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6話 ドゥーロン市場の動乱

「はいはいはい、朝イチ取れたての魚だよ! 安いよ安いよ!」


「新鮮野菜がこの値段! ドゥーロン市場以外じゃ三割増しだろうね!」


「輸入品ならうちに任せな! 大陸東方の茶葉から漆器まで揃えているぜ」


 露店の主人たちが声高に宣伝をする。この活気こそ、貿易港として近年急発展を遂げたここドゥーロンの街の名物だ。

 ドゥーロン市場。誰もが自由に出店できて、誰もが自由に買い物できる場所。金さえあれば奴隷だって上質な布を買うこともできる。


「ちょ、ちょっと怖いです」


「アイリス、大丈夫? 怖いなら手を繋ぐわよ」


「す、すみません」


 この活気はアイリスのような気の弱い娘には毒なのだろう。だから買い物は俺だけでいいと言ったのだが。


 手を繋ぐ二人は見た目こそ大きく違えど、さながら姉妹のような雰囲気だった。こんな美人姉妹が歩いていて、通行人の視線を感じないはずがない。とんでもなく目立っていた。


 そんな群衆の中で一人、俺たちにまったく目もくれない男がいた。薄汚れた灰色のコートを纏った吟遊詩人だ。今日もまた木製の楽器に張られた弦で、快活に音を奏でている。ゆったり歌を披露しながら牛歩しているらしい。


「吸血鬼が動き出す。

 革命のために動き出す。

 奴らはルビーの血を燃やし。

 人の覇権を終わらせる。

 革命掲げた奴らから。

 逃れる街はただ一つ。

 歴史の浅いこの街へ。

 ドゥーロンの街へ逃げおいで」


 今日も吸血鬼の歌か。ネタ切れがひどいようだ。


 ……見知らぬ吟遊詩人にかまけている暇はなかったな。奴隷のプロの時間は貴重だ。いたずらに浪費していいものではない。


「牛乳と野菜と果物に卵。あと肉と魚だな。それらを保存するための氷も欲しい」


「小麦と砂糖も買いなさい」


「ケーキは今朝食べただろう」


「甘いものはいつ食べてもいいものよ」


「太るぞ。ってぇ!」


 ガシッと、リオンの革靴が俺の足を踏みつけた。


 女性に太るぞは余計だったか。失敗した。


 奴隷のプロは失敗を滅多にしない。そして犯したとしても、リカバリーを効かせるものだ。


「わかった。今日の食後のデザートはプディングでも作ってやる」


「やったわ。ひと芝居打ってみるものね」


「……っておい! 拗ねたのは演技かよ!」


「どうかしら。女優になれると思う?」


「リオンならすぐトップスターだろうよ」


 呆れた。甘いものへの執着が凄まじいな。このペースだと俺のレパートリーをすぐに使い切ってしまうかもしれない。新しいメニューの開発にも勤しむ必要があるようだ。


 頭を悩ませた、その時だった。ドゥーロン市場の活気溢れる空気に水を刺すような、金切り声が響いた。


「身分を弁えろクソガキが!」


「や、やめっ」


 声のする方へ視線を配ると、いつもの光景が広がっていた。

 大の男二人が、裂けた麻服を着る痩身の少女を蹴り付けていたのだ。ひと目でわかる。身なりのいい男たちが主人で、暴行を受ける彼女が奴隷なのだと。


 通行人はもはや日常になったそれに興味も関心も向けない。いかに倫理に反した行動でも、日常に染み込めばただの背景になる。恐ろしいほどに冷血な事実が、縮図が、広がっていた。


「ひどい……」


 アイリスは涙目になって奴隷の少女を見つめていた。


「あまり見るなよ。巻き込まれでもしたら厄介だ」


「でも、でも……」


「仕方ないさ、俺たちは奴隷なんだから」


 それが嫌なら、極めるしかないのだ。

 己に与えられたレールを。すなわち、奴隷の道を。この世の誰にさえ、文句を言われないほどに。


 俺が踵を返した時、ふと違和感に気がついた。


 いない。俺とアイリスの主人が、どこにも。さっきまでアイリスと手を繋いでいたというのに。

 アイリスは……暴行現場に夢中で気がついていないか。


「っ!」


 くどいほどに、俺は息を飲んだ。

 誰もが素通りする暴行現場に、一人の少女が近づいているのである。


 その少女は俺に蒼銀の川を向け、勇猛果敢に歩を進めていた。


「リオン、何して……」


「そこまでよ!」


 リオンは叫んだ。臆することのない声で、滔々と。

 男たちはまさか声をかけられるなんて思っていなかったようで、呆気に取られた様子だった。


「なんだね君は!」


 二人の男のうち、小太りの方は地主だろうか。シワのない白いシャツに、黒いハットを被って、庶民とは違うのだと対外的に示していた。


「突然何用か!」


 対して痩せ型の男は細身に筋肉を纏わせ、力強さを示していた。さしずめ地主のボディーガードか。


「その子への暴力を今すぐやめなさい」


 空気の一変を感じた周囲の視線を、痛いほど集めてしまっている。

 暴力を振るった男二人も、リオンの言葉に固まってしまった。しかしすぐにその顔を朱に染める。


「貴女バカですか。こいつは奴隷ですよ」


「奴隷にはこうして躾けるのが一番だ!」


「うあぁぁ!」


 腹部を蹴られた奴隷の少女が激しい声を漏らした。痛々しくて、見ていられない。


「……次暴力を振るったら、私が黙っていないわよ」


「なんの権限でその言葉を口にする!」


 痩せ型の男がついに殺すような勢いで奴隷少女を踏みつけようとした。その時だった。


「「なにっ!?」」


 俺の声と、痩せ型の男の声が重なった。

 リオンはいつの間にか男の間合いに入り、彼の足をその細指で薙ぎ払っていたのだ。


 尻餅をついた男はドゥーロン市場を歩く貴婦人や庶民に小笑いにされた。その時点で、彼は沸点を超えたらしい。

 そして俺も、この時点で仕事ができた。


「クソ女がぁ!」


 痩せ型の男が立ち上がり、リオンに向けて拳を振り下ろした。

 推進力を持つその拳は、俺の手のひらに収まった。


「ラーズ!?」


「主人を守らず奴隷のプロは名乗れないからな」


 面倒ごとに巻き込まれたのは本意ではないが、主人は何があっても守らなくてはならない。そして俺は、戦闘が苦手ではないのだ。コロシアムで命の奪い合いをした戦士に比べれば、こんなやつ屁でもない。


「どけクソガキがぁ!」


 再度振り下ろされた拳。俺はそれを抱きしめるように左腕でホールドした。

 驚愕する男に、右腕一刀。手を刀のように伸ばして振り下ろす一撃必殺の技だ。


 ぐるんと人形のように目を転がした男は俺の腕で力無く折れた。小太りの男がひぃと声を上げるので、そいつに気絶した男をプレゼントしてやる。


「揉め事は避けたい。あんたも、あまり往来の場で奴隷をいたぶるな」


「わ、わかりましたよ、わかりましたとも!」


 地主と奴隷少女を引き離したりはしない。そんなことをすれば、割を喰らうのはこの子だからだ。

 そしてたぶん、今回のことで被害を受けるとしたら屋敷であの子は……


 その先は考えることを放棄した。


「ラーズ、あなた強いのね」


「……なぜあの子を助けた。あんなことをしても、結局あの子は奴隷のままだ。あの扱いならいつか必ず死ぬ弱者だぞ」


 俺の問いに、リオンは目を細めた。そして薄く笑う。紅蓮の瞳を不気味に灯しながら、言った。


「構わないわよ。死ぬにしても私の前で死なれるのは気分が悪いから止めさせただけ。いつだって私は、私のために生きるんだから」


 この時リオンが、ひどく恐ろしく、非人間的なものに見えた。根源的恐怖。それを紅蓮の瞳で焼き付けられたのかもしれない。


「すみません。通してください」


 その恐怖を払うような、凛とした声がドゥーロン市場に響いた。

 雑踏を掻き分け顔を出したのは、黒いコートを着た女性だった。


 黒いコートはこの街で着用を禁止されている。しかしそれを許された身分が一つだけある。それが……


「公安のロベリアです。お話、よろしいでしょうか」


 公的安全維持組織。通称公安だ。大陸西部では彼らが公安であると一目でわかるよう、純黒のロングコート着用を義務付けしている。無論、夏でもだ。それすら耐えられぬものは公安に不要、といった考え方らしい。いつか時代に淘汰されそうな考え方だ。


 ロベリアと名乗った少女は、まだ二〇歳前後の新人だろうと推察できた。初々しく若々しい顔つきに、紫の蛇行川が流れている。ウェーブのかかったそれは、おしゃれに気を使った彼女のこだわりにも見えた。


 公安ゆえに、もちろん彼女も規定の身長制限はクリアしている。そのため俺と並ぶくらいに身長が高い。スレンダーな体型はよく言えばモデルのようで、悪く言えば出るところが出ていないガキ体型だった。


 そんなロベリアにリオンは食らいついた。まるで俺からの苦言を八つ当たりするかのように、鋭く。


「公安が何の用かしら」


「ここで騒ぎがあると耳にして駆けつけました。事情聴取を行います」


「もう犯人は逃げたけどね」


「というと?」


「奴隷の少女が飼い主の男二人にリンチされていた。まぁ、いつものことだろう」


「……そうですか。その時お二人は?」


 被害者が奴隷だと、犯人を検挙することはできない。それがたとえ殺人事件になったとしてもだ。


「俺の主人が止めに入って、相手方が主人に暴力を振いそうだったから俺も間に立った。それだけだ」


「なるほど、勇敢なお二人ですね」


 俺もリオンも、二人して少し気恥ずかしくなった。少なくとも俺は、ストレートに褒められるのに弱いのだ。リオンもそうなのだろうか。


 そんな気恥ずかしさを払うように、リオンは咳払いをする。


「ずいぶんピリピリしているのね。何かあったの?」


「最近この街では貴族や地主といった富裕層の不審死が相次いでいるんです。だから警備の強化月間に入っているのですよ」


「なるほど。あんたらも大変だな」


「いいえ。街のみなさんが平和に暮らせるよう安全を維持するのが、我々公安の仕事ですから!」


 ロベリアは子供のような顔で、純黒のコートの胸元についた大鷲のバッチを見せてきた。公安の紋章だ。正義を見せつけた彼女は、聞いてもいないことを続ける。


「憧れの上司は事件の匂いとやらがわかるらしくて、検挙率も高いのですが、なにぶん私はまだまだ若輩者なので。だからせめて、お二人のように勇敢な人間でありたいんです。公安として、正義を守るために!」


 少々正義感が暴走気味のロベリアに、それでも主人は笑顔を向けた。


「ありがとう。頑張ってね」


「はい。それではお二人もお気をつけて」


 ロベリアは強い正義を見せつけるようにもう一度笑顔を向けてくれた。


 大鷲のバッチ。あれも自分を何者か示すもの。

 彼女はあれに、呪われているのだろうな。強い正義という、強力な呪いに。

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