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7話 吸血鬼が動き出す

 一悶着を終え、目的の買い出しへ向かった俺たちには少し異様な空気が漂っていた。ドゥーロン市場の活気も、お昼時の空腹感も、すべて虚構に感じるほどに重苦しい。


 目的を終えると、お構いなしと言わんばかりにリオンが口を開いた。


「目的は達成したわね。じゃあ帰りましょうか」


 親睦会というリオンにとっての目的は事件のせいで流れた。それでも彼女は八つ当たりなどすることなく、俺とアイリスに笑顔を向けている。


「……あぁ。遅くなると思うが、昼飯の準備をしないとな」


「ありがとうラーズ。助かるわ」


「俺はプロだ。どんな状況でも食事に妥協しないつもりだから覚悟しろ」


 帰宅後すぐに昼食の準備を進めた俺は、購入してきた食品の中で痛みやすいものからなるべく使うようなメニューを考えた。結果、トマトソースで作るポークソテーをメインに決めた。


 トマトを切る包丁はかなりの切れ味を誇っていた。おそらくリオンが輸入品の中で一番高価なものを買ったのだろう。ギラリ銀色に光るそれを、俺のまなこに焼き付けた。


 ……リオンが頻繁にスイーツを食べるということは、穀物を摂りすぎる傾向にあるな。主人の健康管理も奴隷の務め。昼は穀物抜きにしよう。


 俺は三〇分で作り上げたメインのポークソテープレートを持って、リビングへと踏み入れた。


「ラーズぅ。お腹が空いたわ」


「ちょ、ちょうどできたところだ」


 机に突っ伏す主人のしどけない姿に、思わず顔が引き攣ってしまった。


「今さらだけど苦手な食べ物はないか?」


「ないわ。なんでも食べるわよ」


「結構なことだ」


「アイリスもほら。苦手なものないか?」


「ぴ、ピーマン以外でしたら何でも食べられます」


「そうか。留意しておく」


 他の奴隷とも仲良くする。これはリオンが決めたルールだ。わだかまりができぬよう、好き嫌いの把握はリオンだけでなくアイリスにも必要だろう。そしてアイリスの苦手なものはなんとなく彼女のイメージにピッタリだった。


「いただきます。んー、柔らかくて美味しいわ!」


「味変のために胡椒も用意した。塩と混ぜて塩胡椒にしてある」


 多少値は張るが、胡椒は一流の調味料だ。買わない手はない。


「塩胡椒……そんな食べ方もあるのね」


「美味しい。美味しいです」


 俺の料理に感動する二人に、少し気恥ずかしくなった。


「俺が来る前までどんな飯食っていたんだよ」


「ずっと外食よ。当たり外れが激しくて大変だったわ」


 女性二人で暮らしていて、ずっと外食とは。生活力の低さが伺える。

 俺はそっと、心に陰を落とした。



 ◆



 リオン邸へ招かれて、今日で一月が経った。


 俺はベッドの上であぐらを組み、目を閉じて神経を研ぎ澄ませる。

 審判の時が来た。これまでの人生で、少なくとも百度は繰り返してきたことだ。


 リオン・ウォルコット。


 歳は不明だが、十七歳から二〇歳の間であろうと推測。


 経済力は、苔むした古い洋館なら買える程度。財布の紐は緩いが、無駄遣いをしているような姿は一度も目にしていない。また仕事をしている様子もなく、収入源が不明だ。


 本人の家事能力は低く、基礎的なスキルはあるものの自立するには厳しい水準。


 性格は、ひと言で優しい。だが勇壮な面があり、その際には野放図で利己的な性格が見え隠れする。


 趣味は、服とスイーツ(食すこと専門)。好き嫌いはないという話だったが、にんにくは苦手なようだし、野菜を多く出すと顰めっ面になるのは隠せていない。


 以上より審判を下す。奴隷の俺が、主人であるリオンに対して。


 吟遊詩人の歌が脳裏に響く。


『不審な死を遂げ貴族朽ち。

 奴隷たちが歯を見せる』


 俺はニッと笑い、白い歯に月光を反射させた。やがて誘われるかのように、寝室のドアに手をかける。


 その脇腹には、ギラリと光る、手に馴染み始めた輸入品の包丁を忍ばせて。


 ◆



 清掃と、ベッドメイキング以外では立ち入ることが許されていないリオンの寝室は、俺の寝室より倍以上の広さを誇っていた。その上、羊毛から作られたカーテンが窓から差す光を遮っており、快適な睡眠を保証してくれている。


 だだっ広い部屋の中心に、三人でも寝られそうなほど大きなベッドが鎮座している。そこから響く、高い声の寝息が一つ。アイリスか。


 アイリスが自室を使う機会がほとんどないのは、俺も薄々勘づいていた。ベッドメイキングの際、彼女のトレードマークである桃色の髪の毛が一本たりとも落ちていなかったからである。


 やはり毎晩ここで寝ていたらしい。何を深読みするまでもなく、性奴隷としての責務を毎日全うしているのだろう。それ以上、彼女の仕事について考えるのはやめた。


 彼女に恨みはない。いや、それはリオンにだって同じこと。


 しかし俺は輝きを失った包丁の柄を力強く握りしめた。

 恨みはない。ただ、不合格だっただけのこと。


 リオン・ウォルコットは、奴隷のプロである俺の主人に相応しいと判断されなかった。それだけのことだ。


 じりじりと音を立てずにベッドへ近づき、ベッドの中心が俺の間合いに入った、刹那。


「ふっ!」


 先ほどまでの慎重さと打って変わって、俺は大胆にベッドへ飛び付いて膨らみに包丁を落とした。


 異変を感じたのはその瞬間だった。手応えはある。しかし人間の肉を切ったそれではない。これまで千回以上刺してきた手応えとは、まるで違う。


 刹那、視界の端に紅蓮の光が灯った。瞬間。勢いよく伸びてきた足と思われるものが、俺の腕を蹴り上げた。


「がっ、ぐぅ……」


 たまらず包丁を手放してしまう。カランカランという金属音が寝室に響き、隣で寝息を立てていた少女がゆっくり起き上がったのがわかった。


「くそっ!」


 ベッドから飛び降りる。包丁がどこへ行ったのかはわからない。ならば素手戦闘。これだって俺の得意技だ。


「ふふ」


 不敵に笑う紅蓮は、瞬きの間に俺の懐へと潜り込んでいた。


「バカなっ!」


 見上げる紅蓮に、根源的恐怖が全身を伝う。

 死。間違いなくそれを意識した。


 だがこんなところで死ぬわけにはいかない。俺は奴隷のプロだ。これまでの経験を活かし、この窮地を乗り越えることだって可能なはずなんだ。


 嗤う紅蓮に、右腕一刀。振り下ろした腕は少女の後頭部を押し込み、少女を床へと叩きつけた。


「はぁ、はぁ」


 特に派手な動きをしたわけでもないのに、息が上がっている自分に面食らった。

 この少女の瞳。美しいと思っていた紅蓮の瞳。同時に、恐ろしいと思っていた血色の瞳。


 ふと、脳裏に吟遊詩人の歌が響いた。


『吸血鬼が動きだす。

 革命を背負い動き出す』


 ざわついた心臓を鎮めるように、俺は少女の生死を確認しようと髪を持ち上げ、その顔を拝む。


 瞬間。血の気が引いた。


 暗闇に慣れた俺の目に映ったのは、再び紅蓮。頭を強く打ちつけたにも関わらず、額から血を流す軽傷に留まる彼女に思わず息を飲んだ。


「なんでっ!」


血操(ブラッド)大帝(アンペラール)血縄(レッドコード)


 刹那、少女の額から流れる紅線が糸のように変形した。まるで生きた蛇のように俺に巻きつき、身動きを拘束される。


「その力……まさかお前!」


「この力を使わせたことは褒めてあげる。さすがね、奴隷のプロさん」


 少女は寝室のカーテンを開き、月光を部屋へ誘い入れた。

 蒼銀の少女、リオンは不敵に嗤う。額に血はついていない。その血はいま、俺の身体を縛っている。


 困惑する頭。しかしポツリと、この言葉だけは漏れ出た。


「吸血鬼……」


 脳裏に吟遊詩人の歌が響く。


『吸血鬼が動き出す。

 革命のために動き出す。

 奴らはルビーの血を燃やし。

 人の覇権を終わらせる』

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