ボロ屋の入り口へと飛んでいった。


 その入り口には、夥しい数の蝿が群がっていた。


 「……来てたんだね」


 少年の呟きと同時に、蝿たちは密度を増し、背後の景色が見えなくなるほどに空間を埋め尽くした。さらに密度が高まると、中心から突如、拳ほどの黒い球体が浮かび上がる。周囲の蝿が吸い込まれるように球体へと入り込み、球体は徐々に膨らんでいった。


 やがて蝿がすべて吸収されると、球体はブリッツの上半身ほどの大きさになっていた。

 ブリッツは驚くこともなく、それをじっと見つめていた。


 球体に白いヒビが入り、そこから光が漏れ出す。ヒビは徐々に広がり、やがて繋がっていく。たまごの殻のように、黒い欠片がポロポロと落ちていった。


 殻がすべて剥がれ落ちると、そこには黒いドレスをまとった少女が、身体を丸めたまま浮かんでいた。

 小柄な身体は薄い羽根に包まれており、一目で魔族と分かる。


 四枚の羽根がすうっと広がり、丸めていた身体も伸びると、少女は地に足をつけた。装いはすべて黒。長い髪も瞳も、同じく深い黒。


 一方で、ドレスの隙間から覗く首筋や足は、対照的に真っ白でほっそりとしている。少女は快活そうな目をぱちぱちと瞬かせ、続いて鼻をすんすんと鳴らした。


「あれっ、魔術使った?……いい匂いがする」

「うん、豚……みたいな人に使ったよ。というか、来てたんだね」

「うん!でっ?でっ?返事は!?決めてくれた!?」


 羽根の少女は急にそう言うと、ブリッツに詰め寄った。


 今、ブリッツの視界には、同じ年頃に見える少女の顔が間近にあった。

 快活そうな大きな瞳、すっと通った鼻、少し薄めの唇ーーそれらが小さな顔の中にバランスよく配置されている。


 決断を迫る表情は期待に満ち、頬は赤く染まっている。

 同じ年頃で、しかも愛らしい少女が間近に迫ってくるため、ブリッツもついドギマギしてしまう。


 だが、答えはすでに決まっていた。


 少年は少女の片手を掴み、握手を交わした。


「……よろしくお願いします」

「えっえっ?ほんとに?ほんとに!?」

「うん」

「やぁったぁー!……って痛ぁっ!?」

「あっ!もう、だめだって、室内で飛んだら!」


 少女は興奮のあまりさらに浮き上がり、ごおんっ!とすごい音を立てて天井に頭をぶつけた。頭を押さえながら高度がひょろひょろと下がり、ぽてっと地面に膝をつく。


「アミュレっ!大丈夫!?」


 ブリッツが心配そうに駆け寄る。

 アミュレと呼ばれた少女はしばらく「ぬぉぉおっ……」と少女らしからぬ声で悶えていたが、やがて正面にしゃがみ込んでいるブリッツを上目遣いで見つめた。


「だいじょば……ないけど!それよりも、ほんとに?ほんとに来てくれるの?魔界に……!」

「うん、決めたよ。これからよろしくお願いします!」

「嬉しい……!」


 アミュレは痛みを忘れたかのように微笑んだ。

 その笑顔の愛らしさに、ブリッツはまたドギマギする。


 アミュレはすくっと立ち上がると、魔界への亡命をする当日の段取りを早口に説明しはじめた。先ほどの笑顔は消え、顔つきは真剣そのもの。

 

 ただ、喜びが勝っているのだろう。


 ヴヴッと羽音が響き、足が地面を着いて、離れて……を繰り返していた。


……

………


「ってことで、決行は今から5日後の早朝。決行の日は魔王様主催の闘技大会があるから、普段魔界と人界との境界警備をしている魔族の一部が来賓としてコロシアム周辺に招集されるの」

「えっ、無人ってこと?」

「さすがにそれはないよ。代わりに他の魔族に警備が委託されるんだ」

「しれっと重要情報」

「人族に話したことがバレたら割と重罪だよ。あたしたち蝿族も大会前日から境界警備に参加する。それぞれの管轄場所があるから、あたしたちの警備区域からブリッツを連れ出す!」

「じゃあ怖いのはむしろ人族側に見つかることか。国外逃亡は今だと向かう国によっては、ほぼほぼ死罪だったかな。魔界は……。まぁ、言わずもがなだね……」

「心配しなくて大丈夫だよ!蝿族の魔術を使えば絶対ばれないから!でも、あたしは闘技大会の来賓に呼ばれてて周辺の宿に泊まるから、この家には妹が迎えに行くよ」

「ベルチカちゃんか」

「うん。連れ出すならあたしよりもベルの方が向いているからね」


 ベルチカは蝿族の娘で、アミュレの妹。

 ブリッツは何度か会ったことがある。


「当日の流れはそんな感じ。それから、あたしの屋敷に着いたらしばらくは外に出れないと思って。魔王様が侵攻を開始したら、すぐ魔族側が勝つだろうから、そこからの人族への扱い次第で対応を考えようね」

「……。人族は勝てない、のかな」


 さらっと発言するアミュレの言葉に、ブリッツの顔が暗くなる。アミュレはその表情に気づいて、心が痛んだ。彼女の立場からすれば、むしろ腹を立てる可能性すらある発言だったが、相手の気持ちにすっと目が行くあたり彼女は根が優しいのだった。


 だが、アミュレはあえてその気持ちを無視して、小さく深呼吸をしてから返答した。


「…絶対に無理。魔王様ひとりですら、人族の軍隊は止められなかったでしょ?闘技大会って言う余興が終われば、魔王様は軍を率いて王都へ侵攻する。それが始まったら即試合終了よ」

「裏で和平交渉が進んでいるって噂も」

「莫大な賠償請求を呑んでくれればありえるかもね。国交が無い魔族と人族の場合だったら、求められるのは物資、土地、それから奴隷……とかかな」

「最初に僕たち人族が求めたものだね……ごめん」

「ブリッツのそういうところ大好き。……好き好き!」

「へっ?ちょっ、アミュレ!?」


 ブリッツの発言にアミュレは嬉しくなり、思わず抱きついた。柔らかな身体と甘い香りが、ブリッツを包み込む。


 ブリッツはドギマギしながらも、羽に触れないようにそっと彼女の背に腕を回した。


「戦争が終わったら、助けられる人族はできるだけ領内に保護する。人族の権利もできる限り認めてあげるからね」

「……ありがとう」

「ブリッツも協力してくれる?」

「……もちろんだよ」


 ブリッツはアミュレの気持ちに嬉しくなったが、暗い気持ちが後ろから追いかけてくる。


(人族は魔族によって「保護」されて、魔族によって“生きる権利”を与えられるんだ……。仮に今までと同じ生活ができたとしても、人族の心は同じでいられるのかな……)


 不安からアミュレの身体をギュッと強く抱きしめた。アミュレは何も言わず、ブリッツの肩に頬を乗せて目を閉じている。


(アミュレの言い方からすると、魔族の各領内で統治の仕方にかなり差があるんだろう……。ということは、人族の扱いも……)


 思考の途中で、アミュレはゆっくりとブリッツから身を離した。ブリッツの意識が現実に引き戻されていく。


「ずっとこうしてたいけど、そろそろ行かなきゃ」

「わかった、ありがとう、危険を冒してまで来てくれたんでしょ?」

「感謝してるなら“会えて嬉しい”って言って欲しいな」

「……また会えて嬉しいよ」

「ふふふっ♩それじゃ、またね。次会うのはあたしの家だね」


 アミュレはそう言ってニコッと笑うと、ドアを開けて外へ出た。振り返ってブリッツの顔を見て、小さく手を振る。


 羽をヴヴヴと羽ばたかせながらゆっくり宙に浮き、そのまま身体を丸める。

 ブリッツはその様子をぼんやりと眺めていたが、不意にアミュレの身体にモヤがかかったようにぼやけ始めた。


 同時に羽音が強まり、身体は細かい黒い点群へと変化していく。点群は大量の蝿となって四方に広がり、魔族領の方へとゆっくり消えていった。


 ブリッツはしばらく飛び去る蝿たちを見守っていたが、やがて表情を引き締め、亡命当日に向けて準備を始めた。


……

………


 夜はまだ明けきらず、ミスラム村の空は墨を流したように暗かった。


 秋の早朝、吐く息は白く、風は落ち葉を巻き上げながら軋む窓の隙間から忍び込み、ブリッツの頬を撫でる。毛布を肩にかけたまま、彼は何度目かの荷物確認を終えた。


 小さな鞄の中には、最低限の衣服だけが詰め込まれている。


「……そろそろ約束の時間だ。来てくれるよね……ベルチカちゃん」


 時間が過ぎるごとに、胸の奥に焦りが募っていく。

 外の様子をうかがおうと、彼は扉に手をかけた。

 

 その瞬間――。


――ゴンゴンッ!


 扉が軋むほどの音が家中に響き渡った。

 ブリッツは反射的に手を引き、後ずさる。次の瞬間、扉が蹴破られ、銀色の甲冑に身を包んだ兵士たちが雪崩れ込んできた。


「ブリッツ・ベンデル!貴様を国家反逆罪の罪で逮捕する!」

「はっ……えっ?」


 ブリッツの視界がぼやけ、兵の声はすぐには理解できず、耳鳴りのように彼の頭に響き渡る。


 なぜか、アミュレの笑顔が脳裏に浮かんだ。

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